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三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~  作者: 斉宮 柴野


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七星剣の行方

歴史は英雄が動かすと言われる。

だが、英雄を動かす者がいるとしたらどうだろう。


そしてもし、その者が――

帳簿を持った女だったとしたら。

時は流れ、季節は巡る。


私は三三歳になった。

だが、安心してもらいたい。私の細胞一つ一つに課した過酷なノルマ(アンチエイジング)のおかげで、見た目は一九歳で固定されている。


むしろ、経験という名の資産を蓄積した分、私の市場価値は過去最高を記録している。

私の腹の中には、奉先との間にできた新しい「優良資産(子供)」がすくすくと育っている。もう臨月が近い。


「ハァ……ハァ……!」


ここは洛陽の宮中の一角、相国となった董卓の私室だ。


「り、李司殿……すみませんな、身重の中呼び立ててしまって」


「構いませんよ。政治顧問として当然の業務タスクです」


私は長椅子に深く腰掛けたまま、持ち込まれた書類の山を顔でチェックしていく。

西涼軍の兵站報告書、新しい税制の試算表、そして長安への遷都計画(という名の強制的な不動産再開発事業)のスケジュール。


どれも私が目を通さなければ、たちまち赤字を垂れ流す不良債権になりかねない。


「それに、妊婦だからといって安静にするのは、私の筋肉維持にとって非効率ですので。適度な脳の運動と、眼球の疲労は、むしろ良い刺激になります」


「ふぅ……」


「他でもない。今回の帝位を陳留王(献帝)に変えた件だが……やはり反発が激しい」


董卓が、珍しく弱気な声で切り出す。


先日の強引な廃立劇。あれは私が「同意します」とゴーサインを出したプロジェクトだ。


「袁紹の奴め、儂の決定に反発しおった。曹操も、最近どこかへ姿をくらませている。お主の夫たちは、どうにも儂に懐かんな」


「彼らには彼らのキャリアプランがありますからね。私という共通の妻を持ちながらも、それぞれが別々の市場(領地)を開拓しようとしているのです。リスク分散としては優秀です」


書類に朱墨で訂正を入れながら、淡々と答える。


「儂は、正しいことをしたのだろうか?」


董卓が、私に同意を求めるような目で見てくる。


最高権力者が、一介の女(しかも政治顧問)に不安を吐露するとは。

彼の精神的依存度は、順調に高まっているようだ。


「漢王朝の存続という観点スペックで見れば、おそらく正しいでしょう」


「先帝(少帝)と陳留王、二人の才覚の差は歴然でした。先日の北芒山での対応一つとっても、それは明らかです。陳留王こそが、バグだらけの今のシステム(漢王朝)を辛うじて延命できる、唯一のOSオペレーティング・システムです。貴方は、国を救うための外科手術を行ったのです」


「うむ、そうであろう!儂は間違っていなかったのだ!」


「しかし……」


私が言葉を継ぐと、董卓の顔が再び強張る。


「士大夫(官僚や知識人)達にとっては、それは『簒奪』や『傀儡政治』としか映らないでしょうね。彼らにとって、西涼から来た貴方は、既存のルールを壊す異端児ディスラプターですから。彼らの既得権益を脅かす存在は、全力で排除しようとします」


「……ならば、どうすればよい?」


「歴史は勝者が書き換えるものです」


「もしも貴方様がこのまま勝ち続ければ、後世の歴史家は『漢を救った荒療治』として貴方を評価するかもしれません。ですが、もし負けて死ねば、董相国は『稀代の大悪人』として歴史に名を残すでしょう」


「大悪人……」


「ええ。一〇〇〇年先まで、子供の夜泣きを止めるための悪鬼としてね。『泣いていると董卓が来るぞ』と。素晴らしい知名度ネームバリューです」


「………貴女は本当に容赦がない女よのう……。普通なら、もっと耳障りの良い言葉で慰めるであろうに」


「慰め(リップサービス)で利益が出ますか?現実ファクトを直視し、最悪のシナリオを想定することこそが、私のコンサルティングの真髄です」


「ガハハ!だが、そこが良い!誰一人として儂に逆らえぬこの状況で、お主だけが本当のことを言ってくれる!」


董卓が豪快に笑い、タオルで汗を拭きながら、ねっとりとした視線を私に向ける。

その視線は、政治顧問に向けるものではない。明らかに「女」に向ける目だ。


「なあ李司殿。次は……」


「次は……儂の子供を産んではくださらぬか?」


直球すぎる要求だ。


「曹操、袁紹、呂布……奴らばかりズルいではないか。あの三人は、お主という至宝を独占しておる。儂も、儂の血を引く強力な跡継ぎが欲しいのだ!」


「私はもう三三になりますよ?一般的な基準で言えば、立派な高齢出産の部類です。これ以上の継続的な生産活動(出産)は、私の母体という資本アセットに対するリスクが高すぎます」


「まさか!貴女の美貌は全く衰えておらん!一九の娘と言っても誰もが信じるぞ。仙女の類ではないのか?それとも不老不死の術でも使っているのか?」


董卓が身を乗り出してくる。

彼の太い腕が、私の肩に触れようとした瞬間。

私はスッと立ち上がり、彼のお腹の肉、まだたっぷり残っている脂肪の塊を、指先でギュッとつまみ上げた。


「痛っ!」


「……条件があります」


「貴方が『痩せたら』考えます」


「や、痩せたら……?」


「はい。今の脂肪過多な状態では、私の優良遺伝子を残すためのパートナーとして、遺伝子的に不採用です。成人病リスクが高すぎます」


つまんだ肉をパッと放す。


「かつての貴方のように、西涼の猛虎と呼ばれた屈強な戦士に戻るなら……その時は、私の投資先ポートフォリオに組み込むことを検討しましょう」


「……本当か!?」


「あの頃の、筋肉質で引き締まっていた儂に戻れば、お主を抱かせてくれると!?あの三人のように、お主の夫として迎え入れてくれると!?」


「検討はします。確約はしませんが、努力次第ですね」


「検討しよう!いや、やるぞ!!今日からさらに厳しい食事制限だ!!酒も絶つ!肉は赤身だけだ!李司殿、儂のこの情熱、とくと見ておれ!」


「フンッ!ハッ!李司殿のために!」


「期待していますよ」


「うむ!しかし、政治や軍事の面は心配ないのか?周囲は敵だらけになりつつあるぞ」


スクワットをしながら、董卓が聞いてくる。


「呂布を儂の親衛隊長にしている以上、そうそう背けるものはおるまいが。どうだ、軍の仕上がりは?」


「順調です」


「涼州との兵站ライン(サプライチェーン)も、私が徹底的に無駄を省いて最適化しました。これで物資の遅延は発生しません。配下の李傕と郭汜の二人も、私の作成した特別訓練プログラムで鍛え直しました。彼らの指揮能力は三割は向上しています」


一枚の報告書を抜き出し、董卓に見せる。


「特に華雄将軍は素晴らしい成長ぶりです。彼は昨日、私と一〇分ほど打ち合えるようになりました」


「なに!?あの華雄が、お主と一〇分も!?」


董卓が驚いて動きを止める。

華雄は猛将として名高いが、それでも私から見れば「少し頑丈な木偶」程度だった。それが、一〇分も私の猛攻(物理的指導)に耐えきったのだ。これは大きな進歩だ。


「ええ。骨折箇所は三カ所ほどで済みました。彼の防御力ディフェンスは飛躍的に高まっています。これなら、戦略的にこの洛陽を落とすのは、どんな連合軍が来ようと困難でしょう」


「ガハハ!戦女神のお墨付きを頂ければ安心だ!!」


董卓は再びスクワットを始める。彼のモチベーションは最高潮のようだ。


「……では、李司殿。まずは元気な子をお産みください。儂は、お主が身軽になるその日までに、必ずや見事な肉体を取り戻してみせる!」


「ありがとうございます。健康管理には十分お気をつけくださいね」


この様子なら、彼のご機嫌取りのために、一人くらい産んであげてもコストに見合うかもしれませんね。







蝋燭の頼りない炎が、ジリジリと音を立てて揺れている。

ここは洛陽の片隅にある、司徒を務める王允の屋敷の奥深く、外の光が一切差し込まない完全に密閉された地下室である。


重苦しい空気が漂う中、四人の男たちが円座になっている。


「一刻も早く董卓討つべし!」


王允が、バンッと力強く木製の机を叩き、静寂を切り裂く。

その顔は怒りと憂国に満ち、額には青筋がくっきりと浮かび上がっている。


「皆様もご存知の通り、奴の横暴はもはや看過できる限界をとうの昔に超えている!正当な手順をすべて無視して幼い帝を廃し、あろうことか勝手に陳留王を新たな帝として祭り上げおった!これは明確な簒奪の意図であり、漢王朝への反逆行為に他ならない!」


「さらに奴は都を完全に私物化している!夜な夜な略奪を働き、無実の民を苦しめ、後宮の女官たちにまで手を出す始末!このままでは洛陽は、いや、この漢王朝そのものが、あの西涼の豚の脂で完全に窒息してしまう!今こそ立ち上がるべき時なのだ!」


「曹操殿!袁紹殿!そして呂布殿!貴殿らこそが、この腐りきった現状を打破する唯一の希望なのだ!貴殿ら三人の力、すなわち比類なき知略、圧倒的な名声、そして天下無双の武力が結集すれば、あの暴君を玉座から引きずり下ろすことなど造作もないはずだ!」


彼は目の前の三人が、正義感に燃えて即座に立ち上がってくれると固く信じている。


「その通り!」


「全く持って王允殿の仰る通りだ!」


「おう!あんな豚野郎、俺の戟でいつでもミンチにしてやるぜ!」


曹操、袁紹、呂布の三人は、王允の言葉に深く頷き、力強く同意の声を上げる。

彼らの顔にも、打倒董卓への燃えるような情熱が確かに見て取れる。


「おお!やはり貴殿らは真の英雄だ!ならば、今夜にでも決起の準備を……!」


王允が歓喜の表情で立ち上がろうとした、まさにその瞬間である。


「だが……」


曹操が、スッと目を逸らしながら言葉を濁す。


「しかし……」


袁紹が、額に冷や汗を浮かべながら顎をさする。


「うむ……」


呂布が、急に天井のシミを数え始めるように視線を上へ逃がす。


「え?」


先ほどまでの威勢の良さはどこへやら、三人の英雄たちは、怒られる前の子供のように急に縮こまり始めている。


「どうされたのですか、皆様?何か作戦上の懸念でも?兵力が足りないというのであれば、私が密かに手配した私兵を……」


王允が戸惑いながら尋ねる。

すると、三人は示し合わせたかのように同時に顔を上げ、声を揃えてこう言い放つ。


「「「李司の許しがなければ、絶対に動けない」」」


王允は、その言葉を聞いた瞬間、盛大にズッコケて机にしたたかに顎を打ちつける。


「い、痛っ……!な、なんと情けない!!」


「貴方達は天下の英雄でしょうが!『乱世の奸雄』と恐れられる曹操殿!『四世三公』の超名門を背負う袁紹殿!そして『人中の呂布』と讃えられる天下最強の猛将、呂布殿!泣く子も黙るこの最強の三人が揃いも揃って、何をごちゃごちゃと言っているのですか!」


「それが、たった一人の女に……しかも現在、腹を大きくしている身重の妊婦に振り回されているのですか!奥方の許可がなければ謀反も起こせないなどと、前代未聞の笑い話だ!!」


袁紹が深く、本当に深い絶望を含んだため息を吐き出す。


「王允殿、貴方は全く分かっていないな……。平和ボケしているとしか思えない」


袁紹は、疲れ切った顔で首を横に振る。


「彼女はただの『女』や『妻』という概念に収まる生き物ではない。彼女は血も涙もない、完璧な『管理システム』なんだ」


「管理システム?人間に対して使う言葉ではありませんぞ、それは」


「いいや、システムだ。あいつは俺の、いや袁家全体の資産の流れを完全に掌握している。毎朝、俺が目を覚ます前に帳簿のチェックが終わり、俺のその日一日の小遣いが厳格に支給される。その額、銅銭たったの三枚だぞ?名門袁家の当主が、喉が渇いても道端で安酒の一杯すら満足に買えないんだ!」


袁紹の目から、うっすらと涙が浮かんでいる。


「もし俺が李司の許可なく、独断で董卓に戦いを挑んだらどうなると思う?即座に袁家の口座は凍結され、資産はすべて別の名義に移され、俺は文字通り明日から路頭に迷うことになる。武器を買う金どころか、明日の朝飯の玄米すら買えなくなるんだ!俺のプライドはとっくの昔にあの女の算盤の下敷きになって粉々になっているんだよ!」


名門の御曹司が、銅銭三枚で一日をやり繰りしているという衝撃の事実に、同情すら覚え始めている。


「そ、そこまで経済的に支配されているとは……。しかし、呂布殿!貴殿は違うでしょう!」


王允はターゲットを呂布に変える。


「貴殿のその鋼のような肉体と、天下無双の武力があれば、奥方がどう言おうと力ずくで言うことを聞かせられるはず!力こそパワー!腕力で押さえつければ良いのです!」


王允の熱い期待に対し、呂布は顔を青ざめさせ、ガタガタと震え始める。

巨大な筋肉の塊が、まるで雨に打たれた子犬のように震えているのだ。


「馬鹿野郎、口の利き方に気をつけろ!どこであいつの地獄耳が聞いてるか分かったもんじゃねえぞ!」


周囲をキョロキョロと警戒しながら、声を極限まで潜める。


「俺の場合、逆らったら経済的制裁どころじゃ済まん。物理的に折檻されるんだよ……」


「物理的に?いやいや、呂布殿。奥方は現在、妊娠中の身重でしょう?いくらなんでも、貴殿が後れを取るはずが……」


「身重だろうが関係ないんだよ!」


「あいつの関節技は、妊娠で腹が出てようが全く精度が落ちねえんだ!俺のフルスイングを指二本で受け流したかと思うと、次の瞬間には俺の腕が信じられない方向に曲がっている!『筋肉の使い方が非効率です、可動域を広げてあげましょう』とか言いながら、俺の肩を外しにかかってくるんだぞ!」


「この前なんか、夕飯のおかずの肉が少ないってちょっと文句を言っただけで、気づいたら宙を舞って床に叩きつけられてた。身重の妊婦に見事な一本背負いを決められる俺の身にもなってくれ! 逆らうなんて絶対に無理だ、あいつの関節技は絶対に避けられないんだ……!」


最強の武将が、関節技の恐怖に完全に怯えきっている。

王允は、目の前で展開される常軌を逸した夫婦関係の現実に、めまいを覚える。


「「「はい。李司の言うことは絶対に聞かなければならないのです」」」


曹操、袁紹、呂布の三人が、完全に光を失った死んだ魚のような目で、真顔でハモる。

彼らの間に、奇妙な連帯感と絆が生まれている。


「ううう……漢の未来は暗い……暗すぎる……」


「董卓という外の暴君を倒す前に、貴方達の家庭内の暴君をどうにかしなければならないとは……。この国は一体どうなってしまったのだ……」


王允が絶望の淵に沈みかけるが、彼は顔を上げ、最後の希望の光にすがりつく。


「だが、待ってください!曹操殿!貴殿にはまだ奥の手があるはずだ!」


「貴殿には、先日私の家宝である『七星剣しちせいけん』をお貸ししたでしょう! 七つの宝石が埋め込まれ、鉄をも豆腐のように切り裂く、あの伝説の宝刀を!」


「あ、あれは飾りや道楽のためにお貸ししたのではありませんぞ!あの切れ味鋭い短剣を懐に忍ばせ、寝ている董卓に近づき、その分厚い脂肪ごと首を掻っ切るための暗殺の道具として託したのです!あの剣さえあれば、奥方の許可など待たずとも、貴殿一人で歴史を変えられるはずだ!」


「さあ、曹操殿!あの七星剣は今どこに!今すぐ抜いて、その輝きでこの絶望の密室を照らしてくだされ!」


王允の熱烈な要求に対し、曹操は視線を斜め下四十五度に固定し、額から滝のような冷や汗を流し始める。

彼は口をパクパクさせ、非常に気まずそうにモジモジとしている。


「あー……王允殿……。その件についてなんですが……」


「はい!準備は万端ということですね!」


「実はですね……」


曹操は言葉を濁し、チラリと袁紹と呂布の方を見る。

二人は「あーあ、聞いちゃったよ」という顔をして、曹操から微妙に距離を取る。


「な、なんです?もったいぶらないで教えてくだされ!」


曹操はついに観念したように、深くため息をついて、蚊の鳴くような小さな声で告白する。


「……今、七星剣、李司が持ってます」


「なにーーーーーーっ!?!?」


「ど、どういうことです!?あんな国宝級の宝剣を、なぜ奥方が持っているのです!?暗殺の計画がバレたのですか!?」


「いや、バレたとかそういう次元の話じゃないんです……」


「俺が屋敷で、王允殿から借りた七星剣を布で磨きながら、暗殺のシミュレーションをしていた時のことです。そこに、帳簿の計算を終えた李司が通りかかったんです。あいつ、俺の手元を見るなり、目が『¥』マークの形に発光したんですよ。本当に、物理的に光ったんです」


「そして、あいつは俺の手から七星剣をひったくるように奪い取ると、柄の宝石を指で弾いて、恐ろしいスピードで査定を始めたんです。『ほう……これは見事な七星剣。柄の装飾の細工、刀身の鍛造技術、どれをとっても一級品ですね。推定市場価値、金貨五千枚は下りません』って」


「そ、それで!?」


「俺は必死に説明しました。これは王允殿からの借り物で、大事な大義のために使うのだと。するとあいつは、信じられないほど冷たい笑顔を浮かべて、こう言ったんです」


曹操は李司の口調を完璧に真似て、その時のセリフを再現する。


「『あら、良い短剣ですね。市場価値が極めて高そうです。こんな高価な資産を、暗殺という失敗リスクが九割を超えるギャンブルに使うなど、言語道断です。もし失敗して没収でもされたら、我が家のバランスシートに致命的なダメージが出ます。よって、この剣は不良債権化を防ぐため、私が責任を持って没収(差し押さえ)します』……って」


「ぼ、没収!?私の家宝を!?」


「はい。そのままあいつの金庫の中に吸い込まれていきました。俺が『返してくれ!』と泣きついても、『これは我が陣営の内部留保として厳重に保管します。文句があるなら、金貨五千枚をキャッシュで稼いできなさい』と一蹴されました……。俺には、もうどうすることも……逆らえませんでした……」


「あ、ありえない……。私の、私の一族の魂とも言える七星剣が、ただの『内部留保』として金庫の肥やしに……」


王允はよろよろと後退し、足をもつれさせる。


「さらに恐ろしいことを言いますと……」


袁紹が追い打ちをかけるように口を開く。


「昨日、李司が洛陽の闇市のブローカーと商談しているのを偶然見てしまったんだが……あいつ、『七星剣、即決価格なら金貨七千枚でどうですか?』って交渉してましたよ」


「売ろうとしてるーーーーっ!?」


「もうダメだ……!暗殺の武器も奪われ、英雄たちは完全に飼い慣らされ、挙句の果てに家宝は闇市に出品されている……!」


王允の顔面からすべての血の気が引き、土気色に変わっていく。

彼の目は白目を剥き始め、口の端からカニの泡のようなものがブクブクと出始める。


「終わった……!漢の未来も、私の人生も、全てが終わった……!!」


王允は最後にそう叫ぶと、糸が切れた操り人形のように、バタリと床に倒れ込んだ。


「あーあ、言わんこっちゃない。完全にショートしちまった」


「仕方ないだろ。こうでも言っておかないと俺達にまで類が及びそうだからな」







ドスッ、ドスッ、ドスッ。


巨大な肉塊が、その場で懸命に足踏み(本人はランニングと言い張っている)を繰り返している音だ。


「董卓様」


「ハァ……ハァ……。ん?どうされたかな、李司殿?」


彼は肩で息をしながら、私の大きなお腹を気遣うように見る。


「陣痛か?医者を呼ぼうか?」


「いいえ、まだ予定時刻まで四八時間あります。私の体内時計タイマーは正確ですから、急な破水などという非効率な事態は起こしません」


「今日はこれを献上致します。王允様から預かりました」


布を解くと、中から眩い光がこぼれ落ちる。

七つの宝石が柄に埋め込まれ、刀身は波打つような美しい刃紋を描いている。国宝級の宝剣、七星剣だ。


昨日、闇市のブローカーに金貨七千枚で売り払おうとしたが、「足がつきそうで怖い」と断られたため、仕方なく活用(再利用)することにしたのだ。


「おお……!これはまた見事な……!」


汗ばんだ太い指で宝剣をそっと撫でる。

脂がつくからやめてほしいが、今は我慢だ。


「七星剣ですな。宝玉が埋め込まれている。素晴らしい細工だ。王允のやつ、儂に媚びてきおったか。ガハハ!」


自分が暗殺されそうになっていた武器だとは露知らず、無邪気なものだ。


「良いものを献上すれば、良いことがありますからね」


「王允様も、貴方と仲良くしたいのでしょう。彼なりの、精一杯の歩み寄りですよ」


もちろん嘘だ。王允は今頃、暗殺計画の頓挫と家宝の喪失により、自室で泡を吹いて寝込んでいるはずだ。だが、事実はどうであれ、ここで董卓の機嫌を取っておくことは、私のビジネスにおいて非常に有益である。


「ガハハ!良かろう!その気持ち、確かに受け取った!李司殿、この見事な品を仲介してくれた貴女にも褒美を取らせよう。何が欲しいですかな?」


待っていました、その言葉。私は脳内の『要求リスト』から、最も利益率の高い項目を瞬時にピックアップする。


「では……。奉先を『前将軍』にしていただきたいです」


「呂布を?前将軍に?」


前将軍といえば、軍の中でもトップクラスの役職だ。


「はい。夫の出世は、妻の喜びですので。それに、彼は役職に見合う働きを必ずお約束しますよ」


「うむ!良かろう!」


「呂布は儂の警護もよくやっておるし、先日の反乱分子の鎮圧でも大きな功績を立てているからな!即刻、発令しよう!」


「ありがとうございます」


よし。これで奉先の給料ベースアップ確定だ。役職手当がつくことで、彼が稼ぐ金貨の額は毎月二割は跳ね上がる。完璧な投資回収モデルの完成だ。


董卓様も、ダイエットの成果か、随分と機嫌が良く、私の言うことを素直に聞くようになってきましたね。……よし、この従順さなら、一人くらい産んであげても将来のコスト(見返り)に見合うかもしれませんね。










それから三日後。


予定通り、計算通りの時刻に、一切の無駄を省いた効率的な出産を終えていた。


更に3日後


そして今、私は馬上にいる。


場所は洛陽郊外の練兵場。


「カンッ!カンッ!ギギギギ……!」


金属と金属が激しくぶつかり合い、火花を散らす音が鳴り響いている。


手にした「回転式双頭戟」を凄まじい速度で振り回し、目の前の巨漢――夫である奉先へと容赦なく打ち込んでいる。


「ふっ!甘いですよ奉先!産後のリハビリ相手にしては手ぬるい!もっと殺す気できなさい!」


出産からわずか三日。私の腹部はすでにぺったんこに戻り、腹筋のラインすら復活している。妊娠中の徹底した筋力維持プログラムの成果だ。


「お、お前……本当に三日前に産んだのか!?」


「妖怪か!?ていうか、俺の娘が起きたらどうするんだ!」


そこには、三日前に生まれたばかりの赤ん坊――奉先の娘、呂玲綺が、布にくるまれてスヤスヤと眠っている。


私たちの激しい打ち合いが発する轟音や、馬の嘶き、土煙など全く気にする様子もなく、見事なまでの爆睡っぷりだ。


「この程度の騒音で起きるような軟弱な娘には育てません!これは将来、戦場で生き抜くための英才教育です!鉄の音を子守唄にして育ちなさい!」


「無茶苦茶すぎるだろ!!」


その狂気の沙汰とも言える夫婦喧嘩スパーリングを、遠くから安全な距離を保って見つめている二人の男がいた。


孟徳と本初だ。


「……化物だ……」


「産後の肥立ちが悪くて死ぬどころか、産前より明らかに動きのキレが増している……。あの回転戟の遠心力、どうやってコントロールしているんだ……」


「……妖怪だ……」


「俺、昨日あいつに『しばらくは安静にして養生しろよ』って、夫らしい優しい言葉をかけようとしてたんだけど、言わなくて本当によかった。もし言ってたら、『非効率なアドバイスは不要です』って言って、あの戟で俺の首が飛んでたな、絶対」


二人は恐怖のあまり、互いに身を寄せ合ってガタガタと震えている。


そして、その二人の足元には、二人の小さな影があった。


曹昂(孟徳の子・七歳)と、袁譚(本初の子・八歳)。

彼らは、父親たちとは全く対照的に、目をキラキラさせて私の戦いぶりを見つめている。


「すごい……!お母さん強い!」


曹昂が、小さな拳を握りしめて興奮している。


「あの一撃の角度、相手の力のベクトルを完全に計算して受け流してる!すごく勉強になるなぁ。僕もあんな風に、無駄のない動きで利益(勝利)を確定させたい!」


すでに私の守銭奴教育が浸透しつつある発言だ。頼もしい。


「お母さん最強!」


袁譚も負けじと声を張り上げる。


「父上たちよりずっと強いや!見てよ、あの巨人の呂布おじさんを圧倒してる!僕も大きくなったら、絶対に力でお母さんを屈服させて……お母さんと結婚するんだ!」


八歳児の口から出た、恐るべき野望マザーコンプレックス


「「やめとけ息子よ。命がいくつあっても足りんぞ」」


彼らの教育は、私が責任を持って修正しなければならないようだ。


「よそ見をしている暇はありませんよ、奉先!本日のノルマ(一〇〇回の打ち合い)はまだ終わっていません!」


「くそっ!今日こそお前を俺のベッドに……いや、布団に縛り付けて休ませてやる!!」


新たな娘(後の武神候補)という強力なアセットを手に入れ、三人の夫たちを恐怖と利益で完全掌握し、暴君・董卓すらもダイエットで手玉に取る。


私の人生のバランスシートは、今日も圧倒的な黒字を叩き出しているのだ。

ここまで読んでくださってありがとうございます。


今回の章では

・董卓政権の裏側

・王允の決起

・七星剣事件

・そして呂玲綺の誕生


を書きました。


作者として気になっているのは次の三点です。


①李司は「悪女」なのか、それとも「合理主義者」なのか

②三人の夫(曹操・袁紹・呂布)の中で、誰が一番かわいそうだったか

③将来、呂玲綺は母親に似ると思うか


よかったら感想で教えていただけると嬉しいです。

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