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(中)



 ひらひらくるくる舞い落ちる、小さな桜の花びらを、器用にその手は受け止める。

 姉と待ち合わせをしていた駅前で、周りの景色から浮き上がるような雰囲気を持つその人を、私は見ていた。

 じっと私が見ていたことに気付いた彼は、首を傾げるようにして微笑んだ。



「弓緒、これ、杉野さん」

 はにかんだ姉が隣に並ぶ姿の良い男の人を指すと、コレってなんや、と彼が笑って茶化す。

 初めて直に耳にする関西の言葉は、テレビや何かで知るより少しやわらかい。それは恋人に向けるものだからかも知れなかった。

 梓ちゃんたらメンクイ、と密かに思いつつ、私はペコリと頭を下げる。

「弓緒です、ヨロシクです」

“杉野さん”は私を興味津々な瞳でじっくり眺めたあと、ぱっと破顔して。

「梓さんの自慢の弓緒ちゃん! ようやっと会えたわ~」

 今よりもまだ背の低かった私の頭をワシワシ撫でる初対面の彼にビックリしたけれど、嫌な感じではなかった。

 それは彼の人懐こいコトバのせいかもしれないし、妹になるのだと最初から意識していたからかもしれない。

 とにもかくも、初めて紹介される姉の恋人に対する私の印象は悪いものではなかった。

 杉野さんと会話をする梓ちゃんは可愛かったし。

 ただ、自慢の弓緒ちゃんてナンだ、何を話していたのだ。

 追及すると、フフフと二人して笑う。もう。

 姉の勤務するブランドショップに商品を卸している会社のデザイナーさん、と言うことしか聞いていなかった私は、彼は服を作っている人だと思っていた。

「布? のデザイナー? へえ、そんなのあるんだー」

「今俺がやっとんのは、オーナーの……弓緒ちゃんが思っとったような“デザイナー”さんの、デザインした服に合う布を作ったり探したりすることなんやけど。よお無茶言われるけど、バシッとハマるものが出来るとそら嬉しいで」

「だから杉野さん、オーナーのお気に入りなんですよ」

 梓ちゃんのからかい口調に彼は、うわヤメテ! なんて嘆くフリをしてみせるけど、その笑顔は全くそうは思っていないもので、仕事が好きで、誇りを持っているのだとわかる。

 こちらを退屈させないで、自分の仕事について熱く語る彼は、大人の人なのになんとなく微笑ましい。

 カッコイイ姿とのギャップも面白い。

 こういうところに梓ちゃんも惹かれたのかな。

 話上手な彼から聞く糸や布、織物のことは興味深くて楽しかった。

 梓ちゃんの影響で、昔からファッションにはアンテナを張っていたけれど、そもそも基がなければ服も鞄も小物も出来ないわけで。

 丁度、将来をぼんやり考えている時期だったから、何かを造り出すという仕事をしている彼との会話に、つい私は夢中になってしまったのだった。


「ごめん梓ちゃん、なんか私スッゴイでしゃばって話してたよね?」

「ううん、弓緒と彼、年も離れてるし不安だったけど、気があったみたいでよかったよー」

 三人で食事をした帰り道、梓ちゃんそっちのけで話し込んだことに反省し、謝る。

 途中から進路相談みたいになってたし。姉の結婚相手に会いに来たのに何やってんだ私は。

「杉野さんにもね、弟妹がいらっしゃるんだけど、下の妹さんは別れたお母さまが引き取られたとかで、会えないんだって。だから、私と弓緒がうらやましいってよく言ってたの」

 ――だから、弓緒が仲良くしてくれると嬉しいんじゃないかな。

 そう、梓ちゃんはホッとしたように笑ってくれたから。

 別れる間際、彼がくれた綺麗な桜の花びらを胸ポケットに入れたまま、密かに覚えた痛みは、忘れることに、した。


 それからしばらくして、彼が家に挨拶に来て。特に揉めることも何もなく、梓ちゃんたちの結婚準備は進んでいった。

 私はといえば、彼に仕事のことを聞いてから、そっちに興味が出てきて、小物を作ったり、簡単な服のリメイクを趣味とするようになって。

 ときどき、作った物を見せてもらって、姉の彼というよりも尊敬する大人の人として、親しくなっていた。

 春佳くんと呼び出したのもこの頃。

 杉野さんと呼ぶと固いからヤメテ、なんて言われて、かといってお義兄さんも照れくさいし、春佳さんは女の人みたいだって嫌がるし。

 十も歳上の人を“くん”呼ばわりするのはどうかなって思ったけれど、呼び始めたら違和感はなくなった。

 梓ちゃんはまだ“杉野さん”なのに変なの、と言うと、お仕事関係では上の人だったから、なかなか切り替えが上手くいかないのよね、と梓ちゃんははにかんだ。


 思えば、私も必死だったのだ。

 淡く芽生えたその想いを隠すのに。

 会うたび大きくなる気持ちを、姉にも彼にも誰にも悟られるわけにはいかなくて。

 お兄さんとして、仲良しになってるんだよ、何にもないよ、というフリをするのに、精一杯で。


 ――姉の様子がおかしいことになんて、気付きもしなかった。


 それは、式まであと数ヶ月という時のこと。

 友だちと遊びに出掛けていた私の携帯に、春佳くんから電話があった。

 それまでメールでやり取りしたり、梓ちゃんとの電話に混ぜてもらったりしていたから、別に構わないのだけれど。

 ――個人的に掛かってくるのは初めてだった。

 電話口に出た、彼の声はいつもの弾むようなリズムではなくて、少し沈んでいるようで、そのことも、いつもと違う雰囲気を感じ取らせた。

 友人を気にしながら当たり障りのない会話をしばらくして――こちらから切り出す。

 どうかしたの、春佳くん。

 返ってきたのは、吐息のような苦笑だった。

『……弓緒ちゃん、また、俺と会うてくれるかなぁ?』

 わずかな沈黙のあと届いた呟きに、秘めていた想いを悟られたのかと、一瞬言葉につまる。

「え、なんで? わざわざ訊かれなくても、会うでしょ、」

 だって家族になるんだから――、

 明るく言い放つはずの言葉は、何故か音にすることが出来ず、静かな無音が私たちの間を漂う。

 ――ん、ありがとう、またな。

 小さく笑った春佳くんは、そう言って通話を終わらせた。

 足元が揺れるような不安に突き動かされて急いで家に帰る。

 梓ちゃんに訊かなきゃ。

 何かあったの、なんか変だったの――


 そして、家にたどり着いた私が見たものは。


 青い顔をして項垂れている梓ちゃんと、その隣で土下座してる男の人。

 対面に、静かな怒りに身を震わせている父と、困惑した母の姿だった。

「お前たちがまず謝らなきゃいけないのは杉野くんにだろう!」

 めったに怒ることのない父が声を声を荒くし、目の前の二人を叱責している。

 母は重いため息を吐き。

 姉は、――姉は、隣にいる男性と膝の上で手を繋いで。涙を堪えて強張った表情をしていた。

「もちろん、彼には先に詫びを入れてきました。いくら詰られても殴られても仕方がないと思っていました。なのに彼は、子どもがいるならご両親に早く話した方がいい、と……」

 彼はきっと誠実な人なんだろう。父のきつい眼差しにも怯まず、まっすぐに言葉を発していた。

 でも、だけど、それが何だというのだ。

「――なにそれ」

 私がそこにいたことに誰も気付いていなかったのか、一斉に視線がこちらへ向いた。

 姉が眉を曇らせる。

「弓緒……」

「どういうこと? その人誰? ――子どもってなに」

 言いながら、私は答えを聞くより先に知っていた。

 さっきの電話で聞いた彼の沈んだ声。

 そして、この状況。

 そういえば最近梓ちゃんは春佳くんと会っていなかった、彼の仕事が忙しいからかと思っていたけれど私が送った息抜きメールに返事は来てたよ、連絡をとる様子もなかった、何で?

 どうして?

 互いを守るように、知らない男と手を握り合う姉は、じっと私を見つめる。

 もう、どんな非難も聞く覚悟をした目をしていた。それが何よりの答え。

「信じらんない……」

 これ以上ここにいれば後で後悔するような酷い言葉を吐きそうだった。

 踵を返して家を飛び出す。制止の声が聞こえたけれど、無視して。


 梓ちゃん、何で?

 何で春佳くんを裏切ったの。

 子ども、ってなんなのよ。

 式場を見に行ったり、結婚式までのスケジュールを話し合ってたの、この間のことじゃない。


 いつから。

 どうして。


 疑問の言葉ばかりを繰り返し、私はいつの間にか駅前の広場にポツリと立ち尽くしていた。

 どこへ行こうと思ったのか。

 春佳くんのところになど、行けるはずもないのに。

 かといって、家に戻る気にもなれないで、近くのベンチに腰を下ろした。

 あの人と一緒にいたってことは、梓ちゃんはもう、春佳くんと結婚する意思はないってことで。

 梓ちゃんのお腹の中にはあの人の子どもがいて。

 どうして。

 どうしてそうなったのよ。

 春佳くんに想われているくせに――

 冷静になれない。

 これから一番大変なのは姉だ。 婚約破棄、今までしてきた結婚の準備も白紙に戻さなきゃならない。

 まだ式の招待状を出していなかったのは幸いか。

 だけど姉と春佳くんの結婚の話は、勤務先にも知り合いにも知られているはずだ。

 二人の間に何があったのか、身内と言えども結局部外者である私にはわからないけれど、婚約者である春佳くん以外の人との子どもがいるということは、姉に非難が集まるのは必至。

 味方にならなきゃいけないとわかっているのに、春佳くんのことを思うと、どうしても、梓ちゃんをなじる言葉しか出てこない。

 その時点で、私はあんなに仲の良かった姉より、彼を取ってしまっていることにも気付いていた。

 どうして話してくれなかったの。

 ――私が、春佳くんになついていたから?

 こんなことになるなら、どうして春佳くんと会わせたの。

 ――会わなければ、こんなに、辛くならなくて、済んだのに。

 ひどい、となじる心の裏側にある、自分勝手な言い分は見ないふりをして、ひたすら姉を責めた。


「――弓緒ちゃん!」

 どのくらいそこにいるのかわからなくなった頃、慌てたような彼の声が耳に飛び込み、私は瞬く。

 ゆるりと顔を上げると、走って来たのか髪を乱した春佳くんがいて。

 瞬きを繰り返す私の前に辿り着くと、安堵したようにしゃがみこむ。

「……梓さんから、弓緒ちゃんがおらんようになったって連絡が――見つかって良かった……」

 深く息を吐いた彼の言葉に、私は唇を噛んだ。

 梓ちゃんのバカ。

 どうして春佳くんに連絡したりなんてするの。彼を裏切って傷付けたくせに、私のことで煩わせるなんて、最悪だよ。何考えてるの。

 私のバカ。

 それでもこうして春佳くんが心配して探してくれたのが嬉しいなんて――もっと最悪だ。

「ごめん、なさい……」

 私の小さな声に、春佳くんがしゃがみこんだ姿勢のまま、顔を上げる。

 ベンチに座る私より少し目線が低い。

 彼を見下ろせるなんて滅多にあることじゃないのに、涙を堪えるのに必死でそれどころじゃない。

 私が泣くのは違う。

 私が泣く権利なんてない。

「ごめんなさい、ごめ……」

 ギュッと目を閉じて謝罪の言葉を繰り返していた私は、息を飲んだ。

 気付けば立ち上がった春佳くんの腕に抱き締められていて。

 涙腺が決壊した。

「弓緒ちゃんが謝ることなんかなんもない。梓さんとこうなってしもうたのは、俺が悪かったんやから」

 彼の胸に顔を押し付けた状態のまま、首を振る。宥めるように頭を撫でられて、そのやさしい仕草が、余計に辛かった。

 ――違う。違うの。

 違うんだよ、春佳くん。

 私が謝っているのは、姉が貴方を裏切ったことに対してじゃなく、自分の醜い気持ちに対してなんだよ。

 ――梓ちゃんを責める言葉の裏で、貴方が姉の恋人じゃなくなったことを喜ぶ、醜い私がいることを。

 貴方が恋人に裏切られたことを喜ぶ、こんな私を気にかけてくれる、それを嬉しいと思う、思ってしまうことを――謝っているんだ。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい、ひどい女の子でごめんなさい―――


 あんな風に飛び出して、どんな顔で帰ればいいのか渋る私を宥めて、春佳くんは家まで送ってくれた。

 私と同じように泣き腫らした目をした梓ちゃんが、何か言いたげにしていたけれど、まだダメだった。

 ゴメン、と一言だけ残して自分の部屋へ閉じこもる。

 そのあと、みんなでどんな話し合いがされたのかよく知らない。

 姉にもあの人にもひどい言葉を吐くのが嫌で、ずっと閉じこもっていたから。

 それからすぐに、春佳くんと予定していた式よりずっと簡素な――地味な、身内だけの結婚式を挙げて、姉は家を出ていった。

 おめでとうは言えなかった。

 ただ、気を付けてね、と少しお腹が大きくなった姉に告げて。

 距離を、置いた。

 甥が生まれる頃には、一応、何も知らない人が見れば普通の姉妹に見えるくらいには、私の態度は軟化していたと思う。

 姉にもいろいろあって、そうするしかなかったんだと、頭では理解することが出来たから。

 お義兄さんも、春佳くんのことを考えなければとてもいい人だし、姉を愛しているのは充分にわかった。

 だけど――いつまでも消えない彼への想いと共に、姉に対する複雑な気持ちは無くなりはしなかった。



『――弓緒ちゃん? 元気にしとった?』

 その電話が掛かってきたのは、季節が二つ過ぎたある日のことだった。

 手にした携帯から聞こえる声が信じられなくて、私は言葉を失う。

 無言になったこちらにどう思ったのか、明るい第一声とは違う、困ったような声音が続いて。

『……ゴメン迷惑やったかな。今日仕事で外歩いとったら、桜が咲いとるのに気付いて――なんや弓緒ちゃんと話しとぉなったんや』

 何か言わなきゃって思うのに、音になってくれなかった。

 おんなじだよ、春佳くん。

 私も。

 私も、貴方を思い出していた。

 くるくる落ちる花びらに、嬉しそうに笑っていた、初めて会ったあの日のことを。

 貴方と姉の恋人として出会ったのは、ちょうど今の季節だったから。

 どうしてるかな、って。

 ――会いたいな、って。

 彼を裏切った女の妹である私が思ってはいけないことを、思っていた。

「……春佳くん、も、元気?」

 たったそれだけを返すのに、ものすごく気力がいった。

 私が答えたことにホッとして笑う吐息が聞こえて、どうしようもなくなった。


 ――好き。


 姉の恋人だった人を好きだなんて、辛いだけなのに。

 彼は気の合う妹としてしか、私を見てくれないのに――寂しさを埋める、代わりでしかなくても、かまわない。

 電話をくれた、その理由がどんなものでもいい、たったひとつ繋がった細い糸にしがみつくようにして、会う約束に頷いた。


 久しぶりに会った春佳くんは、少し痩せたみたいで、ちゃんと食べてる? と私が眉をひそめながら言うと、頬を緩めて。

 心配してくれんの、嬉しいなぁ、って、バカみたいにニコニコするから、実は緊張していたことなんてどこかへ行ってしまった。

 梓ちゃんのことなんて無かったみたいに、会話して、進路のアドバイスを受けて、ほんのたまに、彼の作業室を見学させてもらったり、拙いながらも女子高校生なりの意見も出したりして。それは以前と変わらず。

 多忙な社会人の彼に合わせる形で、月に一、二回逢うだけだったけれど、少しも嫌じゃなかった。その時が楽しみだった。

 そうして、春を二巡り。

 梓ちゃんの話題が全く出ない、それが不自然すぎることをわかっていながら、擬似兄妹の関係を続けていた。

 でも―――。



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