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追放者、温泉でスローライフしてたら王都が大変でした  作者: キンキンタロー


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6/20

そうだ魔王を倒そう

朝の温泉はいつも通り湯気を立て、悠斗は肩まで浸かりながら紙切れを眺めていた。

王都の印章が押された、ただ一行のみを記した紙。

「魔王討伐のため辺境より有能な者を募ること」――理由も期日も曖昧で、しかし命令であることだけは明白だった。


湯面に反射する朝日を見て、悠斗はただひとつの問いを自分に返す。

温泉は守れるのかと。

「ここで一度、世界規模のイベントを挟みます」

どこからともなく聞こえる、ページの端で遊ぶ声を無視して悠斗は立ち上がった。


守るべき日常と、目の前にいる人々。

ミラが剣を帯び、エリスが薬箱を肩に掛け、リィアが煮炊きの段取りを呟く。

セレネは薄く笑って城の情勢を説明した。

誰も強制されているようには見えない。

彼らは自ら志願を示し、悠斗のそばに集った。


出立の日、村は見送りの手を振らずとも温かかった。

村人は簡潔に言った。

「無事に帰ってこい」と。

男たちは自然に町外れへ向かっており、列はいつの間にか女たちで固まっていた。


悠斗は肩に革剣を斜めに掛け、重さを確かめるように掌で柄を撫でた。

適応が、じっと見ているだけで世界の縁を少しだけ整える感触が戻ってくる。


旅は最初から険しかった。

腐れた森、半壊の前哨、瘴気の峡谷。

魔物は群れで襲い、空は灰色に覆われた。

だが戦いはいつも通り目的を与えた。

ミラは前衛として敵を切り崩し、悠斗は相手の重心が崩れる寸前に気配を変えて支える。

エリスは包帯と薬を撒き、リィアは物資を管理し、セレネは呪紋で敵の魔力を交わす。

戦いの中で、彼らの動きはゆっくりとだが確実に噛み合い、信頼という名の固さを作っていった。


「君たちと行くなら、俺も全力で迷惑をかけないようにするよ」

悠斗の声は淡かった。

だが適応は無自覚に効いて、風向きが仲間に有利になり、茂みが敵の視線を遮り、足場が彼らに都合よく安定した。

戦場はやがて習慣を作り、習慣が自信を育てた。

女たちの視線はいつしか戦場の英雄を見る目になり、悠斗はその変化を気恥ずかしく思いながらも受け止めた。


ある夜、焚き火の光の下で地図が広げられた。

そこには魔王城までの道筋と、見覚えのある印が薄く刻まれている。

あの地下の図形、演劇の台本に押された丸い印、学園新聞に残った薄墨の痕――点が線になり、線が面を描き始めるように思えた。


「印は境界か、あるいは目印かもしれない」

セレネが指先で地図の一か所をなぞる。

彼女の目は遠くを見ている。

作者っぽい声がひそやかに付け加える。

印は作者の走り書きであり、世界の裂け目でもあると。


悠斗は指でその印を押さえ、じっと考えた。

自分たちが倒すべき相手は、単なる魔物の王ではなく、物語の枠組みを弄ぶ何かかもしれない――そんな予感が胸をよぎる。


魔王城は想像の何倍も巨大だった。

塔は黒曜石のように光を跳ね返さず、門は風の音すら呑み込む。

城門をくぐると、空間の質が変わった。

壁に掛かった肖像は部分的に描かれ、台詞が途切れたような感覚が辺りを支配する。

時間が薄く引き伸ばされ、頁が勝手にめくられるような不連続が身の回りで起きていた。


「印がある」

セレネの声だけが冷徹に響いた。

壁の裂け目から、見覚えのある街並みや前世のオフィスの断片が覗く。

悠斗の「適応」は最大に近い出力で反応し、彼の周囲だけが一瞬の安定域を作った。

その安定を起点に仲間たちは連携をとり、さらに奥へと進む。


深部に至るほど、戦いは象徴的になった。

魔物は姿を変え、敵の叫びは自分の過去の断片のように聞こえる。

悠斗の耳には、以前に呟いた何気ない言葉の反響が混ざり、時折温泉の湯気と、会議室の蛍光灯の音が同時に鳴る。

領分が溶け、物語の枠が薄れていく感覚に、誰もが息を飲む。


やがて大広間――巨大な椅子と、影だけが床に伸びる場所に辿り着いた。

闇の中から低い声が響く。

人間の声でも神の声でもない、それぞれに異なる言葉を届ける声。


「よく来た、主人公的存在よ」

その声は悠斗の胸の奥にある小さな願いを、鏡のように返した。――温泉は続けられるか、と。

悠斗はゆっくりと剣を抜き、光の中で顔を上げた。

ミラの剣が反射し、エリスの目は祈りに近い強さを帯び、リィアは鍋の匂いを思い出すように手を組み、セレネは微笑みながらも戒めの魔力を放った。


戦闘は嵐のように始まり、嵐のように進んだ。

剣が交差し、呪文が弾け、黒い霧が勢いよく流される。

襲い掛かるものは修辞の破片のように意味を欠き、だが傷は現実だった。

悠斗は思考と本能の狭間で動き、仲間を導いた。

適応は答えを出し続け、彼らは一歩ずつ、影の核へと迫る。


そして、光が裂けて静寂が訪れた。


影の中心に立つものは、王冠も剣も持たぬ影のような領主だった。

だがその影は口を開き、世界の枠を弄ぶ理由を語りかけるわけではなかった。

ただ一言、悠斗の耳にだけ届いた。


「お前は、どちらを取る」

問いは極端だった。

世界を救う道か、日常を守る道か。


悠斗は目を閉じ、湯気の匂いを思い出した。

仲間たちの笑い、村の朴訥な声、学園の窓辺の光――それらが一枚の布を織るように胸の中で温かく広がる。


「俺は……戻ってから温泉をもっと気持ちよくする」

答えは小さく、しかし揺るがなかった。


背後のページの端が震え、世界は一瞬だけ静止した。

影は嗤うように翳り、そして崩れ始める。

適応が最後の調整をしたのか、仲間たちの一撃が合わさり、影は粉塵となって消えた。


光が差し込み、城は音を立て瓦礫となった。

外に出ると空は清らかで、朝日の匂いがあった。

仲間たちは互いに傷を確認し、笑いながら疲れを分け合った。

村に戻る道すがら、ミラがぽつりと言った。

「世界を救ったって言えるのかな」

悠斗は肩の力を抜いて答える。

「なんだかもう、世界は話の中で勝手に終わるんだ。俺は温泉が気になる」


村に戻ると、温泉は変わらず湯気を立てて待っていた。

人々は拍手で迎え、女たちの瞳はいつものように暖かい期待を湛えている。

男たちは相変わらず姿を消している。

学園で拾った小さな紙片――丸い印がどこかに押された痕跡は、ポケットの中でまだ微かにひんやりしていた。


悠斗は湯に肩まで浸かり、深く息を吐く。

戦いは一段落し、世界はまた日常へと回帰する。

彼は心の片隅で、いつかまたページの端が震えるのを感じていたが、それはまだ明日の話だ。

「温泉の湯加減、まだ調整の余地があるな」


エリスが微笑み、ミラが顎を上げ、リィアが嬉しそうに鍋の構想を語る。

セレネは肩越しに遠くを見て、何かを呟くようにして笑った。

世界がどれほど大きく揺れても、彼らの輪の中心にあるのは小さな湯船だ。


ページはめくられる。

次の章が来る前に、悠斗はただ一度、温泉の湯を確かめる。

温度は、ちょうど良かった。


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