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三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~  作者: 斉宮 柴野


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第二話:親公認の猛獣使い

本作は、英雄が天下を目指す物語ではありません。


これは、英雄を「運用」する女の話です。


剣も、忠義も、理想も、帳簿の前では一行の数字に過ぎません。


乱世とは、最も利回りの高い市場。


英雄たちは戦います。

彼女は回収します。


さて。今回、どれだけの男が資産化されるでしょうか。

現在位置、洛陽の一等地。


目の前にそびえ立つのは、巨大な屋敷の門である。朱色に塗られた柱。金箔で装飾された屋根瓦。門の両脇に鎮座する、やたらと威圧感のある石造りの獅子。


推定建築費、金貨五百枚以上。


素晴らしい。実に素晴らしい。これぞ「金持ち」という記号の具現化だ。私の網膜に映るこの景色は、すべてが換金可能な資産に見える。門番が持っている槍の穂先すら、溶かせば数枚の小銭になるだろう。


私の背後には、二つの「荷物」がある。一つは阿瞞。もう一つは本初。二人は現在、私の物理的な教育的指導(という名の暴力)により、完全に順応している。


阿瞞は青あざだらけの顔で、死んだ魚のような目をしている。本初は高貴な衣服が泥まみれになり、魂が抜けたように一点を見つめている。再起動が必要かもしれないが、今は放置する。


「ここが、阿瞞の実家ですね」


阿瞞がビクリと肩を震わせる。パブロフの犬のような反応だ。私の声を聞くだけで条件反射的に恐怖を感じるように調教済みである。


「あ、あぁ……そうだ……。頼む、帰ってくれ……」


「帰る?何を言っているのですか。ここが目的地です。さあ、案内しなさい」


阿瞞の首根っこを掴み、門番の前に突き出す。門番がギョッとする。無理もない。自分たちの主人のドラ息子が、ボロボロの状態で、花嫁衣装を着た謎の美少女に連行されているのだから。情報処理が追いついていない顔だ。


「ぼ、坊ちゃん!?その恰好は……それにその女は……!」


「開けろ。父上に会わせろ」


阿瞞が力なく命じる。門番は慌てて門を開ける。重厚な音を立てて開く扉。その向こうには、さらなる富の世界が広がっている。庭園には珍しい奇岩が配置され、池には見たこともないほど太った鯉が泳いでいる。あの鯉、一匹で一般庶民の一ヶ月分の食費になりそうだ。焼いて食べたら脂っこそうだが、市場価値は高い。


本初を引きずりながら、阿瞞の背中を押して進む。廊下を歩くたびに、私の脳内計算機が作動する。床の板材、最高級の檜。飾られている壺、推定年代物。掛け軸、有名画家の真筆。合計資産価値、測定不能。口角が自然と吊り上がる。ヨダレが出そうになるのを、気品でカバーする。


通されたのは応接間だ。部屋の中央には、黒檀で作られた重厚な机。その奥に、一人の男が座っている。曹嵩。阿瞞の父であり、この国の長者番付の筆頭格。恰幅の良い体型。脂ぎった肌。指にはいくつもの指輪。成金趣味全開だが、その目には商人の鋭さが宿っている。彼は私と、ボロボロの息子二人を交互に見る。


「……なんだ、これは」


曹嵩が低い声で唸る。威圧感がある。だが、私には効かない。金を持っていない人間からの威圧は怖いが、金を持っている人間は「顧客」か「搾取対象」でしかないからだ。


私は優雅に一礼する。花嫁衣装の裾をつまみ、完璧な角度で。


「お初にお目にかかります、曹嵩様。私は李司と申します。本日は、未払金の回収及び、今後の事業提携のご提案に参りました」


「未払金?事業提携?……操、これはどういうことだ」


曹嵩が息子を睨む。阿瞞が震え上がり、私の後ろに隠れようとする。情けない。将来の覇王が聞いて呆れる。


「ち、父上……あの、こいつは頭がおかしいんだ。追い返してくれ……!俺を攫った挙句、わけのわからないことを言って……!」


「訂正してください、阿瞞様」


阿瞞の言葉を遮る。冷ややかな視線を送ると、彼はヒッと息を飲む。


「頭がおかしいのではなく、会計が明朗なだけです。曹嵩様、まずはこちらをご覧ください」


懐から、一巻の巻物を取り出す。それは道中で私が作成した、長大な請求書だ。紙ではなく、私の花嫁衣装の裏地を切り裂いて、阿瞞の指を噛み切って出させた血で書いたものである。エコであり、かつ怨念が籠っているような演出効果もある。それを曹嵩の机の上に広げる。


バラララッ!巻物は机の上を転がり、床まで達する。


曹嵩が目を丸くする。彼は巻物を手に取り、読み上げる。


「……『精神的苦痛:金百枚』……『誘拐による機会損失:金百五十枚』……『打撃による靴の摩耗代:金五枚』……『花嫁衣装クリーニング不可に伴う資産価値減少分:金八枚』……『曹操孟徳の教育指導料(五分あたり):金一枚』……?」


曹嵩の声が震えている。怒りか、呆れか。


「ふざけるな!なんだこのデタラメな請求は!靴の摩耗代だと?貴様が勝手に蹴りつけただけだろう!」


「ご明察です。ですが、私の靴は貴方様の息子様の顔面という硬い物体を蹴るために設計されておりません。想定外の使用による劣化は、原因提供者が負担すべきです。これ、商取引の基本ですよね?」


悪びれもせずに答える。出されたお茶を一口すする。うまい。最高級の茶葉だ。香りだけで金貨一枚の価値がある。この茶器もいい。薄くて軽い磁器。懐に入れて持ち帰りたい衝動を抑えるのが大変だ。


「貴様……!どこの馬の骨とも知れぬ小娘に、金を払う義理はないぞ!阿瞞!衛兵を呼べ!こいつを叩き出せ!」


曹嵩が激昂する。予想通りの反応だ。ここまでは想定の範囲内。普通の人間ならここで諦めるか、実力行使に出るだろう。だが、私は違う。ここからが真の交渉セールスの時間だ。


「お待ちください、曹嵩様。お宅の息子さんは、投資対効果(費用対効果)が悪すぎます」


茶碗を置き、まっすぐに曹嵩を見る。その瞳には、一円の曇りもない拝金主義の光を宿す。


「女遊び、喧嘩、放蕩……。町での評判を聞きましたが、まさに『歩く不祥事』。このままでは不良債権化は免れません。今まで彼に投資した養育費、教育費、裏金……すべて回収不能デフォルトになりますよ?」


曹嵩が言葉に詰まる。痛いところを突かれた顔だ。彼は阿瞞の素行の悪さに常々頭を悩ませていたはずだ。優秀だが、使い道が定まらないエネルギーの塊。それをどう制御するか、それが彼の悩みだ。


「むぅ……確かに、阿瞞の行状には手を焼いているが……。だが、それがどうした。貴様に何ができる」


解決策ソリューションを提供できます」


もう一つの巻物を取り出す。こちらは事前に用意していたものではなく、私の脳内にある膨大なデータを元に、この場で即興で書き上げたものだ。筆は走る。私の脳内処理速度に、手が追いつくのがやっとだ。


「こちらをご覧ください。『曹操孟徳・最速出世プラン~金で買える官位リストと、その割引交渉術~』です」


その巻物をバッと広げる。曹嵩の目の前に突きつける。そこには、驚くべき情報が羅列されている。


「な、なんだと……!?」


曹嵩が身を乗り出す。彼は老眼を細め、食い入るように文字を追う。


「『宦官への賄賂は、現金よりも西域の珍品が効果的』……?『現金の受け渡しは足がつくが、骨董品の譲渡なら贈答品として処理可能』……?『孝廉こうれんに推挙されるための、効果的なサクラの雇い方と、世論操作の手法』……?」


曹嵩の手が震える。これは彼が長年、暗中模索していた「汚職のノウハウ」の集大成だ。 彼は金で官位を買ってきたが、それはあくまで力技だった。


私のプランは違う。効率的かつ、洗練された汚職だ。無駄金を一切使わず、最小の投資で最大の地位を得るためのマニュアル。


「こ、これは……画期的だ!特にこの『十常侍別・好みの少年タイプ一覧表』とはなんだ!こんな情報、どこで手に入れた!」


「企業秘密です。ただ、私は情報の収集と分析に関しては、少々自信があります。私の脳内には、この洛陽中の噂話、スキャンダル、相場情報がすべて分類・保存されています」


自分のこめかみを指先でトントンと叩く。そう、私は歩く情報集積回路だ。人の噂も七十五日と言うが、私の記憶庫には七十五年保存される。


「どうでしょう、曹嵩様。私が阿瞞様の『管理顧問』になれば、このプランを実行し、最短で元を取らせます。彼をただの金持ちのボンボンで終わらせるか、それとも乱世の英雄(稼ぎ頭)にするか。それは貴方の決断次第です」


畳み掛ける。


「最初の請求書は、その手付金とお考えください。一〇〇〇枚の金貨で、将来の『三公』の地位が確約されるなら、安い買い物では?」


曹嵩が唸る。彼は商人だ。損得勘定に関しては天才的だ。彼は天秤にかける。目の前の生意気な小娘への不快感と、彼女がもたらすであろう莫大な利益。天秤は、一瞬で傾く。 カシャン!利益の圧勝だ。


「採用!!」


曹嵩が叫ぶ。机をバンと叩く。


「阿瞞!今日からこの娘の言うことは絶対だぞ!彼女の指示に従い、這い上がってこい!」


「親父ぃー!?息子を売ったなー!?」


阿瞞が絶叫する。彼は信じられないものを見る目で父親を見る。実の親に売られたショック。プライスレス。だが、私にとっては金貨一〇〇〇枚の価値がある。


「商談成立ですね。ありがとうございます」


にっこりと笑い、曹嵩と握手を交わす。彼の手は汗ばんでいるが、金の匂いがする。悪くない感触だ。


「では、手始めに袁家へ行きます。阿瞞様、本初様を連れてきなさい」


「え?袁家?なんで?」


阿瞞が呆然とする。まだ理解していないのか。私は「全方位外交」を行うつもりだ。曹家だけではない。袁家もまた、私の巨大な財布スポンサーになってもらう。


「リスク分散です。一つのカゴにすべての卵を盛るな。投資の鉄則でしょう?」


本初の方を見る。彼は部屋の隅で、置物のように固まっている。「俺の実家になんて行きたくない……」というオーラが出ている。だが、拒否権はない。


「さあ、本初様。次は貴方の番です。貴方のお父様……いえ、実権を握っているのは叔父上の袁隗様でしたね。彼にご挨拶に行きましょう」


私は本初の手を引き、無理やり立たせる。彼は抵抗する気力もないようだ。操り人形のように従う。


一行は曹家を後にする。懐には曹嵩から受け取った「手形」が入っている。金貨五百枚分の約束手形。残りは成功報酬だ。重い。この懐の重みが、私の生きる糧だ。







次なる目的地、袁家。名門中の名門。四世三公の威光。曹家が「成金」なら、袁家は「貴族」だ。そこにはまた別の種類の「金」と「権力」がある。攻略難易度は高い。だが、リターンも大きいはずだ。


袁家の屋敷は、曹家とは趣が異なる。派手さはない。だが、歴史の重みを感じさせる。苔むした石垣。古びているが手入れの行き届いた門。門番の態度も洗練されている。「どなたですか?」と丁寧だが、目には「身分の低い者は通さん」という冷徹な光がある。


「曹孟徳と、袁本初です。袁隗様に至急お目にかかりたい」


阿瞞が名乗る。さすがに名門同士、顔パスだ。門番は驚きつつも、本初の姿を見て顔色を変え、すぐに中へ通してくれた。


通された書斎は、静寂に包まれていた。壁一面に書物が並ぶ。空気中に墨と古い紙の匂いが漂う。知性の香りではない。権謀術数の香りだ。


部屋の奥に、一人の老人が座っている。袁隗。袁家の現当主代理であり、政界の重鎮。痩せぎすな体躯。鋭い眼光。曹嵩のような愛想の良さは微塵もない。彼は私たちを見下ろすように一瞥する。その視線は、汚物を見るようだ。


「……本初。その恰好は何だ。袁家の恥さらしめ」


袁隗が吐き捨てる。本初が縮こまる。彼は柱の陰に隠れようとする。巨大な柱だが、彼の恐怖心までは隠せない。


「そして、そこの女。貴様が本初を唆したのか?」


袁隗の視線が私に向く。冷たい。氷のようだ。だが、私の心臓は熱く燃えている。この男、手強い。だからこそ、落としがいがある。


「お初にお目にかかります。李司です」


「ふん。花嫁泥棒の被害者か知らんが……袁家の敷居を跨ぐなど、身の程を知れ。金が欲しいならくれてやるから、とっとと失せろ」


袁隗は手元の小銭袋を、ゴミのように投げ捨てる。チャリン、と虚しい音がする。中身は……金貨五枚程度か。少ない。少なすぎる。私を乞食か何かと勘違いしているのか。 私のプライド(金銭感覚)が傷ついた。


その小銭袋を拾わない。代わりに、冷ややかな視線で袁隗を見返す。無表情を貫く。感情を表に出したら負けだ。


「袁隗様。『身の程』を知るべきは、貴方の方では?」


私の言葉に、室内の空気が凍りつく。阿瞞と本初が息を飲む音が聞こえる。「言っちゃったよこいつ」という顔だ。袁隗の眉がピクリと動く。


「……何だと?小娘、死にたいのか?」


「死ぬのは非効率なのでお断りします。ですが、貴方はご存知ですか?現在、宮中における反・袁家勢力の動向を」


分厚い木簡の束を取り出す。これは重い。物理的にも、情報的にも。それを袁隗の机の上に叩きつける。


ダン!!


大きな音が響く。袁隗がビクッとする。


「な、なんだこれは……」


「『政敵の弱点・愛人リスト・脱税疑惑のデータベース』です」


淡々と告げる。中身の説明を開始する。


「ここには、十常侍の張譲が隠している裏帳簿の隠し場所が記されています。彼がどこから金を吸い上げ、どこに隠しているか。そして、誰に賄賂を贈っているか。すべての金の流れ(キャッシュフロー)が網羅されています」


袁隗の顔色が変わる。青ざめるのではない。紅潮している。政治家にとって、敵の弱点は何よりも美味しいご馳走だ。


「さらに、何進将軍が密会している相手のリスト。宦官たちが毎晩行っている秘密の宴会の内容。誰が誰と寝て、誰が誰を裏切ろうとしているか。相関図付きで解説しております」


「き、貴様……どこでこれを……」


袁隗の声が震える。彼は木簡を手に取り、震える手で読み進める。そこに書かれている情報の正確さに、彼は戦慄しているはずだ。


「ただの市場調査です」


嘘をつく。実は、町中の乞食、下女、商人を金で買収し、彼らから集めた断片情報を私の脳内でパズルのように組み合わせただけだ。ビッグデータ解析のアナログ版である。人の口に戸は立てられないが、金で鍵を開けることはできる。


「本初様がやらかした不祥事(誘拐)をもみ消す代わりに、私が袁家の『外部監査役』として、敵対勢力の排除を効率化します。私の持つ情報ネットワークと、演算能力を提供しましょう」


取引の時間だ。


「報酬は、袁家のブランド力を使った私の商売の保護。そして、活動資金の提供。……相互利益(Win-Win)ですよね?」


袁隗は沈黙する。長い沈黙。彼は計算している。この小娘を処刑するリスクと、生かして利用するメリット。私の命は、天秤の上で揺れている。


だが、私は知っている。権力者とは、何よりも「力」を欲する生き物だ。そして「情報」こそが、最強の力であることを。


「……本初」


袁隗が口を開く。その声は、低く、重い。


「はい……!」


本初が直立不動になる。


「この娘を逃がすな。妾でも侍女でもいい、鎖につないででも袁家に置いておけ!」


袁隗の目が、ギラギラと輝いている。それは猛獣を見つけた猟師の目だ。あるいは、強力な武器を手に入れた将軍の目だ。


「これは『劇薬』だが……使いこなせば天下が取れるぞ!袁家の悲願、漢王朝の実権掌握……この娘の頭脳があれば、あるいは……!」


「叔父上まで!?正気ですか!?」


本初が絶叫する。彼は救いを求めていたのに、逆に地獄の底に突き落とされた気分だろう。「こいつを家に置くなんて、毎日が恐怖新聞じゃないか!」という心の叫びが聞こえる。


「ありがとうございます、袁隗様。賢明なご判断です」


深々と一礼する。曹家に続き、袁家も攻略完了。これで私は、この時代の二大勢力の両方に食い込んだことになる。ダブルインカム。リスクヘッジも完璧だ。どちらが転んでも、私は生き残れる。


「では、早速ですが」


間髪入れずに次の要求を出す。


「この木簡の制作費と、情報収集にかかった経費の請求をさせていただいてもよろしいでしょうか?えーっと、情報一件につき金十枚として……」


再びそろばんを取り出す。パチパチパチパチ!軽快な音が書斎に響く。袁隗の顔が引きつる。本初が頭を抱えて座り込む。阿瞞が「もうだめだ」と天井を仰ぐ。


なんて素晴らしい光景だろう。絶望する男たちと、積み上がる金貨の幻影。これこそが、私の求めていた「平和」な日常だ。


「おい、李司」


阿瞞が疲れ切った声で話しかけてくる。


「お前、本当に俺たちを管理するつもりか?俺たちは家畜じゃないんだぞ」


「家畜ではありません」


優しく訂正する。


「貴方たちは『金のなる木』です。水やりと肥料やりは私が責任を持って行います。ただし、実がならなかったら……」


言葉を切り、ニッコリと微笑む。 手で首を切るジェスチャー。


「剪定しますからね?」


二人の背筋が凍る音が聞こえた気がした。


こうして、私は親公認の「猛獣使い」となった。猛獣といっても、まだ牙の生え揃っていない仔獣だが。


これから私が、彼らを立派な怪物に育て上げるのだ。もちろん、その過程で発生する利益は、すべて私がピンハネする。手数料は高いわよ。私の人生設計ライフプランは、順風満帆だ。









現在時刻、午の刻。場所、曹家屋敷内、裏庭兼修練場。天候、快晴。日差しは強いが、時折吹く風が心地よい。絶好の労働日和であり、そして絶好の「教育」日和である。


私の視界には、二つの生体反応がある。一つは阿瞞。もう一つは本初。彼らは現在、砂利が敷き詰められた地面に正座している。その表情は、一言で言えば「虚無」だ。目の下の隈は濃く、頬はこけ、肌の色は土気色。生気というものが感じられない。まるで、三日三晩徹夜で決算書類を作成させられた下級役人のようだ。


無理もない。ここ数日、私は彼らに「基礎体力向上」と称して、実家の倉庫整理、庭の草むしり、そして曹嵩様が溜め込んでいた裏帳簿の清書を行わせてきた。睡眠時間は一日四時間。食事は玄米と漬物のみ。これはコスト削減(経費節減)の一環であり、彼らの精神を一度リセットするための初期化作業フォーマットである。


手元の算盤をジャラリと振る。五つ玉がぶつかり合う軽快な音が、静まり返った道場に響く。二人の肩がビクリと跳ねる。素晴らしい反応速度だ。恐怖という動機付け(インセンティブ)が、彼らの神経回路に深く刻み込まれている証拠だ。


「休憩時間は終了です」


竹刀代わりの木の棒を地面に突き立てる。長さ三尺、材質は樫。殴れば骨に響くが、折れることはない。実に経済的な教育用具だ。


「次の項目に移ります。予定より進捗が遅れていますよ。時間は金貨と同じです。一秒たりとも無駄にしないでください」


阿瞞がうめき声を上げる。「信じられん……」 彼は地面を見つめたまま、独り言のように呟く。「親父たちをたった数分で籠絡しやがった。あんなに頑固な親父が、こいつの言うことなら何でも聞くようになっちまった……」


「事実誤認です、孟徳様」


即座に訂正を入れる。


「籠絡ではありません。利害の一致による業務提携です。私は貴方たちの実家に、莫大な利益をもたらす計画書を提出しました。彼らはそれを精査し、合理的だと判断した。それだけのことです」


「それがおかしいって言ってんだよ!」


阿瞞が顔を上げる。その目には、恐怖と疑念が混ざり合っている。


「おい、本初。こいつ本当に人間か?実は狐か何かが化けてるんじゃないか?古寺に住み着いて、旅人を騙す妖怪の類だろ!」


「失礼な。狐ではありません」


冷静に否定する。


「狐の毛皮は市場価格で金一、二枚程度。私の価値バリュエーションは、現在進行形で上昇中です。一緒にしないでください」


「そういうことじゃねぇ!」


阿瞞が叫ぶ。学習能力が低い。感情的になることは、カロリーの無駄遣いだとなぜ理解できないのか。


隣で本初が、真剣な顔で阿瞞に囁く。声量は小さいが、私の聴覚センサー(地獄耳)は逃さない。


「いや、阿瞞。俺は別の疑いを持っている」


本初が探偵のような顔つきで私を指差す。その指先は震えているが。


「あの冷徹さ、あの暴力、そしてあの『可愛げのなさ』……。こいつ、本当は『男』なんじゃないか?」


「……はい?」


思わず計算の手を止める。男?私が?鏡に映る私の姿は、客観的に見ても傾国の美少女だ。肌のきめ細やかさ、骨格の華奢さ、どれをとっても女性としての機能美スペックを満たしているはずだが。


「男って……いや、見ろよあの顔。確かに綺麗だが、女特有の『恥じらい』とか『淑やかさ』が皆無だぞ?女の格好をした、宦官崩れの暗殺者とか……そういう類なんじゃないか?」


本初が持論を展開する。なるほど。阿瞞がそれに乗っかる。


「あー、あるかも!確かに、まともな女が俺たちの前で算盤片手に説教なんてしないしな。普通の女は、もっとこう……キャッキャウフフしてるもんだろ!」


「そうだ!俺の知ってる宮中の女官たちとは生物としての構造が違う!」


本初が立ち上がり、私に向かってビシッと指を突きつける。


「おい李司!お前、実は股間にイチモツついてるんだろ!そうに決まってる!お前みたいな『女』がいてたまるか!正体を現せ!この化け物め!」


阿瞞も立ち上がり、加勢する。


「そうだそうだ!男なら男らしく正々堂々と勝負しろ!女のフリして油断させて、金玉を蹴り上げるなんて卑怯だぞ!」


……思考回路の貧困さに呆れる。彼らの論理はこうだ。『自分たちより強い』かつ『金に汚い』かつ『可愛げがない』=『女ではない』実に短絡的だ。この時代の男性優位社会の弊害が、彼らの認知機能を著しく低下させている。


「……非論理的な質問ですね」


ため息をつく。彼らの誤解を解くことに生産性があるとは思えないが、性別詐称の疑いをかけられたままでは、今後の「花嫁修業(という名の政略結婚詐欺)」に支障が出る可能性がある。商品情報の偽装は、信用問題に関わる。


性別確認ハードウェア・チェックが必要ですか?」


竹刀を脇に挟み、両手を腰に当てる。事務的な口調で告げる。


「いいですよ。論より証拠です。百聞は一見に如かずと言いますし」


「え?」


「は?」


二人がぽかんとする。私は無表情のまま、着ているスカートの裾を両手で掴む。 そして、一気に引き上げる動作に入る。


「見ますか?今なら閲覧料は無料タダです。特別大サービス期間中につき、局部構造の目視確認を許可します」


ガバッと裾を持ち上げる。白い太腿が露わになり、さらにその奥にある下着の布地が見えそうになる――その寸前。


「やめろぉぉぉーーッ!!」


阿瞞と本初が同時に絶叫する。その声は、敵襲を知らせる伝令兵よりも大きく、そして悲痛だ。二人は顔を両手で覆い、地面に転げ回る。


「ば、バカかお前は!往来で何してんだ!羞恥心ってものがないのか!?」


阿瞞が指の隙間からこちらを見つつ(見ているのか)、叫ぶ。顔が真っ赤だ。血圧が急上昇している。健康管理ヘルスケアの観点からは推奨できない反応だ。


「羞恥心?」


スカートを下ろす。あ、結局見えなかったようだ。残念でしたね。


「それは生存や利益に寄与する機能ですか?私の内部記憶メモリを確認しましたが、そのような感情プログラムは初期設定で削除済みです。不要な機能アプリは動作を重くするだけですから」


淡々と説明する。恥じらい?そんなもので腹が膨れるか。そんなもので金が稼げるか。否。むしろ、商談においては「恥」を感じることは弱点ボトルネックになり得る。 相手の懐に飛び込み、無茶な要求を通すには、鉄面皮こそが最強の武器なのだ。


「それに、貴方たちが『男か』と聞いたので、事実を提示しようとしただけです。顧客の要望に応えるのは、サービス業の基本でしょう?」


「誰がそんなサービス頼んだ!心臓に悪いわ!」


本初が胸を押さえてハァハァ言っている。純情な坊ちゃんだこと。これでは、ハニートラップ耐性はゼロに等しい。後で強化プログラムを組まなければ。


竹刀で地面を叩く。乾いた音が、彼らのパニックを強制終了させる。


「それより、無駄口を叩く暇があったら『演技』の練習をしてください」


話題を切り替える。時間は有限だ。彼らの性教育ごっこに付き合っている暇はない。


「孟徳様。貴方はまもなく『孝廉』として推挙される予定です。ご存知ですね?地方の優秀な人材を中央に送り込む、あの一大出世システムです」


「あ、ああ……親父が金で枠を買ったってやつな」


「人聞きが悪い。あくまで『寄付金による優先審査枠の確保』です」


言葉を選びなさい。汚職も言い方ひとつで慈善事業に聞こえるものだ。


「ですが、いくら枠を確保しても、本人に『徳』がなければ審査は通りません。今の貴方の顔を見てください。欲望と不満とスケベ心で構成されています。これでは審査員に賄賂を渡す前に失格ですよ」


竹刀の先で阿瞞の頬をつつく。ぷにぷにと柔らかい。緊張感が足りない証拠だ。


「もっとこう、国の行く末を憂う聖人のような顔を作ってください。民の苦しみを我が事のように受け止め、清貧を貫く君子の顔です」


「せ、聖人……?」


阿瞞が困惑する。無理難題だと思っている顔だ。だが、やってもらわなければ困る。彼が出世しなければ、私の取り分が増えないのだから。


「やってみなさい。はい、スタート」


「う、うーん……」


阿瞞が顔をしかめる。眉間に皺を寄せ、口元を引きつらせる。目は泳いでいる。


「……こうか?」


彼が作った顔は、どう見ても「腹痛を我慢している猿」だった。あるいは「トイレを探している浮浪者」か。少なくとも、国の未来を憂いているようには見えない。自分の腸内環境を憂いているようにしか見えない。


「採点。零点」


冷徹に告げる。竹刀で彼の頭を軽く叩く。ポコッ。


「痛っ!」


「口角が二ミリ下がっています。減点。目尻の筋肉が緩んでいます。それは下女の尻を見ている時の目です。もっと眼光を鋭く、かつ慈愛に満ちた光を宿してください」


「そんな矛盾したことできるか!」


「できます。金貨一枚を落とした時の悔しさと、金貨拾った時の喜びを同時に表現すればいいのです」


「お前の基準は全部金か!」


「当然です。世界共通言語グローバル・スタンダードですから」


次なるターゲットに視線を移す。


「次、本初もです!」


本初がビクッとする。彼はまだ、さっきのスカート事件の衝撃から立ち直れていないようだ。


「貴方は名門袁家の看板なんですから、もっとオーラを出してください。今のままではただの『金持ちのボンボンA』です。背景モブに溶け込んでいますよ」


「モ、モブだと……!?」


本初が立ち上がる。プライドだけは一丁前だ。


「俺は袁本初だぞ!選ばれしエリートだ!どこからどう見ても主役級だろうが!」


「いいえ。貴方からは『苦労知らず』の臭いがプンプンします。民衆はそういう手合いを嫌います。もっとこう、『高貴なる義務ノブレス・オブリージュ』を果たそうとする、苦悩する貴公子の雰囲気を出しなさい」


具体的な指示を出す。顎の角度、視線の配り方、立ち姿。すべてにおいて、演出が必要だ。彼は素材はいいのだ。顔も整っているし、背も高い。ただ、中身が残念なだけだ。外装ガワさえ整えれば、高く売れる。


「……むぅ。こうか」


本初がポーズをとる。顎を引き、流し目で遠くを見る。……悪くない。 さすが名門、格好をつけることに関しては才能があるようだ。だが、彼の口から出た言葉がすべてを台無しにする。


「……なっ!おい、待て」


本初が気づく。顔を真っ赤にして私を睨む。


「なぜ俺だけ呼び捨てなんだ!阿瞞は『孟徳様』なのに、俺は『本初』!?敬意の格差がすごくないか!?扱いが雑だぞ!」


そこか。気にするポイントが細かい。器が小さいぞ、未来の盟主。


「……真実を知りたいですか?」


真顔で問う。


「あ、ああ!理由を言え!俺の方が家格は上なんだぞ!」


「理由は単純です。会計上の処理区分の違いです」


「は?」


「曹家の方は、現時点での『現金払い』が多かったからです。手付金として金貨五百枚、即金で頂きました。よって、最上級の敬称プラン(プレミアム・プラン)が適用されています」


指を一本立てて説明する。極めて論理的な理由だ。


「対して袁家は、支払いのほとんどが『手形(後払い)』でした。袁隗様は慎重な方で、成果が出るまでは現金を出し渋る傾向にあります。よって、貴方の敬称は現状、標準プラン(スタンダード・プラン)……いえ、お試し期間トライアル中の『呼び捨て』設定になっています」


「くっ……!金か!結局金なのか!」


本初が地団駄を踏む。悔しそうだ。世知辛い世の中を知って、また一つ大人になったな。


「課金しますか?」


懐から集金袋を取り出す。布製の、口が大きく開く袋だ。


「今ここで追加料金(オプション料)を支払えば、即座に『本初様』にアップグレード可能です。さらに『本初お兄様』『本初殿下』などの特別称号もご用意しております。いかがなさいましょう?」


「払うかボケぇ!!」


本初が絶叫する。まあ、そう言うと思った。財布の紐が固いのは美徳だが、自分の尊厳プライドのために金を払わないのは、ある意味でケチだ。


「さて……」


集金袋をしまう。無駄話で時間を消費した。これでは生産性が上がらない。そろそろ、彼らのやる気スイッチ(モチベーション)を強制的にオンにする必要がある。


「演技指導の前に、モチベーション管理を行いましょうか」


小首をかしげる。角度、十五度。口元には、練習を重ねた妖艶な微笑みを浮かべる。ただし、目は死んだままだ。


「お二人とも、将来有望な資産家です。この厳しい訓練を乗り越え、見事に出世を果たした暁には……」


声をひときわ甘くする。砂糖を煮詰めたシロップのように。


「成功報酬として……どちらが私を抱きますか?」


ドカン。場に衝撃が走る。阿瞞と本初が凍りつく。時が止まったかのようだ。


両方ダブルでも良いですよ。貴方たちの家には、それだけの対価を支払う価値キャパシティがありますから。私のすべてを、貴方たちの資産ポートフォリオに組み込んで差し上げても構いません」


ズイ、と二人に迫る。足音を立てずに。滑るように。それは恋人の距離感ではない。捕食者の距離感だ。蜘蛛が巣にかかったハエに近づくような、逃れられない威圧感。


「さあ、選んでください。私の夫となり、全財産を私に管理される権利を……!」


阿瞞が後ずさる。顔色が青を通り越して白になり、今は透明になりかけている。


「ひっ……!け、結構です!間に合ってます!」


阿瞞が全力で首を振る。首がもげそうな勢いだ。


「お前を抱くくらいなら、豚小屋で寝る方がマシだ!いや、むしろ豚の方が愛嬌がある!お前と結婚したら、朝起きたら腎臓が片方なくなってそうで怖いんだよ!」


ひどい言い草だ。私はただ、適正な資産管理(と搾取)を提案しているだけなのに。


「そ、そうだ!」


本初も震えながら同意する。彼は柱にしがみついている。


「俺の貞操が危機を感じている!本能が『逃げろ』と警鐘を鳴らしている!近寄るな、この守銭奴!お前に抱かれるなんて、拷問以外の何物でもない!」


「あら、残念」


歩みを止める。心外だ。私はこれでも、顔の造形には自信がある。市場調査でも「黙っていれば絶世の美女」という評価を得ている。なぜ彼らは、ここまで拒絶するのか。


「これほどの『優良物件』を前に逃げ出すなんて……やはり男としての機能スペックに問題が?」


視線を彼らの股間に落とす。値踏みするような目。


故障インポテンツですか?それとも、そもそも実装されていない?」


「ちがわーーい!!」


「正常だ!超正常だ!!」


「そうですか。では、不要な器官ということですね。維持費がかかるだけですし」


竹刀を持ち直す。ブンッ、と空を切る音。


「修理(去勢)しますか?軽量化すれば、動きも速くなりますよ」


「全力で拒否する!!」


「絶対に嫌だぁぁぁ!!」


二人が脱兎のごとく逃げ出す。隅まで走り、壁に背中を預けて震えている。まるで嵐に怯える小動物だ。可愛いものだ。


冷ややかな目で彼らを見つめ、懐から算盤を取り出す。パチリ。一つ玉を弾く。


「チッ……」


舌打ちが出る。


「ハニートラップ作戦、失敗。コストゼロで支配下に置けると思ったのですが……」


色仕掛けで骨抜きにし、言いなりにさせる計画だったが、どうやら私の魅力(恐怖)が勝ってしまったらしい。パラメータ配分を間違えたか。「可愛げ」の数値をもう少し上げておくべきだったかもしれない。今度、鏡の前で練習しておこう。


「やはり暴力による教育プログラムに移行するしかなさそうですね」


結論づける。飴と鞭。飴が通用しないなら、鞭を極太にするまでだ。実にシンプルで分かりやすい。


「さあ、訓練再開です。死なない程度に頑張りましょう」


一歩踏み出す。二人が悲鳴を上げる。


「時は金なり、ですよ?一撃につき金貨一枚分の経験値を得てください!」


「やめろぉぉ!演技の練習じゃなかったのかよぉぉ!」


「お前は演出家じゃなくて処刑人だろぉぉ!!」


阿瞞と本初の断末魔のような叫びが、洛陽の青空に吸い込まれていく。平和だ。今日も我が軍(私と私の財布たち)は平和だ。


私は彼らを追い回しながら、頭の中で計算する。このペースなら、一ヶ月後には彼らを一人前の「役者」に仕立て上げられるだろう。そして、曹家と袁家から巻き上げた資金で、私は念願の「高利貸し」の店舗を開くのだ。


「走れ!止まるな!止まると利子がつきますよ!」


「鬼ぃぃぃ!!」

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


李司は、

優しい女ではありません。

正しい女でもありません。


ですが、

非常に合理的な女です。


英雄を英雄として敬うか、

それとも投資対象として管理するか。


もしあなたがこの乱世に生きていたら、

どちらを選ぶでしょうか。


・李司という主人公をどう感じたか

・曹操・袁紹の扱いはどうだったか

・この世界を、もう少し見てみたいか


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