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三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~  作者: 斉宮 柴野


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第五話:戦火の決算報告書と、妻のタイムシェア

この物語は、後漢末期という乱世を舞台にした歴史フィクションです。


ただし、ここに描かれる戦争は、英雄のためのものではありません。

名誉のためでも、正義のためでもありません。


剣は投資であり、兵は資産であり、勝利とは黒字決算を意味します。


そして何より――

英雄ですら、帳簿の前ではただの数字に過ぎません。


これは、一人の女が乱世を「経営」する話です。

時は西暦一八四年。場所は予州、潁川。


戦場という名の、巨大な「仕入れ会場」のど真ん中である。風が強い。春の突風が、乾燥した大地から砂埃を巻き上げ、視界を茶色く染める。だが、私の目にはこの風さえも「追い風」に見える。なぜなら、風が吹けば桶屋が儲かるという諺があるように、戦が起きれば私が儲かるというのが、この世界の経済原則ルールだからだ。


現在、私は漢軍の本陣にいる。周囲には、きらびやかな鎧に身を包んだ将軍たちが顔を揃えている。中央に鎮座するのは、皇甫嵩将軍と朱儁将軍。漢王朝が誇る名将たちだ。彼らの表情は険しい。無理もない。目の前には、数万という単位の黄巾賊が、まるでイナゴの大群のように草むらに陣取っているのだから。彼らは長広舌を振るい、難しい顔で軍議を行っている。


「敵は草むらに結集しておる」


皇甫嵩将軍が、地図の上を指でなぞる。その指先は、歴戦の古傷で節くれ立っている。


「我軍は数で劣る。だが、天は我らに味方したようだ。見よ、この強風を」


ゴオオオオッ!天幕が激しく揺れる。強烈な東風だ。


「敵陣は枯れ草の中。風向きは我らに有利。ここは古の斉の将軍、田単の故事に習い、火攻めを行うのが上策と思うが、いかがか朱儁殿」


「うむ。火牛の計のごとく、火を放てば敵は混乱し、壊滅するであろう。一網打尽よ」


将軍たちが頷き合う。「異議なし」「それが最善だ」という空気が流れる。教科書通りの戦術だ。兵法書の一ページ目をめくれば書いてあるような、模範的な解答。


私の脳内電卓は、激しい警告音を鳴らしている。『損失発生!損失発生!資産価値の毀損を予測!』


私は、音速で右手を挙げる。バッ!空気を切り裂く音。


「異議あり」


私の声は、軍議の場に冷水を浴びせたように響く。将軍たちの視線が一斉に私に集まる。「誰だこの女は?」「なぜここにいる?」という疑問の目。当然だ。私は正式な軍人ではない。


曹孟徳という、一人の騎都尉の「付属品」としてここに紛れ込んでいるに過ぎない。だが、金に関する間違いを見過ごすことは、私の生きポリシーに反する。


「火計は非効率です。却下します」


皇甫嵩将軍が眉をひそめる。不快感というよりは、純粋な疑問の表情だ。


「む?何ゆえだ李司殿。風向きは我らに有利だぞ。火を使えば、味方の損害を最小限に抑えられる」


「味方の損害?いいえ、将軍。貴方は『収支決算』が見えていません」


孟徳が後ろで「おい、やめろ李司!将軍に逆らうな!」と小声で言っているが、無視する。雑音は遮断だ。


「燃やしてどうするんですか」


地図を指差す。黄巾賊が陣取っている領域。


「敵の装備を見てください。確かに粗末ですが、鉄は鉄です。溶かせば農具にも銭にもなります。彼らが持っている馬。軍馬としては下等ですが、農耕馬としては十分な市場価値があります。そして彼らの死体から剥ぎ取れる衣類、財布、装飾品」


指を折りながら、高速で試算結果を読み上げる。


「火を放てば、それらはすべて灰になります。熱で溶けた鉄は回収費用がかさみます。黒焦げの馬肉は市場で二束三文です。炭になった死体からは、追剥ぎもできません。資産価値にして、金五千枚相当の損失が発生します!」


「ご、五千枚……?」


皇甫嵩将軍が目を丸くする。具体的な数字の暴力に、思考が追いついていないようだ。


「そうです。敵兵一人当たりの装備品評価額を銅銭五百枚とし、五万人の敵を焼却処分した場合の単純計算です。さらに、火災が周囲の農地に延焼した場合の賠償危険リスク、森林資源の消失による木材価格の高騰……これらを含めれば、損失は計り知れません!」


机を叩く。


「『敵は資源』です。燃やすなんて言語道断。もったいない精神が欠如しています。将軍、貴方の家の家計簿は赤字ではありませんか?無駄な暖房費を使っていませんか?」


皇甫嵩将軍が口を開けたまま固まる。朱儁将軍も、髭を撫でる手が止まっている。


「も、もったいない……?戦の話をしているのだが……。敵を倒すのに、もったいないも何もあるか……」


「あります。戦争とは、国家規模の投資活動です。最小の投資で最大の利益を得る。それが勝利の定義です」


正論だ。反論の余地はない。だが、彼らはまだ理解していないようだ。軍人脳め。そろばん塾に通わせたい。


「しかしだ、李司殿」


皇甫嵩将軍が気を取り直す。


「朱儁殿が敵に包囲されている今、悠長なことは言っておれんぞ。確実に、かつ迅速に敵を撃破せねばならん。火攻め以外に、敵の大軍を一気に崩す策があるのか?」


「ご安心を。費用をかけずに殲滅する、環境に優しい代替案を用意してあります」


地図の上にある駒を動かす。私の手つきは、将棋の棋士よりも速く、商人の手つきよりもいやらしい。


「ここ(地図の東側)と、ここ(北側)そして敵の退路となるここ(南側の細道)に、あらかじめ落とし穴を掘ります」


「落とし穴……だと?」


「はい。深さは三メートル。底には竹槍などは設置しません。竹の加工費が無駄ですから。ただの穴です。ですが、壁面には水を撒き、泥状にして登れないように加工します」


「我が部隊(曹操軍)が敵を挑発し、この順路で突撃させます。敵は我々を追いかけ、殺到します。そして、ドミノ倒しのように次々と穴へ落ちます。人間というのは、前の人間が転んでも、後ろから押されれば止まれません。『群衆雪崩』の原理です」


地図上の「高台」を指差す。


「そこで皇甫嵩様が、この高台から矢を射掛ければ、一方的に狩れます。穴の中の敵は密集していますから、狙う必要もありません。適当に撃てば当たります。矢の回収率も百パーセントです」


皇甫嵩将軍が地図を覗き込む。彼の目が、次第に輝きを帯びてくる。


「……なるほど。火を使わず、地形と敵の集団心理を利用して、動きを封じるか。逃げ場を失った敵は、恐慌に陥り、我先にと逃げようとして自滅する……」


彼は唸る。感心している。


「敵の心理と地形を完全に計算し尽くしている。さらに、火を使わぬことで、敵の物資を無傷で手に入れることができる。逃げ場を失った敵は装備を捨てて命乞いをする……つまり、無傷で武装を接収できるわけか」


「その通りです。捕虜(労働力)の確保も容易です。一石三鳥です」


「素晴らしい!戦利品のことまで考えた完璧な用兵……!ただ敵を殺すのではなく、戦後の国力回復まで見据えているとは……!」


皇甫嵩将軍が立ち上がり、私を見る。その目には、畏敬の念が宿っている。


「流石は噂の『戦女神』と讃えられたお方だ!李司殿、貴殿の深謀遠慮、この皇甫嵩、感服いたしましたぞ!」


「いえ、ただの節約術です」


「謙遜を!その欲のなさこそ、真の軍師の証!」


違う。欲しかない。欲の塊だ。だが、誤解は利益を生むこともある。訂正はしないでおこう。


その時だった。軍議の輪の外、蚊帳の外に置かれていた一人の男が声を上げる。


「あの、皇甫嵩将軍。私にも意見を……」


孟徳だ。彼は今まで、私の後ろで小さくなっていたが、我慢の限界が来たようだ。妻(仮)ばかりが目立ち、夫(仮)である自分の存在感が空気以下になっていることに、彼の矜持が耐えられなくなったのだ。


皇甫嵩将軍が孟徳を一瞥する。


「ん?お主は誰だ?見たこともない顔だが、従卒か?お茶汲みなら間に合っておるぞ」


ピキッ。孟徳の額に青筋が浮かぶ音が聞こえる。屈辱だ。名門曹家の御曹司であり、騎都尉である自分が、従卒扱い。換算不能プライスレスな屈辱だ。


「……従卒ではありません。騎都尉、曹孟徳です」


孟徳が一歩前に出る。彼は胸を張り、私を指差す。そして、高らかに宣言する。


「そして、ここにいる李司の夫です!!」


ドヤァ。孟徳が私の肩を抱く。所有権を主張する姿勢だ。「この凄い女は、俺のモノだぞ」という誇示アピールだ。周囲の将軍たちがざわつく。


「なに?あの戦女神の夫だと……?」


「あの計算高い女傑を従えているのか?」


「見た目はパッとしないが、夜の方は凄いのか?」


ひそひそ話が聞こえる。孟徳は「ふふん」と鼻を鳴らす。勝った気でいる。


だが。彼は致命的なミスを犯した。取り返しのつかない、契約上の失言エラーを。


カッ!私の目が、黄金色に輝く。瞳孔が開く。脳内の契約書データベースが高速検索を開始する。


「おお……!言いましたね、孟徳!」


「公衆の面前で、ついに私を『妻』と認めましたね!今まで『腐れ縁』だの『管理・被管理関係』だのと濁していましたが、今、はっきりと『夫』と名乗りましたね!」


「え?あ、いや、その……勢いでつい……」


孟徳が怯む。私の目の輝きに、本能的な恐怖を感じ取ったようだ。


言質ログ、取りましたよ!ここにいる将軍方全員が証人です!もはや言い逃れは不可能です!」


皇甫嵩将軍に向かって叫ぶ。


「将軍!聞きましたね!?」


「あ、ああ。確かに『夫です』と申されたが……」


「よし!証人喚問完了!」


孟徳に向き直る。ニッコリと、悪魔的な笑顔を向ける。


「これで契約成立です。後漢の民法……いえ、李司独自の『配偶者特別措置法』に基づき、曹家の全資産は私の管理下に入りました!」


「は……?」


孟徳の顔が引きつる。


「具体的には、貴方の給与口座の凍結。実家の隠し財産の接収。貴方が靴底に隠しているへそくりの没収。そして、今後貴方が得るすべての戦利品、恩賞、賄賂の百パーセントを私が管理します!」


「ま、待て!それはおかしい!なんでそうなる!?」


「夫婦は一心同体だからです。貴方の金は私の金。私の金は私の金。ジャイアニズムの完成です!」


「ジャイアンって誰だ!そんな暴君知らんぞ!」


「ありがとうダーリン!愛してる(金が)!これで私の資産構成ポートフォリオは盤石です!」


孟徳に抱きつく。愛の抱擁ではない。捕食者が獲物を固定する動きだ。彼の懐を探る。財布を確認。没収。早業だ。


「俺のものだっての!!返せ!それは今夜の飲み代だ!」


孟徳が抵抗するが、私の関節技ハグからは逃れられない。


「なんで俺が威張ろうとしたら、逆に身ぐるみ剥がされることになってんだ!?おかしいだろ!普通、内助の功ってやつがあるだろ!」


「ありますよ。貴方の資産を無駄遣いから守る、鉄壁の守備ディフェンスです」


「攻撃的すぎるんだよ!」


孟徳の悲鳴が軍議の場に響く。将軍たちは「仲が良いのう」「これが夫婦の形か」と生温かい目で見ている。違う。これは搾取の現場だ。だが、外野には幸せな夫婦漫才に見えるらしい。それもまた、計算通りだ。


こうして、軍議は終了した。作戦は「落とし穴による資産保全作戦」に決定。そして、孟徳は全財産を失った状態で、決戦に臨むことになった。


場面は変わり、夜。戦場は闇に包まれている。だが、静寂はない。数万の足音と、怒号と、悲鳴が交錯している。


作戦は完璧に進行していた。まず、曹操軍(私の部下たち)が、敵陣の近くで鍋を叩き、鐘を鳴らし、大声で挑発した。


「やーい、貧乏人ども!」


「飯食ってるかー?」


「こっちは肉だぞー!」


精神攻撃(煽り)だ。空腹の黄巾賊には効果てきめんだ。彼らは怒り狂い、何も考えずに突撃してきた。


そして、誘導された先には、私が昼間のうちに掘らせた巨大な落とし穴群が待っていた。


ドサッ!ドサッ!ギャアアアッ!


面白いように落ちる。後続の兵は止まれない。将棋倒しだ。穴はすぐに人で埋まるが、それでも敵は混乱の渦中にある。


そこへ、皇甫嵩将軍の合図で矢の雨が降る。一方的な虐殺(狩り)だ。火は使っていないので、戦場は暗いが、悲鳴で位置は分かる。


「逃げろ!罠だ!漢軍は卑怯だぞ!」


敵兵が叫ぶ。卑怯?いいえ、合理的と言ってください。


私は戦場を駆ける。私の目は、獲物を探している。雑魚ではない。もっと単価の高い獲物を。


いた。敵の大将、波才だ。彼は混乱する兵たちをまとめようとせず、自分だけ馬に乗って逃げようとしている。その鎧は、他の兵より少し上等だ。腰の剣も装飾がある。推定評価額、金貨五十枚。


「見つけました。本日の主菜メインディッシュ


私の脚力は、軍馬にも劣らない(短距離なら)。波才は穴を避けて、裏道へと逃げ込もうとしている。だが、その動きには無駄が多い。恐怖で視界が狭くなっているのだ。


「くそっ!どこへ逃げても穴だらけだ!漢軍め、なんて卑怯な……!正々堂々と戦え!」


波才が毒づく。甘い。戦場に正々堂々なんて言葉を持ち込む時点で、経営者失格だ。


背後に回り込む。音もなく。死神のように。


「逃げる動きに無駄が多いです。修正カットします」


「なっ!?」


波才が振り返る。その目に映ったのは、月光を背負って双頭戟を振りかぶる女。


経費削減リストラです!」


一閃。水平に薙ぐ。


ザンッ!!


鈍い音ではなく、布を裂くような鋭い音。波才の首が、胴体から離れる。物理法則に従い、首は少しだけ上に飛び、そして落下する。私は左手でそれを掴む。好捕ナイスキャッチ


「装備確認」


首を持ったまま、倒れた胴体の方へ歩み寄る。鑑定の眼が光る。


「ふむ。大将首の懸賞金、金百枚……よし。身につけている首飾り……純金製、よし。指輪、翡翠、よし。剣の市場価値……中古でも高値、よし。鎧は少し血で汚れましたが、洗えば売れますね」


手早く装備を剥ぎ取る。死体から服を脱がせる技術に関しては、私は洛陽一の腕前を持っていると自負している。所要時間、三十秒。身ぐるみ剥がされた波才の胴体は、寒そうに転がっている。


「――本日の収支、大幅な黒字です。粗利で金三百枚は堅いですね」


顔には返り血がついている。だが、拭わない。これは勝利の化粧メイクだ。


「おい、李司!」


孟徳が息を切らして追いついてくる。彼は剣を抜いているが、切っ先は綺麗だ。まだ誰も斬っていないらしい。


「お前、早すぎるぞ!俺が追いつく前に大将を討ち取るなよ!俺の手柄がなくなるだろ!」


「何を言っているのですか。これは『私たちの』手柄ですよ」


血塗れの笑顔で。左手には生首、右手には剥ぎ取った剣と貴金属の山。


「さあ孟徳。この首を持って行きなさい」


波才の首を、孟徳に放り投げる。


「うわっ!?」


ヌルリとした感触に、彼は顔をしかめる。


「『妻の功績(稼ぎ)は夫のもの』。これは社会通念上のルールです。私の戦果で、貴方の評価を爆上げしてあげます。この首を皇甫嵩将軍の前に持っていけば、貴方は一番の手柄者(MVP)です」


「……いいのか?これはお前が討ったのに」


「構いません。貴方が出世すれば、貴方の給与が上がります。それは即ち、私の管理する資産が増えることを意味します。先行投資です」


略奪品を袋に詰めながら言う。完璧な論理だ。曹操という株価を上げるための、自社株買いのようなものだ。


「誇りなさい、この私に養われていることを!私がいる限り、貴方は食いっぱぐれることはありません。最強のヒモとして生きていく権利を与えます!」


「……ヒモって言うな!」


彼は首を持ちながら、複雑な表情をしている。感謝と、屈辱と、諦めが入り混じった顔だ。


「……お前の言ってることは、論理的には間違っていない。間違ってはいないんだが……」


彼は夜空を見上げる。


「なんでだろうな。俺の男としての誇りが、著しく傷つけられている気がするのは……。俺、騎都尉だよな?将来の英雄だよな?なんで嫁に餌付けされてる愛玩動物みたいな気分になるんだ?」


「気のせいです。それは『愛されている実感』というやつです」


「絶対違う!」


孟徳のツッコミが夜風に吸い込まれていく。戦いは終わった。漢軍の圧勝だ。落とし穴作戦は大成功し、数万の敵が捕虜となった。彼らの装備はすべて回収され、私の倉庫(曹軍の輜重隊)へと運ばれていく。山のような鉄と革と布。それらすべてが、私の計算通りに換金されていく未来が見える。


「さて、次はどの戦場へ行きますか?張角の本拠地ですか?それとも董卓のいる戦線ですか?」


地図を広げる。次の「仕入れ」の計画を立てるために。


「少しは休ませろよ……」


孟徳がガックリと肩を落とす。だが、彼に休息はない。乱世はまだ始まったばかりであり、私の欲望には底がないのだから。


「孟徳。休んでいる暇はありません。時は金なり。命も金なり。さあ、次のボーナスステージへGOです!」


孟徳の背中を叩く。彼がよろめく。その背中には、波才の首と、私の重い愛情(支配)が乗っかっている。


こうして、潁川の戦いは幕を閉じた。世間では「皇甫嵩の火計」ではなく、「曹操軍の謎の落とし穴作戦」として語り継がれることになる……かもしれない。歴史書には残らない、私の戦火の決算報告書。その最後の行には、太字でこう記されている。


『純利益:過去最高。夫の尊厳:減損処理済み』











季節は巡る。戦乱の風が吹き荒れた潁川にも、初夏の風が吹き始めている。黄巾の乱という名の、私にとっての「巨大な収穫祭」は、ひとまずの落ち着きを見せていた。


皇甫嵩将軍の指揮、そして何より私の「落とし穴作戦」と「徹底的な略奪(回収)計画」により、漢軍は大勝利を収めた。結果として、莫大な戦利品と、曹操孟徳という男の名声が、私の手元に残った。


現在地、曹操の屋敷。戦場から戻った私たちは、慌ただしく荷造りをしている。ただし、これは夜逃げではない。栄転だ。孟徳は今回の論功行賞により、その功績(私の手柄だが)を認められ、汝南の相に任命されたのだ。


相とは、地方長官である。警察署長(北部尉)からの大出世だ。給与等級グレードで言えば、三段階の向上。基本給に加え、地方税の徴収権限、役職手当、そして何より「交際費」という名の使い込み可能な予算が増える。素晴らしい。私の投資が、着実に実を結んでいる。


中庭には、木箱が山積みになっている。「曹操の私物ガラクタ」と書かれた箱が二つ。「李司の戦利品(重要資産)」と書かれた箱が五十個。比率がおかしい?いいえ、これが我が家の適正な資産配分だ。


手元の帳簿と、木箱の中身を照合する。黄金の延べ棒、よし。絹織物、よし。敵将から剥ぎ取った剣、よし。欠品なし。完璧な在庫管理だ。


「……ふぅ」


孟徳が荷物の山の前で、腰に手を当てて立っている。新しい官服を着ている。前回の騎都尉の鎧も似合っていたが、今回の文官風の服も悪くない。「金持ちの役人」という雰囲気が漂っている。カモとしての資質十分だ。


「汝南への赴任、おめでとうございます、孟徳」


作業の手を止めずに声をかける。


「栄転ですね。給料も増額です。年俸換算で金貨三百枚の収益増インカム・ゲインを見込んでいます。貴方の労働単価が上がって、管理者としても鼻が高いですよ」


「ああ。お前のおかげ……と言いたくはないが、まあ、助かったよ」


孟徳が苦笑する。彼は素直じゃない。「李司様、一生ついていきます」と土下座すれば、小遣いを一割増しにしてやるのに。


「で、当然お前も汝南に来るんだろうな?」


彼が何気なく尋ねる。当然の前提として。夫婦は一緒に行動するものだという、固定観念に基づいた質問だ。


持っていた翡翠の置物を木箱に丁寧にしまい、顔を上げる。そして、今日の天気予報を伝えるような軽さで答える。


「いいえ。行きません」


「……ん?」


「私はこれより、半年間ほど本初(袁紹)の元へ行きます」


孟徳の動きが止まる。時が止まる。彼の脳内処理が停止する音が聞こえる。再起動まで、三、二、一。


「……は?」


孟徳が間の抜けた声を出す。予想通りの反応だ。


「忘れたのですか?私は曹家と袁家、双方の大株主(妻)です」


「私の資産構成ポートフォリオにおいて、貴方と本初は二大柱です。どちらか一方に偏るのは、リスク管理の観点から推奨されません。卵を一つのカゴに盛るな、という格言を知っていますよね?」


「い、いや、それは投資の話だろ!夫婦の話をしてるんだぞ!」


「同じです。夫婦とは経済共同体であり、投資計画プロジェクトです」


淡々と説明する。論理の壁を積み上げる。


「もし私が貴方に張り付いている間に、本初が過労死したり、育児ノイローゼで発狂したり、あるいは他の女に誑かされて資産を流出させたりしたらどうするのですか?袁家という巨大な財布スポンサーを失うことになります。それは我が社(私)にとって致命的な損失です」


「そ、それはそうかもしれんが……」


「ゆえに、リスク分散ヘッジのため、半年ごとに貴方と本初の間を行き来する『交代制ローテーション』を採用します」


手帳を開き、予定表を見せる。


「一月から六月は曹操期。七月から十二月は袁紹期。現在は六月ですから、貴方の持ち回りは終了です。これより半年間、貴方は閑散期オフシーズンに入ります」


「妻の閑散期とかあるか!!」


孟徳が絶叫する。中庭の鳥が一斉に飛び立つ。


「俺はこれから新しい任地で忙しいんだぞ!汝南だぞ!黄巾の残党もいるし、地元の豪族との折衝もある!一番忙しい時期に、なんで主戦力メインが抜けるんだ!支えろよ!内助の功はどうした!」


孟徳が必死に訴える。彼の主張には一理ある。戦力的な意味で、私がいないのは痛手だろう。私の計算能力と、物理的な制圧力(暴力)は、新任地での統治に大いに役立つはずだ。


だが、私には行かねばならない理由がある。昨日、本初から届いた手紙だ。『助けてくれ。昂と譚が屋敷を破壊した。俺の貯金が底をつきそうだ。あと髪が抜けそうだ』SOS信号だ。金の切れ目が縁の切れ目というが、袁家の金が尽きるのは困る。監査に入らなければならない。


「安心してください、孟徳。貴方の業務に支障が出ないよう、代わりの担当者を教育しておきました」


「担当者?誰だ?夏侯惇か?あいつは筋肉だぞ?計算なんてできないぞ?」


「いいえ。もっと優秀で、貴方の身近にいる人物です」


屋敷の奥に向かって声をかける。


「丁夫人、入って」


静寂。そして、おずおずとした足音が聞こえる。回廊の陰から、一人の女性が姿を現す。丁夫人。曹操の側室だ。私という「実質的な支配者」が現れるまでは、彼女がこの屋敷を取り仕切っていた。淑やかで、家庭的で、裁縫が得意な、典型的な良妻賢母。つまり、私とは対極に位置する生物だ。


彼女は伏し目がちに、小股で歩いてくる。私の前で立ち止まり、深々と頭を下げる。


「お、お呼びでしょうか……李司様……」


彼女の声は震えている。私が怖いのだ。当然だ。私は彼女の夫を尻に敷き、家の財布を握り、あまつさえ彼女自身にも「無駄な出費(お茶菓子代など)」を厳しく制限しているのだから。


彼女に歩み寄る。そして、その華奢な肩をガシッと掴む。


「ひっ……!」


丁夫人が小さく悲鳴を上げる。私は彼女の目を見据える。


「良いですか、丁夫人。通達事項です」


業務引継ぎの時間だ。


「これより半年間、この『女好きの役立たず(ポンコツ)』の管理権限を、貴女に一時的に委譲します」


「え……?や、役立たず……?」


丁夫人が孟徳を見る。孟徳が「おい!」と抗議の声を上げるが無視する。


「私がいない間、この男は必ず羽を伸ばします。新しい任地で、現地の女に手を出したり、無駄な宴会を開いたり、怪しげな骨董品を買わされたりするでしょう。貴女の任務は、それらを未然に防ぎ、変な虫がつかないように監視することです」


「は、はい……。李司様……」


丁夫人は頼りなさげに頷く。困った顔をしている。


「でも、私には……。旦那様は、私の言うことなど聞いてくださらなくて……。私は口下手ですし、李司様のように、その……物理的に殴ったりすることもできませんし……」


彼女は俯く。そう、彼女は優しい。優しすぎる。それが弱点だ。孟徳のような、欲望に忠実な男を制御するには、優しさだけでは足りない。恐怖か、あるいは別の「力」が必要だ。


「甘いです」


冷徹に告げる。彼女の顔を両手で挟み、上を向かせる。


「言葉で分からせる必要はありません。論理的説得ロジックは、私がいるからこそ成立する高度な戦術です。貴女には、貴女に適した戦術があります」


「わ、私に適した……?」


「はい。言葉で分からなければ、体で分からせるのです」


「……は?」


丁夫人が瞬きをする。意味が理解できていないようだ。


「男というのは単純な生き物です。構造的には、入力(刺激)に対して出力(反応)を返すだけの単純な機械です。彼らの思考回路の九割は、下半身に直結しています」


孟徳を指差す。孟徳が「失礼な!俺の脳は国家のことを考えてるぞ!」と叫んでいるが、嘘だ。さっきから丁夫人の胸元をチラチラ見ているのを、私の感知器センサーは捉えている。


「夜の営みで骨抜きにし、理性を停止ショートさせれば、操縦など容易いこと。貴女にはその武器スペックがあります」


視線を下ろす。丁夫人の体。着物に隠されているが、出るところは出て、締まるところは締まっている。所謂、安産型であり、男好きのする体型だ。私のような痩せスレンダーとは違う、豊満な魅力がある。これを活用しない手はない。未利用資源の有効活用だ。


「遠慮はいりません。あなたのその豊満な肉体を使って、徹底的に籠絡しなさい。毎晩、彼が『もう無理です、許してください』と泣きを入れるまで、搾り取れるだけ搾り取るのです」


「え、えええ……っ!?」


丁夫人の顔が、一瞬で茹でダコのように真っ赤になる。耳まで赤い。湯気が出そうだ。


「そ、そそ、そのような破廉恥な……!はしたない……!私には無理です……!」


「無理ではありません。業務命令です」


「彼を疲れさせれば、外で遊ぶ元気もなくなります。結果として、浮気防止費用がゼロになります。さらに、家庭内での貴女の発言力(議決権)も向上します。いいことずくめです。やりなさい」


「あ、あうう……」


丁夫人は目を回しかけている。だが、拒否はさせない。


「李司ィィィッ!!!」


孟徳が耐えきれずに割り込んでくる。彼は私と丁夫人の間に割って入る。


「お前、なんてことを吹き込んでるんだ!!教育的指導の方向性がおかしいだろ!ここは遊郭じゃないんだぞ!」


孟徳は丁夫人を庇うように立つ。


「丁夫人は清楚で淑やかなのが取り柄なんだぞ!俺の癒やしなんだぞ!それを、そんな肉食獣みたいに改造しようとするな!俺の家庭環境を破壊するな!」


「破壊ではありません。最適化チューニングです」


「貴方が清楚な妻の言葉を聞かないのが原因でしょう?なら、貴方が聞くような妻に変えるしかありません。需要と供給の合致マッチングです」


「需要してねぇよ!俺は清楚なままでいてほしいんだよ!」


「嘘ですね。貴方の裏帳簿には、『人妻・熟女系』の店への支出記録があります。潜在的要望ニーズは明らかです」


「ぐっ……!な、なぜそれを……!」


「私の情報網を甘く見ないでください。とにかく、方針は決定しました」


荷物を持ち上げる。巨大な麻袋だ。中身は金目のものばかり。重いが、心地よい重さだ。


「では孟徳、半年後にまた集金に来ます。それまでに、汝南の税収を倍にしておいてくださいね。もし赤字を出していたら……分かっていますね?」


手で首を切るジェスチャー。そして、投げキッスを送る。ただし、それは愛情表現ではない。「金払えよ」という合図だ。


「じゃあね、丁夫人。頑張って。期待していますよ」


颯爽と歩き出す。振り返らない。次の目的地は北、濮陽。そこには、もう一人の「財布」こと本初と、私の可愛い「人質」こと子供たちが待っている。半年ぶりの再会だ。本初がどれだけやつれているか、楽しみで仕方がない。


中庭を出る時、背後から孟徳の声が聞こえる。


「……行ってしまった」


力が抜けたような声。膝から崩れ落ちる音がする。


「あいつ、本当に本初のところへ……。信じられん……。俺という夫がいながら……」


孟徳の嘆き。だが、すぐに他的思考は別の方向へ向く。


「……おい、待てよ。今頃あいつ、本初に同じように『稼げ』って言ってるのか?あいつも同じ地獄を見てるのか?」


鋭い。その通りだ。本初には、もっと過酷な割当ノルマを課す予定だ。「県令としての給与全額没収」および「育児手当の未払い分請求」だ。


そして、もう一つの気配。丁夫人の気配が変わるのが分かる。


「あ、あの……旦那様……」


丁夫人の声。先ほどまでの震えが、少し消えている。羞恥心を含んでいるが、どこか決意を秘めた声だ。


「李司様が……その……」


衣擦れの音。彼女が孟徳に近づく音。


「今夜は、寝かさないようにと……。厳命されておりまして……」


「……へ?」


孟徳の声が裏返る。


「い、いや、丁?お前、顔が赤いぞ?熱でもあるのか?今日はもう休もう、な?俺も疲れてるし……」


「いけません」


丁夫人の声が、一音階オクターブ下がる。私の教育が、即座に反映されている。素晴らしい学習能力だ。やはり彼女には素質があったのだ。「隠れ肉食系」の素質が。


「業務命令……ですので。旦那様、覚悟してくださいませ」


「ひいっ」


孟徳の短い悲鳴。そして、何かが倒れる音。おそらく、孟徳が押し倒された音だ。


「李司の呪いが……残っている……!あいつがいなくなっても、あいつの支配からは逃げられないのかーーッ!!」


孟徳の絶叫が、初夏の空に吸い込まれていく。私は屋敷の門を出たところで、立ち止まる。そして、小さく笑う。


「ふふ。計画通り(オールグリーン)」


孟徳はこれで、半年間は浮気をする元気もなくなるだろう。丁夫人も、夫との仲が深まり(物理的に)、自信を持つはずだ。家庭円満。夫婦和合。すべては私のシナリオ通り。


私は馬に飛び乗る。手綱を握る。北へ。新たな収益源へ。


「待っていなさい、本初。今、ママが行きますよ」


私の行く道には、黄金の未来しか見えない。例えそれが、二人の男の屍(過労と色欲による)の上に築かれるものであっても。私は止まらない。私の計算機が、停止するその時まで。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


李司という女は、読者の方にとって

好ましい存在だったでしょうか。

それとも、不快で、理解不能で、恐ろしい存在だったでしょうか。


笑えた場面、引いた場面、

「こいつ最低だな」と思った瞬間があれば、

それこそが作者の狙いです。


ぜひ、

・好きな場面

・印象に残った台詞

・「ここはやりすぎだろ」と感じた点


どれでも構いませんので、感想をお聞かせください。


乱世は、まだ始まったばかりです。

次の決算報告書で、またお会いできれば幸いです。

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