第十六話 ちょうこう様
この作品を含め、私は自分の書く物語に三方五湖をよく出します。二度しか行ったことがありませんが、本当に美観でしてね。
若狭に入って、数年…。
ついに長康は妻たちを三方五湖に連れてくることが出来た。天橋立は細川領、細川藤孝にはいつでも見に来られよと言ってくれているが中々時間が取れない。
しかし領内にある三方五湖なら何とか時間は作れた長康と家族たち。
「「わああああ…」」
若狭富士と呼ばれる梅丈岳に登り、若狭湾と湖、山河の共演を見つめる長康一行。
現在のレインボーライン山頂公園だ。
「能、当初の目的地だった天橋立、三方五湖…。ようやく一つをそなたに見せることが出来たよ」
「ありがとう殿、もう本当に絶景で…」
長康の妻たちは絶景に見惚れ、子供たちは山頂ではしゃいでいた。
「転ぶなよー」
「「はぁーい父上」」
「殿、久しぶりに、うな丼が食べたいです」
三方五湖のうなぎは令和日本でも天然ものは高級である。琵琶湖産にも負けずとも劣らない。
「きっと能はそう言うだろうと思って、山を下りたら湖の市場に調理場と席を用意してもらっている」
「わああっ!言ってみるものです!ねぇ紗代様!」
「はいっ、ああ楽しみ!」
「ははは、春、俺の隠居後に開く店はこの町がいいかもしれないな」
「はい、殿ともう一度『さくたろう』をやりたいと私たちも思っていますから」
武士を全うして、長男太郎が一人前になったら隠居して再び『さくたろう』を開く。
今浜のころから『さくたろう』で働いてきた春たちにとっても、それは願いだ。
しかも、こんな美しい町で出来たら、どんなに素敵だろう。千代と富美も絶景に見惚れながら隠居後の夫と共に働く夢を頭に思い描くのであった。
三方五湖の絶景に満足したあと市場に訪れた。
「武蔵守様、ようこそ、当市場にお越し下さいました」
市場の長、甚六が出迎えた。国主が訪れるため長康が訪れる時間帯は貸し切りになっている。
「妻の能だ」
「武蔵守様の奥方は美女揃いと聞いておりましたが、まことにございますな」
「お上手ですね。初めまして、塩見武蔵守の室、能です」
「さ、奥方様と若様、姫様たちはこちらへ。広間を用意してございます」
能たちは甚六が案内する広間へと。入れ替わるように
「武蔵守様、この市場の食堂で料理長を務める弥七と申します」
「塩見武蔵守である…。と、まあ、ここではそんなに偉そうにする気は無い。おぬしを始め、調理場に俺がいる間はそう大仰に対応しないでくれ」
「承知しました。それと…まことに図々しい限りなのですが…私にうな丼を伝授して下さいませんか?」
「え?」
「私は大津で『さくたろう』のうな丼を食べたのですが、この世のものとは思えぬ美味で感動しました。再現しようと何度も試みましたがすべて失敗に終わりました。どうか、伝授を!ここ三方五湖の名物にしたいのです!」
「よかろう、俺が妻と子供たちのうな丼を作るさまをよく見ておくのだ」
「はっ!」
「お待たせしました」
市場に務める女中たちが能たちの待つ広間にうな丼を運んできた。
実を言うと、律照尼はうな丼を初めて食べる。
「これがうな丼…」
蓋を開けると何とも言えない美味しそうな香りが…。一口食べると律照尼は目を輝かせて
「なっ、なんじゃ、このとんでもない美味は!」
夢中でかきこみだした。八百年以上生きてきた彼女も、これほどの美味は初めて食べたようだ。
「わああ、美味しそう、いただきまーす」
子供用の小さな器に盛られたうな丼を長男の太郎と次郎、長女の桜もかきこんでいく。
「お富美さん、相変わらず殿のうな丼は美味しいわね…」
「まかないで初めて食べた時は、私たち三人とも泣いちゃったものねぇ…。ふふっ」
「そうそう、お春さんが『家にいる子供たちに食べさせたいので、申し訳ないですが残します』って殿に言ったら、新たに子供たちの分のお弁当を作って持たせてくれた時はわんわん泣いていたよねぇ」
「もう、お千代さん、何でそんな昔のこと思い出すかな。でも子供たちの分のうな丼弁当に持たせてもらった時、決めたのよね。ああ、この方についていこうって…」
「本当に美味しいわね…。稲葉山の草月庵で初めて殿のうな丼を食べた時の感動は今も忘れられないな」
「能様、いまもあそこの宿の名物らしいですよ。美濃は織田領、いつかまた行けるといいですね」
紗代の頬はご飯粒でいっぱいで、能はそれを見て大笑い。
「紗代様、なに、その顔は!あはははは!」
同じく笑い出した弥生と夏江の頬にもご飯粒がいっぱいだ。とにかく一度食べ始めたら止まらないほどの美味ということだ。普段は貞淑な長康の妻たちも武家女として、それはどうよ、と言いたくなるほどの食べっぷりだ。
空になってしまった丼を悲しそうに見つめる律照尼、丼を持ち
「おかわりじゃ!」
調理場にいる長康に丼を突き出した。調理場の中では長康のうな丼を立位で食べている料理人たち。みなあまりの美味しさに涙している。
「しょうがないな」
長康は自分の分に取っておいたうな丼を、そのまま律照尼に渡した。
「おぬし、こんな美味を料理出来るなら、もっと作らんか!」
さっさとうな丼を持って、広間に帰ってしまった。
「やれやれ、作った俺が食べられないとはな」
「これは本当に我ら料理人でも卑怯だと言いたくなるほどの美味でございます」
「弥七、この市場の食堂に、このたれを与えよう」
「……えっ!」
「うなぎのたれの作り方は教えたな。そしてうなぎをつけて継ぎ足し、これをずっと続けていく。今浜で店を六角家の軍勢に燃やされた時も、このたれ甕だけは死守して大津で再起できた。しかし武士となって織田家に仕えている今は何かと忙しく、そうそううなぎを調理できる機会もないゆえな。今日ここで使ったたれ甕は置いていく」
収納法術内に同様の『うなぎのたれLv50』は八甕ほどあるので全く問題が無い。
「おおっ、おおおっ、武蔵守様!」
「大切にいたします!代々引き継いでまいります!」
弥七と甚六は平伏して感謝した。
「うむ、しばらくして俺だけ食べにくる。その時に俺の舌を満足させたら、この市場に若狭国主、塩見武蔵守のお墨付きも与える。励むがいい」
「「ははーっ!」」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この世界では織田信長と徳川家康は同盟関係にない。家康は武田と同盟をしている。
そしてついに武田信玄が上洛戦を開始した。史実では手取川の戦いより前に行われていることだが、ここは『戦国武将、夢の共演』シナリオだ。史実の出来事の時系列などあって無いようなものだ。
しかも徳川と武田は同盟関係なので三方ヶ原の戦いも発生しない。
塩見家は対武田徳川連合軍への戦役は命じられていない。
「おそらくは毛利攻めのために温存されているのであろう」
小浜城内評定の間で長康は言った。家老の作田新之助改め作田伯耆守が
「殿の見込まれている通りかと。羽柴殿が上杉との戦における戦線離脱の罰を上手くすり抜け、その代わり中国方面の大将になったとか。まずは播磨から攻略となりましょうから若狭の我々はそちらに駆り出されると思います」
「しかし結局、元就が勝ちましたな…」
熊谷直澄が言った。中国の覇者、尼子経久と毛利元就の戦いは毛利に軍配が上がった。
尼子経久は石見銀山を元就に渡すくらいならと己が闘気のすべてを気弾に込めて撃ち破壊、さらに念入りに大量の火薬を使って銀山を爆破させた。
尼子との戦いで疲弊した毛利に振り出しから銀山を切り開く余力があるかどうかは疑問だ。経久は単騎で毛利勢に突撃して、その恐ろしい武勇で何百もの兵を切り捨て、最期は全身を十数本の槍に突かれて死んでいった。元就に銀山破壊を告げて『骨折り損のくたびれ儲けじゃ!』と大笑いをしたという。
激怒した毛利元就は経久の息子晴久、孫の義久、武名名高い新宮党に至るまで攻撃を緩めず全滅に至らせた。落ち武者を匿うものも死罪だと発するほどに。よほど許せなかったのだろう。石見銀山が何としてでも欲しかった元就は何度経久に撃退されても戦を挑んだ。その石見銀山を経久は破壊してしまったのだ。
(後世に八つ墓村のような事件が起こるかもな…)
確かにあの物語は尼子の落ち武者から端を発している。
「いつ出陣の命令がくるか分からぬ。軍備を怠らぬよう」
「「ははっ」」
その他、内政担当や開発担当の家臣から報告を受けて評定は終わった。すると能と紗代が奥から出てきて
「殿、これから色町に赴かれるとは本当ですか?」
「ああ、そうだが…そなた、何やら誤解しているな?遊女たちの治療のために行くのだ」
「そうなのですか?」
本当か~?という顔の紗代、長康の妻たちは他の大名の城に女を作っても何も言わないが色町だけは許さないと言っている。妙な病気をもらってこられたら大変だからだ。
長康は『病気耐性』というサポートカードも要しないスキルを元々備えているので大怪我による即死か老衰でしか死なない。しかし、そんなことを能に行ってところで信じられないだろう。何より用向きは本当なのだ。
小浜城は織田軍により一度廃墟となり、塩見家が新しく築城して城下町を整備したもの。色町も出来て賑わっている。
「遊女となって小浜の男たちの癒しになってくれている女たちは大切にせねばならぬ。行為により罹る感染病もあるのだ。それを治してやらぬとな。それほど心配なら護衛と監視を兼ねて夏江も連れていくが」
「そうして下さいませ。殿を篭絡しようとする女子もいるかもしれませぬ」
能と紗代は身をもって知っている。この男に一度でも抱かれたら、その女はもう長康から離れられないということを。能と紗代は長康が初めての男であるが他の妻たちは違う。その妻たち曰く『旦那様の房中術は桁外れ』だと。彼女たちが房事で絶頂に達したのは長康との行為が初めてだった。夏江が長康との房事が忘れられず妾から妻にしてくれと懇願してきたのがいい例だ。
牢人だった昔ならともかく、今は国主である長康に遊女の妾を作ることは認められない。
事情を聞いた夏江は、長康の護衛兼監視として色町へと赴くことになった。長康が馬に乗って夏江が手綱を取って城下を歩いている。
「殿、色町に行くのは何度目ですか?」
「初めてだよ。行くなと能たちに言われていたからな。しかし色町の顔役と各遊郭の女将たちが城に来て遊女たちの治療をしてくれと懇願されては城主として出向かぬわけにもいかんだろう」
長康と夏江の他、護衛兵三名は槍を持ってついてきている。小浜城下の色町は海沿いにあって客は漁師の男たちが多いが、町民と農民も寄り合いで荷馬車を借りて集団で訪れているとか。
「遊女か…。実は私も今浜でなろうとしたのですよ」
「そうなのか?」
「はい、六角との戦で夫と親兄弟は死に、独りぼっちになってしまったので糧を得るために遊郭に行きました。でも、この大きな体で全部断られました」
「見る目がないな。夏江は乳房も大きいうえに名器なのに」
「もう…殿ったら…」
赤くなる夏江だった。
色町に着いた。今は昼なので外観から妖艶な印象は受けない。
大小の遊郭が軒を連ねている。夜が仕事の遊女たちは現在睡眠中か。
色町の顔役である栄吉と各遊郭を預かる女将数名が長康を出迎えた。
「お殿様、よくぞお越しくださいました」
長康は馬を降り
「うむ、さっそく病にかかった遊女たちを治していく。また遊女の家族に病の者がいれば、それも治す」
「「ははーっ!」」
遊女が感染する病と言えば梅毒だ。罹った者は隔離棟に放置されているのが現状だ。
その隔離棟の前で
「夏江、そなたは見ない方がいい」
「殿…」
「人生の岐路が一つ違っていれば、自分もこうなっていたというのは案外心に傷を負うものぞ。言う通りにせよ」
「分かりました」
「そなたらもだ。病躯を男に見られたくないという女心、分かるな」
「「ははっ」」
護衛の兵士たちもその言葉に得心し、隔離棟の前で夏江と待機することにした。
長康一人だけ、隔離棟に入る。すぐに便所から苦痛に叫ぶ遊女の声が。排泄は地獄の苦しみだ。目の前には十人以上の梅毒患者が。
「「はぁ…はぁ…」」
「お父ちゃん…」
「母上…」
「もう殺してぇ…」
「「はあっ、はあっ」」
「…馬鹿野郎」
自分に言った言葉だった。何が若狭国主だ。城下には、こんなに苦しんでいる若い娘たちがいることに気づかなかった。
「つらかったであろう…。いま治してやる」
「あなたは…」
「旅の医者だ」
赤い斑点が体中に発し、髪の毛は抜け落ちてやせ細った女。
「触れては病が移ります…」
「案ずるな」
長康は一人一人に『万病治癒』を施した。治ってすぐに床を出られた女はいなかった。
病の苦しみで体は疲れ切り、治ると同時に強烈な睡魔が襲い掛かった。みな苦痛が無くなり、ぐっすりと眠りだした。
長康は糞尿や吐しゃ物、体液に汚れた布団と部屋を洗浄の法術で清め、窓も開けて換気。
ここにいたのは末期の梅毒患者で令和日本でもこの状態になったら助からない。しかし長康には治せる。
各遊郭にも、こうなる前の患者がいるはずだ。隔離棟の扉を開けて
「殿、遊女たちは…」
「ここにいる娘たちは全員治した。次は遊郭を一店舗ずつ回る。女将たち…」
案内してくれ、そう言いかけたが当の女将たちは隔離棟に入り、遊女たちが体から赤い斑点、他の出来物も消え失せ、ぐっすり眠っている様を見て涙を流していた。悪臭は失せて清潔な臥所。女将たちは隔離棟から出るや長康に平伏した。
「「お殿様!ありがとうございまするっ!」」
「よい、それぞれの遊郭にも、まだ重症化していない患者がいよう。そちらも治す」
「「ははっ!」」
こうして長康はすべての遊郭を回って梅毒のみならず、弥生と同じ『膣トリコモナス症』を患っている遊女たちも治していった。
睡眠中だった遊女たちも優れた医者が訪れたと聞き、病の家族を治してほしいと願ってきた。
「私の息子の病を治して下さい!お金はありませんが、この身で…」
夏江が遊女を睨む。能から、この申し出だけは絶対に退けるよう指示されている。
巨躯で怪力無双の夏江が睨みつければ、なまじの武将より怖い。遊女は震え上がり
「ひぃっ」
「よせ、夏江…。ええと…」
「はっ、はい、源氏名は百合ですが、名はこうと申します」
「こうよ、俺は貧しい者からは取らぬ。それに報酬はこの色町の責任者からまとめてもらうことになっている。そなたから受け取るのは二重取りになる。で、女将」
「はい」
「遊女たちの家族たちもここに住んでいるのか?」
「はい別棟に」
「分かった。こう、息子のもとに連れていけ」
「はっ、はい!」
遊女たちの家族たちも治していった長康、さらには
「栄吉よ、これは俺が作った梅毒の予防薬だ。今日治った者、まだ罹っていない者を含めて全員に飲ませよ。特効薬ではない、予防薬だから罹ってしまってから飲んでも遅い。今日中にでも飲ませよ。湯呑一杯程度で十分ゆえな。少し苦いが」
栄吉が営む遊郭『初春楼』の一室で長康は梅毒の予防薬を渡した。薬祖神のサポートカードをセットして、試練達成で得たレシピで生薬したものだから間違いのないもの。すべてのアレルギーもクリアしている予防薬だ。大きな酒樽を十樽ほど収納法術から取り出して栄吉に与えた。
「感謝の言葉もございませぬ…」
「それと、遊女たちの入浴は七日に一度と聞く。薪にかかる金は塩見家で負担するゆえ毎日入らせるよう。その条件として遊女に七日に二日、休みを与えるように」
「お殿様、前者はともかく後者は…」
「試してみよ。その方が遊女たちは健康を保て、より男を満足させられるようになる」
「は、はあ…」
納得はしていない栄吉だが城主の言葉には逆らえない。まして色町すべての遊女の病を治した名医ともなれば。
だが、後に栄吉と女将たちは長康の言うことは本当だったと思い知らされることになる。毎日風呂に入れて、七日に二日休める新たな仕組みによって病に罹るものは激減し、遊女たちもまた生き生きとして男たちを癒せるようになった。客がどんどん増える。
最初、隔離棟で梅毒を治してもらった遊女たちは、旅の医者と自称していた彼が実は若狭国主であると聞き仰天したという。
さらに後日、色町の敷地内に小さな神社が作られた。各遊郭で金を出し合い建立されたもの。ご神体は長康である。報告すれば拒否されるだろうと分かっていた女将たちは長康の名を音読みした『ちょうこう様』として祀り、遊女たちは毎日感謝を込めてご神体に手を合わせるという。当の長康がそれを知るのは、ずいぶんと後年の話になる。
海沿いの色町、これは香川高松の色町をモデルに書いてみました。いい遊び出来たところだったのですよ。ホント。