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世紀のプロパガンダ

 十二月八日未明、柱島に停泊する旗艦「長門」の作戦室に連合艦隊司令部の全幕僚が集まっていました。作戦室の壁という壁には大小様々な海図が貼られています。中央大机の上にも海図が幾枚か置かれており、それぞれの地図には各方面へ向かった部隊の航路が記入されています。脇机には作戦命令綴りと電報綴りが置かれています。作戦はすでに進行しつつあり、司令部はただ結果を待つばかりになっています。参謀にとっては束の間の閑暇です。しかし、神経はいっこうに休まらないし、夜も眠れません。何しろ、伸るか反るかの奇襲作戦の結果が出ようとしているのです。緊迫した空気の中で時が流れます。まもなくハワイ攻撃が始まるであろうという午前三時頃、五十六は藤井茂渉外参謀に話しかけました。

「野村大使の書簡は間に合うんだろうな」

「はい、大丈夫だと思います。外務省はもちろん関係機関と何度も打ち合わせてあります」

 五十六はよほど気になるらしく、しばらくして再び同じ質問をしました。藤井参謀は同じ返答をしました。それで納得したのかどうか、五十六は大机の正面に坐り、眼を閉じたまま動かなくなりました。沈黙を破ったのは司令部付通信士の若々しい声です。

「当直参謀、ト連送です」

 作戦室内の空気が動きはじめます。しばらくすると「トラトラトラ」が受信されました。真珠湾奇襲成功の暗号です。数時間後、南雲機動部隊から戦果の報告が入ってきました。


  轟沈 主力艦二隻

  大破 主力艦四隻、巡洋艦四隻


挿絵(By みてみん)


 アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えたことは間違いないようです。真珠湾奇襲は昼間攻撃でしたから戦果の目視が可能でしたし、写真も撮影しています。報告は信頼に足るものです。敵艦船のほかにも航空機およそ三百機を撃破し、港湾や飛行場の諸施設に損害を与えたとの報告が入りました。連合艦隊司令部の空気は高揚しました。南雲機動部隊は、「その勢力を減殺するに努め」という大海令を充分に達成したと言えます。作戦室の誰もが喜びの感情にひたるなか、五十六だけは喜ぶ様子を見せず、藤井参謀に再び問い質しました。

「開戦の通告はきっと攻撃前に届いたのだろうな」

 これで三度目です。藤井参謀は返答に困り、やむなく「大丈夫です」とだけ返事をしました。


 攻撃機隊を収容した南雲機動部隊は進路を北にとり、ハワイ海域からの離脱を開始しました。これは作戦どおりの行動であって、連合艦隊司令部内に批判の声はありません。ただひとり三和義勇(よしたけ)作戦参謀だけが声をあげました。

「南雲部隊が第二次攻撃をかけたらいいんだがなあ」

 敵に打撃を与えた後に追撃して戦火を拡大するのは戦術の常道です。とはいえ、三和参謀の提案に賛同する声はありません。やや間をおいて応じたのは五十六です。

「南雲はまっすぐに帰る」

 五十六のこの言葉は、皮肉でも何でもありません。機動部隊の既定の作戦行動なのです。南雲機動部隊は多忙です。この後、ウエーク島やグアム島のアメリカ軍基地を攻撃し、さらに南下してニューブリテン島に至り、オーストラリア北部の要地に空襲を加え、さらに転進してインド洋へと向かわねばなりません。

(それは、そうだが)

 それでもなお三和参謀は、真珠湾への第二次攻撃を実施すべきだと考えました。そうであるなら一刻も早く連合艦隊司令部から命令を出さねばなりません。

(千載一遇のこの好機にもう一押しして良いはずだ)

 三和参謀は、命令電文案を作成して連合艦隊司令長官に決裁を求めました。しかし、五十六はこれを却下しました。

「そこまでやれれば満点だが、我々には味方の被害や現地の状況が詳しくわからない。ここは機動部隊指揮官の判断に任せるべきだ。やれるものなら言われなくてもやるさ」

 常識的判断といえるでしょう。広島湾の戦艦「長門」作戦室内では現地の詳細な状況などわかるはずがありません。

「出港用意」

 戦艦「長門」艦長の矢野英雄大佐が号令しました。「長門」艦内は急に慌ただしくなります。開戦劈頭における主力部隊の任務は「機動部隊の引き揚げを掩護す」でした。南雲部隊の奇襲攻撃は成功しましたが、敵空母は所在不明です。不測の遭遇戦が起こらないとも限らないのです。五十六の直率する主力部隊は八日正午に柱島から出港します。

「長官、艦隊出撃でございます」

 先導する従兵長とともに五十六は艦橋エレベータに乗りました。艦橋に登ると主力部隊の各艦が既に動き始めています。その出港を五十六が陣頭指揮します。とはいえ、ただ見ているだけです。すべては手順どおり組織的に進められていきます。航海科の士官兵卒は訓練どおり、艦隊を順次出港させていきます。

 従兵長は、常に司令長官の身辺に付き添うのが任務です。戦艦「長門」の艦橋から艦隊の出撃風景を眺められるというのは一種の役得です。戦艦八隻、重巡四隻、軽巡四隻、駆逐艦三十二隻、空母二隻からなる主力部隊の出撃は、若い従兵長を興奮させるに充分です。

(アメリカなど鎧袖一触だ)

 一方、作戦室の参謀たちはそれほど無邪気ではいられません。常に考え続けています。作戦室内の議論は戦果の確認から次の論点へと移ります。

「主力部隊によるハワイ攻撃は是か非か」

 南雲機動部隊が大損害を与えたハワイ真珠湾に対して、この主力部隊をもって再攻撃をかけるべきか否か。南雲艦隊からの報告によればアメリカ太平洋艦隊の主力はほぼ壊滅し、陸上基地の航空機もほぼ全滅しています。そうであれば、思いきって戦艦部隊を真珠湾に突撃させ、艦砲射撃によって残存艦や陸上施設を破壊するべきではないか。意見は二分しました。宇垣参謀長は突入を主張しましたが、黒島先任参謀は反対しました。

「敵空母二隻はハワイ近海にいるはずだ。所在不明だが、今ごろハワイに急行しているに違いない。下手に近づけば餌食になる」

「空母なら我が主力部隊にもある。敵は、戦艦も航空機も南雲部隊の攻撃で撃破されたばかりだ。わが方が有利ではないか」

 激論はいつ果てるともなく続きます。参謀には命令権も決定権もありません。このことが重要でした。責任のない自由な立場にあって思いきった作戦案を工夫するのです。決断し、命令するのはあくまでも司令長官です。

「やめよう」

 作戦室に戻った五十六の一言で議論はやみました。やがて南雲部隊の無事な帰投を確認した主力部隊は、小笠原諸島の手前で進路を反転し、帰途につきました。


 後世、真珠湾奇襲攻撃に対する批判が少なくありません。なぜ攻撃を反覆して戦果を拡大しなかったか、というのです。

「それは、やらない者が言うことですね」

 戦後、雑誌の取材に答えて一笑に付したのは南雲部隊の航空参謀だった源田実です。そのとおりでしょう。そもそも実現不可能と思われた奇襲作戦を、ほぼ一年足らずの準備と訓練でやり遂げたのです。それだけでも十分な偉業でした。

 後世の批判はともかく、真珠湾作戦の戦果は大きいものでした。情報を総合すると、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊をほぼ壊滅させたとみてよいのです。立場を入れ替えて、これだけの大損害を日本海軍が開戦初日にこうむったらどうでしょう。戦艦「長門」、「陸奥」、「比叡」、「霧島」が沈められ、基地航空部隊の三百機が撃破されたら、その衝撃は量り知れません。それを思えば真珠湾奇襲の戦果は十分に満足しうるものでした。


 小笠原諸島からの帰路、五十六は藤井渉外参謀をわざわざ長官私室に呼びました。

「藤井参謀、しつこくてすまんが、気になるのでな。最後通牒を手交する時間と攻撃実施の時間差を三十分にしていたというが、外務省の手はずは大丈夫だったろうね。こんなことを言うのは、この奇襲攻撃がだまし討ちになっては日本の名誉にかかわるからだ。陛下に対しても、国民に対しても申し訳ない。国際法にかなってさえいれば、これは立派な奇襲であり、油断していた敵の落ち度である。このことはぜひ確認したいから、気に止めておいてくれたまえ」

 同じ事柄を一日に四度まで質問された藤井渉外参謀は、五十六の細心に驚く思いでした。


 ハワイ作戦は成功しました。アメリカ太平洋艦隊の根拠地ハワイを奇襲したことにより多大な減殺効果をあげることができました。南方作戦を順調に進めるための必要条件がひとつ満たされたのです。

 南方作戦を進めるためのもうひとつの懸案はイギリス東洋艦隊です。シンガポールを根拠地とするイギリス東洋艦隊が縦横無尽に暴れ回ったら、南方作戦などやってはいられません。この課題は、ハワイ奇襲成功の二日後、海軍基地航空部隊によって達成されます。十二月十日、イギリス東洋艦隊の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋艦「レパルス」を撃沈したのです。南仏印サイゴンに拠点をおく第二十二航空戦隊の武功です。この結果、イギリス東洋艦隊はインド洋ベンガル湾まで退かざるを得なくなりました。米英の海上戦力に大打撃を与えたことで南方資源地帯の制海権は日本軍の手中に落ちました。さらに台湾に根拠地をおく海軍基地航空隊はフィリピンのクラーク空軍基地に大打撃を与えました。ここまでやってはじめて南方作戦を進める条件が整ったのです。

 連合艦隊の緒戦の大戦果は、空母部隊と基地航空部隊によってもたらされました。いずれも五十六が錬成してきた部隊です。十年がかりの大仕事が実を結んだといってよく、五十六には少なからぬ感慨がありました。

(間違っていなかった)

 戦術的には大成功です。しかし、楽観はできません。作戦は成功しましたが、日本の不利な戦略環境を好転させるほどの戦果ではありません。アメリカ軍は必ず立て直してきます。その戦力を次々と撃破してゆかねば戦争の勝利にはたどりつけないのです。


挿絵(By みてみん)


「最後通牒は時間どおりに伝達されたのか」

 五十六からしつこく念を押された藤井茂渉外参謀は、内地帰投後に上京し、宣戦布告の通告について情報を収集しました。結果、驚くべき事実が判明しました。ワシントンにおける宣戦布告の手交が予定より遅れたらしいのです。そのため宣戦布告より早く真珠湾攻撃が開始されてしまいました。アメリカのラジオ放送が頻りにこの事実を報じ、日本を非難しているというのです。

「いったい何があったのか」

 藤井参謀は軍令部で質しましたが、誰も答えられません。外務省に問い合わせましたが、やはりわからないといいます。在米の外交官はすでにアメリカ政府の監視下に置かれていて連絡がとれないのです。野村大使らの帰国を待って聞き質してみなければ真相は不明です。

(山本長官の御懸念が的中してしまった)

 緒戦の大戦果に活気づく連合艦隊司令部にあって藤井参謀のみは悪い報告をせねばなりませんでした。重い気分を奮い起こして藤井参謀は確認し得た状況を包み隠さず報告しました。

「ご苦労だった」

 五十六は藤井参謀にねぎらいの言葉をかけましたが、表情は曇りました。無念です。五十六が苦心して練り上げ、実施したハワイ作戦は、宣戦布告の遅延という味方の不手際によって卑怯な騙し討ちという汚名をこうむり、アメリカ側に絶好の大義名分を与えてしまいました。少なくともアメリカ政府はそのように声明し、アメリカのラジオ放送が盛んに日本非難をくり返しています。もし、これがアメリカの謀略報道ならば、日本政府は反対声明を出して対抗するはずです。ところが、大本営も外務省も沈黙しています。

(いったい何があったのか)

 足をすくわれるような思いです。五十六は自戒の言葉を思い出し、心の興奮を静めようとしました。


  苦しいこともあるだろう

  云い度いこともあるだろう

  不満なこともあるだろう

  腹の立つこともあるだろう

  泣き度いこともあるたろう

  これらをじつとこらえてゆくのが 男の修行である

 

 五十六は、人から揮毫を依頼されると「男の修行」と題するこの短文を書きました。この文章が直截に表現しているのは、ほかならぬ五十六自身の姿でした。忍耐と奮闘とは、一つの心情の裏表なのかもしれません。これまでも五十六は忍耐してきました。三国同盟反対論、対米戦争反対論、航空主兵論、ハワイ空襲論など、周囲の無理解のなか、忍耐しながら任務に邁進してきました。そして、ついに緒戦の作戦を成功させたと思ったところでした。そこへ、宣戦布告の遅延という実に意外なアメリカ政府の声明です。アメリカのラジオは「卑怯な騙し討ち」と言い放っています。男の修行とはいえ、なんと多難なことでしょう。

 十二月二十三日、ハワイ作戦を終えた南雲機動部隊が内地に一時帰投しました。大戦果をあげたばかりの南雲部隊に対する五十六の訓示は、いつにも増して厳しいものとなりました。

「真の(いく)さはこれからである。この度の奇襲の一戦に驕るようでは本当の強兵とは言えない。勝って兜の緒を締めよ、とはまさに今この時のことである。諸士は決して凱旋したのではない。次の(いく)さに備えるため一時帰投しただけである。今後いっそうの戒心を望む」

 

 フランクリン・ルーズベルト大統領にとって最大の頭痛のタネは、ドイツ軍でも日本軍でもなく、足元のアメリカ世論でした。アメリカ国内では参戦反対の世論が根強かったのです。そもそも欧州やアジアの戦争にアメリカが介入する理由はまったくありません。海外情勢に疎い一般のアメリカ国民は、参戦すべきではないという常識的な世論を形成していました。この世論に迎合するためルーズベルトは参戦反対を大統領選挙の公約に掲げました。しかし、当選後は、この公約が邪魔となりました。

(いかにして世論を開戦へと誘導するか)

 それがルーズベルト大統領の最大の政治懸案だったのです。これさえクリアできればアメリカ合衆国の巨大な国力を戦争に全面投入できます。英仏蘭支ソを支援し、ドイツを叩き、日本を屈服させることは十分に計算できています。ただ、国内世論と連邦議会の反戦世論だけが壁でした。アメリカ世論を参戦へと導くのに最も都合の良い状況は、ドイツ軍か日本軍に初弾を撃たせることです。

「やられたから、やり返す」

 これほど説得力のある参戦の理由はありません。この口実さえあればアメリカ国民とアメリカ連邦議会を参戦に向かわせることができます。ルーズベルト大統領は陰謀を用意しました。

 アメリカ軍は、その高度な暗号解読能力によって日本の対米開戦を察知していました。日本陸軍の暗号だけは終戦まで解読できなかったものの、日本の海軍と外務省の暗号は早くから解読できていました。だから、南雲機動部隊の動向を知っていました。南雲部隊が単冠湾を出港すると、ルーズベルト大統領は奇妙な命令を発しました。

「アメリカ国籍船舶による北太平洋航路の利用を禁止する」

 まるで南雲部隊の行動を支援するかのような配慮です。アメリカは、南雲部隊が定期的に発する日本への通信を傍受し、その航跡を正確に把握していました。「ニイタカヤマノボレ一二○八」の電文も傍受し、その意味を正確に解読しました。この重大情報は、しかし、アメリカ太平洋艦隊司令長官キンメル大将およびアメリカ陸軍ハワイ部隊司令官ショート中将には伝えられませんでした。ルーズベルト大統領は、日本海軍をしてハワイ空襲を実施させ、その被害の責任をキンメル大将とショート中将に転嫁し、そのうえでアメリカ国民に「ジャップにやられたから、やり返す」と訴えかけ、参戦への世論を醸成しようと考えたのです。実に壮大な対国民プロパガンダです。

 真珠湾が攻撃された翌日、ルーズベルト大統領は連邦議会で演説し、アメリカ国民をみごとに騙します。アメリカ政府が日本政府に対してハル・ノートという最後通牒を突きつけた事実を隠し、日米通商航海条約をアメリカ政府が一方的に破棄した事実を隠し、対日経済封鎖の事実を隠し、日米関係が良好だったにもかかわらず突如として日本軍にハワイ真珠湾を奇襲されたと演説しました。大きな嘘ほど通用すると言いますが、ルーズベルト大統領の大嘘はアメリカ国民と連邦議会を見事にだまし、いまなお世界をだましつづけています。

 ハワイ防衛の責任者だったキンメル大将とショート中将は更迭され、その責任を追求される身となりました。ルーズベルト大統領は残酷です。世論を参戦へ導くためにふたりの軍司令官とおよそ二千名の将兵を犠牲にしたのです。アラモ砦を見殺しにして参戦の口実にした前例と同じです。そして、「リメンバー・パール・ハーバー」を叫ばせたのです。


 日本の外務省にも落ち度がありました。ハル・ノートと呼ばれる覚書の内容に衝撃を受けた日本政府は、対米開戦の決意を固めます。東郷茂徳外相は、宣戦布告を政府声明ではなく、覚書の形式で発することにしました。ハル・ノートが覚書だったからです。実は、これこそアメリカ側の陰謀でした。

 覚書メモランダム政府声明ステイトメントでは外交文書としての重みがまったく違います。ハル・ノートは覚書でした。ハル・ノートという覚書を実質的な最後通牒だと認識した東郷茂徳外相は、日本側からする最後通牒も覚書の形式で返すべきだと判断しました。やられたことをやりかえそうとしたのです。東郷外相はまんまとアメリカ側の挑発に乗ってしまったといえます。

 対米覚書は四千字あまりの長文でした。東郷外相は時間的な余裕を見て対米覚書をワシントンの日本大使館へ電送しました。大使館職員は暗号解読とタイプ清書を遅滞なく行い、対米覚書を野村吉三郎大使に手渡しました。指定された手交時間までには充分な時間がありました。野村大使は対米覚書を通読しました。にもかかわらず、野村大使には日本政府の開戦意図が読み取れませんでした。野村はもともと海軍出身であり、必ずしも外交感覚に優れていたとは言えませんでした。

「対米通告は単なる交渉打ち切り通告であり、開戦通告の最後通牒ではなかった」

 これは極東裁判における野村の証言ですが、野村大使は対米覚書が最後通牒であると認識できなかったのです。つまり、本省と大使館とで認識の齟齬が生じていました。対米覚書をもって事実上の最後通牒にするという東郷外相の意図は野村大使に伝わりませんでした。

 さらに失策は重なります。手交時間までに余裕があったので、野村大使は駐在武官新庄健吉大佐の葬儀に出席しました。新庄大佐は三日前に病没していました。葬儀の後、国務省へ行き、ハル国務長官に対米覚書を手交するつもりでした。

 野村大使の予定が狂ったのは、葬儀が長引いたからです。厳粛な雰囲気のなか牧師の感動的な告別の辞が長く続きました。そのうち「日本軍が真珠湾を攻撃中」との驚愕すべき電報が入りました。書記官らは耳打ちして野村大使に事実を伝えます。ですが、野村大使は葬儀の雰囲気を壊しては申し訳ないと遠慮し、牧師の説教が終わるのを待ちました。対米覚書の重要性を認識していなかったからです。これに日本人的な遠慮が加わっていました。葬儀終了後、野村大使は自動車を飛ばして国務省へ向かいましたが、それでどうなるものでもありません。大失態です。

 戦後、通告が遅れた理由について諸説が紛々としていますが、真相はこんなことであったようです。野村大使が対米覚書をハル国務長官に手交したのは、真珠湾に第一弾が投下されて一時間の後でした。ハル国務長官は野村大使の来訪を待っていました。ハルは、暗号解読によって対米覚書の内容を把握していたし、真珠湾空襲の事実も知っていました。ハル国務長官は野村大使を厳しく叱責し、「出ていけ」と言うかわりに顎をしゃくったのです。

 この日本外交の不手際をルーズベルト大統領は最大限に利用します。まさに願ったり叶ったりの参戦理由を日本側が提供してくれたのです。ルーズベルト大統領は、国家の悲運に立ち向かう英雄的指導者を連邦議会の演壇でハリウッドの名優のごとくに熱演しました。

「昨日、一九四一年十二月七日は不名誉な日として記憶に残るであろう。アメリカ合衆国は、突然にして意図的な日本帝国海空軍の攻撃を受けた。日本の海空軍部隊がアメリカ領オアフ島に爆撃を開始した一時間後、日本の駐米大使は我が国の国務長官に文書を手交した。これは、アメリカの提案に対する日本からの返答だった。その文書は、これ以上の外交交渉の継続を無意味であるとする内容ではあったが、軍事攻撃による戦争への警告もなければ、その示唆さえなかった」

 歴史的な名演技でした。同時に歴史的な大嘘でもあります。ルーズベルトは日本にハル・ノートという最後通牒を突きつけておきながら、その事実を連邦議会とアメリカ国民に隠しました。また日本海軍の空母艦隊がハワイに接近していたことも知っていながらハワイの現地軍に知らせなかったことも隠蔽しました。そのような大嘘を、こともあろうにアメリカ連邦議会でほざいたのです。世紀のプロパガンダといえるでしょう。

 日本側の不手際をルーズベルト大統領はあまさず利用しました。正式な宣戦布告の政府声明ではなく覚書だったこと、手交が時間的に遅滞したことを理由として日本海軍のハワイ奇襲を「卑劣な騙し討ち」と非難したのです。この詐術的演説によりルーズベルト大統領はアメリカの参戦を正当化することに成功しました。ルーズベルト大統領の演説は、アメリカ世論を一気に参戦へと爆走させます。アメリカ国民は誰もが日本に対する敵意に燃え、激昂して参戦に賛同したのです。

 死児の齢を数えるように虚しいことながら、もし、東郷外相が政府声明の形式で短文の最後通牒をワシントンに打電していたら、いかに外交音痴の野村大使といえども、その内容の重大性を理解し、時間を厳守して最後通牒を手交していたに違いありません。そうなっていたら、むしろ苦境に陥ったのはルーズベルト大統領だったはずです。キンメル大将とショート中将をスケープゴートにし、その責任を厳しく問うたとしても、非難の矛先がルーズベルト大統領に向かわない保証はありません。なんといっても大統領こそがアメリカ軍の最高指揮官なのです。つまり、日本軍に初弾を撃たせるという陰謀は、ルーズベルト大統領にとっても一か八かの大博打だったわけです。

 そのルーズベルト大統領の窮地を、こともあろうに日本外交が救ってしまいました。まるでルーズベルト大統領の注文どおりであるかのように、駐米大使野村吉三郎は一時間遅れで対米覚書をハル国務長官に手交しました。ハル長官は激昂して野村大使を問責してみせましたが、内心では快哉を叫んでいたに違いありません。

(ジャップめ、罠にかかった。ハル・ノートの挑発にのって最後通牒を覚書で出しやがった。しかも一時間遅れで。もはやキンメルもショートも必要ない。日本が自分から生贄になってくれた)

 おかげでアメリカ政府は、真珠湾における大損害の責任をすべて日本に転嫁することができました。「卑怯な騙し討ち」というアメリカ側のプロパガンダに対して日本の外務省は反論ができませんでした。その理由は、野村吉三郎大使の帰国を待たなければ正確な事実を確認できなかったからです。そして、野村大使の帰国後に事の真相を知らされてからは、余計に沈黙を守ることになりました。明らかに日本大使館側の落ち度だったからです。

 東郷茂徳外相は、最後通牒の発出に際し、念のため政府声明ステイトメントの文案も用意しました。

「・・・日本としては自衛の手段に訴えることを余儀なくされるに至ったので、今や日米両国の間に戦争状態が存在することを閣下に通告いたします・・・」

 わずか三百五十字の短い政府声明文を使っていたなら、外務省とワシントン大使館は意思を共有でき、野村大使は葬儀への出席をとりやめて手交時間を厳守したでしょう。要するに、海軍に落ち度はなかったのです。すべては外務省の不手際でした。

 ルーズベルト大統領は連邦議会で演説し、十二月七日を「恥辱の日」と呼び、国民に参戦を訴え、アメリカ国民の全面的賛同を得ることに成功しました。唯一、ルーズベルト大統領にとって想定外だったことは、真珠湾の損害が予想外に大きかったことです。

「本日、日本軍は真珠湾を攻撃した。わが戦艦群に多少の被害あり。我が軍は直ちに反撃、日本の空母一隻を撃沈し、なお追撃中」

 これがアメリカ軍の当初の発表です。どこの国の軍隊も負けたときには虚偽の発表をするもののようです。しかしながら損害の多寡などルーズベルト大統領にとっては些事に過ぎません。

 結果として、五十六が精魂を傾け、空母機動部隊が渾身を込めて実施したハワイ作戦は、外務省の失態によってルーズベルト大統領への最良のプレゼントと化してしまいました。アメリカ太平洋艦隊の犠牲と引き換えにアメリカ大統領が得たものは、参戦への格好の大義名分と、参戦すべしというアメリカ国民の圧倒的世論と、巨大なアメリカの国力を戦争に総動員できる国内態勢です。そして、これこそルーズベルト大統領が心底から欲していた状況です。

「リメンバー・バール・ハーバー」

 そう訴えるだけで参戦を正当化できました。その政治的効果は絶大です。誠実に嘘をつくのが政治だというなら、ルーズベルト大統領はまさに政治家でした。あとは軍事力によって日本とドイツを屈服させ、正義の名において容赦なく侵略すればよいのです。

 「卑怯な騙し討ち」と主張するアメリカ政府に対して日本政府は反論をしませんでした。このあたり、今も昔も日本は世界最劣等の訥弁国家です。そして、戦後八十年以上が経過した今もなお、対米覚書の手交が遅滞した理由について外務省は明らかにしていません。

「対米覚書伝達が遅延したことについては申し開きの余地がない」

 外務省は、その過失を認めてはいますが、その原因についてはいっさい説明していないのです。


 五十六は、事実を知らされぬまま連合艦隊の指揮をとり続けるしかありませんでした。全将兵も全国民も知らされぬままでした。真珠湾作戦によって日本海軍は最大限の戦術的効果を挙げ、南方作戦の成功を確実にしました。一方、ルーズベルト大統領は、日本外務省の不手際を狡猾に利用して、真珠湾の大損害を補ってあまりある政略的効果を手中にしました。


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