第七話 獣と私と疫病の神
「あはは。家の者が色々迷惑を掛けたようだね。————ところで結婚しない?」
「しません!」
「ロランド!」
「エルマンはなんで反対なのさ。僕とアルマだよ? ぼっちな君の貴重な友人だよ? 正面から僕が切りかからないんだよ? むしろ喜ばしくない?」
「ぼっち言うな。そもそも切るな」
「き、切っちゃダメですっ」
慌てるアルマに笑いかけて、ロランドが突っ込む。
「それにさエルマン。さっきから胸を押さえているよね。どうしたの」
「そ、それは……きっと闇神がいけないのだ! やつが私の胸に何度も刺し込んでくるから!」
「……本気で言っているから面白いよね、君」
皇家の使者と大神官が、神殿の前から去った後。
アルマ・ロランド・エルマンの三人は言い合いをしていた。
正しくは。ロランドの話に二人が振り回されていた。
権力者たちが通達してきた内容。
それは「アルマがロランド皇子と結婚して子供を作る」こと。
闇に愛された者同士なら似た子供が生まれやすい。ここまで眷属たちに愛されている村娘との子供なら、この世界の神獣たちも国で管理することができる。
そう踏んだのだ。
―————アルマが獣の生贄として仕える。しかしその実は、スヴェントヴィトを介して眷属の神獣たちを操っている。それが国として管理することができるのならば—————。
「僕もまあ、そうやって生まれたからね」
最近また血の臭いが強くなってきたロランド皇子が説明する。
ロランドの母は生まれつき闇に愛されていた。故に皇王は彼女を孕ませた。たとえ世間では許されない関係であっても。
特に闇に愛された子はシマルグルの闇に入れるだけではない。特別な力を授かることが多く、皇家の駒として大変有用であったのだ。
ただこの愛し子たちは。
ロランドを始め情緒が不安定だったり、少々おかしな性癖を持つことも多い。
「血の匂いが落ち着くんだよね。いつの日か自分でもその辺の人間を掻っ捌いていたんだけど、やっぱり良い匂いでさ。そしたらお父様が死刑囚をくれたんだ。前までは国境線の連中で、最近は貴族が多いよねえ。あ、アルマは切らないよ? 君の手が気持ち良くて勿体ないから」
「ロランド様」
「本当に、お父様たちはしょうがないよねえ。もう最近は褒めてもくれないしさ」
あははは、はは。
……いつも通りの調子はずれな笑い声。でも少し変な音が混じっている。リズムも悪い。
アルマのとみに鋭くなった聴覚が、皇子の様子の変化を感じていた。
耳をそばだたせるアルマの横で、ため息を吐くエルマン。
「ようやく血に飽きたのかと思ったらそれか。性質の悪い趣味はそろそろやめて、真面目に皇族の仕事を請け負ったらどうなのだ。最近お前が手を出した案件はみな上手くいっているではないか。いっそ心を入れ替えて皇位継承の「君の悪趣味と一緒にしないで欲しいね」」
珍しく、ロランドが口調荒く人の言葉を途中で切った。
アルマは「悪趣味とはなんだ」という怒りの声を聞き流し、最近とみにふわふわになるよう努力している腹毛に、アルマもたれさせて寝そべっている、スヴェントヴィトに声を掛ける。
「まあ、そういうわけで。うちの家が色々騒がせてごめんねシマルグル」
『ふん。人間は常に変わらんな』
スヴェントヴィトが『頑張っているのだ。褒めろ』と押し付けて来るふわふわの腹毛をさすってあげながら、アルマは常日頃疑問に思っていることを訊く。
「ロランド様。ところでなぜ皇家や社の方は、スヴェン様を《シマルグル》などといつまで貶めるのですか? あれだけ眷属の皆様が奇跡を起こしているのに。貴方はわざと言っていますけど」
「あ、アルマは気付いてる? 本当に《見える》ようになってきたね。あいつらはね、まだ縋り付きたいのさ。人が自然を支配できるって、本気で信じたいんだ」
シマルグル。
神話の怪物の表象。
体は巨大なヌイで顔は猛禽。背中に羽を背負い、空を飛び回り人里を荒らしまわる獰猛な獣。
————最後には英雄に倒され支配されてしまう、それ。
この国の中枢は、闇神に囚われ動けないスヴェントヴィトを助けない。
助けたところで、自然を制御することはできないから。
ならばせめて。利用できるだけの加護を。
その残りかす味わうために闇の牢獄に放置し続ける。
―———彼を怪物と呼びながら。
「まさかシマルグルが闇牢から出てくるとは思わなかったんだよ。おかげで城は大混乱。近隣諸国はあれこれ手を出してくるし、いやあ切りがいがあったなあ。ついでにシマルグルを殺せと兄上に命令されたりね。面白そうだけど、断ったよ。今のシマルグルは全力じゃないし、闇神が許さない」
制御できない力なら、最初からない方が良い。むしろ消えてくれた方が有り難い。
シマルグルは怪物。
それで良い。
「しかし、古の神獣が動く全ての理由がアルマの『撫でる手』とはね! 人生赤い血以外は詰まらないと思っていたけど、本当に君が来てから愉しいよ!」
「まさか自然の化身たる獣たちが、アルマ・モリメントの《手》を求めて、毛並みを綺麗にしてくる日が来るとは、歴代の神官すら想像もしなかっただろう」
うーむ、と唸るエルマン。
その間に、アルマはロランドがすぐ前に座り直したと分かった。
彼が近づくときは空気が動かない。
恐らく忍び寄るのが癖だからなのだろう。スヴェントヴィトの雰囲気が固くなり、代わりに血の臭いが強くなる時に、分かるのだ。
「あ、もっと僕の頭を撫でてよ。あれやってもらうと落ち着くんだ」
「またですか……」
「ロランド! 恋人でもないのに何を強請っている!」
「エルマンもやってもらばいいじゃない」
「なっ」
「アルマの手は心地がよくてね。いつもは心の闇が薄れると闇神が居心地悪そうに蠢くのだけど、一緒になってうたた寝をする感じかな」
「いや! しかし!」
動揺するエルマンの声と呼吸に焦りを感じる。
アルマは訊ねてみた。
「エルマン様もやって欲しいのですか?」
「なっそっばっ」
「君もアルマが来てから随分と面白くなったね」
人間たちの会話とは別に、ざわざわと動揺する獣たち。
闇の中に多くの獣がわらわらと現れ、合議を始める。
『うし。お前ら』
がりっと木の板を穴を掘る爪で削る音。
大地の匂いをまとわせたモコシが口を開く。
『そろそろさ、人間要らなくないか?』
賛成! と四方八方から声がする。
『モコシ。良いこと言うな。俺様大賛成。人間————いやアルマをどうのこうの言うやつらは、世界から出してしまおうぜ。あいつら居なくても自然は回るしな』
『闇神はどうするの? あいつの言葉って殆ど聞けないけど、年々心の闇が深まっているこの国が、お気に入りだけど』
『でもほら、あれ見ろよ。アルマの肩にたまに落ちているし。アルマについて行ってくれればこの場所にに拘らなくてもいいんじゃね?』
草の匂いに、大地の匂い。風の匂いに、水の匂い。
あらゆる世界の香りが漂い始める。
『俺たちにはモフ手がいれば、それでいい!』
ババディガンの声。
草の香りまとわせた背中のトゲがシャカシャカ音を立てている。
『よし、人間どもは要らないな! 人間……俺らのモフ手、いやアルマか。アルマを取っといてあとは更地にしようぜ』
『あの男神は? あいつはどうでる?』
『スヴェン様と同じで引きこもりなんだろう? 問題ないよ。むしろ疫病で遊ぶ対象が減ったら飽きて違う世界に行っちゃうよ』
『あんたたちねえ。いい加減にしてちょうだい!』
唯一の常識獣の小さな手が抗議の手を挙げた。
ぴしぴちと床を細いしっぽで叩いて、皆を叱る。
『パトリムパス。なんだよ、俺っちたちの意見に反対なのか』
『人間……いえ、アルマの家族はどうするの。アルマが大切にしている村はどうするの。あの子が悲しむ顔を見たくはないわ』
『ならば村だけ残してみんな破壊しようぜ。ちょっと地盤沈下を起こせば一発さ。奥深くに落として……』
不穏な会話を続けてる彼ら。
だが、彼らは深く考えることが苦手だ。
一匹の獣が言う。
『それよりもさ、背中がむずむずするんだ。アルマはのところに行っていい?』
『あ、俺も喉元が痒いんだよ』
『俺様だって最近綺麗にしたわき腹を撫でてもらいたい!』
『むっきゅー!』
議題は世界から人間を排除するという大問題から、女神の手に毛並みを早く撫でてもらいたいという結論に達した。
自然とは移ろいやすいものなのだ。
そこにふと。
風が吹いた。
アルマの前髪をふわりと持ち上げ、去っていく。
「スヴェン様。誰か来られました?」
『……あいつだ』
周りがわいわい騒ぐ中で、一人アルマの手を堪能していたスヴェントヴィトは、のそりと立ち上がる。
同時にぼてっと何かの塊が落ちる音がした。
音のした場所にスヴェントヴィトが走りよる。
『ヴォーロス!』
『スヴェントヴィト様。やられました! 俺様の毛がやられました! 男神の野郎、俺様の素晴らしい毛並みに気付いて「誰に撫でられた」って言いだして! あ、人間ー!!』
『最後まで報告しろ!!』
座るアルマの膝元までとてとて音を立てて走り、ふわふわの前足を乗せる。そして胸に飛び込んだ。
ぼふ。すりすりすり。
「このもふぁもふぁはヴォーロス様ですね!」
『人間、貴様の手は最高だが胸もなかなかいいな! 小さいけどな!』
「それは余計です」
「な! 貴様アルマ・モリメントのむ、胸を堪能しているのだ獣!」
「あ、いいなー」
外野の声を無視してアルマの胸にしがみついたヴォーロスは、アルマの手を前足で取って頭を触らせる。
アルマはおや、と気が付く。
一部が丸く毛がなくなっている。これは……。
『男神に毟られたんだ! あいつが立ち上がって俺の毛の素晴らしい艶に動揺しているから、「お前の毛は少ないもんな。撫でようがないもんな。女神の手のお気に入りの毛皮だ羨ましいだろう」って自慢したら怒って引き抜きやがったんだー!!』
『ちょっとまてヴォーロス。男神が立ち上がったのか? そして体を動かしたのか?』
『そうですよ! スヴェントヴィト様よりもよっぽど出不精な奴なのに! そんなに悔しかったのかちくちょー! 撫でろ人間!』
必死に頭をアルマの手に擦り付けて喚くヴォーロスを、アルマは優しく撫でてあげた。
「本当に剥げていますね。痛かったでしょう」
『痛いよ! 本当に久々に痛みを味わったよ! 神のやつらくらいだよ、獣の体を傷つけられるなんてさ!』
「可哀そうに……。では小さい頃お母さんにしてもらったおまじないをしますね」
アルマはキュンキュン泣くヴォーロスの禿げた頭を優しく撫でて、慰めてあげた。
「痛いの痛いの飛んでいけー」
『そんなの効くかよ! って、痛くない……』
大人しくなるヴェーロス。
しっかり抱きしめて撫でてあげる様子を見たロランドがあれ、と呟く。
「アルマは確か何度もシマルグルの体毛を引っこ抜いているよね。あれって大丈夫だったの?」
「何、ロランドそれは本当か?」
エルマンが「ちょっとまて」を口を開こうとする。
すると。
ごう、と突風が闇に吹き込んだ。
闇神によって外部の力が入ってこないはずなのに。
アルマの周りを、ふわふわした羽毛が大量に浮かび上がり、肌に触れては消えていく。
「きゃあ!」
『あいつか! ヴォーロスを追って来たな!』
スヴェントヴィトが立ち上がり、ヴォーロスを抱いたアルマの壁になった。
自分を守ってくれる獣の体にしがみついたアルマ。暗闇で何が起きているのか皆目分からない。
人間二人は、共にスヴェントヴィトの体に隠れて風の吹いた方向を警戒しているようだ。
『やだ! 神だ!』
『いじめっ子だったあいつらの最後の一人が来るぞ!』
『ヴォーロス! お前が毛皮自慢なんかするから!』
『知るかよちくしょー!』
吹き荒れる風の中で、大騒ぎする獣たち。
腕の中で俺様は悪くないと叫ぶヴォーロスを片手で抱いたまま、アルマはしがみついた毛皮に訊ねる。
「神って、何が来ているんですか!」
「シマルグル! まさか」
『そうだ。男神が来てしまったようだな』
男神。
アルマからそれは見えない。なので風の抵抗を受けながら、必死にスヴェントヴィトの毛皮を登って向こうを除いた。
真っ暗なはずの闇神の暗闇に、何かぼんやり、白い人影が見える。
「見える……」
「いや。アルマは目を使っていない。あいつはこの闇よりも暗い。ただ《視えて》いるだけだ」
ロランドが、しがみついたアルマを下から支えつつ教えてくれる。
一方でエルマンは「まさか……神か」と戸惑いの声を出していた。
アルマは感じた。
この風は重い。空気が重い。あの白くぼんやりとした人影がから何かが漂ってきていると感じる。
ヒヤリと背中に何かが触るような錯覚。
まるでそれは—————死の予感。
村を襲った疫病が、前触れもなく訪れた時の、予感。
『あいつの手を寄越せ。今すぐ切り離せ。アキの腕だ。私のものだ』
静かに、それは呟いた。暗い声だった。
低く小さな声。囁くような。だけど耳の奥にやけに響く。
闇神の闇よりも淀んだ、昏い声。