王都の夜にページがめくられる
王都の空は、いつもより低く見えた。
昼の喧騒が夕闇に溶ける頃、大通りに一斉にともったはずの街灯が、ひとつ、またひとつと明かりが消えていった。
悠斗は寮の窓辺で湯気の残る手拭いを絞りながら、その光の闇を眺めていた。
一枚の紙きれ、王都からの便りが彼の胸にあった。
「非常事態に備えよ」――詳細はなかった。
それでも、世界は静かに変わり始めていた。
「電灯が消えたって騒ぎになっている」
エリスが窓に寄り、押し込めた不安を声にした。
彼女の声は小さく、薬の匂いと一緒に浮く。
ミラは黙って剣の柄をさすり、リィアは鍋の火を弱める。
セレネは窓の外を見て、薄く笑った。
「面白くなってきたわね」
学園からも、王都からも、断片的な噂が届いた。
議会の討論が途中で打ち切られた。
近衛隊の配置が変わった。
ある貴族が公開失脚し、張り出された紙には「汚職の証拠」とだけ書かれている。
丸い印がどこかに押されているものもあった。
悠斗の胸の中に、あの地下の図形の影がまた伸びる。
「クーデター、かもしれない」
ミラがようやく言う。
彼女の言葉は短く、刃のように切れた。
選択の時間は近い。
悠斗は手に掛けた手拭いをぎゅっと握り、答えを探す。
外の世界は早足で混乱し、王立学院も例外ではなかった。
授業は中断され、学生たちは寮に戻るよう促された。
だが寮の廊下には緊張と好奇が混ざり合った空気が渦巻き、女生徒たちは互いに囁き合っている。
学園新聞が事実以上に煽るのを誰も咎めない。
悠斗はただ淡々と荷をまとめた。
温泉は後でも守れるが、仲間と学園の顔は今ここにある。
「行くなら、情報を集める。裏を取るんだ」
エリスは地図と薬の小袋を懐に忍ばせながら言った。
彼女は裏方の才能で空気を読んでいた。
セレネは王都の貴族たちの動線を知り、ミラは旧軍の派閥と縁がある。
立場はそれぞれに複雑だが、誰もが動く必要を感じていた。
王都に着くと、街は息を詰めたように静かだった。
広場には群衆が集まり、掲示板に貼られた声明文がざわめきを生んでいる。
声明は二つ。
王政側の「秩序維持」と、もう一方の「改革を誓う軍部の声明」。
両方に丸い印が押されていた。
印は日に日に頻出し、まるで物語に指示を与えるスタンプのように振る舞った。
「印が、増えてる」
セレネが指先で軽く触れる。
紙の端に押されたその丸は、見れば見るほど既視感を呼び戻す。
悠斗は息を吸い込み、仲間たちの顔を見た。
ミラの表情に迷いが生まれ、エリスの指先は震え、リィアは無言で鍋を握るように拳を作った。
クーデターは一夜にして決行された。
王宮の鐘が鳴るより前に、近衛の一部が裏切りを示し、街灯は消え、軍旗がひっくり返った。
広場は怒号と悲鳴で満たされ、通りは黒布で覆われたように暗転した。
悠斗たちは学園側の護衛塔に駆け込み、窓から目撃する――近衛隊と反旗の軍が交錯する衝突。
瓦礫の中に人間の影が絡まり、炎が古い像を舐める。
「選ぶしかない」
ミラの声が震えた。
彼女の胸の内に旧派閥への忠誠と、新たな正義への疑念が同居する。
リィアは怯えていたが、仲間を守る意志は固かった。
エリスは情報を整理し、何が嘘で何が真かを冷静に探ろうとする。
セレネは静かに笑っていたが、その瞳は計算の色を隠してはいない。
悠斗は一瞬、温泉の縁に座る自分を思い浮かべた。
そこに戻れば、日常はまだ温かく存在するだろう。
だが眼前の混乱を見捨てることは、目の前にいる人たちを危険に晒すことでもある。
彼は剣に手を伸ばし、仲間に向き直った。
「俺は行く。だけど、無闇に突っ込まない。情報を取って、動く時を見届ける」
その言葉は誓いにも妥協にも聞こえた。
だが今はそれで十分だった。
彼らは各自の特技を生かして分担する。
ミラは前線で抑え、エリスは傷病の救護点を開設し、リィアは食糧と避難所の手配を行い、セレネは影の情報網を操る。
悠斗は「適応」を用いて抜け道を見つけ、瓦礫と迷路のように変化する王都の地形を仲間が安全に移動できるように変えていった。
戦いの中で、現実と「物語」の境界がさらに薄れていく。
掲示板の声明は勝者の都合で書き換えられ、街角の噂は次々に形を変える。
だが一枚だけ、消せない紙があった。
王宮の内庭で拾われた写しには、例の丸い印とともに、こう書かれていた——「書き換えは完了した。次は秩序の再構築だ」。
文面は冷たく、誰が書いたのかを示さなかった。
「書き換え……」
エリスが呟いた。
彼女は薬草の匂いの代わりに金属の味を感じているようだった。
セレネの顔色が変わり、ミラは固く拳を握る。
悠斗はその紙をぎゅっと握りしめ、思った。
敵は単なる勢力ではない。
世界のルールを弄ぶ何者かが、ここに干渉している可能性があると。
彼らは一時的な停戦を結んだ軍勢の背後で、証拠を漁り始める。
秘密会議室で見つかったのは、公文書の改竄の痕跡、資金の流れの不自然な枝分かれ、そして複数場所で押された丸い印の写し。
どれもが「誰かが物語を整えようとしている」という仮説を裏付けた。
「これが真実なら、単なる政争では済まない」
ミラは冷たく言い、悠斗は考えた。
もし世界が「書き換えられる」なら、彼らの知っている日常も安全ではない。
スローライフの基盤が、物語上の都合で一夜にして変わるなら、悠斗が守りたいものは何か――その問いがとてつもなく重く響いた。
決断の朝、王都は静穏の仮面を纏っていた。
街には新たな旗がはためき、屋台の人々はいつもよりそわそわしている。
勝者が勝利を宣言し、敗者は表向きに処罰された。
だが裏では、旧体制の残党が抵抗を続け、学園の窓辺には不安の影が残った。
悠斗は仲間と向き合い、最後に訊ねた。
「どうする? 巻き込まれた以上、俺たちも選択の一部になる。俺は村と温泉を守りたい。だが世界が壊れるなら、それも放置できない」
エリスは穏やかな表情で答えた。
「どちらも守れるなら、守るべき。だけど、まずは真実を暴こう。書き換えを止める方法を見つける」
ミラは拳を握り、決意の火を灯した。
「戦うべき相手と戦う。だが、盲目的に従うのはやめる」
セレネは肩をすくめて言った。
「力を持つ者ほど、物語の上書きを好むものよ。私たちが干渉されるなら、私も干渉し返すだけ。手段は選ばない」
その言葉は本心の警告でもあり、揺らぎない決意でもあった。
悠斗は深く息を吸い込み、温泉の匂いを想像してから剣を握った。
世界を変えようとする「印」と、その背後にいる存在――それを見つけるのが次の目的となった。
ページがめくられる音が、どこからともなく聞こえた。
王都のクーデターは一段落を見せたが、丸い印はまだ消えていない。
誰かがページの端で何かを書き足している。
悠斗はかすかに笑い、仲間たちと共に歩き出した。
「帰ったら、温泉の湯加減を最高にしてやる」
その約束は、彼らがどれほど遠くへ行っても変わらない小さな灯火だった。
だがその灯は、今よりずっと大きな暗闇に照らされる必要があることを、悠斗は直感していた。
次の章で、丸い印の正体がほんの一端でも明かされるだろう。だがそれは同時に、新たな選択――世界を変えるために戦うか、日常を守るために隠れるか――を突き付ける。
王都の夜が明けるとき、誰が真実を語るのか。
誰が物語の筆を握っているのか。
答えは、まだ頁の奥に残されている。




