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第二話 獣と私と血臭(けっしゅう)の皇子

血臭けっしゅうに読み仮名を変えました。

 むせかえる血の匂い。

 鉄さびに似たそれは、別に珍しいものではない。

 村では時折家畜を屠殺するし、狩人の持って帰る獲物は皆血の匂いがする。


 だけど、これはきっと人の血。


 動物を殺すのは良くて人がだめという訳でもない。

 国には死刑制度があるし、戦があれば「人を守るために」人を殺す。

 それでも皇子の圧倒的な「人の死」を感じさせる匂いと、外れた笑い声には、恐怖しか感じさせない。 



 鉄格子の前で、皇子があぐらをかいて座っている。獣が教えてくれた。

 座り込んだ獣がもたれろというので、感謝して大きな腹毛らしき位置に、背中を預けさせてもらう。

 心を落ち着かせ、ロランドにいきさつを説明した。

 


 村で病が流行ったこと。

 多くの人が死に、一旦終息したこと。

 なのに自分の母親が突然病にかかり、村の外れに隔離されていること。

 早く治って欲しくて、市でこつこつ溜めた小金を使ってお参りにきたこと。

 そうしたらなぜか兵に捕まって神官にこの牢に放り込まれたこと。



 ロランドは「ふうん」と言って、それきり黙る。

 どんな表情をしているのか見ることができないアルマは不安になった。


「皇子様、どうかここを出していただけませんでしょうか」

「えーだからさあ、なんで? シマルグルに気に入られる人間なんて初めて見たし。この闇だよ? 生まれつきでもないのに闇神あんじんを受け入れられる人間は珍しいんだからさあ。もったいないよ、君」

 

 会話がかみ合わない。

 

「せめて、灯りをいただけませんか」

「灯り? なんて無粋なことをいうのだろうね。そもそもシマルグルの周りは闇神の気配が濃くて、灯りなんて一瞬で消えてしまうよ。だから闇牢って言われている。それよりもさ、」


 ロランドは明るい声で提案をしてきた。


「君、僕と結婚しない?」

「ええ!? きゃっ」

『何を言う!』


 アルマはびっくりする。

 同時に、獣が立ち上がったせいで、後にひっくり返ってしまった。


 ガチャン。鉄格子が音を立てる。

 獣が体をぶつけたようだった。  


『ロランド。せっかく私が気持ちよく撫でる手を見つけたというのに、お前は奪うつもりなのか!』


 ―———「撫で手」として生かされている。

 なんともアルマは微妙な気持ちになった。

 しかし、それ以上に皇子の言葉に衝撃が走った。


「奪うつもりはないけどさ、シマルグル。いい加減周囲の声がうるさくてね。特に父上が。僕みたいな闇神あんじんに好かれている人間は一定数確保しておきたいんだって。でもどうせ子供を作るなら、同士ゆうじんにも好かれているような女の子がいいじゃない。なあに、ちょっと闇の中でごそごそすればすぐに出来るよ。ね!」

「ごそごそとかやめてください!」

「え、じゃあちょっと寝」

「それもやめてー!」


 命の危機が回避されたかと思ったら、次は貞操の危機!?

 アルマは混乱した。獣のしっぽをさぐりあて、大きなふわふわの毛皮に必死にしがみつく。




 その危機は、獣の唸り声で回避された。


「ぐるるるるるるる……」


 地獄の底から鳴るような威嚇の音。

 明るくあれこれと家族計画を提案していたロランドも、流石に黙った。

 アルマの腕の中のしっぽが抜けると、服の襟を獣に銜えられ運ばれる。ロランド王子の声が遠くなっていく。どうやら牢の奥に移動したらしい。

 

 前足らしきものに抱き込まれ、大きな舌でペロペロと顔を舐められる。


『ああ、良い匂いになったな、アルマ』

「私は困っていますよ……」


 大きな舌に舐められる度に獣の毛皮で拭かせていただいているが、いい加減水を絞った布で拭わせてほしい。

 他の獣よりもずっと匂いは少なく、肌には枯草の匂いくらいしか残らない。

 だが、困ることは確かなのだ。獣本人は自分の匂いがアルマからすることを喜んでいるようだが。

 

「あの、シマルグル様」

『スヴェントヴィトだ。スヴェンで良い』


 獣は否定した。

 自分の名そんな生き物ではないと。


 シマルグルとはもの国の伝説の猛獣で、この国では羽を持った、大きなヌイだ。

 英雄譚ではよく英雄に退治をされている。

 

『皇家や大社の関係者がそう言いたいだけなのだ。あいつらは私が闇神あんじんに飲み込まれてしまった時に手のひらを返した。そして「シマルグル」の名を与え、闇神のせいでここから動けない私を貶めることで、逃げたのだ』




 彼は昔、きまぐれにこの国の建国を手伝った。

 だが彼は闇神に気に入られてしまい、ここから動けなくなってしまう。


 すると彼の持つ元々の力と闇神の力が合わさって近くにいる者に影響を及ぼし、それなりの加護を訪れるものに与えてしまうと知った皇家は、彼を助けるどころか上に大社を立てて国家安寧の手段として利用することにしたのだ。

 

「闇神とはなんでしょうか」

『昔はほんの小さな蟲のような存在だった。森の奥に住まう、闇を作り出す蟲だ。だが、森を切り開いた人間の心の闇を知ってしまってから……人の多い場所で繁殖し、やがて一つの意思を持った』


 意思はスヴェントヴィトを気に入り取り着いたが、闇神の体は一つではない。小さく繁殖を繰り返しながら人の心に掬っている。

 特に皇家や神官の中に。

 

『ロランドはその象徴だな。アレは生まれた時から闇神に魅入られた子供だ。不安定で残虐な気質。だが、人間離れした力を持ち、親には従順であるので、皇家で飼われている』


 あはははは、と笑う声と頭に蘇る。

 何が楽しいのかは分からない。だが、この暗闇をゆりかごの様にいる彼は、少なくとも闇を愛しているのだろう。


 そして、彼がアルマを救ってくれるとは到底思えなかった。




(どうすればいいのだろう……)


 ため息を吐くアルマの顔に、スヴェントヴィトは鼻先を擦り付けながら『お前はここに居ればいい』と言った。


「私の心が読めるのですか」

『いいや。だが、私はこの闇でもお前の表情が見えるし、汗や匂いや体温で気持ちを察することができる』

「母が心配なんです」

『……ならば、眷属を行かせればいい』


 彼が「ぐるる」と軽く唸ると、地面が軽く揺れた。

 

「な、なんですか」

『来たな』

『お待たせしましたー! スヴェン様! ご用事はなんですか?』


 足裏に盛り上がった土を感じると、跳んできた塊らしきものが膝に当たり、可愛らしい子供の声が牢に響いた。 

 

『モコシ。この娘の村に行き、病気の女を救ってやれ』

『了解でっす! というか珍しいですねスヴェン様。人間なんか侍らしちゃって。女神様から趣旨替えですか? 趣味悪いですね!』

『うるさい。とにかくいいから行ってこい』

『はいはい。じゃあ場所を早く言ってくださいよ! この時期はあちこち種まきで忙しいんですからね!』

「あ、あの!」


 アルマは思わずスヴェントヴィトの腕の中から、足元の可愛い声の主に声を掛けた。




『なんだ、人間!』

「本当に母を救ってくださるのですか!」

『スヴェン様が言うからやるよ』

「ありがとうございます! どうか御礼を! 私に出来ることでモコシ様に御礼をできませんでしょうか!」

『お、おう……』


 前足を押しのけ平伏し、腕を交差して礼を取る。

 スヴェントヴィトは訝し気にアルマに訊ねる。


『アルマ。私がやれと命令してモコシがやるのだ。お前は御礼をするべきは私だろう』

「もちろんスヴェン様にも御礼を申し上げます。ですが、私の村では《口だけ感謝で済ますバカ》ということわざがございます。是非、私にできることをモコシ様にもさせていただきたいのです!」

『う、うむ』


 思わぬ勢いに、スヴェントヴィトはたじろいだようだった。

 一方で足元のモコシは『でもさあ』と反論する。 


『人間ごときに、俺っちを満足させることが出来るわけないじゃん。人間なんて俺っちらを利用して反映しているだけのただの「では、スヴェン様が喜ばれている『毛並み撫で』はいかがでしょうか」……何!』




 モコシは、

『女神様の愛撫にしか反応しなかったスヴェン様が喜ぶなでなでだと?』

 と、激しく反応をする。

 すると小さな足音を立てて、おそるおそるアルマの膝に前足を置いた。


 長い爪が付いた小さな足。

 毛が密集したそれを取り上げて軽く揉むと、「きゅー」という鼻がかかったような鳴き声がした。


『や、やばい。なんだ、この手は。ちょっと揉まれただけなのに気持ちが良すぎる!』


 そしてもっと撫でろという命令に、アルマはモコシの輪郭を撫でて両脇を持ち上げて膝に乗せた。

 しっとりした毛皮は、短い毛が密集していて柔らかかった。

 細長い鼻といい、穴を掘るのに特化した鋭い大きな爪といい。手足の大きさといい。長いひげといい。


(もしかしてこの方は、畑にトンネルを掘っては土の中の虫を食べて耕してくれる、グラだろうか)

 そう思いながら脇の毛から、肩甲骨。背中にそってしっぽの付け根などを撫で、櫛削って、揉み込んだ。

 もみもみもみもみ。


『や、やべえ。トンネル人生でこんなに気持ち良いの初めて……』


 うっとりとした声が聞こえる度に『私にも同じやつをやるんだぞ! 絶対だぞ!』というスヴェントヴィトの焦る声と、パシパシと地面にしっぽが打ち付けられる音がする。






 その後モコシは『よ、良かった……この分はちゃんと働くぞ、人間。礼を分かっている奴は好きだ』と言って、足をふらふらにさせたのか、一度壁に激突した音と、地面を掘る音を立てて去って行った。


 そしてアルマは、一生懸命スヴェントヴィトの毛を撫で直す。

 すぐに機嫌の直った彼は言った。


『お前のそのことわざ……聞いたことがある。知り合いが毎日のように言っていた言葉だ』

「そうですか。毎日だなんて、とても義理堅い方だったのですね」

『ああ、そうだな。本当に義理堅すぎて、とても放っておけないやつだった……』


 首の下も両手でぐいぐいと掻かれ、うっとりしながらスヴェントヴィトは教えてくれる。

 ここで動けなくなる前に、ずっと一緒にいた人だったらしい。

 懐かしそうな彼の声に、アルマもほっこりする。


(最初は強くて仕方がなかったけど……。ちょっと偉そうな大きなヌイだと思えば可愛いよね)



 

 そして優しく背中から腹にかけて指を通していると、思わぬ声が天井から響いた。

 女性のような甲高い声。


『ちょっとー! モコシから聞いたんだけど、最高のモフの手がスヴェン様のところにいるんですって!? 是非私にもやって頂戴!! お礼は後でするからさ!』

「ひゃっ」


 それはポトンとアルマの頭に落ちた。


 頭に感じる小さな四肢。耳にペチペチとぶつかる、つるつるの細いしっぽ。

 これはまさか――――家のあちこちに出没して食料を食い荒らし、村に伝染病をばらまいた――――。 

 「ちゅっ」という鳴き声に全身の毛が逆立つ。


「ネズっ!? いや、汚い!」

『ちょっと失礼ね! 私とあの連中を一緒にしないで頂戴!』

 

 頭の上の存在は抗議した。




 彼女の外見はネズとそっくりらしい。だがそれとは違う、高次元の存在なのだと教えてくれた。

 病の流行や終息の調整をするのが仕事で、世界中を歩き回っているらしい。

 アルマが謝罪をすると、パトリムパスと名乗った存在は許してくれた。手のひらに載って転がり、『さあ私をもふりなさい』と命令した。

 

 アルマは鼻先を背中につけているスヴェントヴェトに訊ねる。

 

「スヴェン様……」

『……やってやれ。アルマ。こいつらは皆、「撫でる手」に飢えているのだ』

「こいつ「ら」?」

 

 唐突に声がした。


『そうだよ、スヴェン様! 長年撫でられていないから本当に辛くて!』

『そう。我々はいつだって女神の手が恋しくて仕方がなかった』

『やって欲しいな』


 闇の中から唐突に現れる、数体の存在感。

 少し敏感になったアルマの鼻に、様々な草木の香りと動物の匂いが入ってくる。 

 いつの間に現れたのか。


 次々にやってくる獣たちの「モフ要求」に、やがてスヴェントヴェトが切れた。


『お前ら後にしろ! アルマの手は私のものだ!!』

『『ぶーぶー』』

 

 しばらくスヴェントヴィトと口論を繰り返していた獣たちは、この次はやってね、お返しはするからと言って次々と消えていった。

 アルマは憤懣やるかたない大きな獣の腹毛をやさしく撫でて差し上げながら、彼らの正体を訊ねる。

 彼らはこの世の事象を調整する存在らしい。


「神様ではないのですか?」

『いや、少し違うな。神はまた別にいる。闇神と同様、我々は自然から派生した存在であり、彼らとは一線を画す。……それよりもアルマ。そこも掻け』

「はい」


 しばらく耳元の産毛のところを掻き掻きして差し上げると、彼はふうと満足げな声を上げた。

 そしてすりすりと、アルマの胸元に顔を寄せる。

 

『アルマ。私はお前が気に入った。ずっと傍にいると良い』

「……でも村に帰りたいのです。……帰してくださいませんか?」

『断る。母親や村人をここ連れてこさせればいい』

「そんな無理はできません」

『出来るな。そこにいるロランドはあれでも力を持っている』

「皇子様にさせるべきことでは……って」 




 ―———そこにいる?


 アルマは思わずキョロキョロ首を動かす。当然何も見えない。 


「ねえ、アルマ。ついでに僕の髪の毛もモフってよ。気持ちよさそう」

「わ! まだいたんですか皇子!」

「だってここの小部屋。僕の自室だもの」


 鉄格子の向こうで寝っ転がって様子を眺めていたらしい。


 どうやら闇牢は、ここは彼の住居でもあるようだった。

 体の血を拭ったらしく、匂いが飛んでこないため分からなかった。

 

「人殺し以外することなくて暇なんだ」

「もっと生産性のあることをしてください!」

「えー仕事嫌いなんだよー」




 この暗闇の中には、血臭の皇子とたくさんの存在が蠢いている。

 アルマはこの先どうすればいいのか、頭を悩ますばかりだった。

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