#7 猫の話
猿鳥山自然公園。
人目の届かない公園の奥地におびただしい猫の群れ。中心に一匹の虎型怪人が佇む。周囲を埋め尽くす猫達は皆虎怪人を敬うように大人しくひれ伏している。
虎怪人と成り一夜が過ぎたが集まる猫の数は今もまだ少しずつ増えている。
朝日が昇り、虎怪人は周囲を見渡すと集まった猫の数に満足したような顔をする。
喉を鳴らし、低い唸り声を出すと猫達は立ち上がって怪人と同じように力の入った声を出した。
「うううぅぅぅうぅああぁあああっ!!!」
怪人の雄叫び。それに同調するように猫達も叫び声を上げた。
夢に現れたリェンは本物だったのか、起きた瞬間に夢朧となった真夏にその真偽は分からない。
ただ一つ、猫を大切にしろと言われたことだけはしっかりと記憶に刻まれていた。
朝のアラームを止めて数分間呆然としている真夏。
窓から朝日が差し込み我に返る。
「…スーちゃんのとこに行かなきゃ…」
悪い予感がした真夏はホルスとの約束を待たずにスカーレットを探しに行くことを決心する。
ベッドから飛び出して魔女の衣装に着替える。
(目立つ格好ですが、スーちゃんが喜ぶものでギャルに対抗しうるものならこれしかありません。早い時間に自然公園に入ってしまえば騒ぎにはならないでしょう…)
三角帽子を深く被り杖を持って外へ出る。
「ホルスちゃん、ごめんなさい…。先に行って来ますね」
母屋に軽い会釈をして飛び立つ。
まだ静かな街の上空を猿鳥山自然公園へ向かって一人で飛ぶ真夏。
(今日は、少し寒いですね。…スーちゃんは大丈夫でしょうか…)
街を抜けて建物が少なくなったところで高度を下げる。
公園に到着してスカーレットを探そうと森に近づくと小さな影が真夏を横切り通り過ぎる。
「ひぇっ!?」
通り過ぎた影を追って振り返るがすぐにまた森の中から歪な気配を感じた。
「ひっ!ひえーーーっ!!?」
森の中から次々と飛び出してくる猫。驚いた真夏は高度を上げて森から距離を取る。
「猫!?これ、みんな猫さんですか!?」
おびただしい猫の群れは数えることもできず、固まって目を丸くする真夏。
「うそ…まさかスーちゃんもこの中に居るってことです?ど、どーしましょう、こんなの見つけられっこないでs…!なっ!?と、虎ーーーっ!!?」
猫の群れに交じり堂々と森から現れた虎怪人、ぽつんと空中に浮く真夏と目が合う。
群れの移動が止まり、猫の視線全てが真夏を向く。
一瞬の沈黙。
「うがぁああああぁーーっ!!」
「ひぎゃぁあああぁーーっ!!?」
虎怪人の咆哮。同調するように悲鳴を上げる真夏はさらに高度を上げるが、怪人は姿勢を低く四つ足を地面につけて真夏を見据えると勢い良く飛び上がって襲い掛かる。
「うっ!!」
瞬時に身をひねり進む方向を変えて直線的な虎怪人の跳躍を躱す。怪人はそのまま通り過ぎると勢いを落とし、真夏を睨みつけながら地面に落ちていく。
「こ、こんな高さまでジャンプするんですか!?もっと高く飛ばないと!」
虎怪人から目を離して進むべき上空に視線を向けると一匹の猫が真夏よりも先に飛んで行く。
「うにゃぁあああぁーっ!」
「…へっ…?」
飛んで行く猫は数秒後、推進力を失って地面へと落ちていく。着地した猫は怪我をしたのか見悶えている。
何が起こったのか、虎怪人に視線を戻した真夏はすぐに理解する。
虎怪人は右手に新たな猫を握りしめると振りかぶって真夏に向かって投げつけた。
「ねっ!?猫はボールじゃありませんっ!!」
真夏は投げ飛ばされた猫を受け止めようと腕を広げる。
「うぅにゃにゃぁーーっ!」
しかし猫は鋭い牙と爪を真夏に向けて襲い掛かり、驚いて身を固めた真夏の腕に傷を付けた。
「いっ!?」
真夏を攻撃した猫はバランスを崩し、くるくると宙を回転しながら地面に落下して動きを止める。
「………え…?」
虎怪人は次の猫を無造作に掴むと躊躇うことなく投げ飛ばした。
「うっ!」
(確か猫さんはバランスさえ取れていれば高いところから落ちても助かる可能性があったはず!これ以上投げさせないようにしないと!)
真夏は投げられた猫を躱して怪人に向かって急降下する。
「やめてください!!」
虎怪人に接近すると、怪人は真夏を直接攻撃しようと牙を剥く。
(この中にはスーちゃんだって居るかもしれないんです!この怪人を何とか止めないと!)
間近で対面するとより恐怖を感じるが歯を食いしばって踏みとどまる。
低く飛び、襲い迫る怪人と付かず離れず距離を保つが真夏を攻撃しようとするのは怪人だけではなかった。狂ったように飛び掛かり爪を振るう無数の猫。低く飛び過ぎると猫に捕まってしまう。高く飛び過ぎると猫を投げられてしまう。適度な高度、距離を保ちながら逃げる真夏。
(ど、どどど、どうしましょう…!?)
数分間ぐるぐると逃げ回るが解決策が見つからない真夏。
いつの間にか自然公園の端まで来ていたことに気付いて逃げる方向を森林へと向ける。
(街に出たら被害者が出てしまいます!何とか公園の中で解決したいですが…)
その時、早朝の街を叩き起こすかのようにサイレンが鳴り響く。
一方の伊月家。朝食を準備する女将、食卓につく娘と大将。
「ぅん~…?珍しいじゃんね、まなっちゃんがあたしより遅いなんて」
「いつも早起きで頑張ってくれてるからね、たまには寝過ごしてもかまわないさ」
「えぇ~?まなっちゃんには優しいじゃん!あたしは叩き起こすクセにぃ!」
「あんたはいつも寝坊してんでしょうが!文句言ってないで真夏ちゃん呼んできな」
「う~ぃ」
口を尖らせて返事をするホルスが席を立つ時にアラームは鳴った。
『怪人警報、怪人警報。こちらは防衛省です。ただいま、猿鳥山自然公園にて怪人の出現が確認されました。現在地点の脅威判定はCランクです。今後の怪人情報にご注意ください。繰り返します。こちらは防衛省です………』
「うへー、休みの日はやめてほしいじゃんね~」
肩を落とし、テレビをつけて国営放送を見る。
ドローンによる空撮が現れた虎型怪人と無数の猫、早起きでそれらに絡まれる真夏を映し出す。
「あはっ!今日も早起きじゃん!」
「なんでこうしょっちゅう怪人と遭遇するんだろうねぇあの子は…」
心配しながらも少し呆れる女将。
「猿鳥山の自然公園ってスーさんが向かったかもしれない場所じゃんさ。今日はそこを捜索する約束だったんだけど、先に行ったっぽいじゃん。そこに怪人ってことは…。あ!虎じゃんね!虎型怪人!ネコ科じゃん!?あたしを襲ったヤツとおんなじで同種の動物を操ってるってことじゃんか」
無数の猫達を見て納得した様子のホルス。
「あの時、急に態度が変わったのは怪人の支配下に入ったからじゃんね」
「うん?つまりあの猫の群れにスカーも居るってことかい?」
「きっとそうじゃん?…なんか少し安心したじゃんね。これで虎が倒されたら普段のスーさんに戻るってことじゃんか」
スカーレットが態度を急変させた理由を推察したホルスは安堵するが、女将の表情は曇る。
「それはどうだろうね。むしろここからが正念場かもしれないさね」
モニターには猿鳥山自然公園へ向かって高速で飛ぶ3機のバトルフレームが映された。
空中を器用に飛び回り怪人から逃げ続ける真夏。地面を埋め尽くす猫の群れからスカーレットの姿を探すが容易には見つからない。
(早く、見つけないと!せめてスーちゃんだけでも…!)
焦る真夏。自然公園に防衛省のバトルフレームが到着する。
『あれは!魔女!?一色軍曹が見たという、掃除機で飛んでた魔女ですか?』
『断定はできませんが、同じ人物のように感じます』
公園上空から怪人と真夏を見下ろす3機のバトルフレーム。赤色の機体を操る一色は年上の部下の質問に無線で答える。
『今は怪人を、魔女については後ほど対処します』
『了解』
急降下する3機、一色が虎怪人と真夏の間に素早く入り込むと怪人は一瞬動きを止め、攻撃の対象を一色に変えて爪を振りかざすが、自分に向けられた銃口から危険な気配を察知して一色から瞬時に距離を取る。
真夏は2機のバトルフレームに保護される形で怪人から引き離される。
一色は森林を背後にした虎怪人と周囲の安全を確認し、14mmガトリング砲を構える。
「ダメッ!!!」
真夏の制止する声と銃声はほぼ同時に上がり、銃弾を躱し素早く跳躍を繰り返して逃げる虎怪人の周りで弾丸を受けた猫達の血飛沫が舞う。
「嫌っ!やめて!!」
2機のバトルフレームを越えて一色の前に飛び出す真夏。
『なッ!?』
一色は銃口を空へ上げて真夏への被弾を避ける。
「魔女!?何をしている!危険だ!下がってろ!」
スピーカーから一色の声。
真夏に命令するが、真夏は引かない。
猫達が叫ぶように鳴くなか真夏は大きく声を張る。
「ダメです!やめて下さい!猫さんに当たってるじゃないですか!」
「わかってる!だが人命が最優先だ!怪人が街に向かう前に排除する必要があるッ!」
一色は真夏の背後に回り込み、不意を突いて真夏を襲う怪人の一撃をギリギリで受け流す。
虎怪人はまたすぐに距離をとって一色を警戒する。
「最速で怪人を倒す。結果的に猫への被害も最小限で済む。下がって大人しくしていろ」
再びガトリング砲を構える一色。
『散弾準備。怪人の跳躍に合わせて攻撃お願いします』
『了解』
一色の命令に左右に広がって銃を構えるバトルフレーム。
「ま、待ってください!友達が!家族が居るんです!殺さないで下さい!」
懲りずに一色の前に出る真夏。しかし今度は怪人から目を離さない。
「家族?」
『首輪付いてるのが結構居るみたいです。怪人におびき寄せられて家から飛び出したペットも居るでしょう』
「…悪いがこれ以上邪魔するようなら公務執行妨害で逮捕させてもらうぞ」
真夏の訴えを淡々と退ける一色。
「た、逮捕…。な、何とか鉄砲を使わずに倒してもらえないでしょうか…?」
「ネコ科は敏捷性が高く取り押さえるのは困難だ。人けのない森林を背にした今を逃がせば人命を脅かすことになりかねない。わかってくれ」
ゆっくりと前へ出る一色。
「うぅ…」
頭では理解している。怪人をここで確実に仕留めることが被害を最小限に収めることができることくらい。真夏は悲しそうな表情で一色の赤い機体の背を見つめる。
(この人達はホルスちゃんの時も周りの鳥はお構いなしで怪人を攻撃してました…。それはきっと相手が猫でも同じこと。私がいくら言っても無駄でしょう…。せめて…せめて猫さん達を怪人から引き離すことができたら…)
真夏は落胆して視線を落とす。その視線の先、真夏のほぼ真下の猫が一匹、叫ぶでも攻撃的な意思を見せるでもなく、何かを必死に追いかけていた。猫は他の猫の足元に潜り込んだり背に乗って飛び越えたりしながらその何かを掴もうとするが、うまく掴めずに空中に弾き飛ばす。
(なに…?光ってる…空薬莢…?………!)
はっと何かを思いついた真夏は三たび一色の前に。
「魔女…!」
若干の苛立ちを見せる一色。
「私が!猫さん達を誘導してみます!」
右手を上げて構える。
「誘導?」
(猫さん達はあの怪人に操られてるだけ。怪人の支配を掻き消せるだけのものがあれば引き離すことはできるはずです!)
深呼吸をして集中する。
「ここにでっかいマタタビを作ります!」
「!!?」
(マタタビ…。猫を酔っぱらわせる植物。詳しくは知りませんが、磁力の本質を理解せずに磁力で飛ぶことができるんです。マタタビを、猫が酔っちゃう植物を作ることくらい、できます!)
弱い光が真夏の右手の先に現れる。
(マタタビは植物、固体?地水火風、分類だと地?でも水もありそう…。地水…。マナを固く、やわらかく、植物の実をイメージして作り上げる…)
光はやがて大きなマタタビの実の形となっていく。
(この実はマタタビ。猫を引き付け夢中にさせる魔性のアイテム…!)
「猫さん!早い者勝ちですよーーっ!!」
ぐっと右手を握りしめるとそこにはでっかいマタタビが具現化され、真夏はそれを振り回しながら猫達の頭上を飛び回り注目を集める。
魔性のアイテムに目の色を変えた猫達は攻撃的な態度を改め、酔ったように真夏を追いかけ始めた。
「やった!成功です!これであの虎の怪人から猫さん達を引き離すことが…!??…はひっ!?」
真夏が振り返り、追いかける猫達を確認するとその先にはこの中で一番でっかいネコが酔っぱらったような表情で真夏に迫る。
「うがぁああああぁーーっ!!!」
「虎ぁああーーッ!!?」
真夏、というよりも真夏の持つマタタビに跳びつく虎怪人。真夏は慌てて速度を上げて怪人を躱すがまたすぐに追いつかれてしまう。
「ひぎゃぁああああーーっ!」
虎怪人と猫の大群に追われる真夏。一番速く走れる虎の怪人が真夏に一番近く、その後ろに猫達が続く。結果的に怪人と猫の引き離しには成功した形だが、真夏を追いかける超高速鬼ごっこにバトルフレームの照準は定まらない。
『何やってるんですかね、あの魔女は?』
『猫と引き離しても、人間が怪人の近くに居たら発砲できませんよ』
『わかってます。魔女の進路に合わせて横から怪人を弾き飛ばします。二人は飛ばした怪人に止めを!』
一色はバトルフレームの左腕に盾を展開して真夏を追いかける。
「魔女!進路を真っ直ぐ!最速で飛べ!」
一色の声がスピーカーから指示を出す。
「進路!?真っ直ぐ!はい!!」
返事をした真夏だが一色が突撃するよりも早く、虎怪人の肉球がマタタビを捕らえた。
「ッ!?」
その衝撃でバランスを崩した真夏は杖から落下し草原に転がり回る。
「魔女っ!?」
頭を打ち身体に複数の傷を負う真夏。
マタタビに頬をこすりつけてご満悦な虎怪人。
追いついた猫達も次々とマタタビに跳び込んでいく。
真夏は遠退く意識の中で赤い紐リボンを巻いた黒い子猫を見た。
《ボクにもマタタビ頂戴にゃーっ!!!》
前世で猫との思い出と言えば、幼少期に施設に迷い込んだ子猫を子供たちみんなでお世話したことだろう。
三毛猫のにゃん太。にゃん太が雌であることをみんなが知ったのは名前が浸透した後だったので、そのままにゃん太は一生をにゃん太として過ごすことになった。
親とはぐれて独りうずくまるその子猫を自分達の境遇に重ね合わせた児童養護施設の子供たちは新しい兄妹をとても可愛がった。
真夏が15才で施設を出て行くことになった時にも見送ってくれた猫だが、その後にゃん太が亡くなるまで二度と会うことはなかった。
15才でバイトを掛け持ちして父親の残した築50年のボロボロの平屋で一人暮らしする真夏に県外の施設への帰郷は簡単なものではなかった。
一人暮らしを始めて半年でようやく手に入れたガラケー。久しぶりに施設の友人と話した時ににゃん太が死んだことを知らされてボロ家で一人涙を流した。
父親の残した家は小さな1LDK。真夏がこの家に来た時には生活感があまりないボロボロの家に恐怖感を持っていた。
必要最低限の家電、娯楽は小さなテレビと数冊の本だけ。
テレビの横には一枚の写真。父親らしき男性と母親らしき女性、その女性に抱かれた小さな赤ちゃんが写っている。それが自分なのか、断定はできないもののそうなのだろうと真夏は思った。
(この人がお父さん…。死に顔しか見てませんが、若いですね…。15年前ですか…)
写真の男性をなぞる。そしてすぐにふっと吹き出す真夏。
(この人がお母さん…?ギャルです。やんごとなきギャルじゃないですか…)
写真の女性は若く金髪に露出の多い服、赤ん坊を抱く手の爪はギラギラとしていた。
(若いですね、暫定お母さん。あまり年の差を感じません)
写真以外この家に女性の気配はなく、この家での生活は父親一人のものだと真夏は推測した。
(お母さんは今どこにいるのでしょうか…?)
これまでは両親の手掛かりが全くなかった真夏。父親の存在から母親を探せないかとバイトの合間に市役所を訪れる。
「…え?婚姻歴がない…?」
父の葬儀や引っ越しの手続きなどで世話になった職員が調べてくれた。
「えぇ、幸谷さんには戸籍上の婚姻歴がありません」
「離婚歴じゃなくて…結婚した事実がない…?」
(結婚する前に私が生まれて、別れちゃった感じですか…。育てられなくて施設にってとこですね)
あまり期待していなかった真夏はとくに落胆もせずに母親の捜索を諦めた。
一人暮らしを始めて二度目の冬。
「キツネよキツネ。ウチの鶏もやられちゃってねぇ」
新聞配達のバイト仲間でご近所のオバサン佐藤は警告を兼ねた愚痴を聞かせる。
「あの鶏、食べられちゃったんですか?」
ご近所で真夏も餌やりをしたことがある鶏。
「そう、白いコが1羽ね。柵を強化したからもう大丈夫だと思うけど、あの悪戯キツネ、人馴れしてて人間を怖がらないから真夏ちゃんも気を付けないと食べられちゃうわよ」
「あはは…」
(さすがに食べられたりは…。でも寄生虫とかいるって話ですし、近寄らないようにしましょう)
「あ、でも夏に家の中で蛇に遭遇した時は死ぬかと思いました」
建付けが悪く閉まり切らない勝手口がある幸谷家。蛇だけではなく虫も入り放題だ。冬になればそれらが侵入することはあまりないが、代わりに容赦ない隙間風が真夏を襲う。
新聞配達だけでは生活ができない為、掛け持ちでスーパーの品出しのバイトもしている。スーパーのバイトの良いところは仕事終わりにそのまま買い物をして帰れること。終業間際には食品コーナーの値引きシールが張られた商品をチェックして晩御飯の献立を考えるのが日課になっていた。
30%引きの鶏肉1キロを買って帰った日の夜。
「半分はすぐに冷凍して…。残りは全部お鍋にドーンです」
一人暮らしで料理にも慣れた真夏だがそのレパートリーは切って焼く、切って煮る、でできるものがほとんどである。
鶏もも肉の塊が3枚入ったお徳用パック。1枚と半分を冷凍庫に入れて鍋の分の処理をしようと包丁片手に立ち上がるとそこにはテーブルの上でもも肉約300グラムを口にくわえた薄汚い子猫が居た。
目ヤニがひどい子猫と目が合い戸惑う真夏。
子猫はテーブルから飛び降りて肉を引きずり懸命に走る。
「こ、こんのどら猫めぇ~!」
子猫は必死に建付けの悪いドアの隙間から外へ逃げ出す。真夏も追いかけるが建付けの悪いドアはなかなか開かない。
「うっ!なんで!このドアは人以外のものを簡単に通すのでしょうか!?」
ドアが開いた時には子猫の姿はどこかへ消えていた。
「せ、せめて小さい方を持っていってくださいよーっ!」
包丁を握る手に力が入る真夏は悔しそうに奥歯をかみしめるのだった。
使い勝手の悪い勝手口。日に日に隙間が大きくなっているような気がした真夏はタオルを突っ込んで隙間を埋め、ごみ箱を置いて勝手口を封殺した。自分も通りにくくなるが、そもそもあまり使わない勝手口だ。侵入者を防ぐことを第一とした。
「それにしてもこのドア、もう腐ってきてますね…」
触ると湿っぽく柔らかい。ドアだけでなく床も一部そうなっている所がある幸谷家。家としての寿命はそう長くなさそうだった。
突然の一人暮らしは寂しく辛いこともあったが、何とか頑張っていた真夏。
雪が降ったある日、スーパーでの品出し作業中に真夏は店長に呼び出された。
「幸谷さん、魚ってさばける?」
「魚…?い、いえ、切れてるやつしか触ったことありません…」
「そう、あの、鮮魚コーナーの岩倉さん。あと半年くらいで退職するんだよね。70で辞めますって。それで代わりの人を探さないといけないんだけど、幸谷さん挑戦してみる気はない?」
「私が、ですか…?」
「うん、幸谷さん真面目だしね、一人暮らしでしょ?鮮魚だと正社員で雇えるし、品出しのバイトより稼げるよ」
「稼げる…」
「まあ、今すぐって訳じゃないし、考えといてくれる?こんな田舎だと求人も難しくてね」
仕事に戻り黙々と商品を補充していくなか、ふと鮮魚コーナーに立ち寄る真夏。
刺身に寿司、魚の切り身とそのまんまの魚介類が並ぶコーナー。普段このコーナーは切り身くらいしか見ていない真夏。
(この丸々一匹のお魚を…こう、お刺身や切り身にしていく…。私にできるのでしょうか?)
やると言えば研修くらいあるのだろうが、やると言ってしまえば後には引けなくなりそうで、真夏はその日の帰りに一匹の、そのまんまのサバを買って帰ることにした。
(サバの塩焼きに味噌煮、焼きサバの混ぜごはん。色々レシピを教えてもらっちゃいました)
休憩中、レジの田中さんにレシピやさばき方を教えてもらった真夏、手を洗って食材を準備する。
(そういえば、お母さんって料理できたのでしょうか?)
目に入った家族写真(暫定)を見て思う。
(見た目でできないと判断するのは失礼ですね…)
「私も髪を染めたりしたらギャルになるでしょうか…?」
ガラスに反射した自分の姿で想像してみる。
「いやいやいや、ちょっと敷居が高いですよね~。ちょっと憧れはあるけど、ギャルというか、いつか私も素敵な女性に……」
ニヤニヤと妄想しながら作業に戻ろうとすると、そこには数日前の泥棒猫。今まさに本日のメインディッシュを盗もうとしている汚れきった子猫は家主に見つかり、うぅ~っと唸ってぴょーんっと魚をくわえてテーブルから飛び降りる。
「こ、こんにゃろめ~っ!」
何処から入ってきたのか、真夏の疑問はすぐに晴れる。
泥棒猫の進む先、建付けの悪い勝手口の腐った部分が破壊されて大きな穴が開いていた。
「ド、ドアに穴開けたんですかー!?」
その穴をくぐって逃走する子猫。魚を引きずる猫の足は遅い。
何度も窃盗を許してはならぬと強い意志を持って勝手口を押し開けて外へ飛び出す真夏。
「へゃっ!?」
朝からしんしんと降り積もった雪に裸足で突っ込み冷たさに悶える。
「だ、だいぶ積もってますね…。でも…」
追跡を諦めかけたが積もった雪に泥棒の足跡と引きずられた魚の跡がしっかりと残っている。
「靴を、靴を履いてくれば追いつけますよ!」
家に戻って煮干しを掴んで表に回る。靴を履いてコートを着込み追跡を開始する。
(ふふふ、前回と違い雪が犯人の居所を教えてくれます。そのうえ食材も傷つかずに済みそうです…。お前にはこの煮干しで十分なんですよ!)
猫との取引材料に持ってきた煮干しを握りしめてザクザクと雪道を歩く。
雪は降り続け、厚い雲が空を覆って太陽の光を遮っている。
昨日の同じ時間よりもずっと暗い。
「早期の決着が必要です」
歩を速める真夏。足跡は裏手の山に続いている。
「そ、そっちですかぁ?」
普段から立ち入らない場所。
しかし所詮は子猫の行動範囲。
そう遠くまでは行かないと思って追いかける。
幸い子猫は人が通れるような道を進んでいるようだ。
山道を進み、大した距離を歩いていないのに息が上がっていく。
白い吐息で両手の暖を取ると煮干しの匂いが返ってくる。
幸谷家が完全に見えなくなり、似たような景色が続く。真夏は振り返り来た道に自分の足跡がしっかりと残されているのを確認する。
(大丈夫、子猫の足跡より大きい足跡です。帰りの道しるべはしばらく消えたりはしません)
そのまま数分追いかけると窃盗の現行犯の姿が見える。
「ふふふ、追いつきましたよどら猫さん。年貢の納め時です、そのサバは幸谷家のメインディッシュ。貴重な栄養源にして先行投資でもあるのです。きっちり返却してもらいますよ~!」
子猫は岩の隙間に入っていく。
自然に出来た空間を利用した野良猫の住処。
真夏はゆっくりと近づき、膝をついてその住処を覗き込む。
「どら猫~!ウチのサバを返しなさーい!」
子猫の住処は人が入るには狭く、這いつくばって腕を伸ばせばすべてに手が届く程度。
「キシャーーッ!!」
真夏の存在に驚く子猫。これまで逃げの一手だった子猫はその場に踏み止まり真夏に対して下手な威嚇行動を行う。
「………」
苦しそうにフーッフーッと大きく呼吸し牙を見せつける。
真夏は一歩引いて雪の上に正座してしまう。
子猫の威嚇に怯えたからではなく、状況を把握したからだ。
子猫はふらつきながらも踏ん張って威嚇を続ける。
真夏は耐えきれずさらに一歩引いた。
子猫の状態は酷い栄養失調のようで、痩せこけて毛艶は無く脱毛が多く見られる。目ヤニが酷くその緋色の瞳に輝きはない。
子猫は真夏が動かないのを見て魚を住処の奥に運ぶ。
同じ場所には数日前に盗まれた鶏もも肉の塊が一枚。すでに変色し、異臭が漂うがその原因は鶏もも肉ではないのだろう。
子猫より一回りも二回りも大きな成猫の死骸。その口元に魚を置くが成猫は当然ながら動くことはない。腐敗した体は一部白骨化して、人の目から見れば成猫が死んでいるということはすぐに理解できる。子猫はそれが理解できないのか受け入れたくないのか、真夏を警戒しながらも必死に魚を食べるように促している。
「…お母さん…。なんでしょうね…」
真夏はゆっくりとした動きで持ってきた煮干しを差し出す。
子猫は警戒するが、匂いに釣られて真夏の手元までやってくる。
クンクンと匂いを嗅いで、手のひらから持ち去るとその煮干しまで死骸の口元に置いた。
「ダメです!あなたが食べてください!」
真夏は住処に潜り込むようにして煮干しを取り戻すと暴れ出した子猫も同時に掴んで外に引っ張り出す。
抱くように押さえつけて無理やり煮干しを口に詰め込もうとするが、子猫は暴れて爪と牙で真夏の手に傷をつくりながら抵抗する。
「食べなきゃダメです!お母さんは、もう食べたりしませんから…。食べなきゃ、あなたも死んでしまいますよ…!」
子猫を押さえつける。それだけで子猫の脱毛が広がる。細く軽く、抵抗する四肢に力はない。鳴き叫ぶ子猫の口に何とか煮干しを入れるが、子猫はそれを飲み込むことができずに吐き出してしまう。
「……!?」
続いて嘔吐するように咳を繰り返す。
「病院に…?…でも…」
真夏の手から離れた子猫はふらふらと成猫の元で丸くなって横たわる。
病院に運べば元気になるかもしれない。
しかしこれも自然の摂理。
このまま最後の時間を親と供に穏やかに過ごすことがこの子猫の幸せなのかもしれない。
成猫の死を理解し、乗り越えてここにある食料を食べるかもしれない。
色々なことを考えるが、結局子猫の睨みつけるような視線に気圧された真夏は何もできずにその場を離れるのだった。
「………」
来た道を無言で戻る。
振り返って岩場の住処を見る。
子猫の荒い呼吸ももう聞こえない。
一歩ずつゆっくりと自分の足跡を辿る真夏。
(私に、何ができたのでしょうか…?)
立ち止まる。
(私に、何かできるのでしょうか…?)
自問自答し、置き去りにしたことを少し後悔する。
「やっぱり、無理やりにでも」
再度振り返る真夏。その先から子猫の叫びと、犬の鳴き声のような、ギャオーンという少し変わった鳴き声が響いた。
「はっ!!?」
嫌な予感。
この鳴き声に心当たりがある真夏。
「キツネ!?」
数日前の記憶がよみがえる。
「悪戯キツネ…!」
真夏は駆け出し子猫の元へ走る。
岩場で魚をかじるキツネが居る。
キツネは真夏に気付くとウォーンと遠吠えをあげて魚を持って逃げ去った。
「猫!子猫は大丈夫ですか!?」
駆け寄り、住処を覗き込むとお腹に大きなケガをした子猫がぐったりとしていた。
「うぅっ!」
一瞬戸惑ったが子猫を拾い上げる。
「ごめんなさい!すぐに病院に連れて行きますね!」
子猫を抱いて走り出す。
雪が強くなり、視界も暗くなっていく。
真夏はコートの内側に子猫を入れて温める。
「大丈夫です!動物病院はすぐ近くですよ。自転車で3分…この雪なら走った方がいいかもしれないですね…」
片手を地面につきながら登り、時折尻餅をつきながら下り、山道をできる限り速く進もうとする。
「治療して、元気になったらお母さんのお墓をつくりましょう…。最後までお母さんのために頑張ったんです、今度はあなたが精一杯生きて幸せになることが、最後にできる親孝行ですよ」
山道で蛇行する足跡。そのうねりをショートカットしようと新雪に足をつけた瞬間、真夏は滑って転んでしまう。子猫を庇うように肩から落ちて転がり、山の斜面を数メートル滑落して樹木に身体をぶつける。
「あぅっ!」
全身が痛む。特に最初に踏ん張った右の足首に激痛が走る。
「うぅうううぅ…!」
真夏は気合を入れて立ち上がり、右足を引きずるようにして進む。
「ふふ、すみません。すぐに連れて行きますからね…」
静かな子猫。
「元気に、なったら…。私と、一緒に暮らしましょう…。おんなじ独り身ですし、気が合うかもしれません…ね。…家はボロですが…これでも、少しは生活に余裕がでてきたんです…。猫一匹増えるくらい…どうってことないですよ…。…一緒に、ご飯を食べて…一緒に、寝て…。そしたら、私達はもう、家族ですよ…。…新しい…家族。楽しく、幸せに暮らして…親孝行しましょう…」
足が止まり、横たわってうずくまる。
雪は次第に吹雪となっていく。
意識が遠のいていくなかで、真夏は子猫の温かさを感じていた。
気を失っていたのはほんの数秒だった。
気を失い、真夏の手から離れた巨大なマタタビはいつの間にか消失していた。
マタタビの残り香に酔いどれる虎怪人と集まった猫達。
怪人の足元には恍惚としているスカーレット。
油断している怪人に銃口を向ける一色、しかし弾丸は放たれない。
(私が近くにいるから撃てないんだ…!)
真夏は立ち上がり、杖にしがみついて怪人の足元をかすめて飛ぶ。
スカーレットを片手で回収してぎゅっと抱きしめる。
「捕まえました!もう大丈夫ですよ!」
「うにゃぁ~ん」
腕の中のスカーレットは酔ったままで真夏には気付いていないようだが、虎の怪人はいち早く酔いが醒める。
身体のダメージが回復しない真夏はふらふらと飛び、正気を取り戻した怪人は一色との間に真夏を置くような位置取りを保って走る。数秒飛ぶとマタタビの影響を受けていない猫達が低く飛んでしまっている真夏に跳びつき再び真夏を転ばせる。
「きゃっ!?」
群れる猫の絨毯に墜落した真夏。怪人が転進して真夏に向かって突進すると周囲の猫は真夏から離れて小さなサークルをつくる。
「うがぁああああぁーーっ!!!」
「魔女っ!」
自分を襲う虎怪人から守るようにスカーレットを庇う真夏。
一色は真夏を守ろうと盾を構えて前へ出るが、怪人はそれを予測していたように距離を離すと猫の大群で一色のバトルフレームを覆わせる。
「!?」
「がぁああああぁーー!!!」
一瞬動きが止まる一色。呼吸を合わせたように一部の猫が離れてそこを怪人が爪で斬り倒す。
『軍曹!?』
倒される一色の機体。部下は一色の後ろから真夏を保護しようと近づいていたが2機のバトルフレームも猫に覆われて身動きが取れなくなった。
『くっ…!音響兵器で引き剥がすぞ!』
一色の指示で3機が一斉に音響兵器を放つ。
「ぎにゃぁーーーー!!?」
「ひぎゃぁああああーーっ!!?」
猫達は跳び散り、虎怪人と真夏は悶える。しかし、バトルフレームが戦闘復帰するよりも早く、怪人は真夏を襲うために拳を振り上げる。
(うぅっ…!)
真夏は苦しみながらも抱きしめたスカーレットを離さない。
(………暖かいにゃぁ…)
(守ります!なんとしても…スーちゃんは私の……!)
怪人から目を逸らさず気合を入れるが、現状を打破する方法が思いつかない。
「私がっ!守ります!スーちゃんは私の家族ですからっ!!!」
怪人の拳が下ろされる。
《ご主人はボクが守るにゃーーーっ!!!》
瞬間、怪人の巨躯を超えるほど大きな猫の前足が出現し、猫パンチで吹き飛ばす。
「!?!?」
数十メートル吹き飛ばされる怪人。
スカーレットは真夏の腕から這い出し真夏の前に立つ。
「うにゃぁあああっ!!!」
スカーレットの咆哮が猫を威嚇し、怪人から猫達を引き離す。
「スーちゃん…?」
『今だ!一斉射撃!』
14mmガトリング砲を持ち直して一斉に怪人に撃ち込む小隊。怪人は体中に弾丸を受けて崩れ落ちる。
「お…終わった…?」
《ご主人、それはフラグになるにゃ》
「な…何言ってるんですか、スーちゃん…」
正気になったスカーレットに微笑むが涙がこぼれ落ちる。
《…ご主人…?》
真夏はスカーレットを優しく抱きかかえた。
「スーちゃん…。あなたは何でこの世界に来たんですか…?」
《うん?ボクは魔法使いの使い魔になるべくして…》
「えっと、そうじゃなくて。どうして、使い魔になりたいんです…?」
《どうして…?》
きょとんとするスカーレット。
《…そう聞かれると、明確な答えは言えないにゃ…。…ただ、ただ何となく、家族ができる気がするんだにゃ》
「スーちゃん…」
にっこり笑うスカーレットに釣られて笑顔になる真夏は涙を拭う。
「そうですね。これから、私とスーちゃんは家族で…」
《でもギャルに拾われるのも捨てがたいにゃ~》
ムッとする真夏。すっと何かが冷めて冷静になり周りを見る。
「もう…。飛びますよ」
杖に腰掛けて飛び上がる真夏。先端にスカーレットを座らせる。
「あっ!魔女!待ちなさい!」
バトルフレームの1機がスピーカーで呼び止める。
『軍曹、魔女が逃げます』
『…今は怪人の処理と負傷している猫の保護を優先しましょう。飼い猫を帰す必要もあります』
怪人の洗脳が解けて散り散りにその場を離れていく猫達。帰り方が分からない猫やケガをした猫が沢山いる。
一色は真夏を追うことはせずに傷つけた猫の救護に向かう。
『…了解』
猫達に紛れて逃げを優先し飛び立った真夏はつーんとした態度。
「私だって、ギャルの遺伝子は流れてるんですよ。成ろうと思えば成れるんですから」
《怒ってるみゃ?ご主人はそのままでいいにゃ。無理せず今の優しいご主人でいいんだにゃ》
杖の先端に進行方向を向いてちょこんと座るスカーレットは優雅に風を受けている。
黒い毛並みには艶があり、緋色の瞳は凛と輝く。
「スーちゃんは憶えてないんですよね?ふふっ、結局猫並みってことですね~」
《にゃにゃっ!?にゃんだかバカにされた気分だにゃ。猫が猫並みでにゃにが悪いんだにゃ!?》
「あぁっ!暴れないでください、落ちちゃいますよ」
暴れるスカーレットを宥める。
《それよりもお腹がすいたにゃ!ごはんにするにゃ!》
「そうですね」
(この世界ではきっと、守り切ってみせます)
ひとり誓いを立てた真夏は進路を伊月パンに向けて速度を上げる。
「帰りましょう、私達のお家に」