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エルフに土下座で告白したら振られたけど、なぜか一緒にダンジョン攻略することになった  作者: 紅茶伝


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第15話:境界を越えるもの



揺らぎは、静かにそこにあった


遠目には、ただ空気が歪んでいるだけに見え、まるで陽炎のように景色の輪郭が揺らいでいるだけの、どこにでもありそうな曖昧さをまとっているはずなのに、一歩、また一歩と距離を詰めるごとに、それが単なる視覚の錯覚ではなく“そこに存在しているもの”なのだと、皮膚感覚ごと理解させられていく。


視界の奥行きが、わずかに狂う。


近くにあるはずの岩肌が遠くへ引き伸ばされ、逆に遠くに沈んでいるはずの影がすぐ手の届く位置まで浮かび上がってくるその不自然な遠近のねじれが、目だけでなく身体の重心の感覚までも静かに狂わせていく。


その前で、四人は自然と足を止めていた。


踏み出せば触れられる距離にあるのに、その一歩だけが妙に遠い。


音が、変わる。


靴底で踏みしめた砂の細かな粒が擦れる音は確かに足裏には伝わっているのに、耳に届く前にどこかへ吸い込まれ、装備同士がわずかに触れ合う乾いた音も途中でほどけるように消えていく一方で、自分たちの呼吸だけがやけに生々しく残り、肺の中の空気の出入りまでもが強調されて聞こえてくる。


揺らぎの縁に触れた瞬間、肌がわずかに粟立つ。


冷たいわけではないのに、汗が引くような感覚があり、熱を帯びているわけでもないのに、皮膚の奥がざわつくような不快な感触が残るその違和感は、理屈ではなく本能の領域で“これ以上近づくべきではない”と警告していた。


ミミが思わず声を潜める。


「……これ、いつもより変じゃない?」


その声すら、まっすぐ届かずにわずかに引き伸ばされ、空間の中で形を変えてから耳に入ってくる。


見た目の形は同じだった。


これまで何度も目にしてきた“揺らぎ”と、輪郭だけを切り取れば変わらない。


それでも、明らかに違うと分かる。


――ダンジョンに潜る者であれば、誰もが知っている。


階層というものは、ただ奥へ進んだ先に自然と切り替わる境界ではなく、各層のどこかに必ず現れる“揺らぎ”を見つけ出し、それに触れ、その歪みの中へと身体ごと踏み込むことで、初めて次の領域へと移行する構造になっている。


空間そのものが折り重なり、別の層と繋がる現象。


それが、この世界におけるダンジョンの常識だった。


上層においては、その揺らぎは比較的穏やかで、淡く揺れながらも輪郭は安定しており、位置も読みやすく、経験の浅い冒険者であっても視認し、辿り着くことはそれほど難しくない。


しかし中層へと足を踏み入れた途端、その性質は変質し、揺らぎは固定された場所に留まらなくなり、魔力の濃い領域や強い個体の縄張りに引き寄せられるように現れるようになり、それを見つけ出すこと自体が一つの技術として扱われるようになる。


そしてさらに奥、深層へと近づくにつれて、その揺らぎは単なる“入口”ではなくなり、形を保ちながらも内部に乱れを孕み、踏み込む者を正確に次の層へ導く保証すら失っていく。


位置がずれる。


階層がずれる。


場合によっては、本来いるはずの層とはまったく異なる領域へと放り出されることすらある。


だからこそ多くの冒険者は、中層の奥――強い揺らぎが現れ始める領域で足を止める。


そこが実質的な終着点とされ、それより先は“進める場所”ではなく、“到達してしまう場所”として語られる。


その揺らぎが、今、目の前にある。


だが――


明らかに違う。


揺れが、深い。


ただ空間が歪んでいるのではなく、底へと引き込まれていくように沈み込み、見ているだけで重力の向きが狂いそうになるほどの“落ちる感覚”を伴っている。


カイルが一歩前に出ると、踏み込んだ足元の砂が沈み込み、その感触は確かに足裏に伝わるのに、やはり音だけが途中で消える。


「……濃いな」


低く吐き出された声は、普段よりもわずかに重く、空気の中に沈むように響いた。


ニナは何も言わずにその隣を通り、揺らぎのすぐ手前で足を止めると、指先が触れられる距離まで静かに腕を伸ばす。


ためらいはない。


ゆっくりと、空間へ触れる。


その瞬間。


ビリ、と細い震えが指先から腕へと走り、皮膚の表面ではなく内側をなぞるような違和感が伝わってくる。


空気ではない。


固体でもない。


それでも確かに“抵抗”があり、押し返される力と引き込もうとする力が同時に存在している。


流れている。


歪んでいる。


均衡が崩れている。


ニナは手を引かず、そのまま指先を滑らせるように動かし、空間の流れそのものを撫でるように調整していくと、乱れていた揺らぎがほんのわずかに形を取り戻し、波の振幅が小さく収まっていく。


「……不安定」


小さく漏れたその声には、迷いではなく確信が含まれていた。


アルトはその一連の動きを見ていたが、同時に頭の奥を鋭い痛みが貫く。


ズキッ、と脈打つような痛みが走り、視界の端が白く滲み、空気の重さが一気に増したように感じられる。


(……強いな)


呼吸が浅くなり、胸の奥が詰まるような圧迫感が残る中でも、意識だけは無理やり前に繋ぎ止める。


崩さない。


表に出さない。


ニナが振り返る。


アルトを見る。


その視線は、ただ確認するためのものではなく、何かを測るように静かに止まる。


「……行ける」


短く言い切る。


「でも、このままだとズレる」


ミミが反射的に身を起こし、声にわずかな焦りを滲ませる。


「ズレるって……どこに!?」


ニナは首を振る。


「分からない」


即答だった。


「だから、今整える」


その言葉には、躊躇が一切ない。


――この揺らぎは普通じゃない。


四人とも、言葉にしなくても理解していた。


このまま踏み込めば、どこへ出るか分からない。


それでも。


ここを越えなければ、先には進めない。


張り詰めた空気の中で、誰もすぐには動かず、誰も無駄な言葉を重ねないまま、ただ目の前の揺らぎだけが静かに、しかし確実にその存在を主張し続けていた。


ゆっくりと。


深く。


底へ引き込むように。


四人を待つように、揺れている。


――境界は、すぐ目の前だった。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!

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