防御戦闘
「敵は出てこないかも知れない」
という日本海軍の余計な心配をよそに、ハワイのアメリカ太平洋艦隊は出撃準備を進めていました。ヤル気は満々です。暗号解読によって日本海軍の動静を把握したアメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将は、劣勢ながらも日本海軍に挑戦しようと考えました。劣勢とはいえ、ほぼ互角です。南雲機動部隊の主力が空母四隻であるのに対し、ニミッツ大将には空母二隻があります。これに加え、珊瑚海海戦で傷ついた空母「ヨークタウン」も応急修理をすれば投入可能です。空母三隻のほか、ミッドウェイ島の飛行場を合わせれば互角の戦力といえます。しかもアメリカ軍は、日本側の作戦プランを掌握しており、日本艦隊の位置までわかっています。待ち伏せの奇襲が可能でした。これで出撃を躊躇うようであれば弱将と誹られるでしょう。ニミッツ大将が積極策に出たのは当然だったでしょう。どんなに緻密に練られた作戦も事前に敵に知られてしまえば意味をなしません。アメリカ軍の暗号解読が黒島参謀と渡辺参謀の没我的頭脳労働を虚しくしてしまいました。
「いかにして敵主力艦隊を誘出するか」
考えあぐねた黒島参謀は、あえて戦力集中の原則を破り、南雲機動部隊だけを突出させるという奇策を考案しました。まず自軍の戦力を分散させ、これをエサにして敵軍を誘い出し、その動きを見逃さず、巧妙に各艦隊を機動させて包囲態勢を構築するのです。いわば複雑な動きの中で駈け引きし、敵に勝る戦力集中の局面をつくり出そうとしたのです。その意味で、黒島参謀が苦心して練り上げたミッドウェイ作戦は、作戦としては間違っていませんでした。ただ、黒島参謀が想像もしなかったことに、日本海軍の暗号はアメリカ軍に解読されていました。ここにおいてミッドウェイ作戦は瓦解していたといえます。敵に知られてしまえば、どんなに精緻な作戦も愚策に過ぎません。逆に、凡庸な作戦であっても敵に知られていなければ作戦たり得ます。情報戦の勝利は、それほどに決定的なものです。実のところ機密保持こそが最善の作戦だったのです。
ニミッツ大将は、現有空母三隻をミッドウェイに全力投入しました。その判断力は評価されてよいでしょう。これは大きな賭けでした。もし、この三隻の空母を喪失すれば、ハワイの失陥を覚悟せねばなりません。とはいえニミッツ大将の置かれた政戦略環境は良好です。米英蘭支ソの連合があり、戦略的に日本を包囲しています。ミッドウェイの海戦でたとえ空母三隻をすべて失い、ハワイを失ったとしても、それで米本土が日本軍に侵攻されることはまずありません。日本軍には米本土に上陸するような能力も余裕もないのです。日米戦争はアメリカにとって敗北なき戦いであって、最悪でも引き分けです。その意味でニミッツ大将は、恵まれた政戦略環境のもとで思い切った戦術を選択することが可能でした。
それにひきかえ五十六に与えられていた政戦略環境は無残といえるほどに悪いものです。敵は四ヶ国に及び、長期戦になれば必敗の情勢です。そして、もし敗北すれば国家が滅びるのです。両将の心理的負担の軽重には雲泥の差があったと言えるでしょう。
南雲忠一中将は、開戦以来、与えられた任務をことごとく達成し、一度も失敗したことがありません。水雷戦術が専門の南雲長官は、航空戦術に詳しい参謀たちに辣腕を振るわせる度量を持っていました。ただ、かなりの心配性であったようです。
日米開戦の直前、ヒトカップ湾からハワイ北方海域に到達するまでの十二日間、南雲長官の心労は並大抵ではありませんでした。敵に見つかってはなりませんでしたし、第三国の商船にさえ行き当たってはなりませんでした。存在を知られた時点で奇襲作戦の根底が崩れてしまうからです。これでは祈る以外にどうしようもありません。南雲長官は、ときどき部下を長官室に呼び入れ、ひそかに弱音を吐いたりしました。赤城飛行隊長の淵田美津雄中佐も呼ばれたひとりです。長官の愚痴につきあわされた淵田中佐は、気性の荒さそのままに悪罵を言い放ちました。
「駿馬も老いれば駄馬かいな」
戦場の霧、という言葉があります。プロシアの軍人クラウゼビッツが「戦争論」の中で論じています。その意味は、作戦や戦闘につきものの不確定要素のことです。戦場の霧は、指揮官の心に不安をもたらし、神経を病ませ、判断を狂わせます。指揮官の仕事の大半は、戦場の霧との神経戦です。南雲長官は辛うじてこの神経戦を制しました。南雲部隊がハワイ北方海面にたどり着いたとき、南雲長官は源田実航空参謀に万感の思いを込めて語りました。
「俺はともかくここまで艦隊を連れてきた。あとは任せる」
ミッドウェイ島への途上にある今、気まじめな南雲長官は再び戦場の霧の中にあり、困難な神経作業に精力を費消しています。
これに対してアメリカ海軍の指揮官たちは戦場の霧に悩まされる必要がありませんでした。暗号解読が霧を吹き飛ばしてくれています。一意、攻撃に集中すればよいのです。
悲劇的な結末に向けてミッドウェイ作戦は進行していきます。南雲機動部隊の出港より二日遅れの五月二十九日、連合艦隊司令長官の直率する主力部隊が出撃しました。主力部隊の任務は機動部隊の支援です。航海中の五十六は午前五時に起床し、まず艦橋作戦室に顔を出します。
「おはよう」
一同に声をかけると天気図を見、電報綴りに目を通します。電報綴りには各部隊からの報告や情報がすべて綴じられていので、これを通覧すれば全般状況がわかります。読み終わると戦闘艦橋に登り、天候や艦隊の様子を注視し、あとは海上前方を無言で見つめています。無駄なことは喋りまえん。午前八時、朝食のため艦橋を降ります。朝食後は幕僚たちと作戦経過について議論します。五十六はすべての幕僚に発言の機会を与えるよう常に配慮しています。議論が一段落すると再び戦闘艦橋に登ります。食事と議論の時間以外は、たいてい無言で艦橋に座っていました。南雲中将と同じように五十六も戦場の霧の中にいます。ですが、その立居振る舞いにはわずかな動揺さえありません。午後六時に夕食をとり、食後の歓談を楽しみ、入浴します。五十六は夜に髭を剃りました。浴衣に着替えると作戦室で座談を楽しみ将棋を差しました。
昭和十七年六月五日、南雲機動部隊はミッドウェイ島を空襲するため、同島北東海域に進出しました。四隻の航空母艦は箱形陣形を組んでいます。ハワイ真珠湾、濠州ダーウィン、セイロン島コロンボなど、南雲機動部隊は各地の敵基地を何度となく空襲してきました。いま再びその方式を踏襲しようとしています。ミッドウェイ島攻撃開始直前における南雲機動部隊の敵情判断が記録に残っています。
「敵は戦意に乏しきも、我が攻略作戦進まば出動反撃の算あり」
何を根拠にして敵の戦意が乏しいと判断したのか不明です。むしろ敵の旺盛な戦意を示す根拠こそ数多くありました。一ヶ月前の珊瑚海海戦においてアメリカ海軍は、空母「レキシントン」を失いながらも、小型空母「祥鳳」を撃沈し、空母「翔鶴」に損傷を与えました。その前月には帝都東京に対して冒険的な空襲を敢行しています。そのアメリカ軍の戦意が乏しいわけがありませんでした。にもかかわらず「敵は戦意に乏しい」と作文してしまうところに連戦連勝の驕慢と疲労があったでしょう。
「敵は我が意図を察知せず、少なくとも五日早朝までは発見せられ居らざるものと認む。敵空母を基幹とする有力部隊附近海面に大挙行動中と推定せず」
この状況判断にも確かな根拠はありません。ハワイ真珠湾に対する偵察飛行は実施できていませんでした。つまり敵情はまったく不明です。それならば「敵情不明」と書けばよいところです。そして、敵の有力部隊が近海で行動中かもしれないと推定し、万全を期すべきでした。
後世、日本海軍は情報戦で完敗したとされています。確かにそうですが、日本側においても敵情探索の努力は払われていましたし、正確な敵情をつかみかけてもいました。さかのぼること三日、マーシャル諸島ケゼリン基地に所在する第六艦隊司令部の敵信班が米空母の呼出符号を探知しました。その位置を無線方位測定するとミッドウェイ島北北西百七十海里と出ました。
「敵空母がすでにミッドウェイ島近海に進出している」
大発見です。第六艦隊司令部は勇んで軍令部、連合艦隊、機動部隊へ電報しました。しかし、海軍内の誰ひとりとして注目する者がいませんでした。
「何かの間違いだろう」
敵艦隊は出てこないという先入観が、この重大電報を葬り去ってしまいました。さらにミッドウェイ島攻撃の前日、空母「飛龍」の電信室が敵空母の呼出符号をとらえました。近距離からの強力な電波です。この事実は速やかに暗号室に連絡されましたが、暗号室ではこの事実を疑いました。
「おかしい。敵はいないはずだ」
先入観が事実を否定しました。結局、この大発見も暗号室において握りつぶされ、空母「飛龍」座乗の第二航空戦隊司令官山口多聞少将には伝達されませんでした。空母「飛龍」の電信室がとらえた呼出符号は、はるか後方を航行中の戦艦「大和」においても傍受されました。
「ミッドウェイ島北方海面に敵空母らしき呼出符号を探知」
重大な事実です。居ないはずの敵がいるのです。ミッドウェイ作戦の筋書きを根底から覆すような事実です。連合艦隊司令部参謀たちの協議が始まりました。
「何かの間違いではないか」
まず、この事実を疑う声が湧きました。
「電波が出ている以上、これは事実です。間違いなく受信しております」
反論したのは和田通信参謀です。
「しかし、哨戒中の潜水艦からは何も言ってきておらん」
五十六は黙って議論を聞いていました。各参謀の意見がひととおり出つくすと、五十六は口を出しました。
「この事実を南雲部隊に転電してはどうか」
主力部隊は無線封止をしています。その無線封止を破ってまで発信すべきかどうか、判断が難しいところです。発信すれば敵に主力部隊の所在を教えることになります。参謀たちは再び協議しました。後方の「大和」でさえ傍受できたのであるから、南雲部隊でも傍受した可能性が高いと思われました。無線封止を破るのは危険です。参謀たちは利害損得を考慮して結論を出しました。黒島先任参謀が五十六に報告します。
「長官、無線封止を破ってまで知らせる必要はありません」
五十六はうなずきました。間の悪いことに五十六は原因不明の腹痛に襲われていました。このように劣悪な健康状態では自分の判断に自信を持ち得ません。五十六は信頼する部下に判断を委ねました。
それにしても不思議といわねばなりません。「敵艦隊は出てこない」という根拠なき先入観が、これほどまでに人間集団を盲目にしたという事実が、です。日本海軍の敵信班はその優秀性を十分に発揮し、敵空母の出現を報告しました。それなのに、事実を事実として素直に受取る姿勢が失われていました。油断なのか、驕慢なのか、疲労なのか、ともかく海軍は観念の陥穽にとらわれていました。
もしかりに敵空母発見を事実として認識していたなら、南雲部隊はミッドウェイ島攻撃を延期し、その全力で敵空母に向かっていたでしょう。そうなれば海戦の結果はどうなったかわかりません。真の敵は海上ではなく、心中にいたというべきです。
「我はミッドウェイを空襲し、基地航空兵力を壊滅し、上陸作戦に協力したる後、敵機動部隊もし反撃せば之を撃滅すること可能なり」
攻撃開始直前における南雲司令部の敵情判断は、作戦シナリオどおりの進捗を予想し、敵機動部隊の出現を数日先と考えていました。
「敵基地航空機の反撃は上空直掩戦闘機ならびに防禦砲火を以って撃攘することを得」
敵機から攻撃を受けても防御可能だとの判断です。この点は誇張がありません。それほどに零戦の空戦性能は抜群でした。
アメリカ海軍の空母部隊は、南雲機動部隊司令部の戦況判断とはまったく正反対の行動をとりつつありました。暗号解読によって日本側の動きを掌握したアメリカ海軍は、南雲部隊に対する奇襲を狙いました。獲物は歴戦の空母機動部隊です。その戦力と性能と練度はアメリカ側より数段は優れています。情報戦の優位は、勝利のための必要条件ではあっても十分条件ではありません。そこでアメリカ海軍は可能な限りの準備を整えました。ミッドウェイ島の防備を固め、航空戦力と陸上兵力を強化し、ミッドウェイ島の周辺海域に三群の機動部隊を占位させたのです。このうちの一群は珊瑚海海戦で損傷した「ヨークタウン」を基幹とする機動部隊です。同艦は珊瑚海から真珠湾に回航され、三日間の突貫工事で応急修理されました。戦意は乏しいどころか最高潮です。
六月五日午前一時半、敵情判断を誤ったまま南雲機動部隊は第一次攻撃隊の百八機をミッドウェイ島に向けて発進させました。空襲は予定どおりに行なわれましたが、空振りに終わりました。地上にめぼしい攻撃目標はなく、滑走路の破壊も不十分でした。アメリカ軍は同島の航空機を総て空中退避させていたからです。第一次攻撃隊長友永丈市大尉は戦果不十分と判断し、午前四時に打電しました。
「第二次攻撃の要ありと認む」
このとき南雲機動部隊の空母群は、敵艦隊の出現に備えて艦船攻撃用に雷装した艦攻機と艦爆機を待機させていました。
「艦上機の半分を艦船攻撃用に待機させておけ」
連合艦隊司令部からしつこいほどに聞かされていた指示に、南雲司令部は忠実でした。ですが、友永大尉からの報告を受け、南雲長官は決断を迫られました。あくまでも艦上機の半数を艦船攻撃用に後置し、残りの半数でミッドウェイ島基地への反復攻撃を行なうのか、それとも敵陸上基地に対する打撃力を極大化するため全艦上機を基地攻撃に投入するのか。索敵機は第一次攻撃隊と同時刻に発艦していましたが、敵艦発見の入電はまだありません。
(どうするべきか)
通常の艦隊司令部ならば激論の坩堝となっても不思議ではありません。しかし、空母「赤城」の艦橋は比較的に静かです。南雲長官は誰よりも源田実航空参謀を信頼しており、源田参謀の進言はことごとく無条件で採用しました。このため「源田艦隊」という陰口さえ生まれています。これはこれで統率の一法であり、南雲長官の自制心は誉められてよいでしょう。司令長官だからといって素人が口を出しても上手くはいきません。航空戦術に疎い南雲長官は、源田参謀に全幅の信頼を寄せ、総てを任せていました。この慣行が戦勝とともに続くうち、幕僚の誰もが源田依存症になっていました。南雲司令部の参謀は作戦を議論をするより、源田参謀の発言に聞き耳を立てるようになっていたのです。
このことは源田実参謀にとって名誉でもあり、得意でもありましたが、同時に精神的圧迫でもありました。あまりにも信頼されすぎ、任されすぎ、議論さえ生まれない南雲司令部の状況は、源田参謀にとって徐々に重苦しくなっていました。本来、責任から自由な立場で意見具申できるのが参謀なのです。南雲司令部に醸成された特異な雰囲気の中では、源田参謀は責任の重圧を感じざるを得ません。だからこそ肺炎の高熱をものともせず司令部に立っています。南雲長官に落度があったとすれば、源田参謀に精神的負担を背負い込ませてしまったことです。
南雲部隊の上空には二時間ほど前から敵の偵察機らしき機影が見え隠れしています。上空直掩の零戦が追うと敵偵察機は雲中に逃げてしまいます。敵はこちらの位置をつかんだと見ねばなりません。だとすれば敵艦隊の出現は想定よりも早まるであろうし、なによりミッドウェイ島基地からの航空攻撃を覚悟せねばなりません。
午前四時七分、はやくも南雲部隊はアメリカ軍機の攻撃を受けました。南雲機動部隊が経験する初めての本格的防御戦がはじまりました。敵の雷撃機六機が、護衛の戦闘機を伴わずにやって来ました。艦隊の上空に待機していた零戦が襲いかかり、空母群の高角砲が火を噴きます。全艦がいっせいに舵を切って回避行動をとります。幸い命中弾はなく、五機を撃墜しました。数分後、今度はアメリカ陸軍の中型爆撃機四機が現れ、雷撃を加えてきました。この攻撃もかわし、二機を撃墜しました。
敵機は、陸軍機と海軍機の混成部隊です。おそらくミッドウェイ島基地から飛来したものであろうと推定されました。攻撃を受けたからには反撃せねばなりません。このまま反覆攻撃を受け続ければ、いつかは被弾します。これを防ぐにはミッドウェイ島を全力で叩くに限ります。敵艦隊の動静が気になるものの、索敵機からはまだ何の報告もありません。
「敵艦隊は不在」
そう判断した源田参謀は艦上機の全力によるミッドウェイ島陸上基地攻撃を進言しました。草鹿参謀長がこれに同意し、南雲長官が決定しました。敵の攻撃に対する自然な反応といえるでしょう。
「第二次攻撃、本日実施。待機攻撃機、爆装に換え」
午前四時十五分のことです。南雲長官は、艦船攻撃用に待機させておいた百八機の兵装を陸上攻撃用に転換するよう命じました。航空兵力の全力をミッドウェイ島攻撃に投入するのです。連合艦隊司令部からは「必ず半数を艦船攻撃用に残置しておけ」と言われていましたが、机上の議論などに構ってはいられません。眼前に敵影を見、現に雷爆撃を受けている以上、戦力温存などしてはいられません。これは当然の現場感覚です。
こうして南雲部隊司令部はミッドウェイ島への第二次攻撃を決めました。兵装転換作業にはおよそ二時間が必要と予想され、この間、南雲艦隊は防戦一方になります。緊迫の防御戦闘が始まりました。
各空母の格納庫内は大騒ぎになりました。兵装転換は、たいへんな重労働であると同時に精密かつ慎重な調整を必要とする繊細な作業でもあります。もちろん爆弾を扱うから危険このうえないものです。せっかく装備してある艦船攻撃用爆弾や魚雷を機体から外し、そのかわりに陸用爆弾を装備します。
艦上攻撃機の場合には九一式酸素魚雷を外して、陸上攻撃用八百キロ爆弾を装填することになります。九一式酸素魚雷は全長五メートル四十センチ、重量八百キロです。陸上攻撃用の八百キロ爆弾でも三メートル弱の全長があります。この巨大な爆弾を慎重かつ迅速に取り替えねばなりません。急降下爆撃機の場合、その爆弾は重量が二百五十キロと比較的に軽いため転換作業はやや早い。とはいえ転換すべき攻撃機はたくさんあります。兵器員は大汗をかきながら懸命の作業に取り組みました。
この間、敵機は容赦なくやってきます。南雲機動部隊の上空にアメリカ軍の雷撃機十六機が来襲しました。米軍機はなぜか戦闘機の護衛なしでやってきました。
「敵機、水平線上」
見張員の声が響きます。各艦とも目一杯に舵を切って回避します。南雲長官は自ら操艦命令を出して敵の雷撃をかわしました。高射砲と機銃が間断なく火を噴いて弾幕を張ります。上空直掩の零戦が襲いかかって敵機を撃墜します。この時期、零戦の優越性は抜群です。零戦一機で敵機五機を相手にできると言われました。おかげで南雲部隊に損害はなく、敵八機を撃墜しました。
「そろそろミッドウェイ島攻撃を終えた第一次攻撃隊が帰ってくる」
源田参謀がつぶやきました。南雲司令部は目が回るほど多忙になります。敵機の攻撃を防御しつつ、味方機を収容しつつ、兵装転換しつつ、敵艦隊の索敵を続行せねばなりません。
南雲部隊は最悪の戦況下に陥りました。集中運用中の空母艦隊が敵機からの攻撃を受けているのです。空母部隊が最も恐れる事態です。並の空母艦隊ならば、とうに大損害を被って万事休していたでしょう。
ところが四隻の空母から舞上がった上空直掩の零戦は敵機の大部分を撃墜し、残りを追い払いました。集中運用のおかげで上空直掩部隊が充実しています。この後、息詰まるような防御戦闘が続きます。高角砲が火を噴き、各艦は回避行動のために舵を幾度も切りました。直掩零戦隊は飛行甲板に舞い降りては燃料と銃弾を補充し、再び空へと舞い上がっていきます。次から次へと波状攻撃をしかけてくる米軍機を、零戦は次々と撃墜しました。零戦搭乗員の技量は世界最高練度だったといえるでしょう。
源田実参謀は空を見上げて防空戦闘の様子を見守りつつ、ある日の会議の模様を頭の片隅に思い浮かべていました。出港二日前の五月二十五日、第一航空艦隊と連合艦隊との最後の打ち合わせが行なわれました。
「ミッドウェイ基地攻撃中に敵空軍の攻撃を受けたらどうするか」
連合艦隊の宇垣参謀長が質しました。源田実中佐は言下に応答しました。
「わが戦闘機隊をもってすれば鎧袖一触である」
源田参謀には十分な自信がありました。しかし、そんな源田参謀を山本五十六連合艦隊司令長官は叱りつけました。
「鎧袖一触などとは不用心きわまる。実際に不意の攻撃を受けた場合の対策を十分に研究しておかなければならぬ。この作戦はミッドウェイ基地の攻撃が主目的ではなく、そこを衝かれて顔を出す敵機動部隊を叩くのが目的なのだ。本末を誤ってはならぬ。したがって攻撃機の半分には必ず魚雷を装備しておくように」
五十六の訓示にもかかわらず、南雲部隊司令部は状況の推移に流され、全力による陸上攻撃を決断しました。もちろん、この程度の独断専行は許されて当然のことです。何しろ戦っているのは現場の人間なのです。そして、源田航空参謀が言ったとおり、零戦隊は敵機をまさに鎧袖一触に蹴散らしています。このままいけば山本五十六長官の鼻をあかすことができるはずでした。源田参謀は戦後に書いています。
「ミッドウェイ海戦の前半は日本側の圧倒的勝利であった」
確かに史上空前の見事な防御戦闘です。ですが、その勝利の気分を吹き飛ばすような電報が入ってきました。
「敵らしきもの十隻見ゆ」
午前四時二十八分、索敵中の利根四号機からの入電です。ちなみに利根四号機は射出機の故障で発艦が三十分遅れました。その遅れを取り戻そうと利根四号機は経路を短縮して必死の索敵をし、見事に敵艦隊を見つけたのです。
南雲部隊司令部は驚愕しました。事態を予想して計画するのは人間の優れた能力ですが、その能力ゆえに予想外の事態に接して狼狽するのもまた人間です。存在しないと思っていた敵艦隊が発見されました。戦況判断は根底からくつがえりました。索敵機からの報告は戦場の霧を払い、南雲司令部に現実を知らせました。やっと霧を振り払ったところ、眼前には断崖絶壁が迫っていたのです。
南雲司令部は戦術を根本から再考する必要に迫られました。敵艦隊は不在という前提に立ち、全艦上機によるミッドウェイ島への第二次攻撃を決断したのはわずか十三分前です。南雲部隊の頭脳はこの瞬間、真っ白になりました。
(どうする?)
誰もが判断に迷い、困惑しました。兵装転換は継続か中止か、陸上基地攻撃か敵艦隊攻撃か、空母の集中運用か分散運用か。午前四時四十五分、ようやく南雲司令部は雷装から爆装への転換作業を中止させました。
「敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装そのまま」
南雲司令部は攻撃目標を敵陸上基地から敵艦隊に変えました。しかし、雷装作業は滞ります。索敵機からの報告は「敵らしきもの十隻」でした。艦種がありません。
「そんな報告があるか」
参謀たちは憤慨しました。この怒りは参謀たちの焦燥の現れです。索敵機に落ち度があったわけではありません。艦種不明の場合には、「らしきもの」と報告するのが規則です。規則どおりの索敵電報です。しかし、南雲司令部の参謀たちは焦りに焦っていたので索敵機に八つ当たりしました。艦種不明では作戦を立てられないし、雷装作業も進まないからです。
爆弾は艦種に応じて種類を使い分けますし、魚雷の潜航深度は艦種に応じて調整します。魚雷の場合、敵艦が戦艦や空母なら深度を五ないし七メートルに調整し、巡洋艦なら三メートルに合わせます。とにもかくにも艦種の情報が必要でした。南雲司令部は苛立ちます。午前四時四十七分、南雲司令部は待ちきれなくなり、利根四号機に発令します。
「艦種確かめ、触接せよ」
索敵機からの返電はなかなか来ません。索敵機にも事情があります。雲に視界を遮られたり、敵機に追撃されたりします。接敵して艦種を確認するのは命がけの任務です。非常な難事です。怖じ気づいていたわけではありません。撃墜されてしまえば索敵できないのです。ジリジリする時間が「赤城」の艦橋に流れました。折も折、米軍機が再び南雲部隊上空に来襲しました。全艦いっせいに回避行動をとり、対空砲火の砲声を唸らせます。「榛名」、「霧島」の二戦艦、「利根」、「筑摩」の二重巡、さらには軽巡「長良」、駆逐艦十六隻も対空砲を撃ちあげて弾幕を張ります。艦隊上空では敵機と零戦との手に汗を握るような空中戦が展開されています。それでも利根四号機からの無電はなかなか入りません。
「艦種知らせ」
午前五時、しびれをきらせた南雲司令部は再び発令します。待ちに待った入電は午前五時九分でした。
「敵兵力は巡洋艦五、駆逐艦五なり」
この情報は南雲司令部をさらに迷わせました。敵が戦艦や空母なら迷わずに海上決戦に邁進するところです。しかし、敵主力が巡洋艦五隻ならば、我が方の戦艦二隻と重巡二隻で応じることが可能です。水雷屋の南雲長官にとって砲雷撃戦は望むところです。航空攻撃か艦砲攻撃か。天に悪意があるかのように索敵機からの報告は南雲司令部を迷わせました。
そのときアメリカ陸軍の大型爆撃機十五機が南雲部隊上空に現れました。十五機は編隊を組み高高度から水平爆撃を加えてきました。爆弾が次々と投下され、海上に水柱が林立します。その水柱のカーテンに僚艦の「加賀」が隠れました。「赤城」艦橋の全員が固唾を呑んで見守ります。やがて水柱が崩れ落ちると「加賀」の姿が現れました。黒煙は上がっておらず、損害はないようです。数分後、今度は敵の急降下爆撃機十一機が出現しました。南雲部隊は攻撃をかわし、零戦は敵の二機を撃墜しました。敵機の間断ない波状攻撃の中、午前五時二十分、索敵機からさらに報告が届きました。
「敵はその後方に空母らしきもの一隻を伴う」
利根四号機からの報告は司令部の感情を逆なでしました。
「また、らしきもの、か」
南雲司令部の憤慨は理解できます。しかし、索敵機に当たり散らしてもしかたがありません。もう思い切るしかありませんでした。索敵報告に一喜一憂していたら、かえって判断を混乱させてしまいます。
「全力で敵空母を攻撃する」
源田参謀は決断しました。敵情はなお不明確ですが、遅疑逡巡してはいられません。敵艦隊がミッドウェイ近海に存在している以上、空母を帯同しているに違いないのです。ようやく南雲司令部は攻撃方針を定めました。次の問題は攻撃方法です。投入可能な攻撃機部隊を逐次発進させるか、それとも全機攻撃態勢を整えて一斉に発艦させるか。また、空母部隊の集中運用を継続するか、分散運用するか。源田航空参謀は、脳内で絡みあった糸を懸命に解こうとします。そこへ第二航空戦隊司令官の山口多聞少将から意見具申がとどきます。
「現装備のまま直ちに攻撃隊を発進せしむるを至当と認む」
山口多聞少将は、先制を重んじる見敵必戦の戦術家です。小規模戦力でもいい、陸上攻撃用爆弾のままでも何でもいい、ともかく攻撃隊を出して敵空母の甲板に先制の一撃を与えるべきだと考えたのです。そうすれば守勢から攻勢へと戦勢を転換できます。
「いや、それは無謀だ。長官、攻撃は正攻法で行います。まずは第一次攻撃隊を収容、わが全力で敵艦隊に向かいます。艦攻隊、艦爆隊には充分な直掩戦闘機をつけます」
源田参謀が即時攻撃をひかえたのは常識的判断だったといえます。いますぐ攻撃部隊を出す場合、護衛戦闘機を十分につけてやれません。戦闘機の掩護がなければ艦攻機も艦爆機も敵戦闘機の餌食となってしまいます。事実、眼前では我が直掩戦闘機によって敵機がことごとく撃ち墜とされています。また、南雲部隊の上空では第一次攻撃隊が旋回しながら着艦の合図を待っています。そろそろ燃料が尽きる頃です。なかには負傷した搭乗員や損傷機もいるに違いありません。一刻も早く収容してやらねばなりませんでした。午前五時三十七分、南雲部隊は第一次攻撃隊の収容を開始しました。
山口少将の意見具申を採用した場合、攻撃隊の発艦を優先するため、帰投中の第一次攻撃隊を速やかに収容してやれません。第一次攻撃隊の各機は燃料が尽き次第、海上に不時着水することになります。機体が失われ、搭乗員の命も危険です。そのような非常かつ非情な措置は源田参謀の脳裏に浮かびませんでした。ハワイ作戦以来、すべての作戦が順調だっただけに、人命と機材を大切にするという常識が保たれていました。源田参謀が、その判断の甘さに歯噛みするのはおよそ二時間後です。
後日談になりますが、ミッドウェイ海戦で苦い敗北を経験した源田実は自身の甘さを強く悔悟しました。
「ミッドウェイの時のように、搭乗員の生命に対する顧慮が過ぎて戦機を逸するようなことはしない」
昭和二十年一月、松山基地の第三四三海軍航空隊司令となった源田実大佐は、心を鬼にし、機材も人命も惜しまぬ苛烈な作戦で本土防空戦闘を指揮しました。