第七話:宮中の害虫駆除と、魔王の到来
歴史には、正義の瞬間がある。
そして、もっと多くの「混乱の瞬間」がある。
混乱は、英雄を生み、国を滅ぼす。
だが同時に、最も効率よく富と権力が移動する時間でもある。
この物語は、
後漢末期という大崩壊の時代を、
「市場」として見つめた一人の女の記録である。
剣は商品。
皇帝は資産。
そして歴史とは、
常に誰かの帳簿の上で動いている。
現在時刻、午の刻を少し回ったところ。場所、袁紹の屋敷、作戦室。本来なら昼寝でもしたい時間帯だが、そうも言っていられない。緊急事態発生。
「何進大将軍、暗殺されました!」
伝令の兵士が、息せき切って飛び込んでくる。顔面蒼白、汗だくだ。彼の報告を聞いた瞬間、隣に座っていた本初が動く。彼は飲んでいた茶碗を握り潰し、机をバン!と叩く。
「おのれ宦官ども……!許さん、絶対に許さんぞ!」
本初が立ち上がる。顔が赤い。血圧が急上昇している。血管が切れるぞ、本初。
「大将軍を騙し討ちにするとは、もはや人間の所業ではない!この機に、奴らを宮中から一掃し、皆殺しにしてくれるわ!!全軍、突入準備だ!」
彼は吠える。怒髪天を衝く、とはこのことか。まあ、気持ちは分かる。何進大将軍は、本初にとっての後ろ盾であり、改革派の旗頭だった。それが殺されたとなれば、自身の政治生命に関わる。そして何より、プライドの高い彼が「裏切られた」という事実に我慢できるはずがない。
冷静に、状況を分析する。何進死亡。宦官によるクーデター。これに対するカウンターとしての軍事行動。損益分岐点はどこか。宦官を皆殺しにすれば、彼らの不正蓄財を没収できる。十常侍の資産総額は、国家予算の三年分に相当すると試算されている。これは大きい。デカい山だ。
「承認」
壁にかかっていた愛刀を手に取る。装飾過多な儀礼用の剣ではない。実戦用の、よく研がれた鋼の剣だ。
「この辺りでシステムのバグを駆除しなければ、漢王朝のOSはクラッシュしますね。ウィルス対策ソフトの導入が必要です。私も行きます」
武装を整える。篭手をつけ、脛当てを巻く。動きやすく、かつ急所を守る最低限の装備。私の美貌を隠すフルフェイスの兜は不要だ。敵に見せつけてやる必要があるからだ。「死神」の顔を。
本初が振り返る。彼はいきり立っていたが、私の姿を見て一瞬で冷静さを取り戻す……というか、ビビる。
「……え?」
彼の目が泳ぐ。
「い、いや、李司殿?君は戦場の女神だが、ここは汚らわしい宮中だ。血なまぐさい場所は君に似合わない。ぜひ我が家で、優雅にお茶でも飲んで寛いでいてほしいなー、なんて……」
彼が引きつった笑顔で言う。見え透いた嘘だ。本音は「お前が来ると、俺の指揮権が奪われる」あるいは「お前が暴れると、俺の立場が危うくなる」だろう。
「却下」
冷ややかな視線で一蹴する。絶対零度の眼差し。
「あなただけに任せると、感情任せに行動して、『詰めが甘くて宮中に押し入った逆賊』と後世に書かれかねません。歴史書の評価を気にしなさい」
剣を抜く。シャリッ、という冷たい音が室内に響く。切っ先が本初の鼻先を掠める。
「リスク管理のため、私が同行します。私が現場監督として、貴方の暴走を制御し、かつ利益を最大化します」
剣の腹で自分の頬を叩く。ペチペチ。
「それに……ここ数年、デスクワークばかりで運動不足でした。数字の計算ばかりで、脳の暴力中枢が退化しそうです。久しぶりに、人を斬りたいです。生身の人間の肉を断つ感触……あれがないと、肌のツヤが悪くなるんですよ」
私の瞳が怪しく光る。殺戮への渇望。それは、買い物依存症の女がデパートの開店セールに並ぶ時の目に似ているかもしれない。
本初が真っ青になる。後ずさる。
「ひ、ひいいい……!」
彼は悲鳴を上げそうになるのを堪える。
「わ、分かった!連れて行く!連れて行くからこっちを見ないでくれ!その目は心臓に悪い!」
彼は降参する。賢明な判断だ。これにて出撃決定。さあ、稼ぎ時だ。宦官どもの首と、隠し財産を根こそぎ回収してやる。
◆
宮中・回廊(炎上中)
「逃げろー!袁紹軍が来たぞー!」
「殺される!隠れろ!」
宦官たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。彼らは普段、宮中の奥深くで甘い汁を吸い、贅沢三昧の生活を送っていた。運動能力は皆無だ。ブクブクと太った体で、おしろいを塗った顔を歪めて走る姿は、滑稽ですらある。
袁紹軍の兵士たちが突入してくる。「逆賊を討てー!」と叫びながら、槍を突き出す。怒りに燃える兵士たち。だが、その先頭を走る影がある。兵士たちよりも速く、炎よりも激しく。私だ。
「ヒャッハー!!」
戦闘モードに移行すると、脳のリソースが言語野から運動野に全振りされる仕様なのだ。
「さあ、玉無しども!私の剣のサビになりなさい!!貴方たちの存在価値は、その首にかかった懸賞金だけですよ!換金!即時換金です!!」
舞うように剣を振るう。一閃。太った宦官の首が飛ぶ。断面から鮮血が噴水のように吹き上がる。美しい。赤の芸術だ。
「逃げても無駄です、移動ルートは演算済みだァァッ!!」
逃げる宦官の背中を追う。私の脳内マップには、宮中の構造が完全にインプットされている。彼らが逃げ込むであろう隠し通路、倉庫、トイレ。すべて把握済みだ。
「あっちだ!あっちに逃げたぞ!」
ズバァッ!!ギャアァァッ!!
私の剣が、次々と宦官を捉える。抵抗はない。彼らは武器を持っていないし、持っていたとしても使い方が分からない。ただの肉塊だ。ボーナスステージだ。
「汚物は消毒だーーーーっ!!」
落ちていた松明を拾い、カーテンに放り投げる。ボウッ!炎が燃え広がる。あ、しまった。あれは高級な絹のカーテンだ。もったいない。まあいい、宦官の隠し財産で補填すればいい。
「……おい李司、あまり興奮するな!」
後ろから本初の声が聞こえる。彼は兵士たちに守られながら、少し引いた位置で指揮を執っている。私の暴れっぷりを見て、顔を引きつらせている。
「品がないぞ、品が!我々は正義の軍なのだから!『汚物は消毒』とか言うな!それは悪役の台詞だ!」
「仕様ですので無理です!」
振り返り、満面の笑みを向ける。顔は返り血で真っ赤に染まっている。ホラー映画のポスターに採用されそうなビジュアルだ。
「お!見てください本初!この宦官、脂が乗っていて斬りごたえがありますよ!剣を入れた時の抵抗感が、上質な豚肉のようです!肉厚です!」
足元の死体を指差す。本初が「うっぷ」と口を押さえる。
「はぁ……。もう嫌だこの嫁……。誰か、誰か変わってくれ……。なんでこんな戦闘狂と結婚してしまったんだ……」
彼は胃を押さえて嘆く。だが、拒否権はない。契約は絶対だ。
その時、回廊の向こうから新たな軍勢が現れる。黒い鎧。整然とした行軍。孟徳だ。彼は遅れて到着したようだ。
「本初!遅くなった!西門の制圧に手間取った!」
孟徳が駆け寄ってくる。彼は周囲を見回し、絶句する。
「状況は……って、なんだあの地獄絵図は。鬼神が暴れまわっているぞ……?あそこで血まみれになって笑っている女は……」
孟徳の視線が私に釘付けになる。私は彼に気づき、手を振る。血のついた手で。
「やあ、孟徳!遅いですよ!美味しいところはだいぶ減りましたが、まだ小物は残っています!拾い食いでもしますか?」
「……うわぁ」
孟徳が引いている。
「ああ、孟徳か……。安心しろ、あれは俺たちの『妻』だ」
本初が疲れた声で説明する。「妻」の部分にアクセントがある。呪いの言葉のように聞こえる。
「……相変わらず『効率的』な殺し方だ」
孟徳が冷静に分析する。さすがは私の夫(その一)見る目がある。
「無駄な動きがない。最短距離で急所を狙っている。頸動脈を一撃か。……だが、あの『ヒャッハー』という掛け声はどうにかならんのか。教育上、非常によろしくないぞ」
「諦めろ」
本初が肩をすくめる。
「あれは『仕事を楽しんでいる』時の彼女だ。バーゲンセール中の主婦と同じだ。止めようとすれば、我々も斬られるぞ」
「……違いない」
二人は顔を見合わせ、深いため息をつく。そして、覚悟を決めたように剣を抜く。
「よし、俺たちも行くぞ!李司に全部持っていかれる前に、少しは手柄を立てねば!」
「おう!負けてたまるか!」
二人の英雄が戦場に飛び込む。だが、その背中には「嫁には勝てない」という哀愁が漂っている。
宮中の混乱は続く。だが、本当の悪夢は、宦官の殲滅ではなく、その後にやってくる。西の空から、黒い雲のように近づいてくる巨大な軍勢。董卓。西涼の怪物が、この混乱に乗じて都に入ろうとしていた。
戦いは一段落した。宮中は死体の山と、焦げた臭いで満たされている。私は一息つく。剣の血を拭う。今日の収穫は上々だ。宦官たちの懐から回収した宝石類、金貨。袋がパンパンだ。
「ふぅ……いい運動になりました」
◆
現在時刻、丑の刻。場所、洛陽北方の北芒山。視界不良。月明かりのみが頼りの、心細い山道である。足元の土は湿っており、私の高級な靴の底を容赦なく汚す。泥汚れによる資産価値の低下率、およそ一五分。不快だ。実に不快だ。だが、この泥汚れの対価として、私は今、漢王朝における最大級の「資産」を確保している。
私の目の前には、二人の子供がいる。一人は、少帝こと劉弁。もう一人は、陳留王こと劉協。この国の皇帝と、その弟だ。彼らは今、薄汚れた衣服をまとい、寒さに震え、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。見た目はただの迷子だ。だが、私の「鑑定眼」を通せば、彼らの姿は黄金の輝きを放っている。
鑑定結果。
品名:皇帝および皇族。
希少性:唯一無二。
市場価値:測定不能。
維持費:極大。
利用価値:無限大。
素晴らしい。宮中の混乱に乗じて宦官に連れ去られた彼らを、こうして私たちが真っ先に保護した。これは「拾得物」ではない。「正当な権利の確保」だ。この二つの駒を手元に置くことで、今後の政局における発言権は飛躍的に向上する。曹家と袁家の株価は、明日の朝にはストップ高になるだろう。
「うう……寒い……怖いよぉ……」
少帝が泣き言を漏らす。軟弱だ。国のトップがこれでは先が思いやられる。だが、操り人形としてはこのくらい脆弱な方が管理しやすい。
「ご安心ください、陛下」
営業用の笑顔を浮かべ、彼らに上着をかけてやる。この上着は孟徳のものだ。私の服を貸すのはコストがかかるが、夫の服なら経費で落ちる。
「私たちが参りましたからには、もう安心です。さあ、都へお戻りしましょう。温かいスープと、ふかふかのベッド……そして請求書が待っておりますよ」
後半部分は小声で呟く。聞こえていないようだ。
隣で、本初が剣を構えて周囲を警戒している。彼は神経質になっている。暗闇が怖いのか、それとも自分の出世がかかっているからか。
「李司、本当にこっちで合っているのか?追っ手は来ないか?」
「私の計算に狂いはありません。宦官たちはすでに散り散りです。問題は……」
言葉を切る。地面が揺れている。微震ではない。これは、巨大な質量を持った集団が、規則正しく地面を叩く振動だ。方向、西。距離、一里未満。接近速度、急。
「……来ましたね」
私の予測演算通りだ。腐肉の臭いを嗅ぎつけたハイエナが、あるいは血の臭いを嗅ぎつけた鮫が、この混乱の渦中に飛び込んでこないわけがない。
ズズズズズ……。地響きが大きくなる。鳥たちが驚いて飛び立つ。山の空気が、一変する。獣の臭い。鉄の臭い。そして、圧倒的な暴力の気配。
「な、なんだ!?この揺れは!?」
孟徳が叫ぶ。彼は少帝を背中に庇う。良い反応だ。「皇帝を守る忠臣」というポーズは、後の評価額を上げる。
松明の明かりが見える。一つではない。百、千、いや万の光だ。夜の闇を焼き尽くすような、禍々しい炎の列。それが、山道の向こうから現れる。
巨大な旗印。風に煽られ、バサバサと音を立てるその布には、一文字だけが染め抜かれている。
『董』
西涼の董卓。辺境の将軍にして、中央への野心を隠そうともしない野獣。彼が来たのだ。
軍勢の先頭に、一頭の馬がいる。いや、あれは馬か?象のように巨大な黒馬だ。そして、その背に乗っている男。それもまた、規格外だ。
董卓仲穎。巨漢という言葉では生温い。肉の要塞だ。鎧の上からでも分かる、はち切れんばかりの脂肪と筋肉。顔は髭もじゃで、目はギラギラと脂ぎっている。彼は馬上から、私たちを見下ろす。
「ガハハハ!陛下は何処におわすか!この董仲穎がお守りしに参ったぞ!」
声がでかい。鼓膜がビリビリと震える。低周波騒音公害として訴えたいレベルだ。彼の声には、謙虚さの欠片もない。「守る」と言っているが、その腹の中は「奪う」気満々だ。
本初が反応する。名門の血が、この無礼な田舎侍を許さないのだ。
「董卓だと……?西涼の田舎侍が、ずけずけと……!ここは天子様の御前であるぞ!馬を降りろ!」
本初が剣に手をかける。抜刀する気だ。馬鹿な。相手は数万の軍勢。こちらは数十人の手勢。戦力比は一対千。勝率はゼロだ。ここで喧嘩を売るのは、投資ではなく投機ですらない。ただの自殺行為だ。
「待機」
本初の前に出る。片手で彼を制する。
「え?李司?」
本初が驚く。私は彼を無視し、目の前の「肉の要塞」を凝視する。
解析開始。
対象:董卓
推定体重:百五十キログラム以上
装備:特注の重装甲。表面には金メッキ。成金趣味だ。だが、あの輝きは本物だ。腰の帯。あれは……最高級の玉を埋め込んだものか。推定価格、金貨五百枚。馬の鞍。螺鈿細工が施されている。推定価格、金貨三百枚。そして何より、彼の後ろに控える軍勢。彼らが装備している武器、防具、そして輜重車に積まれた物資。
私の脳内計算機が、高速で数値を弾き出す。桁が違う。曹家や袁家も金持ちだが、この男は次元が違う。略奪と搾取で肥え太った、歩く国庫だ。
判定結果。「極上のカモ」です。
私の口角が、自然と吊り上がる。恐怖?ない。あるのは食欲だけだ。この巨大な獲物を、どうやって料理し、骨の髄までしゃぶり尽くすか。そのレシピを考えるだけで、唾液が出る。
戦場の女神のように、あるいは夜の街の女王のように。背筋を伸ばし、泥で汚れた靴など気にせず、優雅に。月明かりが、私の白い肌を照らす。三〇歳という年齢を感じさせない、人工的かつ奇跡的な美貌を、惜しげもなく晒す。
董卓が私に気づく。彼の視線が、私に釘付けになる。その目が、驚愕に見開かれる。
「お……お主は……?」
董卓が声を漏らす。先ほどまでの怒鳴り声とは違う、呆けたような声だ。彼の視線が、私の顔、首筋、そして胸元へと這うように移動する。
いやらしい視線だ。だが、それは計算通りだ。男という生物は、視覚情報に弱い。特に、権力と金を持った男ほど、美しきトロフィーを欲しがるものだ。
「なんと美しい。天女か?このようなむさ苦しい山中に、花が咲いておる……」
董卓が鼻息を荒くする。単純な男だ。チョロい。
立ち止まる。彼との距離、五メートル。見上げる角度。私はニッコリと微笑む。営業用スマイル・ランクSSS。
「いいえ、人妻です」
嘘はつかない。人妻という属性は、一部の男性層には逆に付加価値となることを、私は市場調査で知っている。
「あなたは?」
小首をかしげて尋ねる。知っているくせに、あえて聞く。相手に名乗らせることで、優位に立たせる(と思わせる)テクニックだ。
董卓の顔が緩む。だらしなく鼻の下が伸びる。威厳崩壊。
「人妻か……たまらん。儂は董卓仲穎と申す」
彼は胸を張る。腹の肉が揺れる。
「混乱に乗じて……いや、陛下を保護し奉るために参った。西涼より、はるばる馳せ参じた忠臣じゃ」
嘘だ。忠臣がそんな顔で女を見るか。だが、その建前を受け入れることが、交渉の第一歩だ。
「まあ、頼もしい。董卓様」
声をワントーン高くする。猫なで声だ。後ろで孟徳が「うわ、出た」と呟くのが聞こえる。
「夜道は暗くて不安でしたの。貴方様のような立派な軍勢が来てくださって、安心いたしました」
「ガハハ!そうであろう、そうであろう!」
董卓が上機嫌になる。彼は馬から身を乗り出す。
「して、奥方。洛陽へ案内していただけるかな?儂は都の地理に疎くてな。その美しい手で、導いてくれると嬉しいんじゃが」
彼は私の手を求めている。いや、それ以上のものを求めている。彼の欲望は底なしだ。権力も、女も、金も、すべて飲み込もうとしている。
私は考える。この男を案内すれば、都はどうなるか。間違いなく、地獄になるだろう。略奪、暴行、政治の私物化。秩序は崩壊する。
だが。秩序が崩壊した都で、誰が一番得をするか?混乱の中で、誰が利益を独占できるか?それは、混乱の中心にいる男を操る者だ。
董卓を利用しての都の支配プラン計画立案。
ステップ1:董卓に恩を売る。
ステップ2:彼の金庫番または側近の地位を確保する。
ステップ3:彼の悪政を利用して、反対勢力を排除させる。
ステップ4:彼が肥え太ったところで、その資産を私の管理下に移す。
最終ステップ:彼が破滅する直前に、全ての利益を持ってドロンする。
完璧だ。リスクはあるが、リターンは天文学的数字だ。
「……良いでしょう」
頷く。もったいぶって。
「案内料は高くつきますが、貴方なら払えそうですね?」
「案内料?」
董卓が目をぱちくりさせる。この状況で金の話をする女など、今まで会ったことがないのだろう。
「はい。私は李司。時間と労働力を売る実業家です。タダ働きはいたしません」
指でお金のマークを作る。下品だが、この男にはこれが一番通じる言語だ。
「ガハハ!面白い!儂に金の話をするとは面白い女だ!」
董卓が爆笑する。腹の肉が波打つ。
「気に入ったぞ。気に入った!金か?欲しければやるぞ!都に入れば、いくらでも手に入るわ!儂の側に来い!袁紹など捨てて、儂の愛人になれ!」
直球だ。本初の目の前で、本初の妻を勧誘する。無神経にも程がある。
「貴様ァ……!俺の目の前で口説くとは……!李司は俺の妻だぞ!所有権は俺にある!」
本初が激昂する。彼は剣を抜きかける。プライドが許さないのだ。自分の持ち物を、目の前で値踏みされ、強奪されようとしているのだから。
「やめとけ本初」
孟徳が本初の腕を掴む。冷静な声だ。
「離せ孟徳!あの豚男、許せん!」
「落ち着け。よく見ろ」
孟徳が顎で私の方をしゃくる。
「董卓は今、『自ら虎の檻に手を突っ込んだ』んだ」
孟徳の目は、憐れみに満ちている。私を見る目ではない。董卓を見る目だ。
「あいつは、董卓を男として見ているんじゃない。『巨大な財布』として見ているんだ。食われるぞ、あいつ。骨まで」
「……あ」
本初が動きを止める。私の顔を見る。私は本初に背を向けているが、彼には分かるはずだ。今の私が、どんな顔をしているか。
「……憐れんでやれ。董卓の未来を」
孟徳が呟く。本初は剣を収める。彼の怒りは、同情へと変わる。「ああ、南無三……」と拝むような仕草をする。
董卓に向き直る。背後の夫たちの会話は、都合よく聞き流す。
「ふふふ。愛人契約については、条件次第で検討させていただきますわ」
曖昧に答える。契約書にサインするまでは、なんとでも言える。
「では参りましょう、董卓様。貴方のその脂肪……いえ、貫禄。都で存分に発揮してくださいませ」
手招きする。地獄への案内人のように。
「おう!任せておけ!儂が都の守護神となってやるわ!」
董卓が胸を叩く。彼は知らない。自分が招き入れたのが、天女ではなく、国の財産を吸い尽くす「銭ゲバの悪魔」であることを。
一行は山を下りる。先頭に私。その後に董卓の大軍。そして、最後尾に、疲れた顔の本初と孟徳、そして幼い皇帝たち。
洛陽の灯りが見えてくる。あの街は今、主を失い、空っぽの金庫のように口を開けている。そこに、董卓という劇薬と、私という猛毒が注ぎ込まれるのだ。化学反応は必至。爆発的なインフレと、血の雨が降るだろう。
「楽しみですねえ」
手元のそろばんを弾く。チャリ、という音が、軍靴の音に混じって響く。
董卓の背中を見る。あの巨大な背中には、どれだけの金が詰まっているのか。私は想像するだけで、ゾクゾクするような快感を覚える。さあ、搾取の時間だ。私の計算では、彼が破産するまで、あと三年。それまでに、どれだけ吸い上げられるか。腕が鳴るわね。
李司は董卓を受け入れた。それは彼への服従ではなく、「新規プロジェクト」としての契約成立であった。歴史の歯車が、金色の音を立てて回り始める。ギシギシと、悲鳴を上げながら。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本話では、
何進の死、宦官の殲滅、皇帝兄弟の保護、
そして董卓の入洛という、
後漢末期最大の転換点を描きました。
李司という女を、
読者の皆さまはどう感じたでしょうか。
・痛快だった
・笑えなかった
・怖かった
・でも、理解できてしまった
どの感想も、すべて正解です。
特に、
「自分ならどうするか」
と一瞬でも考えてしまった方がいれば、
この物語は役目を果たしています。




