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三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~  作者: 斉宮 柴野


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第二十一話:美しき数式と、黒衣の未亡人

相国府に必要なのは、忠義ではない。

愛でもない。

利益を生み、記録を積み上げ、必要なら人間性すら損切りできる、極めて優秀な人材だけだ。

その意味で言えば、今日の面接は大成功だった。

たぶん、人としては失敗だが。


地下大書庫という空間は、私の精神をひどく安堵させてくれます。


低く保たれた湿度。

一定の温度。

埃一つない静寂。


ここには余計な人間の感情が入り込む余地はなく、ただ純粋な数字と記録だけが静かに、そして確実に積み上がっていく。


ひどく流動的で不確かな人間関係のしがらみに比べれば、これほど信用に足るものはありません。

そんな私の理想境とも呼べる職場の中心に、本日の新規採用候補者が静かに腰を下ろしています。


身を包むのは漆黒の喪服。

造作は過不足なく整い、透き通るような白い肌が冷たい空気に馴染んでいる。

その視線は凪いだ湖面のように静まり返り、無駄な怯えも、浅ましい媚びの気配も一切感じさせません。


世間では悲劇の未亡人などと喧伝されているようですが、少なくとも私の目の前に座るこの女からは、ひ弱な悲壮感など微塵も読み取れない。


むしろ、冷たく研ぎ澄まされた刃を、精巧な鞘にきっちりと納めているような、研ぎ澄まされた静謐さすら感じさせるのです。


「本日は我が相国府の中途採用面接にお越しいただき、ありがとうございます。蔡文姫さん」


「貴女の一度見たデータは絶対に忘れないという、もはや人間というより記憶装置に近い脳内スペックを見込んで、今回スカウトさせていただきました」


彼女は声高に答えることなく、ただ静かに、流れるような所作で一礼を返します。

無駄のない美しい動き。


もちろん、見た目の優雅さだけで採用の判を押すほど私は甘くありませんが、指先の動作一つに雑さが滲む人材は、往々にして業務の質も低いものです。

その点において、彼女の完璧な自己管理能力は、私の評価軸において確かな加点要素となっていました。


「お招きいただき光栄ですわ、李司様。未亡人となり、市場価値が下がったわたくしにお声をかけていただけるとは、思ってもみませんでした」


「ご安心ください。当府では未亡人というステータスは、過去の不良債権をすでに清算済み、という極めて前向きな評価になります」


「まあ。なんて斬新な慰め方」


「慰めではなく事実です」


傍らに積み上げられた帳簿の束へ視線を落とし、表面を指先で軽く叩きました。

分厚い紙の束が放つ威圧感は、通常の文官であれば顔色を無くすほどの重みを持っています。


「では早速、スキルチェックに入ります。遠慮は不要です。ここで落ちても、貴女の命までは取りません」


「採用面接としては、だいぶ物騒ですわね」


「当府の採用条件が重いだけです。手始めに、この国の直近五年間における全州の税収データを、脳内にダウンロードしてください」


机上に築かれた紙の山は、見る者の精神を削るのに十分な圧迫感を放っています。

しかし蔡文姫は瞬き一つせず、「承知いたしました」とだけ口にし、白魚のような指を帳簿へと伸ばしました。


彼女が手を触れた瞬間から、その光景は常軌を逸していました。

紙片をめくる音が、通常のそれとは根本的に異なっている。

軽やかな音ではなく、激しい雨音のような連続音。


決して適当に流し読みをしているわけではないことは、その眼球の尋常ならざる動きが証明しています。


信じられない速度で文字の羅列を追尾しながらも、彼女の表情は恐ろしいほどに涼やかで、白磁のような額には皺一つ寄りません。


数分の後。

彼女は最後のページを静かに閉じ、透き通るような瞳で私を見据えました。


「完了いたしました」


「……本当ですか?」


「嘘をついても仕方がありませんでしょう?」


極めて論理的な返しです。

では、その真偽を直ちに検証しましょう。


「徐州の三年前の塩の税収と、その前年比の差異分析を」


彼女の呼吸に、一切の乱れは生じません。


「一万四千五百六十斤。前年比マイナス二・三%。主たる要因は、秋季の長雨による精製および輸送の遅延ですわ」


「では、豫州の絹取引税の推移と、異常値が出た季の背景は?」


「二年目の冬に急騰しております。主要因は戦乱による高級布需要の偏りと、在庫を抱えた商家の投機的動きです」


「荊州北部の穀倉地帯における昨年の地租回収率は」


「九一・四%。ただし帳簿上の数字であり、実態はもう少し下です。中抜きの痕跡が三箇所、帳簿の書き換え癖から見えます」


「……」


「どうかなさいました?」


「いえ。少しだけ、人間にここまでできるものなのかと再確認していただけです」


彼女の口元に、冷たい美しさを伴った微笑が浮かびます。


「覚えるのは得意ですの。忘れられない、と申し上げた方が正確かもしれませんけれど」


その特異性は、凡人にとっては精神を壊す呪いにも等しいでしょう。

しかし、当府の業務においてそれは至高の才能に他なりません。

素晴らしい。

実に素晴らしい。


貂蝉が純粋な物理的暴力の頂点であるならば、目の前のこの女は、完膚なきまでの知の暴力です。


「素晴らしい。では、こちらの兵站輸送の最適化計画書は?」


私はさらなる試金石として、別の木簡の束を差し出しました。

今度は単なる数字の記憶ではありません。

私が独自に構築した、極めて複雑な兵站計算式と、輸送ルートの導出過程が刻まれています。


これを一瞬で咀嚼し、その論理構造を理解できるのであれば、本採用の決定にこれ以上の迷いは不要です。

彼女は木簡を受け取ると、再びあの恐るべき速度で視線を滑らせ、数息の後、静かに手元へ置きました。


「読み込みました。ただ……」


「なんでしょう。欠陥でもありましたか?」


「ええ」


「この輸送ルートの計算式、ひどく醜悪ですわ」


恐れを知らぬその姿勢は評価に値しますが、指摘の内容が伴わなければ、直ちに不採用の烙印を押すのみです。


「醜悪、ですか?」


「はい。効率だけを追って組み上げた数式特有の、見苦しい歪みがあります。もちろん結果は出ますけれど、美しくありません」


「兵站計算に美醜は不要です。必要なのは、輸送コストを削り、積載率を最大化し、損耗を抑えることです」


「それは存じております。でも、李司様」


彼女は静かに懐へ手を差し入れ、一寸の躊躇いもなく自前の筆を取り出しました。

面接という場に自身の筆を持参するその特異性。


常識から外れたその振る舞いが、私の合理的な思考回路を心地よく刺激します。

白木の余白に、迷いのない筆致で新たな数式が紡ぎ出されていく。


「この変数をこちらに移し、無駄な中継地点を切って、補給頻度の波を均せば……ほら。流れが整いますでしょう?」


整うという言葉の数学的な曖昧さは承知の上です。

しかし、彼女が書き記したその式には、どうしようもないほどの滑らかさが内包されていました。


目にした瞬間、私の脳内に存在していた微かな引っ掛かりが、氷が溶けるように消え去っていく。


「……しかし、それだと現場の計算リソースが増えませんか?指揮官の脳負荷が」


「いいえ。導出は少しだけ難しく見えますが、最終式はむしろ圧縮されています」


彼女の筆が滑り、さらに数行の美学が追加されます。


「見てください。容量を三割ほど削れます。しかも途中の変換も自然です。美しい式は、結果的に扱いやすいのです」


認めざるを得ない。

底知れぬ悔しさと共に、強烈な歓喜が湧き上がってくる。


私の構築した式が劣っていたわけではありません。

ただ、目の前のこの女の感性と異常な処理能力が、私の到達した合理のさらに先を行っているというだけのこと。


「……本当だ」


「論理矛盾がない。しかも綺麗に閉じていますね」


「ええ。美とは、究極の効率ですもの」


「……採用です」


「即日採用。貴女は我が陣営の最高峰のクラウドサーバーとなります」


「まあ」


「嫌そうな顔をしないでください。最大限の賛辞です」


「いいえ、光栄ですわ。わたくし、こういう直接的な評価、嫌いではありません」


「結構です。では、次は実技へ移ります」


「実技?」


完璧に制御されていた彼女の眉が、わずかに動きました。

さすがの記憶装置も、この展開は予測の範疇を超えていたようです。


「当府のバックオフィス業務に就くからには、最低限の物理的コンプライアンスが必要です。書類だけ読めても、襲撃者に首を刎ねられたら意味がありませんので」


思考を物理的な検証へと切り替えた私は、彼女を伴い中庭へと足を踏み入れました。


冷たい風が吹き抜ける中庭で、私は手に馴染んだ素振り用の木刀を構え、相対する蔡文姫の気配を探ります。

彼女は依然として手ぶらのまま、ただ静かにそこに佇んでいるだけでした。


「さて」


「素振りの時間です。警備部長の貂蝉も、最初はただの顔のいい負債でしたが、今では立派な物理特化型アセットです。貴女にも最低限そこまでは行ってもらいます」


「……素振り」


蔡文姫の声音に、初めて明確な不快感が混じりました。


「野蛮ですわ」


「必要です」


「そのような大きな筋肉を使う運動は、軌道が美しくありません」


「戦場で重要なのは美しさではなく、生存と利益です」


「いえ」


彼女はゆっくりと、しかし絶対的な確信を持って首を振りました。


「戦いにこそ、美が必要です」


その静かな響きに底知れぬ異質さを感じ取り、私は脳内の警戒レベルを一段階引き上げます。


「では、貴女の言う美を見せてください」


「ええ。喜んで」


彼女は再び懐へ手を入れ、今度は二本の細い鉄串を引き抜きました。


蛾眉刺。


なるほど。

相手の制圧ではなく、対象の生命活動を停止させることのみに特化した、純然たる暗器です。


「この軌道のほうが、圧倒的に美しいですわ」


視界から、漆黒の喪服が掻き消えた。


いや、違います。

私の認識能力そのものが、彼女の異常な速度に置き去りにされたのです。

空を裂く風切り音すら存在せず、大地を蹴る踏み込みの振動すら伝わらない。


脳が状況を理解したその瞬間には、背後に張り付いた恐ろしいほどの冷気が、私の全身を凍りつかせていました。


頸動脈の皮膚一枚外側に一本。


そして、脈打つ心臓の真上に一本。

鋭く冷たい蛾眉刺の先端が、私の生命線を完全に支配している。


「……」


「利益確定ですわ」


耳元で囁かれたその声音は、地獄の底から響くように冷たく、私の全身の産毛を逆立てました。


今、彼女の側に微かな理性の手加減が存在したこと。

それがなければ、私は今この場でただの冷たい肉塊に成り下がっていたことでしょう。


「……なるほど」


「運動エネルギーのロスが極小。対象の生命活動を最短で停止させる純然たる暗殺術、ですか」


「ええ。大きく振るう必要などありませんわ。殺せば良いのですから」


「その発想は理解できます。理解できますが、理解したくないですね」


「まあ」


「褒めていますか?」


「半分だけは」


静かに木刀を下ろしたその時、大量の書類を抱えた貂蝉が中庭へ駆け込んできました。

その顔には血の気がなく、震える瞳が私と蔡文姫を交互に泳いでいます。


「李司様ー!出張中の曹操様に関する新規アセット製造ラインの最新版を……って、ひっ!?え、今、何が起きて……」


「報告を」


私は心臓に突きつけられた暗器を視界の端に捉えたまま、平然と貂蝉へ右手を差し出しました。


絶対的な死の気配の只中でこそ、管理者の格というものは試されるのです。

恐怖に小刻みに震える貂蝉の指先から、私は冷徹に書類を抜き取りました。


「荀彧様からの定時報告です……。曹操様、出張先でまた二件ほど怪しい接触が……」


「ふむ」


視線を文字の羅列へと滑らせながら、私の奥底で深い呆れがため息となって沈んでいきます。


孟徳。

あの男は、私の管理の目から少しでも外れると、呼吸をするようにリスクの高いポートフォリオを拡大しようとする。

過去の損失から学ぶという機能が、あの英雄の脳には致命的に欠落しているとしか思えません。


「この李氏と王氏、妊娠の可能性がありますね。バックグラウンドチェックは?」


「完了しております!身元は問題ありませんが、いかんせん数が……」


不意に、蔡文姫が私の横から書類の束へと視線を投げかけました。

ほんの一瞥。

しかし、その瞬間の眼球の動きだけで、彼女がすべてのデータを記憶領域へ格納したことが理解できます。

あまりにも規格外の処理能力です。


「あらあら」


「何ですか、その楽しそうな声は」


「いえ。変数が多いなと思いまして」


「変数」


「ええ」


彼女の唇が綻び、春の盛りを思わせる凄惨なほどに美しい笑顔が咲き誇りました。


「曹操様には優秀な後継者が多数必要でしょうけれど、母親が違うと派閥という名のバグが発生します。式が濁りますわ。ですから、有用なアセットだけ産ませて、不要になった製造ラインは速やかに焼却処分するのが最も美しいのではありませんか?」


「……え?」


貂蝉の動きが完全に硬直しました。

私の優秀な演算処理能力すらも、その極端すぎる論理の飛躍に一瞬のラグを生じさせます。

しかし、蔡文姫は一切の躊躇なく言葉を続けます。


「母親役は正室の丁夫人か、あるいは筆頭株主である李司様が独占すれば良いでしょう。数が多いほど管理コストが上がりますし、感情というノイズも増えます。変数は少ない方が、絶対に美しいですわ」


その言葉の持つ純粋なまでの残酷さが、春風のように私の耳を撫でていきます。

論理の飛躍はない。


極限まで無駄を削ぎ落としたその思考の刃は、私でさえためらうであろう人間性の損切りを、一切の感情の揺らぎなしに提案しているのです。


私は利益の低下を天秤にかけ、人間関係の継続という煩わしい選択を取ることがありますが、この女の辞書にそのような甘さは存在しない。

式が濁る。


ただそれだけの理由で、彼女は迷わず母体ごと世界から消去しようとしている。

隣で貂蝉が、魂を抜かれたようにガタガタと震え始めました。


「人道的に大問題です!筋肉が泣きます!」


「筋肉が泣く、は論理性がありませんが、却下には同意します」


「その稟議は却下です。そこまで徹底した処理をやると、孟徳の精神が減価償却を起こし、月次パフォーマンスが低下します。英雄としての回転率が落ちるのは避けたい」


「まあ。そこまで考えておられるのですね」


「当然です。だからこそ私が経営しているのです」


怯えきった貂蝉へと鋭い視線を向けます。


「孟徳には、丁夫人が管理できるキャパシティに抑えろと厳重に警告しなさい。これ以上、無断で債務を増やすなら、次回から監査役として蔡文姫を派遣すると伝えておくように」


「は、はいぃっ!!」


貂蝉の声が甲高く裏返りました。


私でさえ、現在の蔡文姫を孟徳の元へ解き放つのは、劇薬が過ぎると感じています。

彼女の能力は、まだ私の監視下である本社で運用するべきでしょう。


「ちなみに」


「もし本当に派遣されることになった場合、どの程度までやってもよろしいのですか?」


「質問が怖いですね」


「業務範囲の確認ですわ」


「……監査、帳簿確認、交遊記録の把握、対象女性の身元照会。そこまでです」


「殺害は不可」


「明確に線を引かれると、少し残念ですわね」


「残念がらないでください」


貂蝉が私の背中に隠れるようにして、震える声で呟きました。


「曹操様……今まで本当にありがとうございました……」


「まだ死んでいませんよ」


「心はもう半分くらい死んでると思います……」


その所感には大いに同意します。

ですが、最高責任者に精神崩壊を起こされては会社の運営に支障をきたす。


対処法としては、孟徳の業務量を限界まで増やし、女遊びに割くリソースそのものを物理的に奪うのが最適解でしょう。

人間、過労の極致に達すれば、余計なバグを生み出す余裕などなくなるものですから。


西日が赤々と練兵場を染め上げる頃、私の鼓膜を容赦なく震わせる奉先の怒声が響き渡ってきました。

その逞しい背中には、愛娘の玲綺がしっかりと括り付けられている。


育児という非生産的なタスクを、自身の筋力トレーニングと並行して消化するそのマルチタスク能力は評価に値しますが、周囲の作業効率を著しく下げるその無駄な声量だけは、早急に是正させなければなりません。


「おう、新入り!」


「李司が即決で採用したってことは、さぞかし腕が立つんだろう?俺と手合わせ願おうか!」


「最近、育児スクワットばかりで血が滾って仕方ねえんだ!」


「育児スクワットという言葉の時点でおかしいのですが、まあ試験にはちょうどいいですね」


蔡文姫は表情一つ変えることなく、優雅に一礼しました。


「承知いたしました。呂布将軍の筋肉の付き方……大臀筋から広背筋にかけてのライン、素晴らしい黄金比ですわ」


「おう!わかるか!」


賞賛の対象がひどく歪んでいますが、自身の存在意義である筋肉を褒められた奉先は、わかりやすく上機嫌になりました。


この単純な物理特化型アセットを操作するには、やはり筋肉を褒め称えるのが最も効率の良いプロトコルです。


「さあ来い!」


手加減を加えているとはいえ、放たれた方天画戟の軌道は風を切り裂き、常人であればその風圧だけで絶命するほどの圧倒的な暴力の渦。


ただ静かに一歩を踏み出しました。


金属が激突する火花もない。

肉体がぶつかり合う鈍い音もない。


私の視界が捉えた次の瞬間には、再びあの冷たい蛾眉刺が、奉先の頸動脈と心臓の直上に突きつけられていました。


「利益確定ですわ」


背中に括られた玲綺だけが、状況を理解せぬまま無邪気な声を上げています。

この異常な死の気配の中で笑っていられるこの幼児の神経も、将来を見据えれば有望な投資対象と言えるでしょう。


「……なっ」


「勝負ありです」


「……」


その顔に浮かんでいるのは、敗北の悔しさというよりも、ひどく理解に苦しむといった形の困惑です。


「そなた、確かに強いが、ひどくつまらんな」


「つまらない?」


「俺はこう、ガキンガキンと火花を散らして、お互いの魂をぶつけ合って、熱く燃え上がりたいのだ。なぜプロセスを飛ばす」


私は頭痛を覚えました。

この男の価値観は、常に結果よりも衝突というプロセスそのものに重きを置いている。


企業組織において最も厄介な、目的を見失い会議の盛り上がりだけを追求する無能な中間管理職と全く同じ思考回路です。

対する蔡文姫の目は、恐ろしいほどに冷え切っていました。


「戦いとは、対象の生命活動を停止させるだけの単純作業です。殺せば良いのです。無駄な打ち合いは非効率ですわ」


「そのようで」


「俺は李司の暴力のほうが好きだ」


「ありがとうございます」


「お前が礼を言うのも違う気がするけどな」


「奉先。この娘は打ち合いの楽しさではなく、終了速度に価値を置いています」


「なるほどなあ。仕事は早いが、面白みがねえ」


「面白みは利益に直結しません」


「お前まで冷静にまとめるな」


男の不満を背に受けながら、ふと視線を横へ向けると、蔡文姫はどこか遠くを見るような、うっとりとした表情を浮かべていました。


「できれば、頸動脈から血が噴き出す角度は四五度が理想ですわ。対象が倒れ込む時の放物線……数学的かつ文学的な死こそ、至高のアートですもの」


「は?」


戦場の狂人である奉先が、明確に怯んだ顔を見せました。

この男に引くという感情が存在したことは、私にとっても新たな発見です。


「前の夫も、その辺りの美学への理解が乏しくて。コストばかりかかる不良債権でしたから、上手くいかなかったのですよね」


「……っ!?」


衛仲道。

事前の調査記録によれば、病死したと記載されていたはずの彼女の元夫。


しかし、今彼女が口にした言葉。

上手くいかなかった。

不良債権。


美学への理解が乏しかった。

その点と点が繋がり、一つの恐るべき仮説が私の思考回路を支配します。


「文姫さん」


「はい?」


「確認ですが、前のご主人は病で亡くなったと資料にはありますが」


「あら」


彼女の透き通るような瞳は、瞬き一つせず私を見つめ返します。


「病でもありますわ。人間は、だいたい最後には何かしらの不具合で止まりますもの」


「質問に答えてください」


「ふふっ」


「具体的な死因は、今後の信頼関係が深まってからお話ししますわ」


「隠す気があるなら、もっと取り繕ってください」


「では、取り繕います」


「そこだけ素直ですね……」


背後から、限界に達した貂蝉が私の衣服を強く握り締め、震える声で囁いてきました。


「李司様……あの人、マジでヤバいです。李司様が合理的な守銭奴なら、あいつは猟奇的な効率厨です……」


「分かっています」


「終身雇用で囲い込みます」


「判断が速い!」


「敵に回した時の損害が大きすぎますので」


このような異常事態においてこそ、経営者は完璧な作り笑いを浮かべなければならないのです。


「……いえ、何でもありませんよ」


「どうかなさいました?」


「いいえ。今期の採用計画が大成功だったと、心から喜んでいただけです」


「まあ。光栄ですわ」


「それと」


「はい」


「我が陣営では、従業員の過去は原則として問いません。現在の能力と、今後どれだけ利益を生めるか。それだけです」


「素敵ですわ」


「ただし、勝手な損切りは事前申請制です」


「まあ、面倒ですこと」


「会社ですから」


「少しだけ、好きになりそうですわ。この仕組み」


やはり、規格外の狂気です。

しかし、使える。


私の構築する冷酷な論理構造の歯車として、これ以上なく完璧に噛み合う。

ならば、一切の問題はありません。


私の氷の計算、貂蝉の圧倒的な暴力、そして蔡文姫の猟奇的な知性。

この三本柱が揃ったことで、我が相国府という企業体は、かつてないほどに歪で強固な構造を手に入れました。


好感度などという不確定な要素は不要です。

組織の基盤が崩壊しなければ、それで十分なのです。


「貂蝉」


「は、はいっ!」


「蔡文姫の執務環境を整えなさい。書庫へのアクセス権は私と同等に近い範囲まで開放します。毒物棚と機密記録庫はまだ制限付きですが、追って段階的に権限移譲します」


「は、はい……」


「そんなに怯えなくていいですよ。貴女は警備部長。蔡文姫は書記官兼参謀。役割が違います」


「でも、なんか……この人、目が笑ってるのに怖いんですけど……」


「その感想は正しいです」


「仲良くいたしましょうね、貂蝉さん」


「は、はい……。できれば物理的な意味での仲良しは遠慮したいですわ……」


「ふふふ」


「笑い方が怖い!」


事の成り行きを傍観していた奉先が、呆れたように腕を組みました。


「うーむ。やっぱり俺は、貂蝉みたいな分かりやすい奴の方が好きだな」


「私も同感です。ですが会社は好みで回しませんので」


「そういうところだぞお前は」


「褒め言葉として受け取っておきます」


蔡文姫の異常な記憶領域と処理能力。

これを記録と分析だけに留めるのは損失です。


私の口述筆記、外部文書の要約、過去判例の検索、各州の数値比較。

そして何より、各陣営の英雄という名の馬鹿共が引き起こす愚行の記録。

監査を完璧なものとするためには、データは豊富であればあるほど良いのです。


「蔡文姫」


「はい」


「まずは三日以内に、書庫の目録を再編してください。今の配置は私基準で組んでいますが、貴女の記憶装置と検索癖を前提にした方が全体速度は上がるでしょう」


「ええ、もちろんですわ。五万巻程度でしたら、今日中にでも頭へ入ります」


「今日中」


貂蝉の口から、再び絶望の混じった悲鳴が漏れました。


「それ、人間の台詞じゃないです……」


「なら人間離れしているのでしょうね」


自身の異常性を完璧に自覚している分、始末に負えません。


「ついでに」


「貴女には、今後の重要人物の発言傾向も記録してもらいます。仲穎の思考の揺らぎ、奉先の筋肉に関する機嫌の上下、孟徳の女癖、本初の虚栄心、荀彧の忠誠と融通の利かなさ、貂蝉の対抗心。それぞれ波形にして可視化したい」


「面白そうですわ」


「絶対に面白がってやる仕事じゃないんですけどね!?」


よろしい。

人間性が極限まで削ぎ落とされた空間において、彼女のその俗物的な反応は実に好ましいノイズです。


「大丈夫です。貴女の反骨心も評価項目に入れますから」


「それ全然大丈夫じゃないです!」


「問題ありません。数字にすれば怖くないですよ」


「数字になる方が怖いですわ!」


愉快そうに腹を抱えて笑う奉先の声が、空気を震わせました。


「孟徳、気の毒だな!」


「本当にそう思うならその笑顔をしまいなさい」


「だって面白えし」


「そこは同意します」


「さて」


「明日から忙しくなりますよ」


貂蝉の顔が、この世の終わりのように引きつります。


「これ以上ですか……?」


「ええ。人材が増えたのですから、できることも増えます」


「お前、本当に休みを増やす気がないな」


「休みたいなら、誰かが勝手に帝国を拡大してくれれば話は別ですが」


「そんな都合のいい奴がいるか」


「だから働くのです」


蔡文姫が、この世の真理に触れたかのようなうっとりとした表情で呟きました。


「素晴らしい結論ですわ。とても、無駄がなくて美しい」


「貴女、本当にこういう価値観が好きですね」


「はい。大好きです」


やはり恐ろしい女です。

しかし、私の描く利益の数式に、これほど完璧に組み込まれる変数もない。

ならば何も問題はない。

使える部品は、壊れるまで使い倒すのみです。

蔡文姫、いかがでしたでしょうか。

才女を入れるつもりが、気づけばとんでもない猟奇的外部メモリが爆誕しました。

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