温泉に群がる女たちと消えた男たち
夕焼けが村の屋根を金色に染める頃、俺は風呂の湯を見つめながら、極めて平凡なことを考えていた。
温泉、飯、昼寝。それだけが欲しかった。
「ねえ、あなた、その湯はどこから来るの?」
リィアがぽん、と湯気の立つ桶を差し出す。掌の湯気が匂い立ち、彼女の瞳が少しだけ潤んでいた。
素朴な問いに、俺は肩をすくめる。
「ちょっとした工夫だよ。ま、詳しくは……説明するのは面倒だ」
その答えが効いたのか、リィアは嬉しそうに満面の笑みを見せた。
彼女の存在は村の安心そのものだ。
だが、その夜の温泉には、もう二人、三人と客が増えていく。
酒場から駆け込んできたエリスは、薬箱を抱えながら顔を赤くしている。
「悠斗、村に害虫が出たって聞いたから、薬を持ってきたの!」
彼女は真剣で、真摯で、誰よりも俺の小さな身体の変化に気づく。
薬草の香りが湯気と混ざり、何とも言えない居心地の良さを作る。
「ありがとう。君がいると安心する」
その言葉にエリスは頬を染め、無邪気に怒る仕草をした。
だがそれだけでは終わらない。
外で重厚な足音がして、扉が勢いよく開いた。
「悠斗!」
ミラが血走った顔で飛び込んできた。
鎧は泥だらけだが、目は笑っていない。
彼女は短く息を切らし、俺を見つめる。
王国でも評判の剣士だが、今はただ近くにいたかったらしい。
「追手が村に向かっている。お前が大丈夫か確認に来た」
ミラの説明は簡潔だ。
隠し事が苦手な性格のせいで、言葉は刃のように真っ直ぐ刺さる。
俺は肩をすくめ、湯に手を入れた。
「大丈夫だ。ちょっと気を使っただけだよ」
その直後、空が低く震え、森の端から黒い影が一団、現れる――と見せかけて、実際には数名の男たちが馬車で去っていくのが見えた。
遠ざかる車輪の音、消える足跡。
理由は誰にも説明されない。
彼らは「用事ができた」「他で揉め事がある」などの台詞を残し、物語からさくっとフェードアウトする。
「男って本当に都合がいいな」
リィアが小さく呟く。
エリスは薬瓶をぎゅっと握り、ミラは無言で俺に微笑む。
女たちの視線が一つに集まると、世界が少しだけ柔らかくなる感覚があった。
その瞬間、月明かりの下に一つの影が滑り込んできた。
黒い羽と白銀の髪。
セレネだ。
魔族の王女は、にやりと口元を歪めて温泉の縁に腰を下ろした。
「まあ、追放者が温泉でまったりしているとはね。面白い」
彼女の声は低く、甘い。
だがそこに敵意はない。
むしろ興味と遊び心が見える。
王女の存在は重く、しかし、なぜかここでは馴染んでいた。
「あなた、ここで何をしているの」
エリスが身を乗り出す。
リィアは静かに鍋を差し出し、ミラは剣を脇に置く。
四人の女性が、いつの間にか俺の周りに集まっていた。
驚く間もなく、もっと増える。
外から流れ着く噂と、作者の軽い気まぐれが同時に作用する。
翌朝、村にはさらに数名の女性が訪れてきた。
隣村の羊飼いの姉妹、王都からの学者見習い、交易路で道に迷った狩人──彼女たちは口々に言う。
「あなたのところが安全だって聞いたの」
「噂の温泉が気になって」
「追放されても楽しそうだから寄ってみた」
理由は単純で、言葉は無責任だ。
だが行動は確かだ。
女性たちは勝手に集まり、家を手伝い、薬草を採り、宿を掃除し、山菜を採ってきては料理を差し出す。俺はただ飯を受け取り、湯を沸かし、時に畑を耕すだけだ。
「悠斗、あなたって本当に不器用ね」
エリスが笑う。
彼女は俺のぎこちない手付きに手を添えて包丁を握る。
ミラは黙って隣で肉を切る。
リィアは子供たちに読み聞かせを始め、セレネは城での無意味な噂話を面白おかしく語る。
役割分担は自然発生的で、やがて村には「彼」を中心とした秩序ができあがっていく。
一方、普通の男たちは姿を消した。
酒場の老夫婦は「若者は冒険へ行った」とだけ言い、噂好きの商人は「別の村で揉め事に巻き込まれた」と手短に説明する。
深追いする者はいない。
物語は都合良く、俺の周囲の男性を削除していく。
「それで、どうするの?」
ミラが真顔で訊ねる。
彼女の問いは意外なほど直接的だ。
ハーレムもののセリフを先取りするような嚼ませ方だが、そこには純粋な好意と、戦士としての直感が混ざっている。
俺は軽く笑って湯気を吹いた。
「俺は温泉を守る。飯を炊く。昼寝をする。それで充分だ」
その宣言は、妙に説得力があるらしい。
エリスは頬を赤くし、セレネは興味深げに首を傾げ、リィアは満足そうにうなずく。
ミラだけは少し眉を寄せたものの、最終的には肩の力を抜いた。
夜、焚き火の周りで女たちは話を続ける。
未来のこと、昔のこと、くだらない噂話。
俺は火の揺らぎを眺め、適当に相槌を打つ。
そのうち、誰かが言った。
「ねえ、悠斗がもし結婚するとしたら、誰が一番似合うと思う?」
冗談のつもりで振った問いは、誰かが真剣な顔で返してきた。
「私は悠斗と一緒に薬を作りたい」
「私は悠斗の背中を守る」
「私は悠斗の子供に料理を教えたい」
「私は悠斗と城の窓から星を数えたい」
言葉は軽いが、意思は重い。
女たちの選択は勝手で、しかし揺るぎない。
翌朝、彼女たちは勝手に寝床を整え、俺の使っていた布団を洗い、俺の名前を呼び慣れたように呼んだ。世界はいつの間にか、俺を中心に回っていた。
貴重な男は去り、女たちは残る。
都合よく運ばれたイベントと噂、そして作者の小さな悪戯が重なって、一晩でハーレムは完成した。
最後に、空の端でページをめくる音が聞こえた。
あの作者っぽい声が微笑む。
「人気のテンポですね。読者はこうした“一気に加速する展開”を好みます」
俺は湯気の中で軽く笑った。
計画など無い。
強いて言えば、今は温泉が熱いうちに入るだけだ。
火照った身体を湯で冷ましながら、俺は小さな決意をした。――彼女たちの選択を尊重しよう。
だが、自分のペースは崩さない。
スローライフは矛盾だらけだが、それでも俺のものだ。




