チョコレートセックス
可愛い。どちらかと言えば私はそういうタイプの男をよく好きになる。渋いとか、男らしいとか、テンションが高くて明るいとか、その辺のタイプの良さがイマイチわからない。
でも、可愛いは危険だ。
それは姉が弟に対する、もしくは叔母が甥に対する感情かもしれない。恋は一つしかないけれど愛は無数にあるのだ。
だから私は恋か愛か、愛だとしたらそれは私の求めている愛なのかを確かめる術を探した。
私は私を好きだと言ってくれた人若しくは私が好きになった人と最初にセックスをする。恋人になるより前にだ。
詳しく描写すればR18指定を食らうので書けないが、主にそんな彼等とのセックスは2種類に分けられる。そこに童貞もヤリチンも大きいも小さいも関係ない。
一つは甘くて甘くて喉の焼けるようなセックス。私はこれをチョコレートセックスと呼ぶ。喉から入り込み胸の中まで焦がしていく熱いセックスだ。決まって彼等の顔は必死で鼻血が出そうな程興奮している。
もう一つは喉や胸ではなく身体の表面が頭の先から足の指先までこんがりと焼けるセックス。それは甘くはない計算された感情を抑え込んだ、だけどチョコレートセックスより数倍気持ちいいセックス。これを私はホットドッグセックスと呼んだ(頭の食品名はただ単に私の一番の好物と言うだけだ)
そんなセックスをする彼等の顔は決まって少し微笑んでいていつだって真っ直ぐ目が合うのだ。
前者は内部が、後者は外部が気持ちよくなる。言い換えれば心と身体。
恋は所詮独占だ。己の欲を満たすものだ。陰ながらに幸せになって欲しいなんて抜かして健気なヒロイン、ヒーローを気取ってるムカつく小娘、小僧もいるが、私に言わせればそれは単にお前達の努力、実力不足でそれを他力本願で欲を妥協で埋めただけだ。ノンアルコールビールのようで心と身体に悪そうで胸糞悪い。
何故ホットドッグセックスがチョコレートセックスより気持ちいいのか、それは簡単だ。
恋は、チョコレートは、最初に自分の幸せがきて、愛は、ホットドッグは、最初に相手の幸せが来る。別に1番と2番の違いしかないけど、その違いが天地ほども違うと主張する人も世の中にはいると言うことだ。
私はホットドッグの方が好きだ。
恋はいらない。正しい愛が欲しい。正しさとは私で、私が正しさを決める。
マフラーで口元を隠して私は言った。
「1000円」
「へ?」
「わざわざ調べるのも面倒でしょ。そのチョコ1000円だからお返しはきっちり3倍でお願いね」
私は私なりの親切心を発揮した。
そして、悪戯心と彼が彼であるのかを探る。
私は人より少し長い舌をペロッと伸ばして指で指す。
「因みにそのチョコの代わりに私の唾液たっぷりのキスでも良いけど、これは0円だからお返しは絶対に受け取らないけどどっちが良い?」
「……チョコで」
「更に因みに私チョコ嫌いだから」
「知ってる」
彼は彼だった。
彼にとって彼が幸福になる為の私のキスより私を幸福にするお返しをあげたい気持ちの方が強いのだ。
私が1番だ。
よし、正しい。
「今日も可愛いね」と彼が言った。
「どういたしまして」と私が言った。
私を可愛いと言うお前の顔の方が可愛いわ、と言いたかったが思ったことを全部口にするほど馬鹿にはなれない。
「寒くない? コンビニ寄ってく?」
「いいね、肉まん買おうよ」
「私、ホットドッグがいい」
「えー、売ってるかなぁ」
多分、明日も幸せだ。
何故なら私はホットドッグが好きだからだ。