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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

石の部屋と雪だるま

作者: 梅崎あめの
掲載日:2026/02/04

 こんな、こんな結末はあんまりだ。

 嘆いたところで仕方ないことは分かっているが、アンナは嘆かずにはいられなかった。


 酒場で給仕として働いていた母が、満面の笑みで帰ってきたのはいつになるだろう。

 この場所に閉じ込められてから、どれくらいの時間のが経過したのか、アンナにはわからない。


 アンナを抱きしめて「もう苦労しないで済む」と、ほろほろと涙を流す母の手を取らなければ、こんなことにはならなかっただろうか。


「…………さむい」


 真冬に全面石でつくられた部屋では、冷えてしまうのも仕方ない。アンナは、あの日、母に連れて来られた恰好のままだった。


 まだ雪の降らない時期の、母とふたりで暮らしてたときのまま。


 母の再婚相手である『どこかに領地を持つ男爵さま』は、屋敷に連れられてきたアンナを見るや否や、「それ(・・)はだめだ。捨ててくるか下の部屋へ放り込め」と告げた。


 驚きのあまり目を丸くしたアンナと母の背後で、カチャリと音がした直後、アンナと同じくらいの少女が部屋に入ってきて、アンナの母は全てを悟った。


 そうして、アンナの『下の部屋』行きが決まった。


 ──見渡す限り石でできた、鉄格子の檻の入口がある部屋に。



 くしゅん。アンナは思わずくしゃみをした。

 1日に一度は食事はあるものの、毛布などの差し入れはない。

 正確には、あった。目を盗んだ母がこっそり持ってきてくれたのだ。


 だが、食事を持ってきた使用人から伝わったのか、激怒した男爵が怒鳴りこんできた。


 あまりの剣幕に、「私がどうしても欲しいって言ったの」とアンナが告げれば、頬をひっぱたかれ、アンナの小さな身体は僅かに跳ねて飛んだ。


『屋敷で1番えらい男爵さま』に逆らってはいけない。

 男爵さまの決めたことは絶対なのだ。

 この部屋に、男爵さまが毛布は要らないと決めたなら、それが正しいことなのだ。


 もしもアンナを気遣ってくれたことがばれれば、母はとんでもない目に遭うに違いない。

 アンナは考えただけで、恐ろしかった。


 くしゅん。アンナは再びくしゃみをした。

 両手で口を覆い、小さく息を吐くとかじかんだ手はほんのりと温かくなる。


「…………今日も、さむいね」


 アンナは、たったひとり(?)の同居人である雪だるまに、話しかけた。

 

 鉄格子の反対側にある壁の1番下に、小さな鉄格子がある。

 そこから手を伸ばせば雪に手が届く。


 普段ならば、絶対手を伸ばさないが、男爵さまにひっぱたかれたあの日、手が赤くかじかむのも構わずつくったのだ。


 たびたび雪だるまに話しかけてるアンナの姿に、気が触れたと思ったのか、母も男爵さまも、毎日食事を置きに来る使用人も、この石でできた部屋にすっかり姿を現さなくなってしまった。


 まるで、世界と断絶された気分だ。

 この世界には、アンナだけしかいないような気持ちになってしまう。


 アンナは、壁によりかかり、小さく息を吐いた。

 1日1食だった食事は、使用人が姿を現さなくなると共になくなった。


 固いパンと、味のないスープ。

 美味しいかと訊かれると、むずかしい。

 わがままを言うなら、母がつくってくれたスープの方がずっと美味しい。もう食べられないけれど。


 くしゅん。アンナはまた、くしゃみをした。

 家に帰りたいな。あの、母と暮らしてた小さな部屋に。

 でもその願いは叶わない。そのことをアンナは知っている。

 身体がゆっくりと床に倒れて、アンナは瞼を閉じた。



「───ねえ、ここから出たくない?」



 真っ暗闇の中で、声がした。


 ここから? どうやって?

 行く宛もないのに?

 ここから出たって野垂れ死にするだけ。


「──ここにいたって、変わらないのに?」


 ……確かに、そうかもしれない。

 食事は出なくなったし、身体を温める毛布もない。

 迎える結末は変わらないのかもしれない。


 だったら──


「──出たい」


 アンナは呟いた。


 迎える結末が変わらないのなら、少しでも希望のある終わりがいい。

 石で出来た天井よりも、空の下での終わりがいい。

 それが曇り空の下であっても、降り積もる雪に埋もれたとしても。


「出してあげる、その代わり──」



 アンナが目を冷ますと、いつもの部屋だった。

 冷たい石でできた、アンナ以外誰もいない、いつもの部屋。


 寂しかったのだろうか。

 いつもならあんな夢、絶対に見ないのに。


 横たわったアンナの視界の隅で、なにかがもぞもぞと動いた。


「──やっと起きた。はやく出発しよう!」


 雪だるまだった。

 あの日、アンナがつくった、雪だるま。


 とうとう本当に気が触れてしまったのか、だから誰も来なくなったのか。

 アンナはまじまじと考えてしまった。


「──行かないの?」


 寂しげな声で、雪だるまはアンナに手(?)を差し出した。

 正確には手をイメージしてさした落ち葉だが、手と呼んでも問題ないだろう。


 アンナは、ずっと考えていた。

 あの日、母の手を取らなければ良かったのかもしれないと。

 もしくは、行きたくないと駄々をこねていたなら、もしかしたら。もしかしたら。


 なんて、考えても仕方なかったのに。


「行くわ。ここにいたって仕方ないもの」


 母の居場所はここにはあるが、アンナの居場所はここにはない。

 このままここで終わりを迎えるなら、外で終わりを迎えて構わないだろう。


 アンナは、雪だるまの葉にそっと手をのせた。

 がさがさとして、冷えきっているはずなのに、不思議とあたたかい気がする。

 これはもう、本当に気が触れてしまったのかもしれない、とアンナは思った。


 アンナが手を重ねた瞬間から、ふわふわとやわらかい光が出た。

 その光は、石で出来た部屋の外側に面した壁に触れると、すっと消えた。


 生まれた光はひとつだけじゃなかった。

 ひとつ、ふたつ、と続いて浮かび上がり、また石の壁に向かっていき、壁に触れると消えていく。


 繰り返す現象をぼんやりと眺めていたアンナは、あることに気付いた。壁の一部が溶けているのだ。


 壁とは石とは溶けるものだったろうか。

 幼いアンナは首を傾げながら、目の前の雪だるまを見つめた。

 そうしてふと思った。

 もしかしたら、この雪だるまのおかげではないかと。


 それとももしかしたら、アンナは夢を見ているのかもしれない。

 ここから誰かが出してくれるという、しあわせな夢を。


 それでもいいや、とアンナは思った。

 例え夢であったとしても問題ないのだ。


 だって、アンナは嬉しかったから。

 アンナと世界を隔てる壁が壊れていくことが、どうしようもないくらい嬉しかったから。


 だから夢でも構わないのだ。


 外側の壁側が半分ほど溶けたところで、雪だるまは「行こう」と言った。

 表情はわからないが、きっと楽しそうな顔をしているに違いない。

 だって、声が弾んでいるから。


 アンナは、背後の鉄格子を振り返った。

 鉄格子の前にある通路から階段を上ったところに、母たちの居住空間がある。

 こことは違って、灯りがあって、あたたかい場所。


 壁が半分まで溶けるのに、随分と時間がかかったはずなのに、誰も見になど来なかった。

 本当にここには、アンナの居場所などなかったのだ。


「うん」


 アンナは振り切るように頷くと、外の世界へと歩き出した。

 雪だるまと、アンナ。ふたりぼっち。

 これからどうすればいいかなんて、さっぱりわからないけれど。



 雪だるまは、石の部屋へと出ると、「ちょっと待ってて」と言った。

 すると、周囲の雪を瞬く間に取り込んで、手のひらサイズの雪だるまから、アンナよりも一回り大きな雪だるまへと変身した。


「さ、乗って」


 突然の提案に、アンナは困惑する。

 だって、雪だるまは雪で出来ているのだ。

 アンナが乗ったら、潰れちゃうのではないだろうか。


「早くしないと、見つかっちゃうから」


 そう急かされて、困惑しながらもおそるおそるアンナは雪だるまの背にしがみついた。

 見つかるのは困る。でも、雪だるまが潰れても困るのだ。


 雪だるまの背中は、思ったより頑丈だった。

 アンナが背中に乗っても、潰れそうな気配はない。

 安心したアンナは、雪だるまの背中に身体を預けた。


 雪だるまは、するすると雪の上を滑っていく。

 屋敷の塀は、ひょいっと飛び越えて。

 着地で崩れかけたかと思えば、周囲の雪を吸い込んで復活する。


「…………すごい」


 まるで、絵本で見た魔法みたいだ。

 すいすいと進む雪だるま。いつの間にか遠くなる屋敷。

 アンナの意識は、雪だるまに集中していた。


 助けてくれたんだもの、お礼をしなくっちゃ。

 確か、雪だるまのお願いがあったはず。


 なんだっけ、なんだっけ。

 アンナは頑張った。

 なんとか必死に思い出そうとして──思い出した。

 その途端、身体が重くなる気がした。


 アンナの異変に気付いた雪だるまは、立ち止まった。

『男爵さまのりっぱなお屋敷』からすっかり遠く離れ、丘の上まで来ていた。


 立ち止まった雪だるまの背から降りたアンナは、振り返った雪だるまに告げた。


「──あのね、雪だるまさんになら食べられてもいいよ!」


 アンナの発言に、雪だるまは、もともと丸かった目が更に丸くなる気がした。

 いや、雪で出来た目が溶けていくような感覚の方が近いかもしれない。


「…………へ?」


 思わず、間の抜けた声が出た。雪だるまは肉食ではない。

 なぜ、こんなことを言われたかわからず、雪だるまはただ困惑していた。


「…………だって、『たましい』が欲しいんだよね? 絵本の『しにがみさん』みたいに」


 とても驚いている様子の雪だるまに、アンナは訊ねた。

「出してあげる。その代わりに、たましいが欲しいんだ」と言っていたはずなのに。

 なぜ、雪だるまが動揺しているのか、アンナにはわからなかった。


「…………違う! たましいは欲しいけど、そうじゃなくて」


 アンナの言葉に、雪だるまは理解した。

 アンナの勘違いの理由に。


 雪だるまが欲しいのは、アンナの魂ではない。

 雪だるまが欲しいのは──


「きみのたましいじゃなくて、ぼくのたましいが欲しいんだ」

「…………雪だるまさんの?」


 アンナに問いかけられ、雪だるまは、こくりと頷いた。


「…………『たましい』が、ないの………?」


 アンナの疑問に、雪だるまは再び頷いた。


 アンナは驚いた。

 雪だるまに『たましい』がないなんて。


 でも、だとしたら、どうやったら雪だるまは手に出来るのだろう。

 もしかしたら、アンナになにか出来るのかもしれない。

 だって、アンナに「たましいが欲しい」と言ったのだから。


 そう思ったアンナは、雪だるまに訊ねた。


「…………どうしたら、雪だるまさんの『たましい』ができるの?」

「………………『かぞく』が、できたら」

「…………『かぞく』?」


 ためらいがちに、雪だるまは答えた。


『かぞくになる』とは婚姻を意味する。

 人間と契りを交わして、結婚して、“ひとならざるもの”は初めて『たましい』を得られ、輪廻の輪に混ざれるのだ。


 それがどれだけ尊いことか。

 それがどれだけ眩しいことか。


 “ひとでないもの”にとっては、悲願である。

 この世界に生まれた瞬間から認識している、“欠けた感覚”とその満たし方。


 もしかしたら、この少女となら得られるかもしれない。

 だが、雪だるまは、生まれた期待と同時に、罪悪感を覚えていたたまれなかった。


 だって、目の前の少女はきっと知らないのだ。

 婚姻とはなにか、家族になるのはどういうことか。


 だったら別に叶わなくてもいいと、雪だるまは思った。

 春になったら、あたたかくなったら、消えるだけだ。

 この冬に、この少女の手から、生まれただけの雪だるまにすぎないのだから。


 最初から存在していたわけじゃない雪だるまは、季節の変化と共に消えたところで、なんの問題はない。

 もしかしたら、目の前の少女は少しだけ悲しんでくれるだろうか。

 だとしたら、それで十分すぎるかもしれない。


「…………あのね、『かぞく』になってもいいよ?」

「…………へ?」


 びっくりして、うっかり溶けそうな雪だるまに、アンナは笑った。


「…………あのね、わたし、『かぞく』いなくなっちゃったの。おかあさんには、あたらしい『かぞく』ができて。だから、雪だるまさんの『かぞく』になってもいいよ?」


 アンナの笑顔に、雪だるまは動けなかった。


「それに、雪だるまさんは、あのへやから助けてくれたから」


 そう言って、アンナが雪だるまをぎゅっと抱きしめると、雪だるまは全身が溶けていく気がした。

 否、実際に溶けた。溶けて、溶けて、溶けて──なぜか、人間になっていた。


 雪だるま改め元雪だるまは、戸惑っていた。

 実際に婚姻を交わしたわけではないのに。

 ……もしかしたら、世界が婚姻と認識したのだろうか。

 アンナが、雪だるまのお願いを受け入れたから。


 元雪だるまは、自分の手を見つめていた。

 人間の手だ。アンナがさしてくれた、落ち葉の手ではない。

 そのことに、喜びと寂しさが同時に湧いてくる。


「雪だるまさん、よかったね」


 元雪だるまが人間になったことに驚きもせず、アンナは笑った。

 その光景に、元雪だるまは、とくんと身体のどこかが鳴る気がした。


「とりあえず、ふく、どうしようか……」


 目を逸らしがちにアンナに言われ、はっと元雪だるまは気付いた。

 人間はどうやら、服とやらを着るらしい。


 どうしよう。どうしよう。

 混乱した元雪だるまと目を逸らすアンナに、遠くから誰かが手を振って駆けよってきた。


 修道服姿の女性だった。

 元雪だるまの姿を見るやいなや、「あらあら」と元雪だるまにスカーフを開いて身体にかけてくれる。


「どうしたの?」

「あのね、行くところがないの」


 修道服姿の女性に問いかけられ、アンナ答えた。

 目の前の女の人は、元雪だるまに親切にしてくれたし、きっといいひとだ。

 話しても問題ないだろう。


 季節はずれの薄着の少女に、雪が降る中、服をきていない少年。おまけにふたり揃って、履物もない。


 どこからどう見ても、わけありのふたりに、修道服姿の女性は、「そうなの……」と一瞬考えるような仕草のあと、「うちの教会にくる?」と訊ねた。


「…………きょうかい?」

「ええ。行くところがなかったら、…………たべるものと寝るところがあるよ」

「…………たべるもの? …………ぱん、とか?」


 アンナが訊き返すと、修道服の女性は頷いた。


 そういえば、最近はなにも食べてないのだ。

 パンがある。なんて素敵なのだろう。


 すっかり浮かれたアンナは、元雪だるまの手をとると、「行こう」と笑った。

 その手を元雪だるまはにぎり返すと、『きょうかい』に向かって歩きだした。


「ふたりの名前は、なんていうの?」

「あのね──」

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