第二十四話:変態ロリコン龍と、崩壊する首都
戦場では、強さだけでは足りません。
美しさも、義も、名声も、場合によっては無価値です。
必要なのは処理速度と、判断と、取り戻すべきものを見失わないこと。
これは、徐州で一度止まりかけた私のシステムが、長安からの報せで再起動するまでの記録です。
甲高い金属音が平野を切り裂く。
私の剣先は、喉、心臓、手首、膝、最低限そのどれか一つは確実に奪う軌道を描いているというのに、すべてが空を切ります。しかも相手は、ただ避けているわけではありません。銀の鎧をきらめかせ、髪まで無駄にさらさらと靡かせながら、舞台の中央で演目をこなす役者のように、優雅に私の斬撃の外へ滑っていくのです。
速い。
極めて速い。
しかも、嫌になるほど無駄がない。
白馬。銀鎧。整いすぎた顔。槍の扱いも美しい。ここまで揃うと、もはや戦場というより見世物です。一挙手一投足から溢れ出る自己顕示欲が本当に鬱陶しい。
「ふっ……。それほど熱烈に俺の登場を歓迎し、こうまで必死に剣を合わせてくるとはな」
また来ました。
この男、回避の合間にいちいち台詞を挟んできます。戦闘中の貴重な情報処理能力を、無駄な自意識で圧迫している。極めて非効率的です。
「さては俺の熱狂的ファンだな?気持ちは分かるが、サインなら戦いの後に個別握手会でしてやるぞ」
「不要です」
即答し、再び踏み込みます。
「貴方の首という一点ものの物理デバイスが欲しいだけです。サイン色紙ではなく、そちらをここに置いていきなさい」
今度は首と心臓を同時に狙う連撃。通常であれば、どちらかを守ればどちらかが空く。最低でも姿勢が崩れるはずです。そこへもう一撃差し込めば終わる計算でした。しかし、この男は違う。腰の捻りと手綱の捌きだけで、二撃とも完全にいなす。しかも回避後の顔がやけに爽やかで、静かな苛立ちを覚えます。
「おっと。情熱的だな」
槍の穂先がひらりとこちらの剣を流す。
力任せではありません。おそらくこの男、奉先とは別種の怪物です。正面衝突の出力では奉先が上回るでしょうが、回避と間合い管理のパラメータは明らかにこちらが上。
「確かに君は美しいが……」
「は?」
「顔の微細な皺や、肌の水分量、首筋のハリ、それに視線の疲れ方から推定するに……いくつだ?三四か三五といったところか?」
ピキッ、とこめかみの奥で冷たい音が鳴りました。
ふざけていますね、この男。
「……正確に当てました。それで?」
「すまんな!」
彼はやたら晴れやかな笑顔を見せます。物理的に打撃を与えたい衝動に駆られました。
「一五歳以上は俺の守備範囲外だ!!俺の愛槍が反応するのは、未来ある無垢な蕾だけだ!君のような熟れた果実には一切興味はない!解散!!」
怒りで斬る価値すら見出せません。
「…………なるほど」
「おお、理解してくれたか!」
「ええ。武力値は測定不能、おそらく奉先と同格以上。ですが、完全な変態ですね。生理的に無理です」
「何っ」
「鳥肌が立ちました。一旦引きます。同じ空気を吸うのも不快です」
即座に馬首を返します。
この判断に一切の迷いはありません。強敵かどうか以前に、接触を継続すること自体が精神衛生上の重大な損失です。
後ろで孟徳の悲鳴が飛び交います。
「お、おい!待ってくれ李司!!俺を置いていくな!総大将は俺だぞ!?敵前逃亡するならせめて総大将を先に連れていけ!!」
「孟徳!早く距離を取りなさい!奴のロリコン菌が感染しますよ!全軍撤退!直ちに消毒です!」
「ロリコン菌ってなんだよ!?」
「概念です!しかし極めて有害です!」
夏侯惇と夏侯淵が一瞬だけ顔を見合わせ、次の瞬間には迷いなく私の側へ馬を寄せました。
「了解です姉御!」
「近づきたくねえ!あれは確かに無理です!」
「お前らぁぁ!!総大将より李司の判断を優先するな!!」
「だって孟徳様、今の相手はさすがにちょっと……」
「怖い方向が違いすぎるんですよ!」
丘の向こうでは、先程まで正義の味方面をしていた劉備軍まで妙な空気に包まれています。
関羽は両手で自慢の髭を守りながら半泣きになり、張飛は信じられないものを見る目でドン引きしている。劉備だけが状況を飲み込めていない様子です。
「ま、待たれよ!なぜ曹操軍が先に退くのだ!?」
「兄者、違います!退いているのではありません!あれは衛生的な撤収です!」
「意味がわからんぞ雲長!」
そこへ、さらに意味のわからない男が現れました。
先程完璧なポーズで登場し直しを要求した、不本意な美男子です。
彼は私たちが本当に下がり始めたのを見ると、ひどく困惑した顔を作りました。
「えっ、ちょっと待ってくれ!せっかく二回目の登場を完璧に決めたのに、まだ何もしていないのだが!?」
「そういう問題ではありませんよ、ロリコン」
「ロリコンではない!美の守備範囲に厳格なだけだ!」
「より悪質ですね」
「悪質って何だ!」
「年齢制限つきの正義の味方など、広告審査でも即座にはじかれますよ」
「広告審査!?」
趙雲が納得いかない顔で馬を進めかけた瞬間、張飛が慌てて手を伸ばして制止します。
「やめとけ子龍!今あの女とまともにやり合うのは色んな意味で危険だ!兄者も雲長ももう頭が追いついてねえ!」
「だが、無辜の民が――」
「お前の守備範囲外かもしれんが、あっちは普通に殺すぞ!!」
張飛だけが最も正確に現実を把握していますね。以前も思いましたが、この男、見た目ほど愚かではありません。むしろ義兄弟二人の知能指数が著しく低いだけです。
趙雲はまだ槍を構えたまま、私を引き留めるべきか、自分の美しい決め台詞をもう一度放つべきか、本気で葛藤している顔をしていました。
心底、面倒です。
「孟徳」
「なんだ」
「この時代、筋肉馬鹿か、変態ナルシストか、変態ロリコンしか存在しないのですか?」
「お前が言うな」
「少なくとも私は仕事をします」
「仕事の内容が大体おかしいんだよ、お前は!」
撤退した先の本陣で、私は全軍に簡易消毒を命じます。アルコールを兵に配備し、衣服と武器を念入りに拭かせ、ついでに関羽の髭トラウマについても記録簿に追記しておきます。利用できる弱点はすべてストックしておくべきです。
孟徳は納得のいかない顔をしていましたが、彼は一度自分の頭の中に入った不快な情報を長く引きずるタイプなので、本当は誰よりも彼に消毒が必要です。
「さて」
徐州の村落配置、補給線、劉備軍の介入可能ルート、そしてこちらの残存兵力。虐殺と略奪は効率を計算して分配しなければなりません。怒りに任せて全土を焼き払えば、後から損失を被るのはこちらです。
「郭嘉、程昱」
呼ぶと、二人は待機していたかのように即座に入室してきます。相変わらず有能です。
特にこの二人、最近は完全に孟徳を飛び越えて私に直接案件を持ってきます。組織図としては歪ですが、情報伝達速度の観点から見れば極めて優秀な判断です。
「はい、李司様」
「お呼びでしょうか」
「ちょっと待て。総大将は俺なんだが?そこ、まず俺に聞かない?」
郭嘉がにこやかに応じます。
「もちろん最終的なご決裁は曹公にお願いしております」
「お願いしてる顔じゃねえんだよなあ」
程昱は孟徳をほとんど視界に入れず、地図の一点を指し示しました。
「劉備が徐州に入り込んだ以上、背後の兗州を突かれるリスクが生じます。特に彼は流民の掌握に長けている。人心の吸着率だけを見れば異常値です」
「ええ。私も同意見です」
「正面からの武力出力はこちらが上ですが、長期戦は推奨できません。青州兵三十万は嬉しい増資ですが、食費の維持コストが馬鹿にならない。徐州攻略は短期で決着をつけるか、あるいは一旦損切りするか、二つに一つです」
「俺の意見も聞いてくれない?」
「孟徳、あとで聞きます。今は大人しくしていてください」
「あとでっていつだよ!」
「劉備を取り込む案はいかがでしょう。義に厚いという看板は利用価値があります。徐州の住民向け広報にも役立つはずです」
「却下です」
「劉備は子会社化に不向きな人材です。ああいう男は一見へりくだって見せますが、深層心理では常に自分がトップの看板になりたがる。資本提携ならまだしも、吸収合併は不可能です」
孟徳が思わず吹き出します。
「吸収合併って言い方やめろよ。まあ、でもわかる。あいつ、妙に俺こそ正統みたいな空気を出してくるんだよな」
「ええ。視界に入るだけで非常に苛立ちます。ただし」
少しだけ思考を巡らせます。
「張飛は欲しいですね」
「は?」
「なんで張飛なんだ?関羽でなく?」
「粗暴な外見に反して、最も礼儀と現実感覚を弁えているからです。兄二人が暴走した際に即座に軌道修正を図る。しかも教養まで備えている。私の右腕、あるいは有能な管理職候補として極めて優秀な逸材です」
「おい、それを本人の前で言ったら完全に勧誘扱いになるぞ」
「実際そうですが?」
「怖いな!?戦場でヘッドハンティングする気か!?」
「優秀な人材は常に市場から拾い上げるべきでしょう」
孟徳が呆れた顔で深くため息をつき、ついでにぽつりと付け足しました。
「俺は……関羽の方がちょっと欲しいな。義理堅いし、髭も立派だし」
「却下です」
「早いな!」
「不潔です。あの髭には確実に未知の雑菌が繁殖しています」
「まだその評価なのか」
「衛生管理は基本です」
「お前の価値基準、時々本当にわからん」
◆
一方、徐州城の応接間。
そこでは、救い主と城主の間で深刻な対話が交わされていた。
「劉備将軍。この度の救援、誠にありがとうございます。貴方のおかげで徐州の民は救われました」
陶謙が深く頭を下げると、劉備は極めて殊勝な顔を作り、静かに首を振った。
「いえ……力及ばず、憎き曹操を討ち取ることはできず、取り逃がしてしまいました」
実際には曹操軍が勝手に引いていっただけなのだが、劉備の表情には見事な悲壮感すら漂っている。
「ご謙遜を。劉備将軍は、由緒正しき漢王朝の血を引くお方だとお聞きしております」
「いえいえ。『属尽』と言いまして、血縁が遠すぎて系図上はほぼ他人みたいなものです。まあ、中山靖王の末裔という『設定』でブランディングさせてもらってますが」
屈託のない笑顔で放たれた現代的なビジネス用語に、陶謙の顔が引きつる。設定。ブランディング。救世主の口から出ていい単語ではない。
「と、ともかく……」
陶謙は老いた体を震わせ、必死に話を元に戻した。
「私はもう老い先短い。貴方に『徐州長官』の地位を丸ごとお譲りしたい。王室の権威が低下し、豊かな徐州は常に周囲の諸侯から狙われております。漢王室再興のためにも、どうかお受けいただきたい」
「へえ!マジで!?じゃあ遠慮なく!いただきまーす!」
食い気味に、満面の笑みで両手を差し出した瞬間だった。
鈍い破砕音が応接間に響き渡る。
横から突き出された張飛の巨大な拳骨が、劉備の後頭部に容赦なく炸裂したのだ。
「兄者ァ!!てめえは馬鹿か!!」
張飛の怒声がビリビリと空気を震わせる。
「こういう時は、世間体として『一度断る』のが政治の礼儀だろ!即答で貰ったら、ただの強欲な乗っ取り野郎だろうが!」
「そ、そうなのか?くれるって言ってるんだから、サクッと貰えば効率がいいじゃないか」
劉備は頭にできた巨大なタンコブをさすりながら、涙目で抗議する。そこへ関羽が自慢の美しい髭を撫でながら、極めて真顔で口を挟んだ。
「翼徳の言う通りだ、兄者。形式は大事だ。だが……わざわざ譲り受ける手続きなど面倒ではないか?欲しければ、今ここで陶謙の首を刎ねて奪えばよいのでは?その方が手っ取り早い」
空気が凍りついた。陶謙の喉がヒュッと鳴る。
「この塩泥棒め!!!」
張飛の裏拳が、今度は関羽の頭に叩き込まれた。
「兄者も兄者なら、弟も弟だ!なんで俺の義兄弟はどいつもこいつもコンプライアンス意識がゼロなんだ!!」
頭を抱える義兄弟二人を尻目に、張飛は陶謙に向き直ると、その巨体からは想像もつかないほど優雅で美しい礼をとった。
「陶謙殿。うちの馬鹿共の戯言、どうかお忘れください!お言葉ではありますが、このような不透明な手段で長官の地位を得れば、兄・劉備は天下の笑いものになってしまいます!大義名分と世論形成の構築が先決です!さあ兄者!俺の言う通りに復唱しろ!」
「は、はい。『身に余る光栄なれど、某には荷が重く……』」
三人のやり取りを呆然と見つめながら、陶謙は静かに天を仰いだ。
(……この老いぼれの目に、狂いは……あったかもしれない)
国を渡す相手を、絶対に間違えた。そんな確信が老人の胸を締め付ける。
しかし張飛は構わず話を強引に進める。
「とにかく!礼儀として、我々からすぐに曹操へ『停戦と撤退を促す書状』を書きます!これにて貸し借りなし、とね!」
◆
その頃こちらの陣営には、劉備からの使者が到着したという報告が入りました。孟徳が「俺が読む!」と珍しく前のめりに立ち上がります。自分の見せ場だと思っているのでしょうが、おそらく彼の思い通りには進行しません。
書状を開いた彼は、最初は鼻で笑い、途中から眉根を寄せ、最後には額に太い青筋を浮かび上がらせました。
「『曹公におかれましては怒りを収め、兵をお引きくだされ』……だと?」
「随分と上から目線ですね」
「劉備め……!言わせておけば!この俺に指図するとは一体何様のつもりだ!!」
「おい!この生意気な使者の首を斬り落とし、劉備の陣へ送り返せ!!」
「却下です」
郭嘉が極めて冷静なトーンで制止しました。
「交戦中に使者を斬首するのは、さすがにブランドイメージが悪化しすぎます。後の外交コストが跳ね上がるリスクがあります」
「では右腕の切断に留めましょうか」
私が代替案を提示すると、使者の顔からみるみる血の気が引いていきました。
「首でなければ致命傷には至りません。十分な強烈なメッセージとして機能します。左腕でも構いませんよ」
「そういう問題ではありません!!」
郭嘉が珍しく語気を強めて突っ込みます。程昱まで深く眉をひそめました。
「李司様。お気持ちは理解できますが、その案はさすがに外聞が悪すぎます」
「いや、気持ちはわかるのかよ」
「論理構造の観点からのみ、ですが」
使者は今にも泣き出しそうな顔でこちらを凝視しています。安心しなさい。今日は腕も首もまだ物理デバイスとして接続したままにしておきます。
「……わかりました。今回は保留とします」
「今回はって付けるなよな……」
孟徳がぶつぶつと文句を垂れながらも、一応の怒りは収めました。
◆
夜もだいぶ更けた頃、新たな伝令が転がり込んできます。顔色が死人のように土気色です。致命的な報告だと一目で察しがつきました。
「急報です!!長安より、早馬が到着しました!!」
「なんですか。夜間は静かに報告しなさい」
「董卓相国が……王允の裏切りにより……暗殺されました!!」
手元の高級茶器が滑り落ちる。
自分が落としたという事実の認識が、一瞬だけ遅れました。こんなエラーは珍しい。珍しいどころか、私の運用履歴においてほとんど存在しません。
陶器が砕け散る乾いた音が、やけに鼓膜の奥で大きく響き渡ります。
董卓が死んだ。
あの筋肉ダルマが。
あのやかましい会長が。
あの、私の作成したプラン通りに減量し、筋肉を増強し、真面目に政務をこなすようになった、あの巨大な男が。
「……奉先や、貂蝉は」
声のトーンが落ちていくのがわかります。自分でも自覚できるほどに、危険な帯域の音です。
「はっ……!呂布将軍と貂蝉様は、陛下と玉璽を確保し、こちら兗州へ向けて落ち延びたとのこと!お子様たち――曹昂様、袁譚様、董白様、呂玲綺様も確実にお連れしております!」
そこでわずかに呼吸のサイクルが戻りました。よかった。まだ最悪のシナリオは回避されている。
「ですが……長安脱出の際、王允は貂蝉様に『董卓の血を引く子供を殺せば罪は問わない』と取引を持ちかけたそうで……しかし貂蝉様はそれを断固拒否!『私の育てた子供に指一本触れさせない!』と、王允を物理的に殴り倒して強行突破したとのこと!」
よくやりました、貂蝉。
本当に、あの子は私が設計し、鍛え上げた通りに完璧に育っている。
「それで?彼らの現在位置は」
「追撃部隊を受け……華雄将軍は戦死。呂布将軍と貂蝉様は、子供たちを庇って無数の矢を受け、重傷とのこと……!現在は近隣の廃寺に身を隠し、決死の防戦を展開中と……!」
誰かが息を飲む音が響きました。郭嘉も、程昱も、孟徳も、先程まで余裕を装っていた表情が一瞬で剥がれ落ちています。おそらく、私が今いかなる顔貌をしているのか、自分自身の視界に入らなくて幸運だったのでしょう。
「……王允」
私の最高傑作。
私の最大戦力。
私の子供たち。
そこへ、手を出した。
「私の陣営の『最高傑作』と『最高戦力』に傷をつけ、あまつさえ私の保有するアセットを狙うなど……」
「その罪、万死に値します」
孟徳が慌てて立ち上がります。
「お、おい李司!」
「徐州の不良債権処理など、もうどうでもいい」
私は彼に視線を向けません。その必要性が皆無だからです。
優先順位のアルゴリズムが完全に書き換えられました。
「直ちに全軍、許昌方面へ反転します。貂蝉と奉先をロストさせるわけにはいきません」
「李司、待て、徐州は……!」
「後回しです。現在は長安から逃れてくる私の身内の保護が最優先タスクです」
そうです。私は効率主義者です。利益の最大化が最優先です。ですが同時に、自らの手で鍛え上げ、自ら構築し、自ら育成したリソースに対する執着心は誰よりも重く、深い。
それは決して無駄なバグではありません。
私という個体にとって、そこが世界の中心座標だからです。
「孟徳」
「……ああ」
「全軍撤退です。今すぐ」
「わかった!全軍撤退!急げ!李司が本気でキレた!絶対に逆らうな!」
「姐さん!俺ァ何を守ればいい!」
「孟徳の命と撤退ルート、それから最低限の兵糧です。余計な荷物はすべて破棄しなさい」
「了解!!」
天幕の外へ出ます。
夜風がひどく冷たい。それなのに、頭蓋の奥だけが異常な熱を帯び続けている。
董卓。
あの男のことを、私は特段愛しているなどと認識したことはありませんでした。少なくとも、孟徳や本初や奉先に対して抱く感情とは、少しカテゴリが異なると分類していた。
けれど、今こうしてシステムからの永遠のログアウトを知らされると、胸の奥のどこかにぽっかりと空洞が生じたようなエラー感覚があります。
やかましかった。
暑苦しかった。
意味もなく鍛え上げた筋肉を誇示してきた。
でも、私が緻密に計算して組み上げた方針を、誰よりも単純に、誰よりも真っ直ぐに信じ抜き、最後まで前を向いて歩き続けてくれた男でもありました。
「董相国……」
その名を小さく音声に乗せた瞬間、視界のピントがわずかにぼやけました。
涙ですか。極めて鬱陶しい生理現象ですね。本当に。
けれど、こんな無駄な排泄行為に時間を割いている暇はありません。
泣くのは、すべての回収タスクが完了してからです。
貂蝉も、奉先も、子供たちも、まだ生命活動を維持している。
ならば必ず取り戻す。
王允はその直後に物理的に処理する。
そのあと根底からすべてひっくり返す。
「待っていなさい」
誰に向けて発信した言葉か、自分でも正確に理解しています。
奉先。貂蝉。董白。玲綺。子脩。顕思。すべてのアセットたちへ。
「今、行きます」
無駄な装備は一切持ちません。現在必要なのは研ぎ澄まされた剣と、絶対的な速度と、純度の高い殺意のみです。
「早くしろ!撤退だ撤退!徐州なんてもういい!今は李司の方が怖い!」
「孟徳様、それは本音が漏れすぎです!」
「事実だろうが!!」
現在の私にとって最も効率の良い最適解は、ただ一つ。
私の大切なものを奪った対象を、最短距離で一つ残らず叩き潰すこと。
その計算結果だけは、絶対に狂いません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は前半がだいぶおかしく、後半がだいぶ重い回になりました。
趙雲の登場で笑っていただけたのか、董卓の死報で空気が変わるところが刺さったのか、ぜひ感想をいただけると嬉しいです。
作者としては、李司が自分でも気づかない種類の喪失を食らった回として、とても気に入っています。




