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衝撃と疲労と慢心

 連合艦隊司令部の早期決戦構想は、ハワイ準州を攻略し、その返還を交換条件としてアメリカとの講和に持ちこむというものです。アメリカ政府に深刻な痛痒を感じさせるためには、フィリピンを奪ってもダメだし、サモアやフィジーやニューカレドニアを攻めてもダメです。アメリカ政府とアメリカ国民を講和のテーブルにつかせるためには、どうしてもハワイ準州を獲る必要があると考えられました。

 日本軍がハワイを手中にすれば、ハワイを拠点に連合艦隊の艦艇を機動させ、アメリカ軍の長大な海上兵站線を破壊することが可能になります。米本土、フィジー、サモア、ニューカレドニア、濠州を結ぶ海上兵站線を破壊されれば、さすがのアメリカも継戦が困難になるでしょう。つまり、ハワイこそがアメリカ軍の海上兵站線を守っているのです。

 ハワイの攻略、これこそ講和への道であると連合艦隊司令部は考えました。その前段としてミッドウェイ攻略が必要になります。多少の無理は承知のうえです。無理なく点数を稼いでいる余裕はありません。時間がないのです。アメリカの巨大な工業力がその生産力を全力発揮せぬうちに決着をつけてしまわねばなりませんい。連合艦隊の苦衷はそこにありました。

 おおげさにいえば残された時間はあと半年しかないのです。保って一年の戦力です。日本海軍の戦力は開戦時をピークとして低下し続けていきます。対するアメリカ軍の戦力は時間とともに増勢するのです。敵を圧倒できるのは今しかありません。対米戦争に終止符を打つためにはアメリカ領の一部を制圧するしかありません。日本海軍の手がギリギリ届く唯一の敵国の領土、それがハワイ準州でした。

「長期持久的守勢作戦をとることは連合艦隊司令長官としては絶対にできぬ。海軍は一途に攻勢をとり、敵に手痛い打撃を与える必要がある。敵の戦力は我の五ないし十倍である。これを叩くには常に敵の痛いところに向けて猛烈な攻撃を加え続けねばならない」

 この時期の五十六の訓示です。要するに五十六は政戦略的観点からミッドウェイ作戦を推進したのです。

 これに対し、軍令部の三代一就中佐は戦術的観点からミッドウェイ作戦に内在する矛盾を指摘し、その代替案として米濠遮断作戦を主張しました。この時期、アメリカ軍は懸命に米濠間の兵站線を構築中でした。日本軍がフィジー、サモア、ニューカレドニアに侵攻すればアメリカ軍の兵站拠点を大混乱に陥れることになります。その混乱を収拾するためにアメリカ海軍の主力艦隊が出動し、日米の決戦が生起するでしょう。空振りに終わる可能性の高いミッドウェイ作戦よりも米濠遮断作戦の方が確実だと三代中佐は主張しました。

 しかしながら、はるか遠方のニューカレドニア、フィジー、サモアにまで戦力を推進させることが現実的だったかどうか。その補給はどうするのか。連合艦隊がはるか南洋海域に出撃している間に、米機動部隊が日本本土を急襲したらどうなるのか。さらにいえば、フィジーやサモアやニューカレドニアを占領したとしても、アメリカ政府は何の痛痒も感じないのです。よって、米濠遮断が成功しても講和の足がかりにはならない、と連合艦隊司令部は主張しました。

 結局のところ、連合艦隊案にも軍令部案にも欠点がありました。その欠点の由来をさかのぼれば、政略レベルの不利ということになります。世界最強国アメリカとの戦争、しかも米英蘭支四ヶ国を敵とする多方面戦争、この大投機を日本政府が始めてしまった以上、いや始めざるを得なかった以上、海軍は無理な作戦を続けるしかないのです。国策の失敗を戦術的勝利で補い続けることが連合艦隊に課せられた任務です。その任務を達成しようとすれば無理な作戦を実施するしかありません。

 幸いにして第一段作戦は成功しました。ですが、戦争全体を俯瞰して眺めてみれば、何ひとつとして楽観材料はありません。緒戦の勝利は、最終的戦勝をまったく保証しないのです。連合艦隊は勝ち続けねばなりません。勝ち続けている限り、国策の失敗を糊塗できるし、講和の可能性も生じてきます。しかし、日本の戦力には限度があり、敵国の軍事力は巨大です。だからこそ連合艦隊司令部は、無理を承知でミッドウェイ作戦を立案し、太平洋に飛び出しているアメリカ領ハワイを攻略しようと考えたのです。

 この連合艦隊案を軍令部総長永野修身大将は受け入れました。ミッドウェイ作戦の実施が決定すると、軍令部は連合艦隊から作戦案を受け取り、これに様々な修正を加えていきました。なんといっても軍令部は連合艦隊に対する命令者なのです。このため連合艦隊の作戦意図が徐々に薄められ、後に南雲機動部隊司令部を混乱させることになります。また、軍令部は作戦スケジュールを次のように定めました。


  五月上旬 ポートモレスビー攻略作戦

  六月上旬 ミッドウェイ攻略作戦

  七月中旬 ニューカレドニア・フィジー・サモア攻撃破壊作戦

  十月   ハワイ攻略作戦準備


 何のことはない、要するに連合艦隊案と軍令部案とをふたつながら実施するという驚くべき超過密日程です。これを意地悪く見るなら、連合艦隊と軍令部の顔を共に立てた官僚的配慮だと言うことができます。しかし、肯定的に見るなら、海軍は勝機を逃すまいとし、連続的攻勢戦略を実施しようとしたのだといえます。これらの作戦がことごとく成功したら、アメリカ太平洋艦隊は潰滅するでしょう。


 そんな折、大事件が発生しました。昭和十七年四月十八日、帝都東京がアメリカ軍機に空襲されたのです。アメリカ軍は、単なる冒険心から東京空襲を敢行したわけではありません。戦略的な意味がありました。つまり日本の首都を空襲し、日本海軍の主力を日本近海に集中させるのです。これにより対日反攻の拠点たるオーストラリア方面への進攻圧力を弱め、その間に兵站線を構築してしまうという狙いでした。実際、アメリカ軍はフィジー、サモア、ニューカレドニアに港湾や飛行場などの大規模兵站基地を建設中です。

 アメリカ軍の思惑どおり、日本軍は震撼しました。帝都東京が敵の空襲圏下にあることが白日の下に曝されてしまいました。このことは、開戦前から五十六が懸念していたことです。昨年一月に五十六が及川古志郎海軍大臣に提出した意見書には次のように書かれていました。

「東方に対しては専ら守勢をとり、敵の来攻を待つが如きことあらば、敵は敢然として一挙に帝国本土の急襲を行ない、帝都その他の大都市を焼尽するの作戦に出でざるを保し難く」

 こちらがハワイを奇襲できるということは、敵も日本本土を奇襲できることを意味します。その五十六の心配が現実のものになってしまいました。

「アリューシャンを攻略しよう」

 海軍軍令部は、本土防衛のため太平洋に長大な哨戒線を張ろうと考えました。アリューシャンとミッドウェイを南北に結ぶ哨戒線を確立するのです。こうしてミッドウェイ・アリューシャン作戦が成案となり、昭和十七年五月五日、大本営海軍部命令第十八号が発令されました。

「連合艦隊司令長官は陸軍と協力し、ミッドウェイ島およびアリューシャン群島西部要地を攻略すべし」

 ミッドウェイ作戦にアリューシャン作戦が加わったことで連合艦隊の戦力はいっそう分散されることとなりました。


 南洋で珊瑚海海戦が生起したのは、ミッドウェイ・アリューシャン作戦が発令された二日後です。

 かねてよりラバウル航空隊はポートモレスビーに対する航空撃滅戦を繰り返してきました。戦術的には大戦果をあげたにもかかわらず、ポートモレスビーを攻略できませんでしたた。このため陸軍部隊を奇襲上陸させてポートモレスビーを占領する作戦が実施されることになりました。

 連合艦隊司令部は、インド洋作戦を終えて帰投中の南雲機動部隊から第五航空戦隊の空母二隻(翔鶴・瑞確)を抽出し、ポートモレスビー攻略部隊の支援に当たらせました。惜しまれるのは、このとき南雲機動部隊の全力をもってポートモレスビー攻略を支援させなかったことです。連合艦隊が珊瑚海に南雲部隊の全空母を投入していればどうでしょう。ミッドウェイ作戦の日程は遅延したかもしれませんが、それとひきかえに珊瑚海海戦では確実に敵空母二隻を撃沈できた可能性があります。また、日本側の損害も極小化でき、しかもポートモレスビーを攻略できていたでしょう。

 この時期、アメリカ太平洋艦隊は空母四隻を保有していましたが、このうち二隻は東京空襲作戦を遂行中でした。よって珊瑚海には空母二隻しか投入できません。

「日本軍の空母は二隻」

 この敵情報告に接したアメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将は反撃を決心し、二隻の空母を珊瑚海へ投入したのです。この判断が結果的にポートモレスビーを守ることになります。さらにニミッツ大将は、東京空襲を終えてハワイに帰港したばかりの空母二隻を珊瑚海に増派しようとし、補給と整備を急がせました。結局、この増援は間に合わなかったものの、もし間に合っていたならば、珊瑚海海戦はアメリカ軍の勝利となり、日本海軍は「瑞鶴」と「翔鶴」を失っていたかも知れません。

 連合艦隊が南雲部隊の全空母を珊瑚海へ投入していたら、ニミッツ大将は反撃そのものを諦めたかもしれません。明らかな劣勢で勝ち目がありません。そうなればポートモレスビーは日本陸軍の上陸部隊によって占領でき、南雲機動部隊は無傷で日本に帰投できました。万が一、ニミッツ大将が劣勢を承知のうえで二隻の空母を投入してくるのであれば、この二隻を南雲部隊の全空母で仕留めてしまえばよかった。こうなればアメリカ太平洋艦隊の残存空母は二隻だけとなります。六隻の正規空母を有する連合艦隊は、この優位を活かして力攻めをすればよくなります。ミッドウェイ作戦など必要なくなるでしょう。連合艦隊は六隻の空母を中心とする大艦隊でハワイを強襲し、残った敵空母二隻にトドメを刺せばよいはずでした。

「わが全力を以て敵の分力を撃つ」

 この原則を海軍中枢はつい忘れました。これは、帝都東京を空襲された衝撃だったのでしょう。一刻も早く空母機動艦隊を帰還させたいと海軍中枢が考えたのは無理もありません。東京空襲を強行させたニミッツ提督の成功と言えるでしょう。同時に、日本軍には戦勝の驕りもあったようです。その結果、珊瑚海への増援は空母二隻で十分だと判断したのです。この判断は必ずしも誤ってはいません。しかし、出し惜しみの感は否めません。将棋で例えるなら、悪手ではなかったにせよ緩手でした。敵に緩手を打たせたニミッツ大将こそ、見事だったといえるでしょう。

 次期海上決戦の立案に熱中していた日本海軍中枢が珊瑚海方面の戦局を軽視したことは確かです。ミッドウェイ作戦の準備に心を奪われるあまり、珊瑚海に投入する戦力をやや惜しみました。敵機による本土空襲も心配でした。開戦以来の戦捷による驕りもありました。あるいは疲労のために反射神経が鈍っていたかもしれません。

「ポートモレスビーなど攻略して当たり前だ。第四艦隊はだらしがない。五航戦を出陣させたからにはすぐに片がつくだろう」

 軍令部も連合艦隊も珊瑚海方面の戦況を楽観視しました。しかし、結果は厳しいものとなりました。昭和十七年五月七日の珊瑚海海戦で空母「瑞鶴」および「翔鶴」の飛行隊は、米空母「レキシントン」を撃沈し、「ヨークタウン」を大破させました。しかし、日本側も軽空母「祥鳳」を撃沈され、空母「翔鶴」が命中弾を受けました。また多数の艦上機を喪失してしまいました。海戦には勝利したものの、陸軍部隊によるポートモレスビー攻略は実施できませんでした。そして、損害をこうむった「瑞鶴」と「翔鶴」はミッドウェイ海戦に参加できなくなりました。

 海戦史上初の空母同士の対戦となった珊瑚海海戦の戦訓を海軍中枢はまともに検討しませんでした。海軍軍令部の机上に置かれた珊瑚海海戦戦闘報告書の、その真新しい表紙には朱墨で「バカめ」と大書されていました。

(無傷の瑞鶴を残していながら、なぜ追撃を断念したのだ)

 第四艦隊および第五航空戦隊への風当たりは強く、非難は第四艦隊司令部に集中しました。本来ならば、最新の戦闘結果から戦訓を引き出し、ミッドウェイ作戦に活用せねばならないところです。直近の戦訓ほど重要なものはないのです。それなのに海軍の頭脳は珊瑚海の戦訓に真摯な関心を寄せませんでした。すでにミッドウェイ作戦は発令されており、作戦準備の方に関心が集中していました。珊瑚海の戦訓を取り入れて、今さら作戦を修正するとなれば多大な労力と時間を費やすことになります。大汗をかいてやっと決定した事柄は、もう変更したくないものです。そのまま実施したい、それが人間の弱さです。

 空母「瑞鶴」と「翔鶴」が帰投したのは五月中旬です。その気さえあれば、いくらでも戦訓の収拾が可能でした。にもかかわらず、その努力を怠り、第四艦隊と第五航空戦隊を罵倒して済ませてしまったことは残念の一語に尽きます。

 珊瑚海海戦で明らかになった米機動部隊の機動性や防空能力、急降下爆撃機の優秀性、日本軍の対空砲火の脆弱性などには関心が向けられませんでした。

「勝って当然」

 勝勢気分が日本海軍を支配していました。互角の勝負を戦った第四艦隊司令部は無能とされ、第五航空戦隊は練度不足とされました。細心たるべき作戦中枢の慢心です。これこそ日本海軍最大の危機です。

 そんな海軍内の気分を反映するかのように、五月十七日、軍令部は驚くべき命令を発しました。大本営海軍部命令第十九号です。

「連合艦隊司令長官は第十七軍司令官と協同しニューカレドニア、フィジー諸島及サモア諸島方面の要地を攻略し敵の主要根拠地を覆滅すべし」

 なんとも気の早い大海令です。ミッドウェイ海戦の勝利を信じて疑いもしていません。勝勢に驕った強気の作戦指導というべきです。あれもやれ、これもやれ、ついでにそれもやっておけ、という連発的命令であり、連合艦隊はオホーツク海から南洋にいたる広大な海域に戦力を分散させざるを得ません。

 ちなみに山本五十六という人物は、部下に対して欲張った指示命令を出さないことで知られていました。目的をひとつに限定し、明確に提示します。そのかわり確実に推進することを求めました。「あれもやれ、これもやれ、うまくいったらそれもやれ」という指示命令を五十六は嫌いました。優秀な部下が気を利かせて命令以上のことまでやって得意がっていると、逆にたしなめました。

「余計なことをしなくてよろしい。自分の意図はコレコレなのだから、それさえ理解してくれればいい」

 軍令部からの相次ぐ命令に五十六は苦々しく表情を歪めます。あまりにも楽観的ではあるまいか。


 大機動作戦を終えてインド洋から帰投したばかりの南雲部隊司令部幕僚は、軍令部においてミッドウェイ作戦の説明を受けました。ミッドウェイ島の攻略を支援し、その後、出現するであろうアメリカ艦隊を迎撃せよという内容です。これに対して草鹿龍之介参謀長も源田実航空参謀も目立った反応を示しませんでした。長い遠征作戦を無事に戦い終えて帰ったばかりであり、まだ新鮮な戦いの記憶が心を占めています。新作戦は容易には頭脳に浸透してきませんでした。

(なんでも来い)

 連戦連勝の南雲部隊は意気盛んでもありました。ハワイ作戦以来、与えられた作戦をすべて成功させてきています。この勢いならばミッドウェイ作戦も乗り切れるという気分です。

 次いで南雲部隊幕僚は、連合艦隊の旗艦「大和」に向かいます。世界最大の巨艦たる「大和」の偉容に驚きつつ、作戦会議に臨みました。席上、連合艦隊司令部の黒島亀人先任参謀がミッドウェイ作戦の要諦を説きました。あくまでも敵機動部隊の撃滅が目的であり、ミッドウェイ島攻略は陽動であることを説き、幾度も念を押しました。

「だから、艦上機の半分は必ず敵艦船攻撃用に待機させておくのだ」

 黒島参謀は噛んで含めるように説明しました。しかし、南雲機動部隊の幕僚たちはどこか上の空の様子です。それも無理はありません。なにしろインド洋作戦を終えて帰投したばかりです。はるかベンガル湾を横断してセイロン島まで遠征し、やっと帰国したところです。そこへ、いきなりミッドウェイ作戦のことを聞かされているのです。

(こいつら聞いているのか)

 黒島参謀は気になりました。南雲部隊幕僚たちの気分は、どこかまだインド洋上を漂っているかのようです。南雲部隊に必要だったのは説明より、休養でした。疲労は思考を鈍らせます。人間である以上、どうしようもありません。それに加えて不満もありました。新規作戦について事前の相談が南雲司令部に対して一切なかったのです。

(一言でもいい。どうして事前に知らせてくれなかったのか。実際に戦うのは俺たちだぞ)

 そういう思いが湧き出るのも無理はありません。真珠湾、南洋、インド洋で大戦果を上げてきた実績があり、誰よりも実戦を知っています。今さら細々とした注意などバカバカしくて聞く気にもなれません。これを慢心と言ってしまえばそれまでですが、実戦部隊としての自信ともいえるのです。実戦部隊が自信を持つのは決して悪いことではありません。

 この点、アメリカ海軍の人事制度は進んでいました。ひとつの艦隊にふたつの司令部を用意しておき、三ヶ月あるいは六ヶ月で交代させます。いわゆる科学的な人事管理が行われていました。これならば疲労もなく、慢心も生じず、十分な作戦準備ができました。


 連合艦隊司令長官山本五十六大将の声望が高まるにつれ、その腹心たる黒島参謀と渡辺参謀の発言力が強くなりました。ふたりの参謀は、苦心惨憺して立案したミッドウェイ作戦を是非とも実施したいと考え、これに対する反対論や修正論に対して不寛容でした。ミッドウェイ作戦のように精密に構成された大作戦は、一部に小さな変更が生じても全体に影響が及んでくるからです。もし変更を受け容れれば、そのたびに気の遠くなるような修正作業に没頭せねばなりません。しかも日程は迫っています。反対や疑問に対して拒絶的になるのは当然でした。しかし、意見具申を無下に拒絶された側にしてみれば、その傲慢と不遜に怒りを感じざるを得ません。

 過密日程に急かされるように二度の図上演習が実施されました。言うまでもなくミッドウェイ作戦を検討するためです。同作戦の要領は次のとおりです。


  一、海軍航空部隊は上陸数日前よりミッドウェイ島を攻撃制圧す

  二、陸海軍はミッドウェイ島を攻略す

  三、攻略完了後概ね一週間以内に陸軍部隊は撤収す

  四、海軍は有力なる部隊を以て攻略作戦を支援掩護すると共に反撃のため出撃し来ることある

    べき敵艦隊を捕捉撃滅す


 この要領どおりのミッドウェイ作戦が図上演習によって検討されました。すると惨憺たる敗北の結果が出ました。しかし、作戦に修正が加えられることはありませんでした。図上演習は単なる日程消化に過ぎなかったのです。海軍は、自ら決定した日程の消化に心を奪われ、余裕を失い、肝腎な作戦内容の検討をおろそかにしました。いかに短期決戦主義とはいえ、そこまで急ぐのは本末転倒であったでしょう。

 開戦時の緊張が極めて強かっただけに、連戦連勝による慢心も極端でした。慢心は敵に対する注意を薄れさせました。参謀は敵に向けるべき関心を同僚に向けました。連合艦隊司令部は、アメリカ軍よりもむしろ軍令部を意識しました。軍令部もまたアメリカ軍よりは連合艦隊司令部と競い合いました。そして、ひとたび作戦が成案になると、成案に対する批判に対して極度に防衛的になりました。

 連合艦隊司令長官山本五十六大将が統率力を発揮すべきは、まさにこの時でした。五十六は訓示のたびにアメリカの強大さを訴え、部下将兵に緊張を促します。しかし、勝ちに驕った集団心理に対しては、十分な抑制効果を発揮し得ません。

「山本長官はアメリカを買いかぶりすぎている」

 勝勢の戦闘集団は、訓示くらいでは覚醒しません。日本軍将兵がアメリカ軍の強さを骨髄に沁みて思い知らされるのは、実際に戦場で敗北して後のことです。

 五十六の訓示には威力が欠けていました。その理由の一因は体調不良にありました。この頃、五十六は原因不明の腹痛に悩まされていたのです。

(この大事なときに、なんたることだ)

 五十六は歯噛みしましたが、どうにもなりません。腹痛が起こるたびに精神力で乗り越えようと秘かに奮闘しました。腹痛のことは誰にも悟られまいとしました。大作戦を目前にして司令長官が腹痛に悩んでいるなどと噂が広まれば、士気に影響します。五十六は気力をふりしぼります。

 この時代の日本人はともかく我慢強いものでした。気安く医者にかかろうなどとは思いません。麻酔薬が切れていれば、軍医は「歯を食いしばれ」と患者に言い聞かせて盲腸の手術をしました。何よりもまずは辛抱です。

 不吉なことながら、時を同じくして真珠湾作戦の功労者たる淵田美津雄中佐と源田実中佐も病に伏していました。淵田中佐は虫垂炎、源田中佐は肺炎による高熱でした。


 南雲忠一中将率いる機動部隊は、五月二十七日に出撃しました。南雲司令部の幕僚はミッドウェイ作戦について不得要領の感を持っています。最初、軍令部で説明を聞かされたとき、ミッドウェイ島攻略を支援せよと言われました。次に連合艦隊司令部で再び説明を受けると、敵機動部隊の撃滅が目的だと言われました。同じ作戦を説明されているのに、力点の置き方が違います。言われる方は戸惑わざるを得ません。それでも前途に不安はありませんでした。

「戦うのは俺たちだ。俺たちが現場で絵を描いていくしかない」

 問題は、どのように絵を描くかです。航空母艦の運用には原則がありました。敵の陸上基地を攻撃する場合には空母を集中運用します。集中運用によって攻撃機を集中させ、敵に対する打撃力を最大化するのです。

 一方、敵機動部隊と洋上対決する場合には空母を分散運用します。航空戦隊を個別に運動させ、相互に百カイリ以上の距離を維持します。これは敵の攻撃を分散させるためです。航空母艦は、強大な攻撃力を持つ一方、防御力は脆弱です。飛行甲板に爆弾を一発でも喰えば、艦上機の発着艦ができなくなります。だから空母戦隊を分散運用し、たとえ一隊が攻撃を受けても、別の一隊が反撃にまわれるようにするのです。

 ミッドウェイ作戦が黒島参謀の筋書きどおりに進むのなら問題はありません。ミッドウェイ島攻略のために空母を集中運用し、しかる後、敵機動部隊と洋上決戦するために分散運用に転換すれば良いのです。問題は、こちらの注文どおりに敵が動くとは限らないことでした。事と次第によっては、陸上と海上から同時攻撃を受けるかもしれません。その場合、空母の運用は困難をきわめると予想されました。

「艦上機の半数を艦船攻撃用に待機させておけ」

 連合艦隊の黒島先任参謀は執拗に繰り返しましたが、実戦部隊にしてみれば、これほど現実離れした指示はありません。戦闘場裡において戦力の半分を温存するなど、非合理的でさえあります。まるで片腕でボクシングをしろと命ずるようなものです。戦力は、使うべきときには使わなければなりません。

 実のところ、黒島参謀自身も相矛盾した想定に悩まされていました。「敵は出てこないかもしれない」と心配する一方、「敵艦隊が不意に出現したらどうする」と悩みました。このため黒島参謀は、南雲司令部に対して事細かな注文を言わずにいられませんでした。南雲司令部にしてみれば、ああしろ、こうしろ、と様々に注文をつけられ、「いったい全体どうすりゃいいんだ?」ということになります。作戦と実戦との間には深い溝があるというしかありません。


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