【リセット】
「私は【蒼き聖剣】の騎士長をしております、ミシェルと申します。あなた方は先の事案に関して何らかの事情をご存じのようですね。あの火柱は、質の悪い【奇跡】か何かですか?」
シエル教会ライラック支部。祈りを捧げる姿の女神の石像がある礼拝堂で。蒼い甲冑の騎士が私たちにそう尋ねた。先刻外した兜の下は、意外にも目鼻立ちの整った金髪の女性であった。
ご存じもなにも私は当事者みたいなものだよ、と思いながら、そういえば世間一般的には能力の存在は認知されていないのだったと思い返す。そもそも私たちの活動は常人にはない力を持った人々を救う、もしくは隔離することだ。
中には女神の【奇跡】だとして能力を行使する人もいるけれど……。無害だからと放っているのが現状である。そのような経緯から、いくら【蒼き聖剣】の騎士長様であろうと、事情を伝えるのは得策ではないと思えた。だめだよね、うん。きっとギャロップさんがうまいことごまかしてくれるだろう。
「……そうだ。あれは【奇跡】と同じ類いの力だよ。故に手配コードが発行されているが、貴方にはお話しておくべきかな」
そうそう、って、え!?
驚く間もなく礼拝堂の扉へ向かって歩き始めたギャロップさんが、彼女へと告げる。
「我々の知る限りを御伝えしよう。だが、その前に保管庫の中を案内してもらえるかね?」
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街路にはまだ焼け跡の残る区画。町の人々には放火魔だと説明し警鐘を鳴らしたため、人通りは閑散としていた。活気のないライラックの街並みはちょっと気味の悪いものでもあり、そこら辺の民家の窓や扉も固く閉ざされている。商店でさえ本日は臨時休業だ。
「随分な警戒体制ですねぇ」
私は隣を歩く鎧姿の神官へそう声をかけた。そしてこの人は暑くないのかしら? 私はこの格好でも暑いのに。でもさすがに兜は置いてきたようだ。
「この街では特に、火災への恐怖が深く刻まれていますからね」
保管庫の施錠を解きながら、そう答えをくれた騎士長は、両開きの扉を引き開けた。
「どうぞ、なにか解ると良いのですが」
促され、ギャロップさん、私、ロバートさんの順へ中に入る。最後に騎士長が中へ入り、扉を閉めた。そのまま足音を響かせ、騎士長は奥へ歩いて行く。私は先導を待っていたギャロップさんの袖を引き、小さく声をかけた。
「【蒼き聖剣】の方とはいえ、お話ししていいんですか?」
ギャロップさんは横目でちらりと私の方を見ると、その問いを黙殺して騎士長の後を追った。
「推測の域を出ないが【紫炎】の目的は我が教会に関わる何かだと考えられる。私は彼を7年間追跡しているが、襲撃された村は、そのどれもがシエル教会の庇護下にあるのだよ」
私も初耳なんですけどそれ。でも確かに、私の村にも、フォルテの村にも、そしてこのライラックにも、シエル教会が深く根付いている。
「……まず第一に、あなたの言動とその胸元のペンダント、【紅き十字架】の方とお見受けしますが相違はありませんか?」
ミシェルと名乗った騎士長がその細く綺麗な指をひとつたてて尋ねた。そういえば名乗った覚えないような……。
「なかなか鋭い観察力をお持ちだ。いかにも、私はスイレン支部の【紅き十字架】を束ねるものだよ。ギャロップと呼ばれている」
ギャロップさんが胸元に提げた、紅色の十字架を模したペンダントをつまみながら答えると、ミシェルさんは目を睨むように細めた。
「支部長からいつも【紅き十字架】は秘密主義で困ると聞かされておりますが、その意味がよく理解できました。偽名とまでは言いませんが、本名ではないですね? 名まで秘密とは」
その呆れたような呟きに、私は苦笑いを浮かべた。【蒼き聖剣】は言わば、教会を守る騎士団であり、誠実・正当・聖道をモットーに掲げるような組織だからね。悪事はもちろん、秘め事や嘘を忌み嫌うのよ。私たちのようにお互いの本名すら知らない組織なんて、好きか嫌いかで分別するとどちらに分類されるかは明白だと思うの。
「ではその二。その秘密主義な【紅き十字架】の長が、知る限りを伝える、とはどのような風の吹き回しですか?」
先ほど立てた指で、ピシッとギャロップさんを指し示す。2本目は立てないんだとか場違いな感想を抱いたことは内緒にしておいた。
「それほどの相手、ということだよ。あの【紫炎】というお尋ね者は」
両手を軽く挙げて、お手上げの意を伝えるギャロップさん。隣に控えるロバートさんは控えめに微笑んでいるだけだ。他意はない、その表現が伝わったのか、ミシェルさんは少しだけ表情を緩めた。
「それではその三。あれは手配コードにあるような、只の放火魔ではないということですね?」
腕を下ろし、真剣な眼差しで法衣の男にそう尋ねる声は天井の高い保管庫だからか、静かな口調であるのに、やけに大きく耳に届いた。
ギャロップさんは重々しく頷くと、ミシェルさんへ尋ね返す。
「この保管庫には何が?」
言われて、辺りを見渡すと、入り口から真っ直ぐ続く絨毯が祭壇まで伸びている。通路の左右には扉つきの棚があり、そのひとつひとつが施錠されているようだった。保管庫というわりに、空気は淀みなく澄んでいて、静謐な空間を作り出している。
「シエル様にまつわる神具や、教会で禁書とされる本、古文書などが納められています」
保管庫などと名付けているが、なるほどこれは宝物庫なのだろう。道理で清潔に保たれているわけである。うちの倉庫なんてそれはもう足の踏み場もない有り様で、この聖道精神を是非とも見習って戴きたいとぞ思うのであります。でもその割には警備がザル……いえ、なんでもないですよ。ええ。
ふむ、と呟いたきり、ひとつずつ眺め歩くギャロップさん。ロバートさんは下に伸ばした手を組んで目を閉じている。
「解る範囲で構わない、目録を作ってくれるかね?」
ミシェルさんは、ふっと微笑むと、
「管理体制は万全ですので、目録は既に完全なものがここにあります」
と祭壇の下から一枚の羊皮紙を取り出した。ギャロップさんは礼を言って受けとると、それをまじまじと眺める。
「【紫炎】の狙いはここにあるなにかと、それまで滅ぼされた村にあった、或いはあるとされていたなにかとで同じものだろう。だが、この北の都、古城ライラックとそこいらの村でそう共通点のあるものが存在するとは思えんな」
こちらに意味ありげな視線を投げてくるが、私はその神父に首を横に振って答えた。村でのことは、まだ小さかったためか、あまり覚えていないのよ……。
ギャロップさんはミシェルさんに許可を得て、その目録を写していく。写し終えるかどうか、といった頃合いで、
「ところで、私は【奇跡】の使い手は彼女一人だと思っておりましたが、【紫炎】なるものがそれを行使できるということは、その他にも、人ならざる力を持つものがいると、そういうことになりませんか?」
考え込むギャロップさんに、金髪の女性はそう声をかけた。それが運の尽きだったのかもしれないし、元よりそうするつもりだったのかもしれないが、ギャロップさんは私に対してこう告げた。
「ふむ、君は非常に聡明なようだ。ご希望とあらばお見せしよう。リセット」
名を呼ばれた時、私は、この人はなんて性格の悪い人だろうかと思ったが、話してよいのかと思うようなことまで、簡単に話した理由が腑に落ちた。大人しくそれに従うことにして、私はミシェルさんへ近付いた。
「……まさか!」
バッと、飛び退き、反射的に腰の剣へと手をかけた騎士へ素早く詰め寄り、私は優しく手を伸ばす。
「大丈夫ですよ。忘れていいんです。私が貴女を救って差し上げますから」
私の御名は【リセット】。由来となった能力は、記憶の消去ができること。
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「フォルテを見なかったか」
ノックの音に誘われて、扉を開けば地獄絵図。会いたくもないその鬼が、口を広げて待っていた。
「ぎゃー!?」
「人の顔を見るなり悲鳴をあげるとは、失礼な奴だな? ……斬るか」
そっと腰を落として半身の構えをとる鬼改め抜刀斎。
「そういうことをするから悲鳴をあげられるんですってばー!」
必死で無罪を訴えかけるが、地獄の沙汰も剣次第という奴で、今回はなんとか事なきを得たが、明日の命も知れぬ身だ。
「で、フォルテは見てないか?」
こちらの九死に一生を得た心地など知る由もなく、構えを解いたその人でなしは平気な顔で問いかけてきた。
「そう言えば今朝から見てないですけど……お部屋にもいないんですか?珍しいですね?」
フォルテは基本的にあまり感情を表に出さず、自己主張というものが少ない女の子だ。髪型だけは毎日少しずつアレンジされているが、それ以外で主導的に動くことは全くと言っていいほどない。そんな彼女が礼拝堂にも自室にもいないとは珍しいこともあるものだ。
「そうだな。体が鈍るから組み手に付き合ってもらおうと思ったんだが、どうにも姿が見えなくてな……。よし、この際お前でもいい。付き合え」
「嫌ですよ!? 死にたくないですもん!!」
そんな買い出し行こうぜみたいな気軽さで死ねって言わないでほしい。ひどい。ひどすぎる。
ところがリンド先生はといえば、何を言っているのか分からないと言う顔をする。
「死力を尽くせば死なんぞ? 木刀だからな」
「死力を尽くしたら死ぬでしょっ!!!」
もうやだ助けてなんとかして、と脳内の親友に語りかけるが、彼女はウインクをひとつ残して去っていった。
「分かりました……僕が探すのでそれでいいですか……」
がっくりと肩を落とし、そう提案する。
「せっかく俺が組手に値する相手だと評価しているというのに、まさか嫌なのか?」
心なしか、手が腰の剣に伸びている。
「いや!ほら!なんですか!? フォルテが心配ダナー! どうしたんだろウナー!?」
そのまま何故か自室を失礼しまーすと言って駆け出した。抜刀斎の表情を確認したいとは微塵も思わなかったのだ。
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聖シエル。
その昔、世界をとある厄災から救った女神様。物心ついたときからスイレンのシエル教会で育った僕は、嫌と言うほどそのお伽噺を聞かされていた。
厄災、
其ハ色彩ヲ蝕ミテ、
世界ヲ死ヘト沈メタリ。
人ノ子、
其ニ抗イテ、
多くノ時ガ止マリケリ。
我、
其ヲ愁イテハ、
祈リ捧ゲテ此処ニ有リ。
シエル教会ならどの支部にもあると言われる、この祈りを捧げる女神の石像には、そんな碑文が刻まれている。何を意味するかは現在でも分かっていないが、教会の設立に関わることらしい。
「っと……今はそんなことをしてる場合じゃないんだっけ」
この礼拝堂にあるシエル様の石像にはついつい時を忘れて見入ってしまう何かがある。それを神性と人は呼ぶのやも知れない。あの子……フォルテも、普段はここで女神様の像を眺めていることが多い。いるとしたらここだろうと思ってきてみたが、リンド先生の言う通り、今日は彼女の姿はそこにない。
「ここにいないとなると、あとは自室か修練所か……ん?」
よくみると石像の近くに、何かが落ちている。拾い上げるとそれは便箋のようだった。くるりと裏を向けて、差出人を確認する。
『シエル教会ライラック支部長』とある。宛名は『スイレン支部長』、つまるところギャロップさん宛の便箋だ。もう一度表を見ると、『紫炎の件』とある。
僕は思わず天井を仰いだ。ギャロップさんは几帳面であり、こんなところへ手紙を放り出したりはしない。ようするにこれを読んで置き去りにした主は別にいるということだ。肝心の中身は入っていない。
「お、何か見つけたか」
渡りに船、ちょうど良いタイミングでリンド先生が現れた。
「なんとなくここで起きたことを推察するとですね、いつものように礼拝堂に来たフォルテがこれを読んで何かを感じてどこかへ行った、おそらくはライラック?……ということですかね。『紫炎の件』というのが何のことか分からないので何とも言えませんが――――」
わかったようでわからないことを言っていると、リンド先生が血相を変えてこちらへ向かってきた。思わず腕で顔を覆って防御姿勢を取ってしまったが、狙いは僕の手にある便箋だったようだ。
「【紫炎】」
便箋を奪い取った手に力が入り、便箋の端がしわとなっている。
「何か知ってますか?」
何時になく険しい表情のリンド先生は、こちらの首根っこをむんずとつかむと、徐に出口へと歩いていく。
「なに!? なに!?」
「追いかけるぞ。来い」
何の説明にもなってないしなんなら痛い痛い痛い!わかったから離してくれないかな!?
というか、馬なんて乗ったことがなくてですね、わかった、行きます。行きますから。
人生はままならない。何があるかもわからない。踏み入れてはいけない領域は、それと気付いた時にはもう遅いのだ。動き出した馬車馬は男二人を乗せて勇ましく街路を駆けていった。