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連合艦隊司令長官

 昭和十四年八月二十三日、日本の親独世論に冷水を浴びせる事件が起こりました。ドイツとソビエト連邦とが不可侵条約を締結したのです。ヒトラーとスターリン、稀代の独裁者ふたりはポーランドを分け合い、しばらく蜜月関係を続けることになります。ドイツと同盟交渉を進めていた日本政府はつんぼ桟敷に置かれていました。ヒトラーに愚弄されたといってよいでしょう。

 独裁政治の特徴は、迅速な決断、容赦ない条約破棄、苛烈な内政、対外侵略などです。こうした独裁政治の要素ほど日本政治に欠けていたものはありません。

八百万神等(やおよろずのかみたち)神集(かむつどえ)(つどい)たまい神議(かむはかり)(はかり)たまいて」

 と祝詞(のりと)にあるように、日本の政治原理は合議制です。意志決定に時間を要し、迅速な決断ができません。内政や外交についての意思統一が難しいのです。

 苛烈な生存競争を強いられる帝国主義時代、日本が必要としたのは天才的なひとりの戦略家と、その戦略家にすべてを任せて手腕を発揮させる大政治家だったでしょう。つまり、東條英機や山本五十六や松岡洋右や石原完爾らの首根っこを押さえつけて自由自在に酷使できるような大戦略家と、その戦略家を信頼して大きな絵を自由に描かせつつ、欧米列強の指導者たちと互角の外交戦を戦いうる大政治家が必要でした。しかし、不幸にして日本にはそのいずれもが欠けていました。

 ソ連に備えるために日独同盟を模索していた日本政府は、ドイツから一方的に振られ、茫然自失たらざるを得ませんでした。二日後、日独同盟の交渉は正式に中止と決まり、五日後には平沼騏一郎内閣が総辞職しました。

 これに伴って五十六は軍政から離れます。昭和十四年八月三十日、五十六は連合艦隊司令長官に親補されました。海軍に奉職する者としてこれに優る栄誉はありません。親補式を終えた五十六は、九月一日、和歌山県和歌浦に停泊中の旗艦「長門」に乗艦しました。

 連合艦隊の編制は、まだ戦時のものではありません。五十六が指揮するのは戦艦を主力とする第一艦隊と、巡洋艦を主力とする第二艦隊に限られます。それ以外の各艦隊は、それぞれの艦隊司令長官に指揮されています。しかし、一朝有事の際には海軍艦艇のほぼすべてが連合艦隊に編入され、五十六の指揮下に入ります。

 すでに軍縮条約は失効しており、日米は建艦競争下にあります。海軍は対米七割を目指して補充計画を推進していました。「大和」と「武蔵」の二戦艦、「瑞鶴」と「翔鶴」の二空母などが建造中であり、基地航空隊も拡充されつつあります。

 大正十一年のワシントン条約締結以来、海軍はひとつの前提に安住してきました。

「英米が戦争をしかけてくることは、まず当分ないとみている。であるから、日本の方から手を出さない限り、国防は絶対に心配するに及ばない」

 亡き加藤友三郎元帥の言葉です。加藤元帥の判断は正しかったでしょう。事実、満洲事変の際、アメリカは実力行使に踏み切りませんでした。問題は、加藤元帥の言った「まず当分ない」の「当分」がいつまで続くかです。

 後世の視点から歴史を眺めれば、この「当分」は昭和十三年には消失していたとみてよいでしょう。すでにアメリカは世界屈指の強国になっていました。だからこそ日米通商航海条約の破棄や対日経済封鎖という強硬手段に訴えることができたのです。フランクリン・ルーズベルト大統領は至極当然の成り行きとして日本侵攻を考えたようです。それだけの実力がアメリカにはありました。

 一方、日本にとって、アメリカの対日強硬姿勢は唐突な新情勢でした。そのため、アメリカの真意を量りかねました。日本人はなお、「当分」が続いていると思い、また、それを願いました。五十六も例外ではありません。連合艦隊司令長官として万が一の場合を考えて対米戦の構想を練り、演練を繰り返してはいましたが、まさか本当に日米間に戦争が起こるとは、この段階においては想像できません。


 海軍航空の発展に五十六が献身してきたことについてはすでに触れました。海軍の主兵力が戦艦から航空機に代わるという確固とした展望が五十六にはありました。しかしながら、だからといって艦艇群を五十六が等閑視したわけではありません。

 五十六が連合艦隊司令長官に補されて二ヶ月後、戦艦「陸奥」の新艦長が連合艦隊司令部を訪れました。保科善四郎大佐です。五十六は新艦長に任務を与えました。

「陸奥を実験艦に指定する。陸奥を不沈艦にする実験だ。人事局長には話を通してあるから、まずは君自身が必要な幹部を人選してくれたまえ」

 連合艦隊の主力艦たる「陸奥」は改装の最中です。不沈艦化のための改造が行われていました。保科大佐はさっそく人事局に掛け合って要員を整え、改装中の陸奥に日参して艦体の構造を頭に入れました。改装を終えて防御性能を増した「陸奥」が連合艦隊に合流すると、保科大佐は過酷な演練を部下に課しました。攻撃力の増強と被弾時の応急対応を強化したのです。一年後、保科大佐は五十六に状況を報告しました。

「難しい任務をよく達成してくれた」

 五十六は保科大佐の仕事ぶりを認め、大いに誉めました。誉められて恐縮している保科大佐に五十六は容貌を改めて言います。

「保科君、君を見込んで頼みたいことがある。ご苦労だが、今度は潜水艦戦隊司令として潜水戦隊の戦法を徹底的に研究してくれ」

 保科大佐は目を丸くしました。なにしろ保科大佐には潜水艦の経験がほとんどありません。

「わたくしでよいのでしょうか」

 心配する保科大佐に五十六は言います。

「潜水艦の経験はなくてもよい。いや、経験のない君にこそ頼みたい。潜水艦屋は、どうもねえ、マンネリに陥っていてダメなんだ。この際、先入観のない君に新機軸を打ち出して欲しい」

 命令に否はありません。保科大佐は了承しました。ただ、ひとつだけ条件をつけました。

「しばらく潜水学校で操船の練習をさせてください」

 五十六に異存はありません。早速この人事案は連合艦隊司令部によって成案化され、海軍省に提出されました。しかしながら、この人事は実現しませんでした。軍備増強を推進中の海軍省は、兵備局という新部局の創設を決めており、その局長に保科善四郎大佐が内定していたのです。兵備局長は海軍の兵站を総合的に掌る重要な部局です。

 五十六は保科大佐を呼び出し、事情を説明しました。すでに頭を潜水艦に切り替えていた保科大佐は兵備局長を固辞しました。

「乗りかけた船です。潜水艦をやらせて下さい」

 五十六は永野修身海軍大臣との折衝の経緯を説明し、あやまりました。

「保科君、君を翻弄してしまって誠にすまないが、潜水艦のことは忘れてくれ。兵站がいかに重要か、君も知らぬわけではあるまい。不満かもしれないが、よろしく頼むよ。君が鍛え上げた陸奥だって補給がなければ戦えないのだ。それに、じっくりと潜水艦戦術を研究する時間はもうなさそうだ」

 昭和十五年十一月十五日、保科善四郎大佐は兵備局長に任命され、同時に少将に昇進しました。

 五十六が潜水艦戦術をどのように見直そうとしていたのかについては、確かな資料がありません。ですが、従来の潜水艦戦術に満足せず、何事かを刷新しようと考えていたことは確かなようです。


 船乗りは縁起を担ぐものです。古来、船霊(ふなたま)信仰というものがあり、船乗りや船大工は船霊を祀ることで航海の安全を祈念してきました。海軍もこの伝統を受け継いでいます。軍艦には艦内神社があり、艦隊司令長官は折々に神社に参拝して安全を祈念したり、戦勝を感謝したりします。艦隊が大規模な参拝隊を編成して参拝させることもあります。

 この日、五十六の乗る最終列車は汽笛とともに都城駅に到着しました。予定どおり午後八時です。この夜は旅館に宿泊し、翌日、高千穂神社に参拝する予定です。連合艦隊司令長官が降車するのを駅長がホームに出迎え、改札へと先導します。夜分のことで人影はまばらです。すでに駅頭には迎えの自動車が待機しており、運転手がドアを開けて待っています。ところが何に目を止めたか、五十六はあらぬ方角に首をねじ曲げ、随員を置き去りにしてズンズン待合室の方へ歩いていきました。

「長官、こちらです」

 副官は五十六の意外な行動に戸惑いましたが、すぐにその意味を悟ります。五十六が目に止めたのは、薄暗い待合室の片隅でひとり泣きしおれている少女でした。五十六は少女のそばまで来ると、純白の第二種軍装のひざを地面につけ、少女の顔と同じ高さに自分の顔を持ってきました。

「おい、どうした。おじさんに話してごらん。なんとかしてあげるから」

 少女はうつむいたまま泣きやみません。それまでシクシク泣いていましたが、声をかけられると安心したのか徐々に大きな声で泣き出しました。

「おお、よしよし、泣きなさい。泣いてもいいよ、平気だから」

 五十六は親鳥が雛をかばうように少女をガバと抱き寄せてギュッと軽く力を入れました。少女の泣き声は軍服に幾分吸い込まれ、こもったような声になりました。しばらく泣き続けると、今度はしゃくりあげだしました。何事かを話そうとしていますが、声になりません。無理に話そうとすると泣き声が溢れ出ます。

「大丈夫だ。さあこっちに座りなさい。あわてなくていいから」

 五十六は少女を抱き寄せて椅子に座らせ、自分も隣に座りました。軍人というものは時間と予定に厳格なものです。だからといって五十六は杓子定規ではありません。何か事があれば、時間の遅れや予定変更を躊躇しません。少女はよほど悲しいらしく、まだしゃくりあげています。五十六は温めるように少女の背中に腕を回し、抱き寄せています。涙と鼻水に濡れた少女の顔が軍服に沈みます。五十六は目を閉じました。じっくり待とうとしています。五十六の脇には副官と従兵長が直立していました。ふたりは五十六の顔を見て軽い驚きを覚えました。艦隊内では絶対に見せないような慈顔がそこにあったからです。

「アニさんが」

 少女はやっと言葉を話しました。

「あにさん?おお、そうか。お兄さんがどうした」

 少女は、くしゃくしゃになった電報送達紙を懐から出して見せました。

「支那に行くから、面会に来いって」

 少女は一言しゃべるたびにしゃくりあげます。五十六は少女に言います。

「そうかそうか、泣かなくてもいい。読ませてもらうよ」

 その電報を読んで五十六は事の次第を了解しました。この少女の兄は都城連隊にいました。そして、支那への出征が決まったから面会に来いという電報を実家に打ったのです。この少女はおそらく面会のため沿線の田舎から出てきたようです。家は貧しいらしく、ずいぶんみすぼらしい身なりをしています。働き盛りの息子を兵隊に取られ、両親ともに仕事を手放せない事情があったに違いありません。やむなく年端のいかない妹を面会にいかせたようです。少女は、生まれてはじめて列車に乗ったのかも知れず、都城駅に着いたものの、どこへ行ってよいのかわからなくなり、夜になって途方に暮れてしまったようです。

 この少女の姿は、ある意味で、この時代の日本の一面を象徴しています。国家は世界五大国に数えられるほどの軍備を持ちながら、国民の多くは貧しいままにすえおかれています。富国強兵が明治以来の国是です。強兵はある程度まで達成され、富国もある程度には進みました。しかし、もとが貧乏国家です。主要産業は農業しかありません。軍備に力を注げば、民政を顧みる余裕はなくなります。国力では対米一割にも達しない日本が、対米七割の海軍を持とうとしているのです。無理というものでした。それでも軍備を優先させざるを得なかったのは、世界が帝国主義的様相に満ちていたからです。油断も隙もない競争世界に応ずるため、小国には分不相応なほどの軍備を整えようと日本人は努力し続けてきました。民生や福祉に金を回すゆとりはほとんどありませんでした。貧にあえぐ庶民は少なくありません。雨が三日降り続けば大工の家ではご飯が食べられなくなりました。飢饉になれば農家の娘は淫売屋に売られました。若い男とて蟹工船や炭坑で過酷な重労働を強いられました。最前線の兵士が意図的に戦死する例もありました。戦死すれば弔慰金や年金が出るからです。それで実家の貧窮を救おうとするのです。

 とくに悲惨だったのは経済恐慌の頃です。浜口雄幸内閣が断行したデフレ経済下の緊縮財政は日本経済を縮小させてしまいました。これに加えて冷害が東北地方を襲いました。東北線の列車が上野駅に到着すると、身売りされた農家の娘たちがゾロゾロ降りてきたというからすさまじい。

「娘ひとり四百円」

 などと言われました。それでも彼女らにしてみれば、たとえ苦界に身を沈めても農村で飢え死にするよりはましでした。その後、満洲事変を経て日本経済は好転し始めます。しかし、支那事変が始まると、国家財政に占める軍事費の割合が七割に達し、大日本帝国が滅亡するまで七割を下回ることはありませんでした。当然、国民生活は窮乏します。この少女の姿がそれを象徴していました。

「大丈夫だ。おじさんがお兄さんに会わせてあげるから。もう泣くな」

 頼りがいのある声に、少女は初めて五十六の顔を見上げました。五十六は立ち上がり、軍人の顔に戻りました。

「従兵長、この子を保護する。今夜は同じ旅館に泊めるから面倒を見てやれ。副官、この住所に電報を打て。ご両親が心配しているに違いない」

 五十六は指示を与えると、待っていた自動車に乗りこみました。支那事変のことが頭に浮かびました。都城歩兵第二十三連隊は支那事変に動員されて久しく、おそらくこの少女の兄は補充兵なのでしょう。

 翌朝、五十六みずから都城連隊に電話をかけました。連合艦隊司令長官からの突然の電話に連隊司令部は驚きました。幸いなことに少女の兄はまだ連隊にいました。五十六は事の経緯を説明し、面会を許すよう依頼しました。

「従兵長、この子を連れて都城連隊で面会をすませ、無事に家まで送り届けよ」

 少女はすっかり従兵長になついています。この様子なら大丈夫そうです。


 昭和十五年は皇紀二千六百年にあたります。ヨーロッパはすでに第二次世界大戦の渦中にありました。ドイツ軍は電撃的な進撃によってオランダ、ノルウェイ、デンマーク、フランスを制圧し、さらにイギリスをも征服しかねない勢いをみせていました。

 支那大陸では日本軍が大作戦を遂行中です。陸軍は八十万もの将兵を動員し、北支および中南支沿海部から進軍しました。目的は蒋介石政権の打倒です。その進撃路は多様でした。北京から張家口さらに包頭への西進。天津から保定、石家荘、洛陽への南進。同じく天津から済南、徐州への南進。上海から南京、徐州への北進。同じく上海から杭州、南昌、武昌への西進。広東から桂林への北進。海南島上陸と南寧からの北進など。各部隊は広大な支那大陸をひたすらに進みました。支那事変当初の不拡大方針はすでに消し飛んでおり、支那事変は日露戦争に数十倍する大戦争と化していたのです。陸軍だけではありません。海軍も大いに活躍しました。海軍は黄海から南シナ海に至る総延長五千キロもの沿岸部を制圧し、海上封鎖、輸送掩護、海上警備を実施しています。また、揚子江沿岸の居留民引き揚げ、揚子江における遡上作戦、さらには航空部隊による空襲を継続しています。海軍作戦経過概要図を眺めると、その規模の雄大さに茫然たらざるを得ません。北支から中南支にかけて主要爆撃地点だけでも三百箇所以上あります。この航空攻撃のために海軍は延べ五千三百機の航空戦力を動員しました。

 海軍航空隊がめざましい活躍を示す一方、陸軍航空隊はふるいませんでした。陸軍内にも航空重視の思想はありましたが、それを推進する人物に欠けていました。そのため支那事変の航空作戦は海軍が担いました。

「陸式だな」

 これは陸軍への当てこすりの言葉です。理屈ばかりで実行が伴わないことを指しています。陸軍航空隊のテコ入れを実施したのは東條英機です。昭和十三年、陸軍航空総監に就任した東條英機中将は陸軍航空隊の刷新を命じ、海軍に追いつくよう指示しました。その効果が現れるのは数年後です。

 ともかく支那大陸は広い。日本軍が攻めても進んでも際限がありませんでした。蒋介石は南京から武漢、武昌、重慶へと足早に逃げました。逃げつつも蒋介石は支那伝統の遠交近攻策をとり、ソ連やドイツに加えてアメリカからの支援獲得に成功しました。支那事変はすでに日米対立の構図になっていたのです。

 支那事変の泥沼に足を踏み入れた日本の様子を見て、米ソの指導者は膝を打ったに違いありません。日支の離間は米ソ双方にとって都合がよく、高みの見物をしていられます。アメリカは、一方で蒋介石を軍事支援し、他方で日本に石油やクズ鉄などの主要資源を輸出しています。アメリカの掌の上で日支両国が相争っているようなものでした。どちらを生かし、どちらを殺すか、アメリカの自由自在です。かつてインディアンを絶滅させるために異なる部族同士を相争わせたのと同じやり方でした。

 アメリカは支那を生かし、日本を殺すことにしました。その理由は太平洋覇権の確立であり、その背後にはマニフェスト・デスティニー(膨張の天命)という無邪気で野蛮で独善的な拡張主義がありました。フランクリン・ルーズベルト大統領がそのように決定したのです。そして、そのアメリカでは共産スパイによる悪質な反日言論が蔓延っていました。

「アジアの平和を乱しているのは日本だ。日本さえ打倒すればアジアは平和になる」

 日本悪玉論です。他方、知日家による親日的言論もアメリカには存在していました。

「日本は共産主義と戦っている。アメリカは日本を助けるべきだ」

 そして、大多数のアメリカ国民は極東情勢には無関心であり、アメリカは欧州にも支那にも介入すべきではないという常識を持っていました。参戦不可がアメリカの世論だったのです。そんな世論に手を焼きながら、ルーズベルト大統領は天才的な政治的演技でアメリカ国民を戦争へと導いていきます。そして、ルーズベルト大統領の対国民プロパガンダは真珠湾奇襲によって完成するのです。

 第二次大戦後のことですが、フーバー元大統領とマッカーサー将軍が会談しました。

「日本との戦争のすべては、戦争したいという狂人フランクリン・ルーズベルトの欲望であった」

 こう述べたフーバーにマッカーサーは同意しました。フランクリン・ルーズベルト大統領が救国の英雄だったのか、それとも共産主義の手先となった狂人だったのか、その評価は二十一世紀に入った今日なおアメリカ国内で割れています。


 日本政府は対米戦争回避のために可能な限りの努力をしました。ひたすらに交渉を求めました。当然です。支那事変を戦いつつ、アメリカと事を起こすなど狂気の沙汰でしかありません。しかし、アメリカは交渉そのものを突っぱね、対日経済封鎖の手をゆるめようとしません。

 やむなく日本は非常の場合に備えようとしました。メキシコや中東の石油を確保しようと画策したものの果たせず、昭和十五年九月には商工大臣小林一三をオランダ領東インドに派遣して石油輸入交渉に当たらせました。すでにオランダ本国はドイツ占領下にありましたが、オランダ亡命政府は連合国側の最終的勝利を確信していたので、日蘭会商は失敗に終わりました。結局、日本は石油をアメリカに依存するしかありません。日本の死命は既にアメリカに制せられていました。

 経済封鎖さえなければ、日本にはアメリカと戦う理由がありませんでした。道義的禁輸措置の開始からおよそ三年半、忍耐に忍耐を重ねたのは日本であり、執拗に日本を挑発し続けたのはアメリカです。ルーズベルト大統領は、自国の安全に何の影響もない極東に介入し、なんのかんのと理屈を並べて経済的に圧迫し、日本を開戦へと追い込んでいきます。

 アメリカは、欧州と支那の争乱をただ眺めていてもよかったし、強大な中立国として和平を仲介してもよかったはずです。しかし、ルーズベルト大統領はそのいずれもしませんでした。ルーズベルト大統領が画策したことは、静観でも和平でもなく、戦争の惹起と参戦でした。


挿絵(By みてみん)


 連合艦隊司令長官は、陸上から隔離された戦艦「長門」の艦内で起居しています。艦隊生活は規則正しいものです。水兵や下士官は午前五時に起床します。

「総員起こし」

「総員、吊床収め」

 連合艦隊司令長官が起床するのは午前六時です。短時間睡眠がすっかり身についている五十六は、午前四時頃には目を覚ましていますが、従兵の苦労を気づかって起き出すことはしません。ベッドの中で思索にふけり、資料を読み、対米戦の策を練りました。午前六時になるのを待って起き出します。長官付き従兵が時間どおりに長官私室のドアをノックします。

「長官、おはようございます」

「おう、おはよう」

 長官私室には丸い舷窓が二つあり、机、本棚、ソファのほかにシングルベッドがあります。さらにその奥にはトイレ、浴室、洗面台が備わっています。水兵たちが吊床にゆられて眠り、芋の子を洗うようにして海水風呂に浸かることを思えば、その待遇には天地ほどの差があります。五十六が化粧室に入ると、従兵はきびきび動いて部屋の整理整頓、ベッドメイク、軍服、ワイシャツ、靴下の準備を行ないます。従兵の準備が調った頃、五十六が私室に戻ってきます。着替えを手伝うのは従兵の仕事です。ところが五十六は手伝う暇を与えません。ワイシャツや上着のボタンをあっと言う間にかけてしまいます。敢闘精神の塊のようなこの男は、何事もおろそかにせず、常に何事かに熟達しようと懸命に努力しています。ボタン掛けであれ、将棋であれ、ギャンブルであれ、作戦研究であれ、眼前の対象に全霊を打ち込んで研究しつくし、克服しようとする。そんな五十六の眼前に、いま、アメリカ海軍という強敵があります。その勝ち難い相手を克服しようとあがき、心身を磨り減らしています。

 軍服に着替えた五十六は朝食まで私室で過します。連合艦隊司令部の朝食は午前七時からです。午前八時になると軍艦旗が掲揚されます。

「軍艦旗揚げ方」

「総衛兵礼式整列」

 五分前の号令です。

「揚げ」

 午前八時ちょうど、艦尾旗竿に軍艦旗が掲揚されます。連合艦隊の旗艦「長門」は、全長二百二十五メートル、全幅三十五メートルの巨艦です。前部艦橋は水面から四十メートル以上の高楼です。軍艦旗も縦三メートル六十センチ、横五メートル四十センチという大きなものでした。軍楽隊が君が代を吹奏し、衛兵隊が捧げ銃の礼をとる中、艦橋及び露天甲板にいる全員が軍艦旗に敬礼します。五十六は毎朝欠かすことなく後甲板に出て十六条旭日旗に敬礼しました。

 五十六は五十七才になっています。小太り気味ですが動作は敏捷で、ラッタルを軽快に駆け上ります。海軍軍人に求められる強健さとは、必ずしも腕力の強さや身体の大きさではありません。狭い艦内にあって運動しなくても鈍らない身体、数日間の不眠に耐える精神力、暑さや寒さに対する耐久力、そういったものが海軍軍人の強さでした。その意味で五十六は鍛え抜かれた海の男です。

 若い従兵の目には五十六の姿が凛々しく映り、時には神々しくさえ感じられました。五十六もそうあるべく常に気を配っていて、一挙手一投足もおろそかにしません。部下の敬礼に対する答礼の丁寧さは(つと)に知られています。指を真っ直ぐに伸ばした教本どおりの敬礼を五十六は怠りません。部下の人数が多くてもその態度は変わりません。時間など気にする素振りも見せず、容赦なく時間をかけ、ひとりずつ相手の目を見て答礼しました。部下は感激します。そのようにして軍隊の統率というものは成り立っているようです。

 軍艦旗の掲揚が終わると、五十六は長官公室に入り、一日の執務を開始します。長官公室には応接用のソファ一式と本棚、机などがあります。少人数の会議はここで行われます。いわば長官の執務室です。ひっきりなしに参謀たちが決裁を求めてやってきます。海軍省や軍令部の担当官、各艦隊の司令や参謀たちなどが会議のため頻繁に来訪します。そのたびに従兵は来訪を取り次ぎます。五十六からの用件も頻繁です。

「渉外参謀を呼んでくれ」

「この書類を情報参謀に返してくれ」

「先任参謀にこれを渡してくれ」

「参謀長の所から資料を持ってこい」

 従兵たちは種々雑多な雑事を手際よく片付けていかねばなりません。

 昼食時には連合艦隊の全幕僚が司令部公室に勢揃いします。司令長官以下、参謀長、先任参謀、作戦参謀、渉外参謀、航空参謀、戦務参謀、通信参謀、航海参謀、水雷参謀、機関参謀、補給参謀、連絡参謀のほか、艦隊軍医長、艦隊機関長、艦隊主計長の三幕僚、司令部付将校として気象長、暗号長、法務官がいます。昼食はフランス料理のフルコースです。長官以外の全員が正装して司令部公室の席に着くと、従兵長は甲板の軍楽隊に合図を送り、長官公室のドアをノックします。やがて従兵長を先導にして五十六が現れると、軍楽隊が勇壮な行進曲を演奏します。芝居がかった演出ですが、このような日課が艦隊内の統制を形成しています。食事中も演奏は続きました。とびきりの贅沢です。

 執務は午後五時に終わり、午後六時から再び全スタッフがそろっての夕食になります。食事が終わると、まず五十六が席を立ち、私室に入ります。その後ようやく幕僚たちも席を立ち、それぞれの私室に戻ります。夕食後は入浴時間となります。長官と参謀長は私室内にある浴槽を使いますが、幕僚たちには司令部浴室が用意されています。そこには八人ほどが入れる大きな浴槽があり、これを順番に利用するのです。入浴は階級順です。順番が来ると当番従兵が呼びにいきます。

「入浴用意よろし」

 入浴中も従兵は細々と世話し続けます。連合艦隊司令部の幕僚は毎日風呂に入ることができました。水が何より貴重な艦内にあって、これは破格の待遇です。入浴が終わると浴衣に着替えた幕僚が作戦室に集まって雑談に花を咲かせます。五十六も浴衣姿で現れて座談に加わったり、将棋を指したりしました。ときに夜食が出ます。汁粉が出ると五十六は無邪気に喜びました。日常生活に関して好き嫌いを言わない五十六ですが、唯一の例外が夜食の汁粉でした。

 連合艦隊司令部の幕僚に与えられているこれら破格の好待遇は、その職責の重大さの反映です。司令部は連合艦隊の頭脳です。参謀たちの情報分析力、作戦立案能力、判断力、決断力が連合艦隊の勝敗を決します。日常の雑事から解放されるかわりに、能力のすべてを職務に投入することが要請されていました。


 アメリカの対日禁輸措置に直面した陸海軍は、万一の場合に備えて作戦研究に本腰を入れています。もしアメリカとの戦争になれば石油やクズ鉄の供給が途絶してしまいます。したがって日本軍の最優先事項は南方資源地帯の確保となります。敵主力艦隊の撃滅は二の次です。とにもかくにも石油やクズ鉄やゴムなどの自給態勢を確立せねば戦争そのものを遂行できません。かつて明治日本は資金なしで日露戦争を始めましたが、昭和日本は資源なしで対米戦争を始めざるを得ないのです。

 南方資源地帯の確保を最優先するという点において陸軍参謀本部と海軍軍令部の意見は一致しました。海軍軍令部は陸軍と意見を調整しながら南方作戦を立案しました。その原案によれば、海軍は戦力の大部を南方作戦に投入することになります。第二艦隊、第三艦隊、基地航空部隊の主力によって陸軍の輸送船団を護衛するとともに、制空権を確保し、英米蘭の植民地派遣艦隊を撃滅するのです。一方、戦艦を主力とする第一艦隊は切り札の決戦兵力として国内に後置されます。積極活用されるのは空母艦隊です。南方資源地帯の外周域を機動し、そこに所在する英米蘭濠の要地に対して次々と空襲を加えていきます。南方資源地帯の外郭域から敵を駆逐し、南方資源地帯への増援を妨害するのです。空母機動部隊はミクロネシアを南下して珊瑚海に抜け、アラフラ海からインド洋まで遠征することになります。まさに機動部隊の名にふさわしい大機動作戦です。これよりさらに遠い海域には潜水艦が進出し、隠密行動をとりながら索敵します。日本海軍の大型潜水艦には水上偵察機一機が格納されています。これを活用し、好敵を発見すれば魚雷で攻撃するのです。潜水艦は、北はアリューシャン列島、南はオーストラリア、東はアメリカ西海岸、西はアフリカ東海岸にまで進出します。

 軍令部によって立案された南方作戦案を連合艦隊司令部がさらに練っていきます。実戦部隊としては軍令部の机上案を運用可能な具体案にせねばなりません。連合艦隊の各参謀は南方作戦の検討に精力を注ぎましたが、五十六の決裁を得るのはなかなかに難しいものでした。

(いく)さにはそれでよいのか」

 五十六の口癖です。いつでも作戦を実施できるような具体性を五十六は要求しました。そのため参謀たちは作戦案の検討だけでなく、作戦遂行に必要な兵器や機器の改良から、各部隊に行わせるべき訓練計画まで検討せねばなりません。それに伴う連絡調整、会議、出張などのため連合艦隊司令部幕僚は駆け回りました。そんな参謀たちに五十六は様々な議論を吹っかけ、参謀たちの頭脳を引っかき回します。作戦を練りに練らせるためです。例えば、こんなことを言いました。

「南方作戦が最優先だと言うが、開戦劈頭に敵主力を撃滅してしまえば、南方資源地帯の確保を後回しにしても良いはずである。また、空母機動作戦にハワイ空襲が入っていないのはおかしい。アメリカ太平洋艦隊の根拠地たるハワイを攻撃せねば空母機動作戦の意味は半減する。アメリカ海軍による日本本土攻撃や通商破壊活動や南方資源地帯への増援を防止するにはハワイを攻撃すべきだ。そうだろう」

 五十六の揺さぶりに参謀たちは翻弄されます。書き上げたばかりの作戦案を突き返されたり、五十六の鋭い反論に沈黙させられたりしました。五十六は参謀たちが柔軟な発想を失わぬよう気を配り、あえて揺さぶり続けます。


 陸海軍あげての検討の末、対米英蘭戦争の第一段作戦たる南方作戦が決定されました。マレー半島、フィリピン、蘭印などを支配している米英蘭濠の植民地軍を撃退し、そこに産出されている資源を確保するのです。アメリカ太平洋艦隊主力の撃滅は先送りし、まずは資源確保を優先します。なにしろ日本軍は、国内備蓄石油が尽きる前に南方資源地帯を抑えなければならないのです。だから、アメリカ艦隊との決戦は第一段作戦では実施しません。

 この第一段作戦に五十六は大筋で納得しましたが、不満も感じました。資源確保を最優先にすることは慎重かつ合理的な戦略だと思うし、米海軍との決戦は第二段作戦において実施することにも異存はありません。

 唯一の不満はハワイです。五十六の見るところ、日本軍が守るべき防衛線は実に長いものです。北は千島列島から南はジャワ島にまで延びる七千五百キロもの防衛線を守ろうとすれば、守勢作戦では通用しません。敵は自由に攻撃点を選べるからです。

(積極的な攻勢戦法が必要になる)

 五十六はそう考えました。その意味において、空母機動作戦の攻撃目標からハワイが除外されていることに五十六は不満でした。日本から実に五千キロの彼方にあるハワイ真珠湾を空母艦上機によって空襲する作戦は、成功すれば効果が大きいと思われました。アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えておけば第一段作戦の成功が確実になります。しかし、その実現には数々の困難が予想されました。ハワイまでの長大な移動の間に敵に発見される可能性が高く、発見されてしまえば敵の待ち伏せを喰います。運良くハワイ近海に到達したとしても、十分な戦果をあげるためには大兵力を投入せねばならず、必然的に乾坤一擲の大作戦になります。貧乏国家日本の海軍航空部隊は少数精鋭主義によって養成されています。虎の子の空母機動部隊を危険な作戦に投入することを海軍軍令部は恐れました。しかし、五十六の考えは違います。

(ハワイを攻撃しなければ、空母機動作戦の効果は無いに等しい。困難な作戦ではあるが、わが機動部隊ならばきっとやり遂げる)

 自身が錬成してきただけに、五十六は機動部隊の実力に自信を持っていました。それに、もしアメリカ艦隊がハワイを出港して日本近海や南方資源地帯の海域に出没したら、日本軍は兵站線を撹乱されて南方作戦どころではなくなります。このことは図上演習において実証されていました。だからこそ五十六はハワイにこだわりました。

(軍令部さえ説得できれば)

 当たり前のことですが、連合艦隊司令長官といえども好き勝手に艦隊を動かせるわけではありません。海軍省および軍令部の命令があってはじめて五十六は麾下の艦隊に命令を下すことができるのです。

 海軍省と軍令部は国家政策に深く関与しており、国家が決定した政戦略を前提として海軍戦略を決定し、その戦略を前提にして戦術的命令を連合艦隊に下します。この命令系統からすれば連合艦隊の側から作戦を上申し、軍令部に採択させることは難しいことです。ですが、五十六はハワイ攻撃の可能性を考え続けました。

(それで(いく)さはいいのか)

 自問自答すればするほど良いとは思えませんでした。ハワイを攻撃すべきです。しかし、ハワイ作戦の理解者はほとんどいませんでした。連合艦隊司令部内でさえハワイ作戦は危険視されていました。軍令部に至っては全員が反対です。ハワイ作戦に兵力を割く余裕はないというのが軍令部の見解でしたし、そもそも連合艦隊が軍令部の作戦にあれこれと意見してくること自体が軍令部参謀にとっては不愉快です。

「作戦は軍令部が立案する。連合艦隊は黙ってそれを遂行すればよい」

 そういう頭が軍令部にはあります。実際、命令系統からいえばそのとおりでした。それでも五十六は断固たる態度でハワイ作戦の研究を部下に続けさせました。


挿絵(By みてみん)

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