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前編

挿絵(By みてみん)


「親父さんて、一体いくつなんだ」

鬼が、縁側に寝転んだまま聞いてきた。

彼は、時たま素朴な疑問を投げ掛けてくる。

手にした書物を読む手を休めて、天狗は問いに問いで返す。

「どうした、いきなり」

(あいつ)の話を聞いていたら気になって」

そう言いながら屋敷の奥を見る。

鬼と狐の末姫が所帯を持ってからは、天狗のところにやって来るのも大抵2人一緒である。

狐と烏天狗は元々見知った仲だったので、打ち解けるのも早く、今も奥から明るい話し声が聞こえてくる。


「狐の(おさ)って、百年以上生きてるらしいって本当か?」

ああ、と天狗は答えた。

はっきりとした年齢は定かではないが、尾が複数ある狐は寿命も長いと聞く。というより、普通の動物や然程(さほど)力の無い者たちは、当たり前だが長の寿命が全うされたのを見たことがないので、長命だろうと、親やその更に親の代から半ば昔話のように伝え聞いているだけだが。

「そうらしい。俺も本性は見たことがないからわからん」

お前は見たのか?と天狗に聞かれ、鬼も首を横に振る。

「いや、ないんだけどさ。長と昔からの知り合いっていうお前の親父さんも、そのくらいなのかと思って」

その言葉を聞いた天狗は、顎に手をやり自分の父親の顔を思い返す。

「さすがにそこまでの年齢では無いかな…母さんはあれだしなあ」

大天狗は、見た目は人間で言うと50歳前後だろうか。目尻や口元に適度な皺は刻まれているが、老いは感じさせず貫禄(かんろく)(かも)し出している。


白い羽と同じように髪は白く、後ろで一つに束ねられている。老いた人間には顕著(けんちょ)に見られる白髪も、大天狗と息子の天狗はこの世に存在したときから既に備えていたのだ。

そして、人間とは異なる特徴を有するものたちは、過ごす時間もまた、人間とは異なるらしい。

ある程度、容姿が大人の様相(ようそう)を成すと、あとは緩やかな時間の中で長い年月を過ごすものも多数いる。

しかし、人間と密接な距離で過ごす彼らは、争いや不意な出来事で命を落とすことも多い。

長命(ちょうめい)と言われる異形のものたちが、天寿(てんじゅ)を全うしたのを見たものもまた、存在しないのだ。

「人間たちは、寿命があるけどな。俺たちはそう言っていいものなのか、よくわからん」

同種とともに山の中で暮らす天狗は、周囲のものがいつの間にか存在し、また消えていく日々を、時には(あらが)い、時には受け入れながら過ごしているのだ。


「おーい」

優雅に、白い羽を畳みながら大天狗が眼前に舞い降りた。

噂をすればなんとやら、だ。

「おお、ちょっとは家長(かちょう)らしくなったか?」

鬼に顔を向けて、大天狗はにやりと笑う。こういうところは親子だなあ、と、自分の父親を見て天狗は苦笑した。

九尾(きゅうび)が、お前によろしくと」

大天狗率いる天狗の眷属(けんぞく)と、九尾の(おさ)が率いる狐の眷属は、昔から付かず離れずの距離を保ち、交わらないが干渉せず、しかしながら互いの危機には密かに助け合う絶妙な関係を築いてきた。

狐と鬼との婚礼が案外すんなり進んだのも、狐たちと旧知の仲である天狗一族が、懇意(こんい)にしている相手だから、という理由が少なからずある。

狐がいる屋敷の方を見て、ちょっと照れたように鬼が頷く。

20年ほど前、他者を寄せ付けない空気をまとっていた異形の幼子(おさなご)が、いま、違う種の者と暮らしている。

天狗の山で一緒に暮らすように(うなが)したとき、言葉がわからないはずの鬼が、(かたく)なに首を横に振った。


はっきりとした拒絶の意志だった。


それ以後大天狗は、息子を連れて鬼のもとへ足を運び、読み書きを教え、意思の疎通と信頼を得た。鬼は、息子が誘えば、天狗の山まで遊びに来るようになった。

鬼は、自分の思いを隠すことなく表す。

それは、一歩間違えれば、他者との反発を生む。

反発の先に待つものは、排除だ。

山にいる限り、異形である限りは、人間と完全にわかりあえることはない。わかりあえない場合、大方(おおかた)は多数が少数を追い詰め、追い詰められた者も、その心根(こころね)を歪めていく。

大天狗は、他者は拒絶するが排除はしないこの鬼の子が、どうかこのまま真っ直ぐに育ってくれるようにと、想いを込め、できる限りのことはしてきた。

「少しは、届いただろうか」

大天狗が目を細める。

いま眼前にある鬼の笑顔に、かつての友の笑顔を重ねていた。




「最近、狐たちが騒がしい」

近隣の山々を巡り、戻ってきた烏天狗が渋面(じゅうめん)を作っている。

あまり嬉しくない報告を聞き、無言で山を見やるのは、大きな白い羽を持つ大天狗である。

やや骨ばった(いか)つい顔に、長い白髪(はくはつ)を一つ結びにしており、見た目は20代後半から30代といったところだが、若年者には無い威厳(いげん)を保っている。

大天狗は、その鋭い目を細め、溜め息をつく。

「狐が原因か、人間か」

「鬼です」

鬼か。

大天狗は、記憶をたどる。鬼の姿形(すがたかたち)一概(いちがい)には言えず、様々だ。

7(しゃく)を超える赤銅色(しゃくどういろ)の体躯に牛の(つの)を備えたもの。また、子供の体に魚のような()かれた目でこちらを見るもの。

大抵は人語(じんご)を理解し、自分が生きるために人や獣を捕らえ、()らう。

「このたびの鬼は」

烏天狗は、狐から見聞きしたことを反芻(はんすう)し、自分にも言い聞かせるようにゆっくりと話す。

「喰らわず、ただひたすらに狐を殺しています」


最初、全身を握りつぶされたかのような子狐の死骸(しがい)が、狐の巣穴近くでぽつりぽつりと見つかったそうだ。

そのうち、親狐すら被害にあっているとの噂が流れてきた。

(まれ)に、ただ快楽のためだけに殺戮(さつりく)を繰り返すものもいるが、そういうものは、人のような喜怒哀楽が分かりやすい生き物を狙う。

狐のような小動物をやたらに(あや)めるとは、何か彼らとの間に確執(かくしつ)でも生じたか。

「それが妙なことに。狐たちはそれほど躍起(やっき)になって鬼を探しているわけではありません」

「なぜだ?」

狐のような群れる一族は、同胞(どうほう)の危機には一丸(いちがん)となり立ち向かうのが(つね)と思っていた。特に、複数の尾を持つような老狐(ろうこ)は、その力で歯向かうものに制裁を加え、力を誇示してきた。

しかし、狐たち自身がこの事態を静観しているという。

「いずれにしても、山を荒らされるのは私たちにとっても好ましくないので」

烏天狗の言葉に、大天狗も頷く。

「探すか。鬼を探し出し、狐殺しを止めさせる」

狐たちにこれ以上被害が拡大し、天狗たちとの均衡が崩れるのは好ましくない。

烏天狗も同意し、自分らの(おさ)に指示を仰ぐ。

「探しだしたあとは、どうしましょう」

大天狗は、ふと考えた。

このたびの騒動の原因である鬼を見つけ出した場合、狐に突き出しそちらに裁きを任せるのが自然の流れだ。

しかし、気まぐれな考えが大天狗の中に沸いた。

「話を、聞いてみようか。鬼と直接話をしてみたい」


それから10日ほどの間は、狐が殺された話は聞かなくなった。

さすがに狐側も警戒を強めたのと、天狗たちが夜な夜な見回りに飛び回っているからだろう。

大天狗の中で、安堵(あんど)と落胆がせめぎあう。

鬼は、どう過ごしているのか。喰うために(あや)めているのではないなら、どうやって生きているのか。人里や天狗から身を隠せるほどの知恵を持つものなのだろうか。

「現れないものを、探せるだろうか…」

好奇心と焦燥感(しょうそうかん)がない()ぜになった気持ちを深呼吸で落ち着かせ、手にしている羽団扇(はうちわ)を見る。

天狗の中でも、使いこなせる者は一握(ひとにぎ)りだ。

ひとあおぎすれば風雨が起き、ふたあおぎで雷雲が立ち込める。

百年ほど前まで、この山は樹木もまばらだったが、天狗たちが恵みの雨を降らせ、それこそ天地を意のままにあやつり、人間からも(あが)められてきた。

同等の力を持つ狐たちとは、時たま争いつつも互いの領分(りょうぶん)に干渉はしない。下手をすれば共倒れになるのを恐れてのことだ。それは、その地に暮らすものたちの生きる(すべ)でもある。

そのような者たちとは異なり、鬼はいつの間にか現れ、いつの間にか去っていく。

羽団扇が起こす風のような、その自由な存在が見聞きしてきたものを知りたい。

羽団扇を握る。

迂闊(うかつ)に使えば我が身をも巻き上げるそれを、大天狗は誰もいない山肌に向けて(あお)いだ。


木々が大きく(しな)った。

そして、何かが滑り落ちていく音。

「…大丈夫か!」

子供の手足のような影が視界の隅をかすめた。それが消えていった斜面を、慌てて駆け降りる。

場所は少し先、家2つ分位の高さから枝を何本も引っかけながら、人影は勢いよく落ちていった。普通なら助からないだろう。

しかし、大天狗がそのまま後を追い、木々を払いながら比較的平らな山の中腹に着地すると、脇の草むらから金色の毛並みをしたものが跳ね起きた。


耳が隠れる位の髪は、狐の毛並みの色だ。光を浴びると、それが金に見える。

鳶色(とびいろ)の、猫のような大きな目で大天狗を見る。背は4尺ほどで、男の子のようだ。

「大丈夫か?」

もう一度聞いた。

少年は、眉間に皺を寄せて首を(かし)げた。言葉の意味がわからないのか、様子を伺うように(たたず)む大天狗を、じっと見つめている。

転げ落ちたときに()りむいたのか、右肩から肘にかけ、血が出ていた。一歩近づいたが、少年は逃げる様子もない。

そっと、大天狗が少年の右手首を取ると、腕が力なく揺れた。

骨が外れている。

大人でも痛みに顔を歪めるだろう。ましてや子供なら、という怪我だが、少年は顔色一つ変えない。

大天狗がそっと腕を離すと、少年は軽く肩を揺らした。外れている事実だけを確認したらしい。

「聞こえるか?」

耳を指しながら言うと、頷いた。

「聞こえてる」

明確な答えだ。高い声は、子供そのもの。どうやら言葉は理解し、会話もできそうだ。

「なんで俺に話しかけるの」

訝しげな顔で、少年は大天狗に問う。

先程大天狗が「大丈夫か」と聞いた際に首を傾げたのは、言葉がわからないのでも怪我をしていないという意味でもなく、自分に声を掛ける者がいること自体に、疑問を抱いたからのようだ。

「なんで、とは…」

大天狗は、口ごもった。どう答えたら良いものか。

誤魔化(ごまか)すように、言葉を繋いだ。

「それよりお前、1人なのか?」

うん、と頷く。

「名前は?」

一瞬考えるように空を仰ぎ、短く答える。

「鬼」

やはり。

このような山奥に子供が1人でいること自体、尋常ではない。

しかし、自ら鬼と名乗るとは。普通は他者から呼ばれない限りは、自らが何者かなど認識しない。

大天狗の中で沸く疑問に答えるように、少年はそのまま話し続ける。

「村の大人は、ずっとおれを鬼って呼んでたよ」

「村?」

どこぞの村に迷いこんで暮らしていたのか。

「鬼の子だからこんな「なり」で生まれたんだって。鬼の子だから捨てるんだって」

よどみない喋りだ。大天狗は聞き間違いかと思った。

生まれた、と少年は言った。

親は村人の誰かというなら、人から生まれた鬼なのか。

そして、見かけ通りの年齢だとしたら、この子はいったい、いつ捨てられて、いつからここに暮らしているというのか。


「でもさ、この髪、狐みたいだろう」

大天狗の困惑をよそに、少年はちょっと嬉しそうに、自分の髪を無造作に()でる。

「だから、おれは鬼じゃなくて狐の仲間だと思うんだ。だけど、狐はおれが触るとすぐ動かなくなるんだ。狐たちがするように、こう」

そう言って、腕で何かを抱く真似をする。

「おれがこうすると、すぐ動かなくなっちゃうんだ。大きいやつなら大丈夫かと思ったけど、だめだった」

親子や兄弟が当たり前にするような、抱擁のしぐさ。

大天狗は、目の前の少年を改めて見た。

鬼が現れたらしいということ。狐の死骸が増えたこと。それは喰うためではないだろうということ。

狐たちは、鬼を探していない。天狗は、そうか、と思った。

自然と、太い腕を少年に伸ばしていた。そして、小さな鬼の子を優しく抱き寄せる。

はるか頭上に(からす)たちの鳴き声が響く。

この(たび)の捜索を命じたのは自分だが、烏や烏天狗の視線から隠すように、世の理不尽からも隠すように、鬼と名乗る少年を抱き締めた。

少年は、片腕をだらりと下げたまま戸惑っているようだったが、そのまま大天狗に体を預ける。

へへ、と照れたような笑い声が聞こえた。




ひとまず鬼の捜索は中止、とした。

烏天狗たちの中には不服そうな者もいたが、実際に狐の被害は無くなっているのだから、無理矢理探す理由もない。

なにより、無用に山の均衡(きんこう)()き乱すことになるのは、天狗たちにも狐たちにとっても本意ではなかった。


「何もないにこしたことは無いがな」

狐の(おさ)の声が響いた。

天狗の山と狐が住む山は、中腹の沼を超えたあたりで行き来ができる。

沼べりで釣竿を垂れる大天狗に向けて、どこからともなく低い声が語りかけており、それは四方の山にこだました。

「そうですねえ。かれこれ20日は話を聞かなくなりましたからね」

太公望のように何も釣れない沼を見ながら、大天狗はのんびりと答えた。

天狗達が山に分け入ってから10日、大天狗が鬼と名乗る少年を見つけてから10日。合わせて20日、鬼は山には現れていないことになっていた。

「もとより、狐達も鬼には敵愾心(てきがいしん)は抱いていない。奴が今後狐に危害を加えぬなら、私たちも不問(ふもん)()そうと思う」

「さすが、九尾(きゅうび)どのは(ふところ)が広い」

大天狗はわざとらしく言う。ところで、と更に声が響いた。

「鬼の子は、あちらの山にいるみたいだな」

「どの山ですか?」

「西の山だ」

「へえ」

狐と狸ならぬ、狐と天狗の化かしあいのようだ。

一旦、会話が途切れた。

「ところで、鬼子の出自(しゅつじ)がわかったぞ」

水面が乱れる。

大天狗の持つ竿が、揺れたのである。

「安心しろ、不問に付すと言っただろう。居場所がわかったからと攻め入ったりはしない。しかしお前もまだ若いな」

ははあ、と大天狗も、ばつが悪そうな顔をする。

「で」

「で。なんだ」

とぼけたような声だ。

「意地悪しないでくださいよ。鬼の子がどこから来たかと」

まあまあ、と()()したあと、その前に聞きたい、と(おさ)は語気を強めた。

「お前はあの子をどうする気だ?」

単刀直入だ。

「どうするとは…」

(かくま)っているのはわかっている。しかし、鬼だ。今後どう育っていくのか、我々では()(はか)れない」

そうだ。

今でもあの通り、狐くらいなら潰してしまうくらい人間離れをした力だ。

しかし、人ではない自分なら。

「…私が育てます」

(あさ)はかかもしれない。しかし、放ってもおけない。

せめて、どこから来たのかくらいわかれば、どうにか今後の道しるべになるかもしれないと思った。


狐の(おさ)は、大天狗の次の言葉を待ったが、しばらく沈黙が続いたので自ら口を開いた。

「あの子は、人から生まれた子だ」

それは、鬼の子が自分でも言っていた。

「ーー山のふもとの、川沿いの集落で生まれた。両親は普通の人間だ」

川の近くは、人が住むには良し悪しが二分する。

そのため、集落の人数はそれほど多くなかった。集団を形作るものが多すぎても少なすぎても、人々の間には(ひず)みが生じやすい。

「6、7年ほど前に、村一番の器量よしの娘が結婚した。相手は行商で村にたまたま立ち寄った青年。これまたかなりの色男だったらしい」

娘が惚れ、請うて夫婦になった。夫は行商でたまに家を空けるにしろ、2人揃ったときには仲睦(なかむつ)まじい姿が見られたそうだ。


そのうちに、娘が身籠(みごも)っているのがわかった。


夫が行商で不在のときに娘は出産したが、赤子の髪色は獣のような金色。しかも、生まれた時から他の赤子よりかなり大きく、産声も太い。そのせいか、娘は産後の肥立(ひだ)ちが思わしくなく、抱き上げる力も無く床に伏してしまう。仕方無しに、親や集落のものに赤子を育ててもらうよう懇願した。


しかし赤子は、鬼の子と呼ばれた。

そして、鬼の子は捨てろ、と。

それでも、娘にとっては可愛い我が子だ。せめて夫が帰ってくるまで、と2年、自分の親がしぶしぶ食べ物を分けてくれるのを有り難く頂き、なんとか暮らしていたが、夫はいまだ帰ってこない。

さらに1年ほど経ち、娘の子はその容姿のまま成長した。

言葉も覚え、大人には奇妙な目で見られながらも、周囲の子供は、好奇心からか接してくるものも多い。取り立てて何か起こるわけでも無しに、鬼がもたらす災厄を案ずる古老の意見も、立ち消えていた。

娘はすでに病床から起き上がることも困難になったが、子供はたくましく、普通の子供のように育っていくかに思えたのがせめてもの救いであった。


しかしある日のこと。

鬼の子が、村の子の腕を握りつぶした、と、伏せている娘のもとに飛び込んで来たものがあった。

あれほどの怪力は、村では見たことがない。

やはり鬼の子だ。

今すぐ山に捨てろ。

反論する間もなく、鬼子は大人数人により縛られ、籠に入れられ、山に捨て置かれた。

それが、3年ほど前だ。

大天狗は、狐の(おさ)が話す間、相づちも打たずひたすら耳を傾けていた。

「…それは。それだけであの子は鬼だと?」

「確かに、人間には理解しがたい怪力ではある」

それに、と(おさ)は続ける。

「人のあいだでは、口減(くちべ)らしは珍しくない。7つまでに捨てられる子は普通にいる。ただ、そのあとまで生きていること自体が珍しいのは、お前も知っているだろう」

大天狗も、これに頷く。

3年の間どう生きていたかはわからない。

しかし、山で生き延びる事ができたことが、すでに鬼である(あかし)ではないか、とも、狐の(おさ)が言った。

「母親は」

大天狗の問いに、(おさ)は静かに答えた。

「そのあと、すぐ亡くなった」


沼では魚は捕れないが、西の山に向かう谷から、一筋の川が流れている。

そこで魚を捕ってから、鬼と呼ばれた少年が待つ小屋に向かった。

少年は、大天狗の顔を見ると無邪気に笑った。

魚を指で器用にさばき、枝に刺して囲炉裏(いろり)であぶる。

教えようとして、すでに少年が一通りのことができることに、大天狗は驚いた。

「焼けたよ」

嬉しそうに言う。

5、6歳の子供らしい笑顔だ。

てきぱきと(ゆう)げの支度をする少年の右腕に、不自由さは感じられない。

「もう、治ったのか」

うん、と短く答えた。

「いつもそうだ。血が出ても、すぐ治る。大天狗は痛くないかと言ったけど、痛いっていうのもわからない」

こういうのが、鬼ってことなんだろう?

そう続けた。

正直、大天狗はどう答えたら良いかわからない。

答えられるほど、鬼というものも、目の前の少年のこともよく知らない。

しかし、7つまでは人ではない、と山に返されていたなら、これからは人の子として育てても良いのではないか。

この笑顔を、異形の鬼のものとして切り捨てることは、大天狗にはできなかった。

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