第十一話:老害論破と、袁家の乗っ取り
名門袁家。
四世三公。
漢帝国を支えた偉大なる家系。
――本日、買収されました。
「何!この儂に逆らう者がいるだと!!」
彼は現在、私が作成した特別ダイエットプログラムを絶賛実行中だ。
その成果もあってか、以前のただの肉の塊のような体型から、少しずつ筋肉の輪郭が見え始めている。
だが、その分エネルギーの消費が激しいのか、少しのことで感情が爆発しやすくなっているようだ。
血糖値のコントロールが甘い。あとで食事メニューの炭水化物比率を見直す必要がありそうだ。
「儂は帝のために、そして何よりあそこで涼しい顔をしている李司殿のために、大好きな酒も肉も我慢して毎日過酷なスクワットと腕立て伏せをこなし、政治の運営だって真面目に頑張っているというのに!なぜ儂の努力を評価せずに、影でコソコソと文句を言う奴らがいるのだ!」
権力者が自己承認欲求を満たされないと拗ねる姿は、見ていて非常に滑稽だ。
だが、その拗ねた感情が暴走すれば市場が混乱するので、適度にガス抜きをしてやらなければならない。
「はい!誠に遺憾ながら、相国の急進的な改革に対して、表立って批判する者たちが多数現れております……」
「我が方の密偵が命がけで探り当てた密告によりますと、その反逆者どもの首謀者は、太傅に就く袁隗であるとのことです!奴らは夜な夜な屋敷に集まり、相国を洛陽から追放するための陰謀を企てているという確かな証拠が挙がっております!」
袁隗。
その名前を聞いて、私は報告書から顔を上げる。
私の夫ナンバーツーである本初の叔父であり、名門袁家の実質的なトップに君臨する男だ。
以前、私が袁家の屋敷に乗り込んで裏帳簿を叩きつけた時の、あの青ざめた顔を思い出す。
どうやらあの老人は、私という外部監査役の目を盗んで、また無駄な政治的投資(クーデター計画)に手を出したらしい。
不良債権は何度処理しても湧いてくる。実に非効率的な一族だ。
「相国!これは見過ごすことのできない大逆罪です!袁隗の一族郎党を直ちに捕縛し、見せしめとして処刑すべきです!」
「さらに、袁隗の甥である袁紹も同罪です!奴も最近、都の警備を怠り、相国の命令に何かと理由をつけて反抗的な態度をとっております!袁紹も連座して裁くべきです!今すぐ彼らの屋敷へ討伐軍を差し向け、処刑命令を出してくだされ!」
彼は「これで相国から莫大なボーナスがもらえる」とでも思っているのだろう。
浅はかすぎる。
市場の相関関係というものを全く理解していない。
「……袁紹を?」
「処刑しろと……そう言ったか、貴様?」
「は、はい!当然の処置かと!袁家を根絶やしにすれば、相国に逆らう者などいなくなります!」
空気が読めていない。
董卓の瞳孔が極限まで見開かれ、全身から滝のような冷や汗が噴き出しているというのに。
「馬鹿者ォォォォォッ!!」
彼は先ほどまで自分にすり寄っていた臣下の胸ぐらを鷲掴みにし、軽々と宙に持ち上げる。
「貴様、自分の言っていることの意味が分かっているのか!?袁紹はただの生意気な若造ではない!あそこの机で書類をめくっている、あの恐るべき李司殿の夫だぞ!!」
私は軽く会釈をして、すぐに書類へ視線を戻す。
「ここで袁紹を殺してみろ!李司殿の資産に致命的な損害を与えることになる!そんなことをすれば、李司殿はもちろんのこと、彼女の夫である曹操や、あの天下無双の呂布にまで累が及ぶのだぞ!」
「よく考えろ!李司殿の緻密な頭脳と悪魔的な資金力!曹操の底知れぬ知略と軍略!そして呂布の物理法則を無視した圧倒的な暴力!あいつら『鬼嫁連合』の全員を同時に敵に回して、この儂が生き残れると本気で思っているのか!?」
彼は本当に私のことを恐れているようだ。
良い傾向だ。クライアントがコンサルタントを畏怖するのは、健全な力関係の証拠である。
「うっ……た、確かに……。あの李司殿の恐ろしさは我々も噂に聞いております……。それに呂布将軍が激怒して本陣に突っ込んできたら、我々の命など一瞬で……」
「あの『鬼嫁連合』を敵に回すのは……自殺行為以外の何物でもありません。私の浅はかな提案でした、どうかお許しを!」
「分かれば良いのだ!軽々しく処刑などと口走るな!」
「と、とにかく、袁隗たちを広間に集めよ。彼らの処遇は、すべて李司殿と相談して決める!儂の独断で勝手なことをして、李司殿の機嫌を損ねるわけにはいかんのだ!」
董卓が周囲の臣下たちに命令を下す。
臣下たちは「ははっ!」と一斉に平伏し、慌ただしく部屋から退出していく。
「賢明な判断ですね、董卓様。リスク管理の基本は、ステークホルダーへの事前の根回しです。勝手に私の夫(資産)の価値を毀損するような真似をすれば、貴方のダイエットメニューをすべて『水とキャベツのみ』に変更するところでした」
「ひぃぃっ!そ、それだけはご勘弁を!李司殿の言う通りにいたしますから!」
「では、私は少し席を外します。本初がこの知らせを聞いて、無駄な感情論で暴走する前に、しっかりと手綱を握り直してこなければなりませんからね」
「よ、よろしくお願いします!どうか穏便に、我が軍と袁家との間に角が立たないように収めてくだされ!」
董卓の泣き言を背中で聞き流し、相国府を後にする。
目指すは、洛陽にある袁紹の屋敷だ。
私の計算では、本初は今頃、自分の手に余る事態に直面してパニックを起こし、非合理的な行動に出ようとしている確率が九九・八パーセントだ。
◆
「何ということだ!叔父上が捕らえられただと!」
「名門袁家の誇りである叔父上を、あの西涼の田舎者が罪人扱いするとは!お助けしなければ!これは袁家の存亡に関わる最大の危機だ!皆の者、すぐに出撃の準備を整えよ!」
「駄目ですよ、本初」
「り、李司!なぜ止める!そこをどいてくれ!」
「貴方が今、感情に任せて動くと、事態がさらにややこしくなります。ただでさえ処理すべき案件が山積みだというのに、これ以上私の業務負担を増やさないでください」
「考えてもみなさい。貴方が今、武装して兵を率いて相国府に乗り込めば、それこそが董卓の臣下たちが待ち望んでいた『袁紹も謀反に加担していた』という確たる証拠になります。自ら相手の罠に飛び込んで、処刑の理由を作ってどうするのですか。論理的思考力が欠如していますね」
「何を言うか!」
「俺はすぐにでも洛陽を出奔して、地方で兵を挙げて董卓を討ちたかったのだ!それをお前が『今は待て、資金と名声の蓄積が先だ』と冷たい顔で言うから、俺はじっと耐えてこの都に残ったのだぞ!お前の指示に従ってきたというのに、その結果が叔父上の逮捕か!これでも俺に、叔父上を見殺しにして黙って座っていろと言うのか!」
彼は本当に叔父を慕っているのだろう。名門の血族としての絆。
だが、そんなものは貸借対照表には載らない無価値な概念だ。
「見殺しになどしません」
「叔父上の命が失われれば、袁家のブランド価値が著しく低下します。それは我が陣営の資産価値の減少を意味する。そのような損失を、私が黙って見過ごすはずがないでしょう」
「私がなんとかします。貴方の叔父の命も、袁家の名声も、すべて私の計算通りに回収してみせます。ですから、貴方は無駄な真似をせず、黙って私について来なさい。私が指示するまで、その剣を抜くことは一切許可しません」
彼は剣の柄から手を離し、力なく肩を落とす。
「……本当になんとかするんだな?」
「嘘をついたら、俺は……俺は……!」
彼には私に逆らうだけの経済力も、精神力も、もはや残されていないのだ。
「はいはい。分かっていますよ。顧客の要望には最大限の努力で応えるのが、優秀なコンサルタントの義務ですからね。まずは相国府での査問会議に出席します。貴方は私の後ろで、ただ黙って頷いていればいいのです」
私は彼の背中を叩き、出立の準備を促す。
本初は「うう……」と情けない声を漏らしながら、トボトボと私の後をついてくる。
完全なる主従関係の成立だ。
その一連のやり取りを、広間の太い柱の陰からじっと観察している男がいる。
私のもう一人の夫、曹操孟徳だ。
彼は腕を組み、壁に寄りかかりながら、一部始終を呆れたような顔で見つめている。
「……はあ。見事なまでの手懐けっぷりだな」
「あのプライドの塊のような本初が、あいつの前では借りてきた猫どころか、完全に去勢された家畜のような扱いだ。正論という名の物理的打撃(暴力)で、ぐうの音も出ないほどに叩きのめされている」
「逆らえないんだよなあ、本初は。あいつの論理には一切の隙がないし、何よりあいつの言う通りにしていれば、結果的に常に利益が出るから反論のしようがないんだ」
「ま、俺も全く同じ状況なんだがな。俺たちは、あいつという名の巨大なブラック企業の中で、永遠に抜け出せない歯車として回り続ける運命らしい。……さて、俺も後で『妻』の機嫌を損ねないように、今日の分のノルマ(利益報告)をまとめておかないとな」
私は本初を引き連れて、再び相国府へと向かう。
これから始まるのは、権威主義の塊である老害、袁隗との直接対決だ。
◆
私の目の前には、太傅という名誉職にある老害こと袁隗を筆頭に、数名の高官たちが太い麻縄でぐるぐる巻きに縛り上げられて転がっている。
あの麻縄、市場で大量購入すれば一束あたり銅銭五枚まで値切れる品質の悪いものだ。肌に食い込んで痛そうだが、それは彼らの自業自得というものだ。
彼らは縄を打たれ、床に膝をつかされながらも、壇上にふんぞり返る董卓を親の仇のように睨みつけている。
眼力で人が殺せるなら今頃董卓は灰になっているだろうが、残念ながら彼らの視線には一銭の物理的価値もない。
壇上には、ダイエットの成果で少しだけ顎のラインが見え始めた董卓、その知恵袋である李儒、そしてコンサルタント兼実質的支配者である私が並んでいる。
さらに私たちの脇には、私の優秀な資産(夫)トリオが控えている。
一番右に立つのが知略担当の曹孟徳。彼は「関わりたくない」というオーラを全身から放ちながら、気配を消す努力をしている。
真ん中に立つのが名声担当の袁本初。彼は自分の叔父が縛り上げられている光景を前に、冷や汗を滝のように流している。
一番左に立つのが暴力担当の呂布奉先。彼は難しい政治の話など一ミリも理解していないので、ただ退屈そうに自分の上腕二頭筋をピクピクと動かして遊んでいる。
「董卓!この卑劣な逆賊め!」
老齢の割には見事な声量だ。腹式呼吸がしっかりできている。
「我らを殺すならさっさと殺せ!漢の忠臣として、死など微塵も恐れんわ!貴様のような豚に屈するくらいなら、喜んで歴史の礎となってやる!」
自分の命を投げ打ってでも正義を貫く。その自己陶酔のエネルギーは凄まじい。
だが、残念なお知らせがある。自己陶酔は現金化できない不良債権の最たるものだ。
「……り、李司殿。皆、凄い剣幕だぞ。目に血走った狂気が宿っておる。どうすればいい?こいつら、死ぬ気満々じゃないか。面倒だからここで全員の首を斬り落としてしまうか?」
短絡的すぎる。彼のこの「すぐに物理的損壊(処刑)で解決しようとする癖」は、利益率を著しく下げる悪癖だ。
「いいえ、絶対に駄目です」
「ここで彼らを殺せば、彼らはただの反逆者から『漢王朝のために命を捧げた悲劇の殉教者』にランクアップしてしまいます。そうなれば、彼らの遺志を継ぐとかいう名目で、全国から厄介な反乱軍が次々と湧いてくることになります。鎮圧にかかる軍事費、兵糧代、武器の消耗……それらの見えないコスト(隠れ負債)を計算していますか?」
「うっ……い、いや、そこまでは計算しておらんが……」
「ですから、殺すのは非効率の極みです。董相国、まずは私が事前に渡しておいた台本通りに動いてください。まずは余裕を見せつけるための大笑いからです。さあ、どうぞ」
董卓はコホンと一つ咳払いをして、無理やり威厳を取り繕う。
「う、うむ。……ガハハハハハ!!ガハハハハハ!!」
少し腹筋の使い方が甘いが、まあ及第点といったところか。
「いやはや、漢の相国たるこの儂に、縄目を打たれた状態で面と向かって逆らうとはな!近頃のやわな士大夫にしては、なかなか度胸のある者たちだ!その威勢の良さだけは評価してやろう!」
董卓の言葉に、袁隗たちはさらに顔を真っ赤にして怒り狂う。
「馬鹿にするな!」「恥を知れ!」と口々に叫んでいる。
「お待ちください、相国。彼らは忠臣のふりをした、ただの身勝手な反逆者です。騙されてはいけません。しかし……私にはどうしても解せませぬな」
李儒はわざとらしく首を傾げ、袁隗の顔を覗き込む。
「袁隗殿。貴方がここで相国に反逆すれば、どういう結果を招くか理解しておいでですか?貴方の一族郎党はもちろんのこと、あそこに立っている甥の袁紹殿や、その妻である李司殿にまで連座の罪が及ぶことになるのですよ?自分のくだらない意地のために、袁家という一族を根絶やしにする覚悟がおありか?」
反逆罪は九族を滅ぼすのがこの時代の基本ルールである。
袁隗の行動は、私の大切な資産である本初を巻き込む特大のコンプライアンス違反なのだ。
「ぐぬっ……!」
袁隗は痛いところを突かれ、言葉に詰まる。
だが、彼はすぐに矛先を本初へと向ける。
「本初よ!そこにいるのなら見ているだけでよいのか!貴様も名門袁家の血を引く漢の臣なら、今すぐその腰の剣を抜いて、そこでふんぞり返っている董卓を叩き斬れ!叔父の命に代えても逆賊を討つのだ!」
無茶苦茶な要求である。
丸腰で縛られている自分ができないことを、完全アウェーの空間にいる甥に押し付けるとは。
仕方ない、ここらで私が直接クレーム対応(論破)に出るとしよう。
「叔父上。無意味に声を張り上げるのはやめましょう。感情的にならず、もっと論理的に、エビデンス(証拠)に基づいた話し合いをしましょう」
「貴方は先ほど言いましたね。『漢に禄をもらいながら専横を振るうとは許せぬ』と。董卓様の政治介入を、不当な権力独占だと批判しているわけですね」
「そうだ!董卓のような西涼の田舎武者が、力任せに朝廷を牛耳るなど言語道断!政治というものは、伝統と格式を重んじる我々のような知識層が行うべきなのだ!」
「ふむ」
「しかし叔父上。貴方の属する袁家も『四世三公』という素晴らしいブランドキャッチコピーをお持ちでしたっけ?四世代にわたって、朝廷の最高権力である三公の位を独占し続けてきたわけですが……特定の血族が国のトップの座を長期間にわたって占有し続けること。それは貴方の言葉を借りれば『専横』ではないのですか?独占禁止法に抵触する立派な市場の私物化だと思うのですが」
「なっ……違う!屁理屈を言うな!我々は由緒ある血筋だ!代々国に尽くしてきた徳と実績があるからこそ、周囲に推されて三公の位にあるのだ!血塗られた武力で玉座を脅かす董卓ごときと、我々名門を同列にするな!」
「ほう」
「『由緒ある血筋』なら権力を独占しても良くて、実力一本でのし上がった『新興勢力(ベンチャー企業)』は権力を握ってはいけない、と?それは単なる既得権益の死守ではありませんか?市場の新規参入を不当に阻害する、老舗企業の典型的な悪弊ですね。健全な競争原理が働かなければ、国という組織は腐敗する一方ですよ」
「黙れ小娘!女の分際で政治を語るな!漢帝国は、我々のような名家が何世代にもわたって支え続けてきた伝統によって成り立っているのだ!伝統という名の重みを理解せぬ輩は去れ!」
「伝統」という魔法の言葉。論理的根拠を失った老人が最後にすがりつく、最も中身のない防御壁だ。
「伝統、ですか」
「では、非常に具体的な質問をさせていただきます。その『伝統』とやらを獲得し、権力を握っても良いとされる基準はどこにあるのですか?『何世代重ねれば』伝統と認定されるのでしょうか?二世代ですか?三世代ですか?明確な数字(KPI)で定義してください」
「な……なに!?」
「す、数字だと……?伝統を数字で測れるわけがなかろう!」
「測れないものを評価基準にするのは組織として致命的です。では例を挙げましょう。漢帝国の建国の功臣であり、初代相国を務めた蕭何は?彼は元々、沛県のただの地方の小役人でしたね。由緒ある血筋でもなければ、世代など一切重ねていませんでした。完全にゼロからのスタートアップ(起業)です。貴方の論理で言えば、彼もまた伝統を持たない『逆賊』や『田舎武者』と同類ということになりますが?」
「っ……!!」
「へ、屁理屈を!詭弁だ!建国の時代の古い話を持ち出すな!!私は今の、現在の話を真面目にしているのだ!」
「???」
「おかしいですね。先ほどご自身で『由緒ある(=古い)』と自慢して、何世代も前の古い話を持ち出したのは貴方でしょう?自分の都合の良い歴史だけを切り取って引用し、都合の悪い歴史は『古い話だからノーカウント』と切り捨てるのは、議論の場において非常に不誠実ですよ。情報開示の姿勢として最低ランクです」
周囲で成り行きを見守っていた他の官僚たちや、護衛の兵士たちの間から、ヒソヒソという囁き声が漏れ始める。
「……確かに、李司殿の言う通りだ」
「袁隗様の言ってること、完全に矛盾してないか?」
「由緒正しいってだけで威張ってたけど、よく考えたらただのコネだもんな」
「ぐうの音も出てないぞ、あの太傅……」
世論は完全にこちらに傾いている。
「結局のところ、貴方は『憂国』や『伝統』という聞こえの良い言葉で自分の欲望をコーティングしていますが……その本音は一つだけです。『自分が甘い汁を吸い続けてきた既得権益が、ポッと出の董卓という新社長に奪われるのが腹立たしくて気に入らない』ただ、それだけでしょう?」
彼の口はパクパクと動いているが、もはや反論の言葉は一つも出てこない。完全なる論破だ。
「き、貴様ぁぁ……!この……悪魔め……!魔女め……!!」
悪魔でも魔女でも構わない。私の資産価値に傷がつかないのであれば、どんな評価でも受け入れよう。
「私の仕事(論破)は終わりました。次は貴方が台本通りに美味しいところを持っていきなさい」という合図だ。
「ふむ。袁隗よ、お主の言いたいことは痛いほど分かった」
「お主は儂のやり方が気に入らんのだな。だが、儂は直言の士は尊ぶべきだと思うぞ。お主のように、命がけで意見を述べる者は、国にとって必要な存在だ」
「……な、なんだと?」
殺されると思っていたのに、急に褒められたからだ。アメとムチの完璧な使い分けだ。
「これからの国政は、この儂が決定する。決定した国策には絶対に従ってもらう。もし、どうしても儂のやり方に従えないというのならば、潔く官職を辞し、野に下るがよい。命までは取らん」
「だが……もし儂の方針に従うと約束するならば、これまで通りの厚遇、すなわち太傅としての地位と、袁家の莫大な財産をすべて保証することを約束しよう。そして、今後も政治の場において、儂への直言(文句)も許可してやる。どうだ、悪い話ではあるまい?」
「……ッ!?」
(……えげつない二択だ。ここで断れば、『結局、国のためと言いながら権力が欲しかっただけの俗物』として全てを失い、世間の笑いものになる。かといって従えば、『名誉と金』は守られるが、実質的には董卓の飼い犬に成り下がることを意味する。反逆の牙を完全に抜かれるってやつだ……李司の奴、人間のプライドのへし折り方を熟知してやがる)
孟徳の解説は完璧だ。百点満点をあげよう。
「さあ、どうしますか?袁隗叔父上。貴方は袁家の栄達を、この世の誰よりも望んでおられるはず。すべてを失うか、妥協して資産を守るか。……そこで、私から一つ素晴らしい提案があります」
私は後ろに控えていた本初の手を掴み、無理やり私の隣、袁隗の目の前へと引っ張り出す。
「えっ!?り、李司!?何を……!」
「袁紹(本初)は、すでに董相国からの厚い信任を受け、大将軍の地位に就くことが内定しております。お歳を召された叔父上が、これ以上無理をして矢面に立ち、ストレスで血圧を上げる必要はありません。この際、袁家の家督を完全に袁紹に譲り渡し、ご自身は風光明媚な別荘で優雅に隠居されてはいかがですか?」
「董相国も、この家督相続の平和的な見届け人になってくださるそうですよ。これなら袁家の権威も財産も安泰。董相国としても反発勢力が一つ平和的に消滅して顔が立つ。まさに誰も損をしない、完璧なWinーWinのソリューションです」
「おお!それは極めて良い案だ!」
「袁紹殿、いかがか?儂の下で、名門袁家の新たな当主として、この漢王朝を全力で支えてくれぬか?」
「え?俺が当主?叔父上を押しのけて、俺が袁家のトップに……?」
彼はチラリと私を見る。
私の目は、言葉よりも雄弁に『今すぐ首を縦に振れ。さもなくば貴方の今月の小遣いをゼロにする』と語りかけている。
「……は、はっ!」
「身に余る光栄でございます!叔父上の意志(形骸化されたもの)を継ぎ、この袁本初、袁家をさらに盛り立て、相国のために粉骨砕身働く所存でございます!」
本初は見事に私の期待(脅迫)に応えた。
これで袁家の実権は彼に移り、ひいては彼の妻である私の手中にすべて収まることになる。
「で、袁隗叔父上。……どうします?」
(当主の座を大人しく譲って隠居し、命と財産だけは守るか。それとも、ここで無駄な意地を張って処刑され、袁家というブランドを完全に滅ぼすか。損益分岐点を計算するまでもありませんね?)
袁隗はギリギリと歯を食いしばり、全身を震わせた後……。
まるで糸が切れた操り人形のように、ガックリと床に膝をつき、深く頭を垂れた。
「…………従おう」
「本初よ……あとは、あとはお前に頼む……」
袁隗の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
彼は完全に折れたのだ。私の論理と、計算し尽くされた罠の前に。
「ガハハハ!よきかな、よきかな!」
「これにて一件落着じゃ!血を流さずとも問題は解決する!やはり武力だけでなく、話し合いこそが平和の礎よな!ガハハハハ!」
武力で脅しをかけておいて何を言うかという話だが、結果オーライだ。
夫である本初が袁家のトップに立ったことで、私の「袁家乗っ取り計画」は一滴の血を流すこともなく、完全に完了したのである。
私の懐には、袁家が数世代にわたって蓄積してきた莫大な資産の権利書が転がり込んできた。
◆
「……俺、袁家の当主になっちまった」
その声はカサカサに乾いており、生命力というものが一切感じられない。
「しかも、あろうことか、あの憎き董卓のお墨付きで、だ。名門の誇りを踏みにじるような形で、叔父上を押しのけてトップの座に座ってしまった。俺は……俺はなんてことをしてしまったんだ……。歴代の当主たちが草葉の陰で泣いているぞ……」
どうやら彼の脳内では、自分を「悪の手先に成り下がった悲劇の裏切り者」として処理しているらしい。
実に非生産的な思考回路だ。過去の死人(先祖)が泣こうが喚こうが、現在の銀行口座の残高は一銭も増えないというのに。
「……おい、李司。聞いてるのか?」
「聞いていますよ。貴方のその生産性のないネガティブな発言を、一言一句漏らさずメモしています」
「これ、どう考えてもマズいだろう!?俺は元々、洛陽を脱出して地方で兵を挙げ、董卓を討ち果たすための『反董卓連合軍』の盟主になるつもりだったんだぞ!それがどうだ!今や俺は董卓公認の大将軍であり、袁家の当主だ!ズブズブの癒着関係じゃないか!これじゃあ、反董卓連合軍とか、もう絶対に作れなくないか!?」
本初の懸念は、一般的な常識に照らし合わせれば極めて真っ当だ。
悪の親玉に任命された当主が、その親玉を倒すための正義の軍隊のリーダーになる。普通に考えれば、説得力は皆無であり、誰もついてこないだろう。
だが、それは「情報操作」という概念を知らない素人の考えだ。
私はピタリと足を止め、ゆっくりと振り返る。
そして、絶望のどん底にいる本初に向かって、最高に自信に満ちた営業スマイルを向ける。
「作れますよ。全く問題ありません」
「はあ!?どうやって!?誰が俺みたいな董卓の犬を盟主として認めるっていうんだ!」
「事実は一つでも、解釈は無限に作れるのです。要は、世間がどう受け取るかという『見せ方』の問題ですよ、本初」
「貴方はこう主張すればいいのです。『私は董卓の刃を首元に突きつけられ、一族の命と引き換えに、涙を飲んで無理やり当主の座を引き受けさせられたのだ!尊敬する叔父上は今も理不尽に軟禁されている!私はこの屈辱に耐え、漢王朝を救うための機会をずっと窺っていたのだ!』と」
「な、なんだその三文芝居のような台詞は……」
「これが大衆に最もウケるシナリオなのです。完璧無欠のヒーローよりも、理不尽な権力に虐げられ、苦悩しながらも立ち上がる『悲劇のヒーロー』の方が、人間の同情心を強く惹きつけることができます。このストーリーを展開すれば、貴方の求心力は以前よりもさらに高まります。確実です」
「大義名分など、後からいくらでも捏造できます。大切なのは、大衆が『応援したい』と思うような物語を提供すること。ストーリー作り(演出)と、各地への情報拡散はすべて私に任せてください。貴方はただ、悲痛な顔をして涙を流す練習だけをしておけばいいのです。目薬の経費は落としてあげますから」
「お前……本当に血も涙もないな。だが、なぜかお前が言うと、それが歴史の真実になるような気がしてくるから恐ろしい……」
私のコンサルティング能力をようやく理解し始めたようだ。
「……お前、本当に悪魔だな」
「悪魔とは心外ですね。私はただ、与えられた状況下で最も利益率の高い選択肢を提示しているだけの、優秀なアドバイザーです」
「いや、悪魔だよ。それも、地獄の底でそろばんを弾いているタイプの極悪非道な悪魔だ」
「先ほどの広間での立ち回り、見事と言う他ない。董卓の暴走による悪名拡大を防ぎつつ、本初に袁家の実権を完全に握らせ、かつ将来の反乱の芽になりそうな袁隗という老害を平和的に排除した。一つの行動で三つの巨大な利益を生み出した。一石三鳥か。お前の脳みそはどういう構造をしているんだ?」
孟徳の分析は的確だ。だが、少し甘い。
「一石三鳥ではありませんよ、孟徳。効率化の極みを目指す私としては、一石で最低でも五羽の鳥は落とす計算で動いています」
「五羽だと?残りの二羽は何だ?」
「四羽目は、董卓様への恩売りです。私が事を荒立てずに収拾したことで、彼の中での私の信用格付け(クレジットレーティング)は最高ランクのトリプルAに達しました。これで今後の予算案や人事案も、私の思い通りに決済のハンコを押させることができます」
「……なるほど。で、五羽目は?」
「五羽目は当然、袁家の莫大な資産の完全掌握です。本初が当主になったということは、彼の妻である私が実質的な金庫番になるということ。あの広間でのやり取りは、壮大な事業譲渡(M&A)の調印式だったのですよ」
「……本初。俺たち、とんでもない女を共有財産にしてしまったようだな。俺たちの人生の主導権は、もう完全にこいつの掌の上だ」
「ああ、孟徳。俺も今、強烈にそれを実感しているところだ。俺は名門の当主になったというのに、なぜか自分の財布の紐すら自分で解けない未来がハッキリと見える……」
二人の夫が、廊下の真ん中で慰め合うように肩を寄せ合っている。
実に微笑ましい光景だ。労働者同士の連帯感は、組織の離職率を下げる効果があるので大いに推奨したい。
「効率化です。すべては無駄をなくすため」
「それに……最近の董卓様を見ていて、一つ懸念事項が生じていることにお気づきですか?」
「懸念だと?あいつはすっかりお前の操り人形だろう。何が問題なんだ?」
「董卓様も、私が指導したダイエットや政治的アドバイスのおかげで、だんだんと『名君』の演技が板についてきました。無駄な殺戮も減り、行政の効率も上がっている。民衆の不満も、以前ほど爆発的ではありません」
「このままいけば、彼へのヘイトが溜まりきらず、本当に平和裏に献帝からの禅譲(帝位交代)が成立してしまうかもしれません。新しい王朝が、流血なしで誕生する可能性があるのです」
「それは……世間一般から見れば、極めて喜ばしいことじゃないのか?」
平和な世の中になる。それは素晴らしいことだ。一般人にとっては。
「ええ、一般論としてはね。ですが、我が社(陣営)のビジネスモデルに照らし合わせると、これは致命的な致命傷になりかねません」
孟徳と本初の顔を交互に見据える。
「ま、そうなったら貴方たちの出番(見せ場)が完全になくなるということです。平和な世の中で、大将軍や軍師がどれだけの利益を生み出せますか?武力や知略は、乱世という需要があって初めて高値で売れる商品なのです。平和になれば、貴方たちの市場価値は暴落し、ただの給料泥棒の窓際族になってしまいますよ」
「なっ……窓際族だと!?」
「俺が給料泥棒!?」
「ですから」
「平和ボケして利益が落ち込む前に、適度なところで私の方から戦争を起こしますがね。市場に人為的なボラティリティ(価格変動)を生み出し、武器や兵糧の需要を強制的に創出します。それが、私たちのビジネスを継続させるための最も効率的な成長戦略ですから」
「お前……自分で火をつけておいて、自分で消火器を売りつける気か……!マッチポンプの極みじゃないか!」
「『需要の創出』と言ってください。経営者としての基本スキルですよ」
私がそう言い放った時、背後から大きなあくびの音が聞こえてきた。
「ふぁぁぁあ……」
口を大きく開けて、緊張感の欠片もない間抜けな声を漏らしながら歩いてきたのは、私の「夫コレクション・ナンバースリー」、天下無双の猛将である奉先だ。
「なんだ、お前ら。廊下の真ん中で難しい顔して立ち話なんかして。政治の小難しい話か?俺にはチンプンカンプンだぜ」
彼は先ほどの広間での高度な心理戦や政治的駆け引きなど、一ミリも理解していないのだろう。
彼の脳内は「戦う」「食べる」「寝る」の三つのコマンドで構成されている、極めてシンプルな仕様だ。
「難しいことは分からんが……」
「要するに、俺の給料(歩合)は減らないんだな?肉は腹いっぱい食えるんだろうな?」
どんな複雑な政治的状況の変化も、彼にとっては「自分の給料に影響するか否か」という一点のみに集約される。
ある意味で、最も本質を突いた、投資家として正しい視点だ。私はこの男のこういうシンプルなところが嫌いではない。
「ええ、減りませんよ」
「減るどころか、増えますよ。袁家という巨大なスポンサーを手に入れたのですから、貴方の食費の予算枠も大幅に拡張されました。これからは毎日、最高級の霜降り肉を支給してあげましょう」
「おおっ!!マジか!!さっすが俺の妻だ!一生ついていくぜ!!」
奉先が歓喜の雄叫びを上げ、私の細い体をその丸太のような太い腕で抱き上げようとする。
「ちょっと、触らないでください。私の服に貴方の手汗の脂がついたら、クリーニング代として給料から天引きしますよ」
「おっと、わりぃわりぃ!でも最高だぜ!肉!肉!」
奉先は怒られるのも気にせず、一人で小躍りして喜んでいる。
単純な男だ。この単純さこそが、最強の武力を低コストで運用するための鍵である。
「さあ、立ち話はこれくらいにして、家に帰って盛大な宴会を開きましょう! 経費は全額、袁家の口座から引き落としますから、今日ばかりは無礼講で飲み食いして構いませんよ!」
「今日は我が陣営にとっての歴史的な記念日、『袁家乗っ取り記念日』ですからね!祝杯を上げましょう!」
「……記念日の名前が不穏すぎる……」
今回の章では
・袁家の権力争い
・董卓政権の裏側
・そして「袁家乗っ取り」
を書きました。
特に今回のテーマは
「正義と既得権益」
です。
袁隗は本当に悪人だったのか。
それともただの古い価値観の守護者だったのか。
そして李司は
・合理的な改革者なのか
・冷酷な支配者なのか
読者の皆さんはどう感じましたか?
また、今回の話で
一番印象に残ったキャラクター
・董卓
・曹操
・袁紹
・呂布
がいればぜひ教えてください。




