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機動部隊壊滅

「間合いをとらねばどうにもならぬ」

 南雲長官も草鹿参謀長も空ばかり見上げています。やがて敵機の攻撃がやみました。四隻の空母は風上に向かって直進し始めます。ミッドウェイ島攻撃を終えて帰投した艦上機を着艦させるためです。空母が敵機に対して最も無防備になる瞬間です。

「第一次攻撃隊を収容せよ」

「雷装急げ」

 第一次攻撃隊の収容は三十分ほどで終わりました。幸い敵機の攻撃はありません。南雲司令部は、艦上機の全力で敵艦隊に向かうと決めました。攻撃準備の時間は長くなりますが、敵に対する打撃力は最大化します。これは集中の兵術思想です。そのため空母の集中運用を継続しました。第二航空戦隊の山口少将はこれに不満でした。先制を重視する山口少将は、即時攻撃すべきだと意見具申しました。散発的な攻撃でもよいから敵艦隊に対して波状攻撃を加え、防戦一辺倒から攻勢に転ずべきだというのです。これにも一理ありますが、護衛の戦闘機を充分につけてやれません。南雲司令部は全力による正攻法を選びました。

 南雲機動隊は、午前四時過ぎから完璧ともいえる防御戦闘を続けてきています。そんな芸当ができたのは上空直掩の零戦部隊のおかげです。しかしながら、実のところ零戦部隊には組織的な防空戦術があったわけではありません。艦隊上空に待機し、敵機を見つけ次第に撃つという態勢でした。例えば、各機の担当空域を上空、中空、低空に分けるという程度の戦術さえありませんでした。要するに零戦搭乗員の名人芸に全幅の信頼を寄せていたのです。その期待に零戦搭乗員は見事に応えていましたが、やはり欠陥がありました。それは、敵の急降下爆撃に対する防御の脆弱性です。敵の急降下爆撃機が爆撃態勢に入ると、これに追随するのは零戦といえども不可能でした。このことは支那事変の戦訓で既に明らかになっていましたが、対処法は未確立です。

 このほかにも零戦にはいくつか弱点がありました。母艦上の司令部と零戦とを結ぶ無線電話が不良だったため組織的な防空指揮が困難でした。また零戦の二十ミリ機銃弾は搭載量が少なく、すぐに撃ち尽くしました。そのたびに零戦各機は飛行甲板に着艦し、弾丸補充を受けねばなりません。その間、防空態勢が弱まることになります。さらに零戦の運動性能は低空から中空で抜群だったものの、高々度では性能が落ちました。それらの弱点は、今までのところ露呈していません。むしろ零戦の強みだけが発揮され、鎧袖一触の防御力を見せています。

「収容終らば、一旦北へ向かえ。敵機動部隊を捕捉撃滅せんとす」

 午前五時五十五分、南雲機動部隊は兵装作業を急ぎつつ、針路を北へとりました。第一次攻撃から帰還した機体を修理し、新たに雷装するのです。作業には時間がかかります。各空母の格納庫内では兵器員が汗みどろになって働いています。

 航空魚雷は、この時代の最先端兵器です。六千個以上の部品からなる精密機器であり、繊細な調整作業を必要としました。今日で言えば巡航ミサイルのようなものです。その魚雷を艦上攻撃機に装填する作業は精密かつ細心なものです。発射ボタンが正常に作動するかどうかは実際に発射ボタンを操作して確認せねばなりません。傾斜し、揺れ続ける格納庫内での緻密な作業は困難を極めます。見るに見かねた搭乗員や整備員が兵器員の作業を手伝います。

 この間にもアメリカ軍機の波状攻撃は続きました。午前六時二十五分、米雷撃機十五機が来襲しました。上空直掩の零戦は敵機をすべて撃墜しました。その十五分後、十四機の米雷撃機が現れましたが、このうち十機を撃墜しました。さらに二十分後には米雷撃機十二機が来襲しました。しかし、十機を撃墜しました。南雲部隊には一発の被弾もありません。完璧な防御戦闘です。

 敵の雷撃機は低空から侵入してきます。この敵雷撃機を撃墜するため上空直掩の零戦隊は低空域で防空戦を繰りひろげ、次から次に敵機を撃ち墜としました。眼前に展開する空中戦は物凄く、各艦の見張り員の目線はどうしても低空に引っぱられました。揺れる格納庫内では雷装作業が続きます。南雲部隊司令部はひたすら待ちました。どんな知恵もありません。敵の攻撃をひたすら防ぎ、攻撃準備が整うのをひたすら待つしかありません。待つことだけが指揮のすべてでした。午前七時五分、アメリカ軍の急降下爆撃機三十三機が来襲しました。南雲部隊の各艦は操艦で被弾を防ぎ、零戦部隊が敵十八機を撃墜しました。

 各空母の格納庫では雷装作業がようやく終わりに近づきました。艦隊上空の防御戦闘がやめば、雷装した攻撃機をエレベータで飛行甲板にあげ、発艦させることができます。午前七時二十分、南雲長官は攻撃隊発艦を下令しました。

「準備でき次第発艦せよ」

 南雲部隊司令部の誰もがようやく愁眉を開こうとしていました。南雲部隊は風上に向けて変針し、飛行甲板への攻撃機の揚上を始めました。その刹那です。午前七時二十二分、アメリカ軍の急降下爆撃機二十五機が来襲しました。

「敵機急降下」

 空母「赤城」の見張り員が叫びました。上空直掩の零戦は敵機を捕捉しきれません。急降下爆弾が「加賀」に命中しました。黒煙を吹き上げる僚艦の姿に南雲司令部幕僚の眼が吸い寄せられます。その一分後、「赤城」も被弾しました。一発目は至近弾でしたが、二発目が飛行甲板をとらえました。その二分後には「蒼龍」も命中弾を被りました。命中弾は赤城が二発、加賀が四発、蒼龍が三発に過ぎません。通常であれば中破といったところです。しかし、各空母の格納庫には雷装し、航空燃料を満載した艦上機が充満していました。さらに兵装転換作業によって取り外されたばかりの陸上攻撃用爆弾が付近に置かれていました。そこに急降下爆弾の直撃を喰ったのです。被弾による誘爆が致命傷となりました。

 あとは飛び立つだけというまでに整備され、航空燃料を満タンにした艦上機が次々に燃えあがりました。一機や二機ではありません。五十機以上もの艦上機が次々と火を吹きます。格納庫は火炎と硝煙におおわれました。通常、機体が燃えると五分くらいで搭載爆弾が誘爆します。「赤城」では午前七時二十九分に魚雷の誘爆が始まりました。格納庫は火炎地獄と化しました。消火活動などは文字どおり焼け石に水です。艦体の鋼鉄が熱せられて赤味を帯び、弛んだリベットが弾丸のように飛び交いました。このため多くの整備員と兵器員が格納庫内で焼け死にました。被弾した三隻の空母はたちまち戦闘不能に陥りました。優れた攻撃力を有しながら、その力を敵艦隊の攻撃に使う機会を逸し、ひたすら防御戦闘に追われているうち、一瞬の隙を突かれて致命傷を負ったのです。兵器員の汗みどろの兵装転換作業も、零戦隊の見事な防御戦闘も無に帰しました。航空母艦の集中運用は凶と出たのです。

 ただ一隻、空母「飛龍」は無傷です。第二航空戦隊司令官山口多聞少将は、黒煙を上げて燃えあがる三空母を睨みつけ、むしろ闘志を燃え上がらせました。山口司令官の指揮は果断かつ苛烈でした。

「全機ただちに発進、敵空母を撃滅せんとす」

 アメリカ軍機の攻撃が終わって二十分とたたない午前七時五十分、攻撃隊を発艦させました。艦上戦闘機六機と艦上爆撃機十八機です。その攻撃隊が帰還すると、山口少将は間断なく再攻撃を命じ、午後一時半に再び攻撃隊を発進させました。艦上戦闘機六機と艦上攻撃機六機です。この二次にわたる攻撃で「飛龍」の航空隊は米空母三隻を相手に奮戦し、敵空母「ヨークタウン」に二百五十キロ爆弾三発と魚雷二本を命中させました。しかし、消耗も大きいものでした。レーダーを備えた米機動部隊の防衛態勢は堅固でした。日本軍機の針路上には多数の戦闘機が配置されており、これを突破しようとするうちに損害が増えました。

(正攻法はもう無理か)

 山口少将は昼戦をあきらめ、劣勢を補うために薄暮攻撃を企図しました。攻撃態勢を整えつつ退避するうち、空母「飛龍」もついに米軍機の攻撃を受けて力尽きました。


 南雲機動部隊が炎上している頃、戦艦七隻を中心とする主力部隊は太平洋上をミッドウェイ島に向けて東進していました。数日後に出現するであろう敵艦隊を邀撃するのが任務です。ミッドウェイ島までの距離はまだ五百キロ以上あります。

 旗艦「大和」の作戦室には長官以下の幕僚が集まり、戦闘報告の入電を待っていました。「大和」の作戦室は「長門」のそれより五倍ほども広く、宏大な海域を舞台とする大作戦を連合艦隊司令長官が陣頭指揮できるように設計されていました。作戦室の雰囲気は楽観的で、真珠湾作戦時のような緊迫感はありません。ただ黒島亀人先任参謀だけは神経質に黙り込んでいました。黒島参謀は、ミッドウェイ作戦の展開を何度も脳内に思い描きます。

(負けるはずがない)

 間もなく南雲部隊がミッドウェイ島を空襲して地上施設を破壊し、制空権を得る。三日後には上陸部隊がミッドウェイ島を制圧する。制圧した同島に基地航空部隊を進出させて万全の哨戒網を張る。ハワイ近海で哨戒中の潜水艦部隊が敵艦隊の動きを監視する。ダッチハーバー空襲およびミッドウェイ島空襲の報に接したアメリカ太平洋艦隊は、ハワイ真珠湾を出動してくる。それを哨戒中の潜水艦が発見する。米艦隊がミッドウェイに接近する頃には南雲機動部隊のほか、近藤信竹中将率いる第二艦隊と山本五十六長官直率の主力部隊がミッドウェイ島近海に達している。戦艦、巡洋艦、駆逐艦、航空母艦という連合艦隊の多様な艦種が総力を挙げて敵機動部隊を包囲撃滅する。理想的な艦隊決戦の模様が黒島参謀の脳内に展開されていました。もし万が一、敵機動部隊が不意に出現し、ミッドウェイ島空襲中の南雲部隊を襲ったとしても、南雲部隊は艦上機の半数を艦船攻撃兵装で待機させている。

(みすみす不覚はとるまい)

 黒島参謀には負ける要素が見出せませんでした。もしくは、見出したくありませんでした。今この段階に至って失敗の要素を見出すのが空恐ろしく、ひたすら作戦の成功を祈っています。

「敵はその後方に空母らしきものを伴う」

 利根四号機からの通信は旗艦「大和」のアンテナにも捉えられていました。この電文が報告された時、「大和」の作戦室では誰もが「しめた!」と思いました。なにしろ連合艦隊司令部の最大の心配は、この作戦が空振りに終わることだったのです。

「敵は出て来ないのではないか」

 と心配していました。しかし、その敵が出て来たのです。敵機動部隊を誘出するために黒島参謀が練りに練った作戦は図に当たったように見えました。

「成功した」

 と黒島参謀も思いました。作戦シナリオにない敵艦隊出現ではあるものの、とにかく敵艦隊が出てきたのです。「しまった」と憂慮した者はいません。それほどに連合艦隊司令部は強気でした。

「すみやかに米艦隊を攻撃せよ、と南雲に命じるべきだと思うが、君はどうか」

 楽観的な雰囲気の中で、ただひとり黙りこくっている黒島参謀に声をかけたのは五十六です。これに対して黒島参謀はこともなげに答えました。

「南雲長官は攻撃兵力の半数を米空母攻撃用に準備しておりますから、既に攻撃を準備中だと思います」

 つまり、命令は不要だというのです。表情には出さないものの、五十六は懸命に腹痛と戦っていました。おのれの健康状態を作戦指揮に波及させてはなりません。五十六は自身の判断を保留し、信頼する部下の判断を採用しました。

 この時、この会話の奇妙さに黒島参謀は気づくべきだったでしょう。本来ならば、参謀たる黒島が献策し、司令長官の決裁を仰がねばなりません。ところが主従が転倒していました。五十六の提案を参謀が却下するという一種の下剋上が、無自覚的にとはいえ連合艦隊司令部内に発生していました。黒島参謀は作戦の成功を念願するあまり、我を忘れ、礼を失し、秩序を紊乱していました。

 ミッドウェイ作戦は実施段階に入っています。黒島参謀は突発事態に対処できるよう柔軟な心を保つように心掛けるべきでした。しかし、黒島参謀はひたすら願ってばかりいました。作戦が筋書きどおりに進行し、成功することを念じるだけの頑固な存在に変わり果てていました。自分の作戦に対する熱中と愛着が黒島参謀を視野狭窄に陥れていました。周囲の参謀が注意を促すべきでしたが、だれもが黒島参謀の神経質で狷介な性格を敬遠しました。

 五十六は渡辺参謀と将棋を指しながら次の入電を待ちました。やがて届いたのは悲報です。

「赤城、被爆大にして総員退去」

 作戦室に駆け込んだ司令部暗号長が驚くべき電文を読み上げました。談笑していた幕僚たちは急に押し黙ります。それでも五十六は将棋をやめませんでした。ここで動揺するわけにはいきません。将帥が狼狽すれば、その負の波動が全軍に及んでしまいます。

「加賀、被弾、大火災発生」

 再び暗号長の悲痛な声が響きました。

「ほう、またやられたか」

 声を上げたのは五十六です。顔は将棋の盤面に向けたままです。作戦室の空気は凍りつきました。誰もが動きを止め、目を見開きます。そんななか五十六だけは顔色ひとつ変えません。そこへ、さらなる悲報が届きます。

「蒼龍、被弾、戦闘不能」

 背中を丸めて座っていた黒島参謀は、バネ仕掛けのように唐突に立ち上がると、中央の大机に頭から突進しました。そこには戦場の海図が広げられています。

(信じられぬ)

 黒島参謀は、作戦の瓦解をなんとか食い止めようと知恵を絞ります。三空母が被弾したとはいえ、作戦そのものが失われたわけではありません。最前線部隊が苦戦している今こそ連合艦隊司令部の存在価値が問われます。参謀長をはじめ、全幕僚が海図を囲みました。渡辺参謀も将棋をやめ、五十六に一礼すると大机に割りこみました。

「作戦は失敗だ。上陸作戦を中止しなければならぬ。輸送船を引き返させろ」

「待て。まだ飛龍が残っている。反撃はできる」

「我が主力部隊と第二艦隊はこのまま突入する」

「アリューシャン方面の空母を南下させ、全力を集中して敵を叩く」

「夜戦ならば砲戦で敵空母を叩ける。南雲艦隊の戦艦と重巡を突入させよ」

「敵戦力の全容が不明だ。敵情報告はないのか」

 参謀たちは興奮というよりも逆上し、それぞれ勝手に意見をぶつけ合います。戦闘継続が意見の大勢を占めました。南雲部隊にはまだ空母「飛龍」が残っているし、戦艦と巡洋艦による敵空母への夜襲も期待できます。これに主力部隊と第二艦隊が合流すれば勝機はあります。

「敵艦隊攻撃C法をとれ」

 連合艦隊司令部は麾下艦隊に発令しました。C法とは「全力を集中して敵を撃滅する」の意味です。南雲部隊は砲魚雷戦の準備を開始し、第二艦隊の重巡四隻はミッドウェイ島へ急行し、アリューシャン方面の第二機動部隊は南下し、主力部隊は東進します。しかし、いかんせん戦力が分散されすぎていました。敵艦隊誘出のため、あえて分散させていたのです。これが裏目に出ました。どんなに急いでも主力部隊がミッドウェイ島に到達するまでに十時間ほどかかります。心は急ぎますが戦場は遠い。やがて、さらなる悲報が届きました。

「飛龍被弾、戦闘不能」

 事ここに至り、連合艦隊司令部の意見は戦闘中止に傾きました。南雲部隊の壊滅は制空権の完全な喪失を意味します。反撃の糸口は断たれました。このまま進撃を続ければ敵の制空権下に戦力を逐次投入することになり、損害の増大が予想されます。そんななか、黒島参謀だけは攻撃続行を主張しました。

「敵空母は丸一日戦い続けている、もはや弾薬は尽き、搭乗員も疲れているはずだ。残る脅威はミッドウェイ島の飛行場だが、多少の危険は冒さねばならぬ。わが戦艦の分厚い装甲で敵弾を跳ね返し、巨砲で敵の滑走路に大穴を開ければ良い。これよりミッドウェイ島に急行し、赤城を曳航して帰る」

 黒島参謀の献策は必ずしも空論ではありません。もし、黒島参謀が冷静に理路整然と説いていたら、あるいは周囲を説得できたかもしれません。ですが、黒島参謀の目は吊り上がり、言辞は過激でした。周囲には、黒島参謀が冷静さを失っているように見えました。実際、黒島の感情は激浪のように逆立っていました。

(南雲も草鹿も俺を無視しおったな。俺の言ったとおりにしていれば、こんな馬鹿げた結果はありえない)

 過日の会議における南雲長官と草鹿参謀長の生煮えの様子が思い出され、黒島参謀は感情を制御できなくなっていました。悔やんでも悔やみきれない。大仕事を任せてくれた山本長官の信頼を裏切ることになってしまいました。何とかして挽回したい。黒島参謀はあくまでも進撃を主張しました。

「これ以上は将棋の差し過ぎだ。もうやめよう」

 断を下したのは五十六です。五十六は和田雄四郎通信参謀に命じ、戦闘海域からの離脱と作戦中止を命ずる電文を起案させ、これを決裁しました。

「AF攻略を中止す」

 敗北宣言に等しい命令です。これと同時に五十六は反撃の伏線を布こうとしました。

「もし米艦隊が勝ちに乗じてアリューシャン方面に進撃してくるようなら、好機である」

 直ちに新作戦が検討されました。連合艦隊司令部は、残存する空母四隻と高速戦艦などからなる艦隊を臨時編成し、これをアリューシャン方面に進出させました。この空母部隊は七月上旬まで敵艦隊の出現を待ちましたが、アメリカ艦隊は現れませんでした。

 ニミッツ大将の巧妙さは、南雲部隊に大損害を与えた後、米空母部隊を早々に撤退させたことです。調子に乗って深追いしていれば、日本軍の主力部隊によって逆襲されていたかもしれません。

五十六の率いる主力部隊は東進を続けましたが、それは進撃のためでなく、敗北した南雲部隊を救援するためでした。敵艦隊主力を撃滅させるために実施したミッドウェイ作戦の結果は、開戦以来の連勝を帳消しにしてしまうような敗北となりました。


(負けた)

 五十六は長官私室のソファにもたれ、すべての責任をひきうけるべく、おのれの胆力を総動員していました。まるで桶狭間における今川軍のような大敗です。伊一六八潜の活躍で敵空母一隻を撃沈したとはいえ、対米漸減作戦の主力たるべき正規空母四隻を失ってしまいました。とりかえしのつかない大損害です。優秀な空母機動部隊を使い回してアメリカ艦隊を漸減させ、しかる後に主力部隊が決戦する予定でした。しかし、作戦は失敗したのです。正規空母六隻のうち四隻、およそ七割の戦力喪失です。この欠損を補うのは困難です。艦船や航空機や搭乗員の補充はできるとしても、長い年月をかけて錬成すべき戦闘集団としての精強空母戦隊は取り戻しようがありません。かつて五十六自身が空母戦隊を錬成してきただけに、その喪失の大きさがわかります。

 軍艦が戦闘力を発揮するためには数千名からなる搭乗員がそれぞれの役割に責任を持ち、相互に有機的な連携を保持しなければなりません。この巨大な連携動作こそが戦力です。日本海軍にはまだ第五航空戦隊(瑞鶴・翔鶴)が残っているとはいえ、練度ではどうしても一段落ちるのです。

 精強空母戦隊の喪失によって短期決戦・早期講和の構想は失われました。もはや中部太平洋決戦構想は成立しません。米濠遮断も無理です。日本側から積極果敢に敵を押しまくるという戦略はとり得なくなりました。必然的に持久戦になります。長期戦となれば国力に勝るアメリカが有利です。それでもまだ希望があるとすれば、戦艦戦隊、巡洋艦戦隊、基地航空部隊が健在なことです。

(俺の運も尽きたか)

 自嘲のため息が出ます。かつて五十六は日本海海戦で重傷を負いましたが、一命をとりとめました。その悪運も尽きたのだろうか。とはいえ闘志が失われたわけではありません。そもそも一方的に勝ち続ける戦争などありえません。沈めたり沈められたりするのが海の(いく)さです。この日、五十六は艦隊軍医長の部屋を訪れました。

「軍医長、このところ腹が痛くてかなわぬ。ちょっと診てくれんか」


 敗残の南雲部隊と主力部隊は六月十日、太平洋上で会同しました。南雲忠一中将以下の南雲艦隊幕僚は旗艦「大和」に移乗しました。五十六は甲板に出迎え、いたわるようにして全員を迎え入れました。南雲部隊の幕僚は、海戦時の作業着姿のままです。黒々とした汚れが、激しい被弾のさまを物語っています。

 司令部公室で両司令部幕僚は向かい合いました。南雲部隊の草鹿参謀長が戦闘経過を報告し、最後につけ加えました。

「以上が戦闘の経過および結果であります。かかる大失態を演じ、おめおめと生きて帰れる身ではありません。しかし、ただ復仇の一念にかられて生還した次第です。どうか我々の手で復讐できるようお取り計らいください。お願いいたします」

「承知した」

 一同がハッとするように間髪を入れず、五十六は即答しました。その後、五十六と南雲はふたりきりで長官公室に入りました。南雲忠一中将は汚れた作業着姿のまま、うなだれています。流れ落ちる涙を拭いもしません。五十六は敗将の報告を真剣な眼差しで聞き、いっさいを了としました。

(南雲を責めてもしかたがない。責められるべきは俺なのだ)

 ミッドウェイ作戦を部下に立案させ、軍令部に承認させたのは五十六です。軍令部による作戦修正に不満が無かったわけではありませんが、巨大な組織内にあって何から何まで思いどおりにできるはずもなく、妥協しました。その作戦を、南雲は忠実に実行しようとしました。その結果が敗北だったのです。

(要するに俺が負けたのだ)

 悄々たる南雲中将の姿は五十六の姿です。五十六と南雲は、そのまま昼食をともにしました。従兵長は給仕をしながら、五十六の寛大な態度に接し、いよいよ尊敬の念を深くしました。司令長官の身辺にいつも張りついている従兵長は、ときに五十六が悪罵を口にするのを聞いてしまうことがありました。連合艦隊司令長官を尊敬し、心服しきっている年若い従兵長にしてみれば、五十六が人並みに嫌味や恨み言を口にするのが意外でもあり、心外でもありました。正直なところ敬意の冷める思いがしました。

(海軍大将といえどもやはり人の子なのか)

 五十六の悪罵の対象は多くの場合、南雲中将でした。

「南雲の水雷屋め」

 開戦前に何度か聞いたセリフです。真珠湾奇襲が成功した時には「南雲は一度で帰ってくる」と断言しました。その口吻には嘲笑の響きがありました。そして、今回のミッドウェイ海戦でも聞きました。

「南雲は生きて帰ってくるだろう」

 本気で罵っているようでもあり、仲が良いからこそ平気で悪口を言っているようでもあります。従兵長は理解しかねました。

(お仲が良いのか、悪いのか)

 ですが、今日の両将の様子を見て、従兵長は安心しました。敗将南雲を迎える連合艦隊司令長官の寛仁な態度は海の如き度量を思わせました。

 五十六は、かつて二度、第一航空艦隊司令長官にしてくれと海軍大臣に意見具申したことがあります。しかし、容れられず、そこに南雲が座りました。南雲が指揮することになった第一航空艦隊こそ、対米漸減作戦の切り札であり、五十六が長い年月を掛けて育成してきた精鋭空母部隊です。この空母機動部隊を五十六は撃攘の矢と頼みました。思い入れの強い分だけ南雲の用兵に不満を感じました。南雲の出来が悪いのではありません。ただ、五十六の目から見れば、いかにも素人くさく、慎重にすぎ、命令どおりで独自の工夫に欠け、臨機応変の独断専行がなく、歯痒かったのです。

(自分が指揮してさえいれば、いや、自分が指揮したい)

 その思いを五十六は払拭できませんでした。

「将、外に在れば、君命も受けざる所あり」

 五十六ならば、それくらいの気迫で作戦遂行に臨み、多少の独断専行をしたでところです。それを、つい南雲に要求してしまいます。しかし、これは無理な注文と言うべきです。

 南雲とて、口には出しませんが言いたいことが山ほどあります。実戦の現場に一度も足を踏み入れたことのない軍令部や連合艦隊司令部の参謀連中は、得意顔でわかったようなことを言い、指示し、命令し、批判し、非難しました。机上作戦しか知らぬ参謀の言い分は、現場感覚との乖離が大きいものでした。

「そこまで言うなら貴様がやってみろ」

 そう言ってやりたいことが何度もあり、そのたびに憤慨させられました。そもそも南雲中将にとって、軍令部と連合艦隊の間で板挟みにされることほど迷惑千万なことはありませんでした。ミッドウェイ作戦の目的について、軍令部と連合艦隊との間に微妙な齟齬がありました。

「この俺にゴチャゴチャ言わず、軍令部と連合艦隊とでキチンと話をつけろ」

 南雲は怒鳴りつけてやりたいと思いました。しかし、面倒なことは実戦部隊に押しつけられます。南雲部隊は、勝利することによって上級司令部間に生じた見解の齟齬を穴埋めせねばなりませんでした。

 究極するところ、組織のなかで数々の不満に耐えながら己の職務を遂行しているという点では、五十六も南雲も同じです。ともに男の修行をしながら生きています。

 連合艦隊の宇垣参謀長と第一航空艦隊の草鹿参謀長は、参謀長公室で会見しました。その他の幕僚は司令部公室に残りました。連合艦隊の黒島先任参謀は火を噴くような口吻で南雲部隊の幕僚を難詰します。

「敵艦隊発見後、攻撃隊の発艦まで二時間以上もかかったのはなぜだ。攻撃機の半数は敵艦隊攻撃待機の態勢にしておけと、あれほど言ったではないか」

 南雲部隊の参謀たちは皆うなだれ、「すまなかった」と繰り返すのみです。敗北した以上、言い訳のしようもないのです。空母四隻を喪失した今、理屈では黒島参謀の言うとおりです。しかし、あの瞬間、あの現場では、兵装転換をして陸上基地攻撃に向かうべきだと強く感得したのです。それは反射神経と言ってもよいものです。

「なぜ、そうしたのか」

 いまになって問われても、うまく説明できません。戦場に立つ者にしかわからない皮膚感覚や反射的感情がありました。それは理屈ではありません。敵機の波状攻撃に曝されれば、誰でもミッドウェイ島陸上基地攻撃を考えるでしょう。上空で着艦を待っている第一次攻撃隊を見れば、早く収容してやりたくなります。これは理屈というより、戦場での感覚であり、感情であり、反射です。しかし、あの時には確かに存在していた感覚や感情は、今では夢のように消え去っており、それを説明しようにもうまく言葉にできません。反射神経を思考的論理で説明せよと言われても、それは無理というものです。しかし、黒島参謀は容赦しませんでした。その激烈な舌鋒の前に、南雲部隊の参謀たちは沈黙するしかありませんでした。

 会見が終わると、南雲部隊の幕僚は旗艦「大和」を辞しました。五十六は連合艦隊の幕僚に訓示しました。

「勝敗は兵家の常である。いちいち驚くにはあたらない。大切なことはこの敗北から戦訓を得ることである。本当の勝負はこれからだ」



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