エブリィ男爵
パティが子を孕んだと知った時、真っ先に頭に浮かんだのは、“妻に知られないようにしなければ”ということだった。
妻は、貴族に嫁した者として、夫の多少の火遊びは認めるが、自分の子の権利を害することは許さない。
それ自体は、貴族女性では一般的な考え方だ。
妻には、まだ子がいない。
万が一パティが男子を生んだら、生かしてはおかないだろう。
パティに別宅を用意して隠し、娘が生まれてくれることを切に願った。
その甲斐あってか、生まれたのは娘で、スカーレットと名付けた。
そして、妻には嫡男が生まれるまで秘密にし、嫡男より後に生まれたことにした。
娘でもあるし、これでスカーレットの安全は守れるだろう。
仕事の絡みでそう頻繁には顔を出せないが、たまに顔を出すとスカーレットは満面の笑みで駆け寄ってくる。
何も知らず、たまに訪れる父親を待ちわびている姿に罪悪感さえ感じるほどだ。
無垢な笑顔を見ていると、幸せを与えてやりたいと思う。
この子には、貴族の世界を知らないままに市井で幸せを見付けさせてやりたいと思っていた。
だが、パティが死に、スカーレットを引き取らざるを得なくなってしまった。
どう言いつくろってみても妾の子、妻の当たりはキツかろうと思っていたのだが、意外にも妻と上手くやっていた。
さりげなく妻の意を確認したところ、
「引き取った以上、政略の駒としてお使いになるのでしょう? ならば、我が家の娘として恥ずかしくないように躾けねばなりません。
幸い覚えは悪くないようですから、侯爵家に嫁がせても問題ないほどに仕込んでみせます」
とのことだった。
政略の駒といっても、特に当てがあるわけでもないのに、妻がそう言うということは、それなりに気に入ったということなのだろう。
人の懐に入るのが上手いというより、あの子の性質が人に好まれやすいのだろう。パティもそうだった。
本人に作為なく人の懐に潜り込めるというのは美点だ。
侯爵家は大げさだが、同じ男爵家に嫁がせられれば、本人にとっても幸せだろう。
などと甘く考えていたのがいけなかったようだ。
学園で王太子殿下のお側によることを許されたというのだ。
我が家の格では、王太子殿下に目を掛けていただくなど分不相応だ。とはいえ、殿下がお許しになったというなら、こちらから固辞するのも問題だろう。
くれぐれも婚約者のサイード公爵令嬢に睨まれないよう、身を慎めと言い置いたのだが。
サイード公爵家からの使者が訪ねてきて、私は言葉を失った。
「青い血を半分しか持たない小娘ゆえ大目に見てきたが、分を弁えない振る舞いが目に余る。
娘の葬儀を出したくないのなら、学園から去らせるよう」
まとめると、そういった意味だった。
建前上、学園内では身分の上下は問われないことにはなっているが、現実として身分が取り沙汰されないことなどあり得ない。
スカーレットには分を弁えた行動を取るよう教えてきたつもりだったが、つもりでしかなかったらしい。
後悔してみたところで、もはや手遅れ。
サイード公爵令嬢に睨まれてしまった。
可愛い娘を死なせたくはない。
ならばせめて、問題を起こした貴族子女の逃げ場となっている修道院に入れてやろう。
もはや日の目を見ることはなかろうが、せめて不自由しない生活を送れるよう寄付金ははずんだ。
愚かな父を許せ。
学園の退学手続きをとり、スカーレットが修道院に発つ日がやってきた。
「すみませんでした、お父様。
私のせいでご迷惑をお掛けしました」
気丈にも、スカーレットの方から詫びの言葉があった。
「お前の生涯がせめて穏やかであることを願っている」
数奇な運命を辿った愛娘は、こうして去って行った。