第1話:土下座から始まる街案内
「アルトー! 荷物頼む!」
朝の市場に、よく通る声が響いた
潮の匂いに混じって、焼きたてのパンの香ばしい匂いが流れてくる
石畳は朝露で少しだけ湿っていて、踏むたびに靴裏にひんやりとした感触が伝わる
「はいはい、今行く!」
僕は返事をしながら木箱に手をかけ、そのまま肩に担ぎ上げる
ずしりとした重さが乗るが、慣れた動作でそのまま持ち上げる
ここはミルト国東部の港町、カイニー
海と山に挟まれた小さな街
だけど東のダンジョンが近いせいで冒険者も多く、朝から人通りが絶えない
石畳の通りには屋台が並び、鉄板の焼ける音と人の笑い声が混ざり合う
魚の焼ける匂いと潮風が、絶えずこの街を包んでいる
僕はこの街が好きだ
理由をちゃんと考えたことはない
でも、この空気の中にいると、それだけで落ち着く
「助かったよアルト!」
商人のおじさんが笑いながら手を振る
「腕っぷしは相変わらずだな!」
「そのくらいしか取り柄ないからね」
軽く笑って返しながら、木箱を荷車に乗せる
力仕事くらいしかできない
でも、それで誰かが助かるなら別にいいと思っている
そういうのは昔から、当たり前だった
「アルくーん!」
振り向くと、パン屋のおばさんが手を振っていた
「また手伝ってたの? 偉いねえ」
「暇だっただけだよ」
そう言いながら近づくと、焼きたてのパンを渡される
手に取ると、まだ温かい
指先にじんわりと熱が広がる
「またもらっていいの?」
「働いたご褒美!」
この街の人はこんな感じだ
よく喋って、よく笑う
そしてなぜか、よく僕を呼ぶ
別に特別なことをしているわけじゃない
頼まれたら断れないだけだ
それだけなのに、気づけばこうなっていた
「おーいアル!」
振り向くと、ギルドの冒険者たちがいた
装備がこすれる音、鉄の匂い、朝だというのに、すでに戦いに向かう顔をしている
「今度腕比べしようぜ!」
「この前負けたろ?」
「今日は勝つ!」
「いや無理だろ」
笑いながら手を振る
こういうやり取りも、いつものことだ
平和な朝だった
――そのとき
通りの向こうから、三人の旅人が歩いてきた
人の流れの中にいるはずなのに、その三人だけはなぜか目に入る
赤い鎧の大男
一歩一歩が重く、地面を踏みしめるような歩き方をしている
その隣には、ふわふわした茶髪の女の子
周りを見ながら楽しそうに歩いている
そして――
真ん中にいた彼女に、僕の視線は止まった
長い青い髪が、朝の光を受けてやわらかく揺れている
海の色をそのまま閉じ込めたような髪だった
透き通る白い肌
小柄な体
長い耳
エルフだった
この街でエルフを見ることはほとんどない
でも、僕が目を奪われたのはそれだけじゃない
彼女は仲間と話していた
そのとき、ほんの少しだけ口元が緩んだ
ほんのわずかな笑み
それだけなのに、胸が強く鳴った
どくん、と一拍
市場の音が遠くなる
焼ける音も
人の声も
全部がぼやける
視界の中心にいるのは、彼女だけだった
髪を耳にかける仕草
青い瞳
少し眠そうなまぶた
全部が綺麗だった
理由なんて分からない
でも、そのときの僕にはそれで十分だった
――好きだ
三人が僕の横を通り過ぎる
すれ違う瞬間、ふわりと風が揺れた
その流れのまま、彼女がこちらを見る
目が合った
ほんの一瞬
それだけで十分だった
体が勝手に動いた
考えるより先に、足が出ていた
気づいたときには、石畳の冷たさが膝に伝わっていた
土下座していた
「好きです!!付き合ってください!!」
通りが一瞬で静まり返る
「アルト何してんだ!?」
「ついにやりやがった!」
「エルフに告白してるぞ!」
知り合いたちの声が一気に飛んでくる
頭の中が一瞬で熱くなる
やばい
恥ずかしい
でももう遅い
顔を上げる
青い瞳が、まっすぐこちらを見ていた
驚きよりも、呆れが強い目だった
そして彼女は、迷いなく言った
「無理」
即答だった
一秒の迷いもない
僕は勢いよく立ち上がる
「ですよね!?急にこんなこと言われても困るよね!?ごめん!」
早口になる
自分でも何を言っているのか分からない
彼女はほんの少しだけ眉を寄せる
「そういうところも無理」
ぐさり、と刺さる
胸の奥がじん、と痛む
そのとき、赤い鎧の男が肩を軽く叩いた
「まぁまぁ落ち着けって」
低くて落ち着いた声だった
「急に告白されたらそりゃ困るだろ」
茶髪の女の子がくすっと笑う
エルフの少女は小さくため息をつきながら視線を外し、これ以上会話を続けるつもりはないという意思をそのまま動きに乗せるようにして、短く言葉を落とす
「行こ」
その一言は静かだったが、はっきりと区切りをつけるような響きを持っていて、次の瞬間には赤い鎧の男と茶髪の少女もそれに従うように自然と歩き出し、三人の足音が石畳の上に一定のリズムを刻みながら、少しずつ僕から離れていく距離を作り始める
その背中が、ほんのわずかずつ遠ざかっていく
人の流れに紛れて、見えなくなるまで――そう時間はかからない
(……まずい)
胸の奥で、はっきりとした焦りが形になる
このまま終わる
そう思った瞬間、さっきまでの恥ずかしさや戸惑いとはまったく別の感情が一気に押し上がってきて、頭で考えるよりも先に、体の方が勝手に動き出していた
喉が先に開く
「ちょっと待って!」
声が出る
想像していたよりも大きな声だった
周囲のざわめきが一瞬だけ途切れ、通りの空気がわずかに揺れる
三人の足が止まる
ほんの数歩先で
その距離がやけに遠く感じる
ゆっくりと、振り返る
青い瞳が、まっすぐこちらを射抜く
さっきよりも少しだけ警戒が強くなっている視線
「……何?」
短く、無駄のない言葉
その一言だけで、これ以上変なことを言えば完全に拒絶されるという空気がはっきりと伝わってくる
(……やばい)
頭の中で警鐘が鳴る
さっきみたいな勢い任せじゃだめだ
ちゃんと理由がいる
引き止めても不自然じゃない理由
でも、時間はほとんどない
三人はすぐにでもまた歩き出す
(……考えろ)
必死に頭を回す
視線が自然と三人の足元へ落ちる
石畳
坂
歩き方――
(……あ)
繋がる
「この街、初めてじゃない?」
言葉が出る
少しだけ間を置いてから、茶髪の少女が首をかしげる
「え?」
ニナの目がわずかに細くなる
「……何でそう思うの?」
疑いの色は消えていない
でも、完全に切り捨てる視線でもなくなっている
(……いける)
僕は少しだけ息を整えてから、できるだけ落ち着いた声で続ける
「歩き方だよ」
指先で石畳の傾きを示す
「この街、港町だから坂が多いんだ」
「住んでる人は自然と体が少し前に出る」
言葉を選びながら、ゆっくり説明する
「でも君たちは違う、真っ直ぐ歩いてた」
ほんのわずかな沈黙が落ちる
その間が、やけに長く感じる
そして――
「すごい!」
茶髪の少女がぱっと顔を明るくする
その反応で、張り詰めていた空気が少しだけ緩む
赤い鎧の男も口元を緩める
「よく見てるな」
ニナはまだ僕を見ている
けれど、さっきまでの拒絶の色がほんの少しだけ薄れているのが分かる
「……それで?」
次を促す声
(……ここだ)
僕は一瞬だけ息を吸う
「この街、道分かりにくいから」
言葉を区切る
「宿探してるなら――」
ほんのわずかな間
「案内してあげたい」
三人が僕を見る
ニナの視線が、真っ直ぐ刺さる
「……なんで?」
その問いはシンプルで、逃げ道がない
でも――
「この街、好きなんだ」
「だから初めて来た人には案内したくなる」
自然に出た言葉だった
考えたわけじゃない
でも嘘でもない
その言葉を聞いた瞬間、茶髪の少女が楽しそうに笑う
「いいじゃん、ニナ!」
ニナが少しだけ睨む
「知らない人」
「でも街詳しそうだよ?」
赤い鎧の男も静かに言う
「宿見つかるなら助かるな」
ニナは少しだけ視線を下げる
考えている
その時間が、やけに長く感じる
そして――
長い髪を指先で軽く整えながら、小さく息を吐く
「……宿まで」
短い言葉
それでも、はっきりとした許可だった
胸の奥が一気に軽くなる
「了解!」
思わず声が明るくなる
一歩前に出る
距離が少しだけ縮まる
手を差し出す
「アルト・ルーン」
ニナはその手を見る
すぐには触れない
ほんのわずかな迷い
それから――
「ニナ・リーチ」
名前だけが返ってくる
小さな声
それでも、確かに届く
こうして僕とニナは出会った
このときの僕はまだ知らない
この出会いが、東のダンジョンの異変と
やがて世界を揺るがす出来事へ繋がっていくことを
でも一つだけ言える
もし時間を巻き戻せても
僕はきっと同じ場所で土下座する
だって彼女は――
それくらい可愛かったからだ
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