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新任大公の平穏な日常  作者: 古酒
二年目の日常
39/52

24.実証には実践あるのみ。僕も私もがんばります。

 サンドリミンは一瞬表情をキョトンとさせた後、明らかな失笑を浮かべた。

「まさかそんな、旦那様。呪詛の効果をもたらす物質があるとは、耳にしたこともございませんが」

「そりゃあそうだろう。使っている本人も、使われた本人も、呪詛だなんて思ってないんだから」

「そう、断言される根拠はどこにあるのです? 旦那様が実際にご使用なられましたか?」

 おっと。そこをつかれると、俺もなんと答えていいのか。

「いや……自分で使ったことはないが」

「では誰かが使われるのを、ごらんになりましたか?」

「いや……」

 さっきの気弱なサンドリミンはどこにいった。

 なんだろう、なんか俺、怒られてるみたい。


「では、これが呪詛の元であると決定づけられた根拠は、どこにございますか? そもそも、いったいこれに、どんな呪詛があるとお思いですか? まさか旦那様……マーミルお嬢様の不調の原因が、これだとおっしゃるのですか?」

「いや、この軟膏とマーミルの不調は関係ない。そうじゃなくて……この軟膏は別の呪詛をひきおこすんだ。飲まされた相手が、飲ませた者以外の異性に対して不誠実な思いを抱いたとたん、腹をこわすという効果があるんだが」

 サンドリミンは苦笑を浮かべている。

 やはりおおやけになっていない呪詛を説明して納得させるのは、思った以上に難しい。だって、俺は視ただけでわかるんだもん。それを見えない相手に、どううまく説明できるというのか。


「そんな呪詛があるとは、耳にしたこともございません。我々医療班は確かに毒のスペシャリストでもございます、旦那様。ですが、毒はただの毒。魔術を欲するような毒の存在など、聞いたこともございません」

 それは確かに……俺だって、この軟膏のことを知るまでは、そんなものがあるなんて知らなかったよ。

「それに、先ほども申しましたとおり、呪詛もまた医療班の担当。ゆえに、かなり呪詛に関する文献や資料には、目を通していると自負しておりますが、そのような呪詛に関する記述は」

「なにが資料だ、そんなモノは捨てておしまいなさい!」

 さっきのお返しだ。


 いや、とにかく。

「サンドリミン……俺がこんな話をするのも、実は、マーミルの不調が呪詛によるものだからなんだ」

「確かにマーミル様の状態には不審な点がございますが……その原因が呪詛などと。なぜ、急にそんな考えに至られたのです?」

 軟膏には懐疑的なサンドリミンだが、マーミルの名を出したとたん、複眼を煌めかせて真摯な態度を見せる。こいつ……いい奴だな。

「……ここだけの話にしておいてほしいんだが、俺は特殊魔術をもっていてな……」

 まあ、とにかく信じろというだけじゃ、サンドリミンも納得はいかないだろうしな。ある程度明かすことになるのも仕方ないか。

「ほう、旦那様が特殊魔術を」

「詳しくは言えないが、呪詛の有無を調べることができるんだ」

「ほほう。呪詛の有無をですか」

 複眼から発せられる視線が、かすかに変化した気がする。なんか、実験体でも観察するような目つきに見えるのは気のせいだろうか。うん、きっと気のせいだ。


「サンドリミンたちにマーミルを調べてもらった後で、俺はふと思い立ってその能力をつかってみたんだ。そして、妹に呪詛をかけられているのを発見したわけなんだが」

「世には明らかになっていない特殊魔術が数多くあるのは事実……それにしても、呪詛の有無を調べられるですって? ぜひ、医療班に欲しい能力でございますな」

 いや、ホントは別に呪詛に特化しているわけじゃないから、医療班にいてもほとんど役に立たないと思うんだけど。その呪詛をつかむことも治すこともできないし。

 それにしても、俺の能力自体を疑われたらサンドリミンの協力は諦めるしかなかったが、一応、特殊魔術を持っているということは信じてもらえたようだ。


「原因不明の異常が見られたときに、呪詛かどうか判断するくらいはできるが、医療班に組み込むのは勘弁してくれ」

 俺がそう言うと、サンドリミンはあきれ顔になった。

「まさか、いくら我々に望ましい能力であっても、さすがに大公閣下を医療班になどとは、誰も言い出しませんよ」

 それはよかった。

 大公としての仕事だけでも忙しいのに、医療班まで担当しろと言われてはたまらない。


「しかし、マーミル様の不調が呪詛とは……いえ、旦那様の能力を疑うわけではないのですが、私の知る呪詛とはもっとささいな影響を与えるもの……例えば、近頃目が乾燥するとか、右手の指一本がしびれるだとか、額におできができるだとか……その程度のものばかりでして。マーミルお嬢様のように、ひどく体調を崩される呪詛があるとは……もっとも、情けないことに、いくつか知るその症例も、文献で読んだのみ。実例を目にしたことはないのではありますが」

 サンドリミンは肩を落としている。

 確かに呪詛はただでさえ実数が少ない上に、気付くとなると、俺のような目を持っているか、呪詛に反応する特殊魔術でも持っていないと無理だろう。


「まあそりゃあ、呪詛なんて珍しいからな。俺はたまたまこの能力があったから、何度も目にしてるが」

「ほほう。お目になさってる、と」

 しまった、特殊魔術が目に関係あるとばれたか? まあ、能力を正確に知られなければそれでいいか。

 そうは思うが、こちらを探るように見つめてくる複眼が怖い。


「……とにかく、マーミルの発熱の原因が呪詛であるからには、解呪をしなければ治らないと思う。そこで、この軟膏なんだが」

 再びサンドリミンの視線が俺から軟膏に移る。

「先ほどのご説明によれば、この軟膏はマーミルお嬢様の今の状態とは関係がないものなのでしょう?」

「まあ、そうなんだが、呪詛をかける軟膏と、それを解く薬であることには間違いない。一度、これで解呪できないか、マーミルに飲ませてみようかと思うんだが」

「なるほど……お考えは理解いたしました。ですが、旦那様。先ほど確認させていただいたところによると、旦那様は軟膏の効果を実際に目にしたことはないということでしたね? そのような不確かなものを、いちかばちかでお嬢様のお口にいれて、本当によいものでしょうか?」

 いや、まあ、そうつっこまれると、いいと断言するのもためらわれる。

 俺自身のことなら、ためらいなく飲んで試してみるんだがな。


「じゃあ、例えばこれを解析して、何か……熱を抑える薬、みたいなものを作ることはできないか?」

「そうですね……毒と同様、成分を分析し、研究することは可能かと考えますが、魔術が関係しているとなれば、その部分を確認することができるか……やってみなければ何ともいえません」

 まあ、確かにそうだな。


「ですが、旦那様。再度確認させていただきますが、この軟膏は、どれほど確かなものなのでしょうか?」

「どういう意味?」

「こちらは新品のように見えますが、今、旦那様がおっしゃった効果が確かにこの軟膏にあると、なにをもって断言なさいます? 申し訳ございませんが、効果が疑わしいものに時間を割くことは、我々としても避けたいのです」


 いや、……あんまりにもスメルスフォの説明が、俺の知っている呪詛の特徴にピタリとあてはまったから、自然と両者を結びつけてしまっただけ……だな、確かに。実際にこの軟膏の効力を見たわけじゃなし。

 スメルスフォにしたって、もらったもので試したわけでなし……となると、この軟膏の効果は誰も実例として知っていないわけだ。

「いや……断言はできない……かな……」

 ああ、たしかにそれはそうだ。

 俺もつい、呪詛を発生させる薬かと興奮してしまったが……落ち着いて考えてみると、スメルスフォいうとおり、ただの気休めの道具で効果なんてないのかもしれない。

 だが万一、これが本物であるとするならば、この際だから呪詛の発生と解除のプロセスとか、確認できるものならこの目で見てみたい。


「……わかった。じゃあ、一緒にきてくれ」

 俺は決意を新たに立ち上がった。

「実際に試してみよう」


 ***


 俺はサンドリミンをつれて、本棟へ向かう。

 ジブライールはまだ城のどこかにはいるはずだ。あと、エミリーもいてくれればその方がありがたい。まあ、別に女性であれば他の人でもいいか。

 ただ、俺の嗜好的にデーモンでなくてはいけないが。


 俺は本棟にうろついていた侍従をつかまえると、ジブライールとエミリーがいれば探し出してきて、さっきの応接に来てもらえるよう言付けた。

 そうしてサンドリミンを連れて応接へ向かい、その扉を開けると、中にはジブライールの姿が。


 そう、ジブライールはまだ応接にいた。

 いた、のだが……。

 椅子に浅く腰掛けて上半身を折り、頭を抱えている。なんだか深刻な雰囲気をかもしだしていて、声をかけにくい。

 だが、ぼうっと見ているわけにもいかないし。


「……ジブライール?」

 名を呼ぶと、彼女ははじかれたように顔をあげた。

「まだいたんだな」

「あ……申し訳ありません、閣下。すぐ、おいとましますので」

「ああ、いやいや。いてくれて助かった。悪いが、ちょっとお願いしたいことができてな。そのまま座っててくれ」

 俺があわててそういうと、彼女は怪訝な表情を浮かべながら姿勢正しく座り直した。


「二人は面識、あるのかな?」

 俺が二人の顔を見比べると、双方は視線をあわせたままうなずく。

「はい、旦那様。私はこの城の医療班に所属してはいますが、同時に軍団医務長官もつとめておりますので、副司令官殿のことはよく存じ上げております」

 サンドリミンが答える。

 ああ、そういえばそうだったか?

 それに、新任の俺とちがって、二人ともずっと以前から大公城に仕えているわけだしな。面識のない道理がなかったか。


「閣下。まさか、どこかお怪我でもなさったのですか?」

 ジブライールが心配そうな表情を浮かべている。

 怒った時以外で感情が読みとれるのは珍しい。

「いや、俺はいたって健康だ。だがちょっと、マーミルがな……それで、ジブライールにも協力してほしいことがあって」

「マーミル様に? なんでございましょう。私にできることであれば、何なりと」

 姿勢正しく、すっと立ち上がる。

「あ、いや。大したことじゃないから、そんな固くならないでくれ。今、エミリーも探してもらってるから、そろうまで座って待っていよう」

「エミリー嬢?」

 ジブライールの眉がかすかに寄った。


 そういえば、俺は二人を残してこの部屋から出たが、あの後どうしたのだろう? 話し合いはなされたのだろうか?

 どうしたにしても、ジブライールの様子を見る限り、あまり関係が改善されたとはいいがたいようだ。

 これは……相手はエミリーじゃない方がよかったかな?


「つまり、旦那様……試してみるというのは……」

 サンドリミンがちらりとジブライールを見る。

「ああ、うん。俺がやってみる」

「だ……大丈夫なのですか?」

「まあ、大丈夫だろう。効果をきちんと確かめて、それからマーミルへの応用を検討することにしよう」

 正直、俺的にはきついが。

 みんなの前でお腹壊すなんて、ちょっと情けないからな。だがマーミルのためになるかもしれないと思えば仕方ない。あと、この結果は今後の俺にも役立つだろうし。

 問題があるとすれば、飲まされる相手と飲ます相手に特別な感情がなくても効くのかどうかだが。


「あの、閣下?」

 ジブライールが説明して欲しそうな表情で見てくる。だが、二度も話すのは面倒だから、エミリーがくるまでまってほしい。

 そうしてしばらく三人で無言で座っていると、まもなくエミリーがやってきた。

「ジャーイル様!」

 喜び勇んで駆け込んできたエミリーだったが、ジブライールの姿を見て、すぐに足をとめる。

「すまないな、エミリー。無理を言って戻ってもらって」

 俺は扉の前で固まった彼女の手をとって、ジブライールと並ぶ席にエスコートした。

 二人ともどこか不満顔だが、ここは我慢してもらおう。


 今、俺の隣にサンドリミンが座り、前にジブライール、サンドリミンの前にはエミリーが腰を下ろしている状況だ。

 俺は雄牛の蓋をかぶせた、二つの小瓶をテーブルの上に置く。

「実は、ジブライールとエミリーにはこれの実験につきあってほしいんだ」

「こちらは?」

 エミリーもジブライールも、不審そうに軟膏を見ている。

 ということは、どちらもその存在を知らないと言うことか。

 よかった。誰も彼もこんなもののことを知っていれば、大変なことになるからな。


「実は……」

 俺はこの薬の説明と、その効能を確認したいがために二人に協力して欲しい旨を伝えた。

「つまり……私たちのどちらかが、この軟膏に呪いの言葉込めて、閣下に飲ませ……もう片方が、閣下を誘惑する、ということでよろしいのでしょうか?」

 エミリーが瞳を見開いてたずねてくる。

「まあ、そうだな。こんなことを頼んで申し訳ないが、協力してもらえると助かる。もちろん嫌なら断ってくれてもかまわないし。あと、俺が醜態をさらすかもしれな」

「私、ぜひ、私に後の役を!」

 エミリーが大声をあげ、右手をピンと頭上に伸ばして立ち上がる。

 後の役ということは、誘惑する役か。ありがたいが、そのやる気がちょっと怖い。


「あ、うん、そのつも」

「お待ちください!」

 ジブライールが身を乗り出し、テーブルを叩いた。

「では、私に閣下を呪えとおっしゃるのですか!?」

「いや、そんな深刻にとらえないでくれ。呪いっていうか、まあ、本来は愛情あっての呪言だし……」

 ああ、でも、俺、ジブライールに嫌われてるから、ほんとに呪いの言葉になっちゃうのかな?

「む、無理です。できません」

 彼女は首を左右に振った。それはもう、激しく。


「旦那様……それはいかがでしょう」

 ジブライールのみならず、サンドリミンまでもが難色を示す。

「先ほどのご説明が真実だといたしますれば、薬に呪言を込める者は、飲ませる相手に対して愛情を抱いていないと、いけないのではないでしょうか?」

 サンドリミンの言葉に、場がシンと静まりかえる。

 まあ、やっぱりそうだよな。誰が誰に飲ませてもよければ、不貞の時だけでなく、嫌いな相手に飲ませて醜態を誘うのにも使われているだろうからな。だが、そんな実例はみたことがないし。

 もちろん、俺が知らないだけということは大いにあり得るが。


「まあ……その可能性は大きいよな。だとすれば、やっぱり俺では実証不可能か」

 俺のことを想ってくれている相手でなければ、呪言を込めるのは無理ってことだよな。

 ウィストベルがいれば、俺に飲ませてくれと頼むのもありだろうが……いや、弱った後の俺だと、いつもみたいにごまかすことも抵抗することもできないで、最後までやられてしまう。きっとそうなる。そして、離してもらえないかもしれない。

 観念した上でならともかく、なし崩し的にそうなるのはどうだろう。


「誰か、既婚者で配偶者の浮気に悩んでいるものはいないかな? 性別は問わないんだが」

「それは旦那様。いくらでもいるでしょうが」

「お待ちください、ジャーイル閣下!」

 エミリーが軟膏の瓶に手を伸ばし、底冷えする笑顔を浮かべてジブライールを見つつ、こういった。

「では、私が入れる役をいたしますわ! そうすることがジャーイル様に対する想いの証明となるのでしたら、喜んで」

 思わずその迫力にのけぞってしまった。

「あ……うん、じゃ、じゃあ……お願いするよ」

 待って。なんか怖い。なんか、ものすごく怖い実験じゃないか、これ?

 俺はそのとき初めて、自分の迂闊さに気づいたのだった。


「ええっとじゃあ、俺を誘惑……」

 ジブライールの表情がエミリーを見据えたまま、固まっている。いつものように無表情は無表情なのだが、ちょっとなんか違う。呆然としすぎて表情がない感じだ。

 まあ、そうだよな。俺を誘惑しろとか言われても、真面目なジブライールには無理だよな。

「ジブライール、ひきとめて悪かったな。あとは気にしないでくれ。退席してくれてかまわない」

「え……」

「誰か別の人に頼むよ。だから、ジブライールは仕事に戻っ」

「がっ、がんばります!」

「……は?」

「そのお役目、全力をもって、私があたらせていただきとうございます!」


 え?

 ええ?

 ええええ?


「いや、無理しなくてもいいよ、ジブライール」

「無理をしなければ!」

 あ、やっぱ無理なんだ。

「どこの馬の骨ともわからぬ女に、閣下の貞操の危機をさらすという事態に!」

「いや……それはないだろ。ふつうに、ないだろ。サンドリミンもエミリーもいるんだし、俺がお腹壊して個室に駆け込んで、それで終わりという……」

 だいたい貞操っていわれても、俺、男だからね?


「無事、終わりとなる保証がどこに!? そのままその侍女なり、エミリー嬢なりが、弱り切った閣下の寝台に、強引にもぐり込み……」

 いやいや、ウィストベルじゃないんだから。エミリーだってさすがにそこまでは……そこまでは…………しないよな……?

「そんなことは許せません。だから私がやります。絶対に、私にやらせてください!!」

 首を掻ききられそうなその迫力に、俺はただうなずくしかなかったのだった。


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