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#6 クレーム



 エルドランド国会議事堂が見渡せるテナントビルの一画、落ち着いた雰囲気の喫茶店で浅見三子としょうの親子は中年太りのだらしない体型だが、優しさが滲み出る穏やかな男と同席している。

 注文した店のこだわりコーヒーが並び、三子は娘のカップに角砂糖を三つ入れてかき混ぜる。

「もぅ、お母さんいいって…!」

 晶は恥ずかしそうに隣の母親を小突いてカップを奪う。

「あなた、苦いの飲めないでしょう?別に森永君の前で気を張る必要はないのよ?」

 自分のカップに砂糖を一つ入れる三子。

 目の前に座っているのは自由人民党の議員、森永卓也。所属する党は違えど古くからの交流がある三子と森永。三子の死別した旦那の学生時代からの友人であり、三子が議員として活動し始めた頃からはよく世話になっている先輩議員だ。

「そうだよ、他の先生がいらっしゃる時はともかく、僕の前では普段通りでかまわないよ」

 森永は砂糖を入れずにそのままで、二人の議員が口元にコーヒーを寄せると二人のメガネが同じように曇る。

「あちちぃ」

 少しだけ啜ってカップを戻す森永。

「ふふっ」

 ふーふーとコーヒーを冷ます森永の仕草に微笑む晶。

「そういうことじゃないんだけどなぁ…。私ももう社会人ですよ?喫茶店で親に砂糖入れてもらうほど子供じゃないんですけど」

「あらやだ、反抗期かしら」

「ははは、晶ちゃんもやっと反抗期か」

 晶にとっては物心つく前から交流のある人物で、父親が死んでからは父親代わりになってくれることもあった優しいおじさんだ。

「そんなんじゃありません!いいですか二人とも、今日は一応選挙に向けた会合ですよ?複数選出区とはいえ森永さんのとこにも国政党の候補者が出る予定です。うかうかしてると落っこっちゃいますよ?」

「それは困っちゃうねぇ。今の国政党さんは勢いがすごいからねぇ…。おじさん無職になっちゃう。…信三が目指したエルドランドファーストの政党になっていくのは嬉しいんだけど、今の立場では危機感も高まるねぇ」

「今からでも国政党に移らない?」

 熱々のコーヒーを苦にすることなく上品に飲む三子。

「森永君個人の支持者は国政党に移った後もそのまま支持してくれるはずでしょ?方針は国政党と同じだし、支持者を裏切ることにはならないわ。森永君だって、今よりもずっとやりやすくなるはずよ」

 選挙に向けた会合、そういったものの実質は何度目かの引き抜き交渉だ。

(森永さんが来てくれれば国政党は一気に大きくなれる。与党内でも影響力がある政治家歴20年越えの大ベテラン。ぜひウチに来てほしい、というのもあるけど、腐敗した政治の象徴、自由人民党に居てほしくない。おじさんは権力の為に政治をやってるんじゃないって、信じたい…)

「そう言ってもらえるのはありがたいけど、僕にはまだここでやらなきゃいけない事があるからね。もうしばらくは自民のお世話になろうと思ってる」

 親子の思いを知っているのか、森永は優しい笑顔で意思を伝える。

「…そう…。それじゃあ、容赦なく知名度の高い人を候補に立てさせていただきますね」

 寂しそうな表情を少しだけ見せた三子だが、すぐに意地悪な顔をつくった。

「ち、ちなみにどんな人が立候補する予定なのかな…?」

「ふふっ…。保守的な発言をされてた人気タレントのⅯさんね。SNSのフォロワーも300万人を超えてる人気者って言えばわかっちゃうかしら?」

「えぇ…。300万…?強敵だなぁ…Ⅿさんかぁ…」

「国政党から出馬したいって連絡があって、面談を重ねて擁立することに決定したわ」

「こわぁ…。今の社会情勢、国政党の勢い、それだけの有力者ならほぼ当確じゃないかい」

 わざとらしくびくびくとしながらコーヒーを啜る森永。

「私達も彼の当選は堅いと思ってるわ。森永君が落ちるとは思ってないけど、与党の中核が比例復活なんて格好悪いことにならないようにね」

 意地悪だが三子の親しみのこもった笑顔に悪意はない。

「ぜ、善処します…」

 とほほとため息をつく森永。

 そのやり取りに微笑むが寂しさが残る晶のデバイスに着信が入る。

「あれ?一色いっしき…?ごめんなさい、ちょっとでてきます」

 席を離れる晶。

「彼氏君かな」

「高校時代の同級生、付き合ってはいないみたい。最近、きょうも一緒になってこそこそやってるのよ」

 店を出る晶の背中を見送る二人。

「三子ちゃんには秘密なのかい?」

「やろうとしていることはなんとなくわかってるのよねぇ…」

 眼下に国会議事堂を見下ろし憂う三子。

「こりゃ反抗期だね」

「やめてよもぅ…!」

 会合は冗談まじりでその後も続いた。



 朝の配送を終えたホルスと真夏は二階建ての喫茶店屋上駐車場でホルスおすすめのホットココアを飲んでいる。

 春とはいえ上空は寒く、飛んでいると体が冷えてしまう。そんなライダーをターゲットに展開されている空の駅が各地に点在している。ここは空の駅エールヒルトップ店。

「はぁ~…心まで暖まりますねぇ~」

「でしょ?ちょっと遠回りだけど寄る価値あるじゃんね」

《ご主人ご主人!ボクにも一口飲ませるにゃ》

 小高い丘の上にある喫茶店の屋上、首都エール南西部が一望できるその場所でホルスがエールを簡単に案内していた。二人は屋上の手すりにもたれかかり、スカーレットはその手すりの上に立って真夏のココアをじろじろと見ている。

「ダメですよ、ココアは猫の体にはよくないはずです」

《ちょっとくらいなら大丈夫にゃ~》

 前足を真夏の腕に乗せてココアをせがむスカーレット。

「あははっ、今のは何て言ったか分かる気がするじゃん」

「えへへ、諦めてくれませんね。ホットミルクでよければ買ってくるって言ってるのに」

《ミルクじゃなくてココアがいいにゃ!ミルクは飽きたにゃー》

「グルメな猫さんですねぇ…。それより、風も強いですし危ないから下りてくださいね」

 真夏は片手でスカーレットを抱きかかえて手すりから降ろす。

 手すりから身を乗り出しても店舗の真下を見ることはできないが、風に煽られて手すりから飛ばされれば屋上から落ちてしまいかねない。

《もー!ボクはそんなにやわな猫じゃないにゃ!ココアも飲めるし手すりからも落ちたりしないにゃ!》

「おぉぅ、怒ってるって感情が伝わってくるじゃんか」

「ダメです!ウチは健康第一、体が資本!が家訓です。自ら健康を阻害するようなことはさせられません!」

 スカーレットを遮ってココアを遠ざける。

《ご主人の生き方は地味だにゃー!ご主人の分からず屋ぁー!》

 めっと叱る真夏にスカーレットは牙を見せてフシューっ威嚇する。

「そ、そんなに怒ることないじゃないですか」

 突然牙を剥いたスカーレットに驚く真夏とホルス。スカーレットは手すりに飛び乗り二人を睨むがその表情は普段とは異なり野性味を帯びていた。

「ス、スーちゃん?」

「うにゃぁあああー!」

 手を伸ばす真夏に攻撃的な体勢をとるスカーレット。気後れした真夏がその手を引っ込めるとスカーレットは手すりの向こう側にぴょんと降りて建物の端に立ち地面を確認する、とそのまま屋上から飛び降りた。

「ひゃっ!?」

「スーさん!?」

 二人は手すりから身を乗り出すが地面の状況は見えない。しかし、数秒もしないうちに走り去るスカーレットの姿が見えた。

「えっ!?ど、どこ行くんですか!?」

「ちょっ!こんなとこで迷子になったら帰れないじゃんね!」

「追います!」

 真夏はまだ熱いココアを一気に飲み干して杖を持つ。

「まなっちゃん、あたしも!」

 杖に跨る真夏の後ろにホルスもくっついてココアを飲み干す。

「ホルスちゃん?エアドライブは?」

「飛行高度制限で捕まっちゃうじゃんね!」

 伊月パンの配送用エアドライブは飛行専用で地上を走ることができない。

「低いとこ飛んでたら捕まっちゃうんですか?」

「基本的な通行区分じゃん!まなっちゃんはエアドライブじゃないから大丈夫じゃんね!たぶん…」

 一瞬躊躇う真夏。その間にスカーレットが角を曲がって姿を消してしまう。

「しっかり掴まってください!」

 二人乗りした杖で手すりを越え、スカーレットを追って角を曲がるがスカーレットの姿はもうない。

「ど、どこに行ったんでしょう?」

 スカーレットを探して市街地を低く飛ぶ二人。周囲の注目を集め、カメラを向ける者も居るがそれを気にしている余裕がない。

「あっ!」

 と声を出したがすぐに口を噤むホルス。

 小道を全速力で走る猫を見つけたがスカーレットではない別の猫だった。

「猫違いじゃん…」

「猫違い…?あっ!いました!」

 今度は真夏が見つけて速度を上げる。

「あ…れ?…こちらも猫違いです…」

 真夏が見つけた猫も近づいてみると腹部に白い模様がありスカーレットではない。しかしこの猫もどこかへ向かって懸命に走っていた。

「なんか街の猫に落ち着きがないじゃんね」

 その後も探索を続け、数匹の猫を発見したが皆一様にどこかへ向かって走っていた。

「まなっちゃん、思ったんだけどさ」

 小一時間ほど周辺を飛び、探し続けてホルスが気付く。

「はい?」

「見かけた猫達みんな同じ方向に走ってるじゃんね」

「え?そうですか?」

 土地勘がない真夏は気付かなかった。

「うん、たぶんそうじゃん?だいたいあっちの方」

 ホルスが指差す先には建物があり、真夏は高度を上げる。

 視界が開けると遠くの方に大都市エールには希少な自然公園があった。他県と隣接する山地の自然を保護した公園だ。

「猿鳥山自然公園じゃん」

「山に向かってる…?スーちゃんも行っちゃったんでしょうか…?」

「可能性はあるじゃんね、猫にしか分からないでっかいマタタビでもあるのかも?」

 首をひねるホルス。

「どうしよっか?あそこまで行くんならウチのエアドライブ回収していきたいけど」

「…そうですね。スーちゃん戻ってるかもですし、一度喫茶店に戻りましょうか…」

 少し考えて喫茶店に向かって飛ぶ二人。

 伊月パンのエアドライブを回収に来たがスカーレットの姿はなかった。

「戻ってないみたいですね…」

「う~ん、やっぱり行ってみる?自然公園?」

 悲しそうな顔の真夏はため息をつく。

「私が、ココアをあげなかったから出て行っちゃったんでしょうか…?」

「最近はすごく懐いていたのにココアくらいであの豹変ぶりはないんじゃん?」

「…でも、スーちゃんの目的は魔法使いの使い魔になることですし、懐いてくれたのだって、私が魔法を使えるようになったからです…」

 真夏は遠くに見える猿鳥山を見据える。

「スーちゃんが見ていたのは魔法を使えるかもしれない私と、魔法を使えるようになった私。一度だって私自身を見てくれたことはないのかもしれません…。きっと私のことが嫌いになって他の魔法使いを…」

「あぁ~!もう!これだからまなっちゃんは!」

 ヘルメットを被って装備を整えたホルスは腰に手を当てて真夏に活を入れる。

「まなっちゃん!前にも言ったじゃん!魔法ってのはこの世界では廃れた文化。魔法使いはとんでもなく希少な存在なんだよ!?魔法使いの使い魔になることが目的なら尚更ココアで飛び出すのはおかしなことじゃんか!」

「そ、そうでしょうか…。目的を達成した途端冷めちゃうタイプだったのかも…」

(面倒くさいネガティブじゃんね)

「はぁ…。まなっちゃん。とにかくスーさん探してあげないと、自分じゃ帰れないはずじゃん?もしスーさんが困ってたとして、まなっちゃんは放っておけるの…?」

「そ、それは…。すみません。行きましょう」

 頷き合って飛び立つ二人。

 遠くに見えた山にも飛んで行けばものの数分で到着する。

 鬱蒼とした森林。光が遮られ、薄暗く空気が冷たく感じる。

「空から探すのは無理じゃんね。かと言って森林の中をエアドライブで飛ぶのも難しいし…」

「私なら行けそうです。小回りが利きますし」

「でも、一人で大丈夫?」

「はい」

(…一人なのは慣れてますし…)

「この山にスーちゃんが向かったとして、走ってくるスーちゃんはまだ来てないかもしれません。追い越した可能性もありますし、ホルスちゃんは山の周囲を見てくれますか?」

「うん、それは良いけど、気を付けてね」

「はい、ホルスちゃんもお昼の配達には間に合うように時間、気にしてくださいね」

「た、確かに!すっぽかすとかーちゃんに殺される…!」

 二人が手分けして捜索に向かおうとした時、短いサイレンが鳴らされて見たことのある覆面パトカーが赤色灯を回して現れる。

「はーい、そこの二人、安全な場所にゆっくりと着陸しなさーい」

 聴いたことのある声がスピーカーを通して出てくる。

「えっ?警察?何しに来たじゃんね」

「あれって…」

 真夏がパトカーの運転席をじっと見つめると見覚えのある顔、鷹司舞杏たかつかさまいあんが勤務中に堂々とタバコを吹かしながら乗っていた。

「あーっ!パイセンにしょっぴかれた酔っ払い刑事じゃん!?」

 ホルスも気付いて声を上げる。

 真夏とホルスは着陸の指示を無視してパトカーに近づく。

「あれれ~?脱獄っすか~?」

 運転席に寄り、声が届く距離まで近づくと窓が開けられる。

「こらこら君達、大人をからかうもんじゃないよ。その件ではこっぴどく叱られてしまったからね。ホントあの課長は…。残り少ない髪を毟ってやろうと何度思ったか…。まあ私は大人だからね、そんなことはしないけどさ」

 あははと笑う舞杏。

「でもよかったです。私の所為で無理をさせたみたいで、心配してました」

「気にすることはないよ。私は職務を全うしただけだ。ただちょ~っとだけその過程に不備があっただけさ」

 クールに大人な対応を見せる舞杏だが、部下と上司に泣きすがり始末書だけで済むように駄々をこねていたのは六課だけの秘密である。

「それよりも君達、通行区分は心得ているね。地上付近を飛ぶ君達が動画付きで通報されていてるんだけど、指導が必要かな?」

 ニヤリと笑う舞杏。

「ちょっとちょっと!まなっちゃんのはエアドライブじゃないじゃんね!交通法は適用されないじゃん!?」

「ん?それはどういうことかな?」

「あ、えっと、それは…」

 もじもじとする真夏に対してホルスが胸を張り自慢気に答える。

「まなっちゃんは魔法で空を飛ぶ立派な魔女じゃんね!」

「な、な、なんだってー!?」

 どこかわざとらしい舞杏。

「それが本当なら歴史的快挙になるぞ!飛行魔法の復活なんて実に500年ぶりじゃないのかい」

「あ、いえ、そのぉ…正しい手順での復活ではないので、あまりお気になさらず…」

 大事にしたくない真夏はなんとかこの話を終わらせたい。

「しかしながらだよ少女たち!だからといって通行区分を無視して飛んでもいいことにはならないのだ!高速道路を自転車で走ることはできないだろう?区分けされているのには理由がある。見通しのきかない地上でブレーキ性能の低い飛行行為は危険であると、免許を持っている君ならわかるだろう?」

「まなっちゃんの魔法は乗ってる人を吹っ飛ばすくらいのブレーキ性能があるじゃん!」

 伊月パン駐車場でdaysonが一瞬にして進行方向を反転したことを思い出す。

(あれは~、コントロールできなかっただけなんですけどぉ…)

「それは、素晴らしい性能をしているのかもしれない。だがしかし!飛行する以上は交通ルールに基づいて行動してもらわなければ他の交通に迷惑がかかるだろう?」

「飲酒運転の不良警官に言われたくないじゃんねー!」

 強気の姿勢を崩さないホルスに舞杏は頭を抱えた。

「あ痛たた~…。それを言われちゃうとお姉さん泣けてきちゃうんだけど…」

「あ、あの!今はぐれた猫を探してて、少しだけ見逃してもらえませんか?」

「はぐれネコ?う~ん、そうしてあげたいのは山々なんだが…。実は君達を補導したりしたいわけじゃなくてね、今ネット上で謎の魔女の存在が騒がれているんだよ。なにかと騒動になる前に対処したいってのが本音でね。今日は大人しく引き下がってくれないかな」

「えっ!?」

 ホルスはデバイスでSNSを確認する。

「げっ!マジじゃんか!全国区で魔女がバズってるじゃん!画像もばっちり撮られてるじゃんね」

 ネットにアップされた画像を真夏に見せる。

 魔女衣装の真夏とホルスの二人が杖に乗って飛んでいる画像。

「えぇ~…。目立ってます…?」

「まなっちゃんがそんな恰好で飛ぶからじゃんね」

「こ、この格好だと調子が良いんですよー…」

「スーさん、どうしよっか…?まなっちゃん、不法入こ…。あんまり目立つといけないだろうし…」

「…心配ですが…。スーちゃんも出会うまでは独りで生きてきたはずですし、日を改めましょうか…。身動きできなくなれば探すことも出来ませんし…」

 名残惜しく自然公園を見つめる真夏。

「真夏君、その姿は目立つからね、送っていくよ」

 パトカーの後部ドアが開き、真夏はゆっくりと乗り込む。

「ご厄介になります…」

 舞杏はタバコを消して頷きパトカーの行き先を設定する。

「お嬢さんは、自力で帰れるね」

「もち、こっちに不備はないじゃんね」

 パトカーとホルスは伊月パンへ向かって飛ぶ。

 真夏はパトカーの車内でスカーレットと離れてしまった喫茶店を見つけてため息をついた。

(個人で飛ぶことが普通になった世界でも、杖一本で飛ぶのは目立ってしまうようです。考えなしに飛び回ったのは失敗でしたね…。目立たないように飛べたらいいんですけど…)

 再びため息。

「ネコ、心配かい?」

「は、はい…」

「彼らは警戒心が強いからね。危険を感じれば身を隠す習性もある。そう簡単に危険なことにはならないと思うよ」

「そうですよね。また明日、目立たないように探してみます…?」

「うん、応援しているよ」

「…あ、あの…!」

 何かを思いついた真夏は舞杏に問いかける。

「ん?」

「このパトカーが見えなくなるのって、どうしてですか?」

 公安の覆面パトカーは空を背景にした場合、肉眼で見つけることができなくなるくらいのステルス状態をつくれる。性能は落ちるもののそのステルスは地上でも有効だ。

「あぁ、キミにはステルス解除する瞬間を見られてたね」

 舞杏は一息ついて答える。

「技術的なことにはあまり詳しくないけどね、蜃気楼の応用らしい。パトカーを中心に空気の温度差を細かくつくりだすことで弧を描くように光を曲げているんだよ」

「光を、曲げる…?」

「100%狙い通りに曲げられる訳じゃないから近くで見るとぼやけたりするし、他にも欠点があるけど…」

 舞杏がルームミラーで後ろの様子を窺うと真夏はぶつぶつ呟きながら深く考え事をしているようだった。

「…透明化に興味があるのかい…?生身で使えるのならとんでもないステルス性能になるのだろうね…」

 舞杏の呟きは真夏には届かなかった。

 


 伊月パン駐車場。黒塗りの高級車が停まっている場所のすぐ隣に舞杏は覆面パトカーを停車する。

「今日はもう大人しくしているんだよ」

 パトカーを降りる真夏に忠告する。

「はい、お世話になりました」

 ドアを閉めて一礼する真夏。舞杏はクールに片手をあげて去っていく。

 少し遅れて帰ってきたホルスがすれ違いざまにバイバイと大きく手を振った。そのまま店の裏手に向かうホルス。真夏も追うように店に向かうと黒塗りの高級車の後部から男が降りて真夏に声を掛ける。

「キミが真夏さんかな?」

 高級スーツで身を包み、お高そうなゴールドの時計で時間を確認する。自信と気品を漂わせる笑顔の男は軽い会釈を済ませると真夏に歩み寄る。

「へ?は、はい…」

 自分を呼ぶ謎の男を警戒する。

「キミが魔法を使えるという噂を耳にしてね。少し話を聞かせてもらえないかな」

 男の笑顔に敵意は感じない。

(なんだか、不自然な笑顔…?悪い感じはしないけど…。なんで名前を知ってるんだろう…?)

「あ、あのぅ…。なんで私の名前を…?」

「あぁすまない。自己紹介が先だったね。私は明智新六あけちしんろく、この国で国会議員をやっていて、色々と情報が集まる場所に身を置いているんだ。キミが鳥人型怪人からパン屋の看板娘を助けたり朝の散歩でパンダの怪人に襲われたりしたこととかね、怪人関連で一般には伏せられる情報もしっかりと入ってくるんだ」

 黒塗りの高級車の運転席にはサングラスをした男が静かに座っている。駐車場の反対側に同じような高級車が停められていて、同じようにサングラスをした男女がこちらの様子を窺っていることに気付く。

(国会議員…!?そんな偉い人に名前を…。逮捕案件でしょうか…)

 警戒心を強める真夏。しかし明智は笑顔を崩さない。

「お昼はもう食べたかな?話を聞かせてもらうお礼にパンをご馳走させてくれないか」

(え、えぇ…。どうしましょう…。これは断ることができない感じですか?ここは大人しく従っておきましょう…)

「た、大した話などできませんが、それでよければ…」

 真夏はてへへと下手な愛嬌を振りまいて明智をパン屋へ案内する。

 店に一歩入ると明智は大きく息を吸い込む。

「……はぁ~…。焼きたてのパンの匂いとはいいモノですね。食欲が食欲がそそられるよ」

 店内を見渡す明智。

 焼きあがったばかりのパンをケースに並べる女将の姿があった。

 女将は客の中に真夏を見つけるとおかえりと声を掛けた。

「は、はいぃ…。た、ただいま戻りましたぁ」

 ぎこちない真夏の態度に異変を察した女将はすぐにその原因に気付く。

「ちょうど焼きあがったパンもあるみたいだね。さあ、真夏さん、好きなものを選びなさい。それからこの店のおすすめも教えてくれるかな」

 ショーケースを見ながらにこやかにパンを眺める明智。そのショーケースの奥では女将の表情が険しくなっていく。

「真夏ちゃん。ちょっとこれはどういうことかな?」

 女将の視線が真夏を刺す。

「へっ!?は、はい!えっと、この人は…」

「あぁすみません。真夏さんの保護者さんだったかな?私は…」

「ウチは庶民向けの店だからねぇ、上級国民様向けのパンは置いてないんだよ」

 真夏の言葉を遮り自己紹介をしようとした明智をさらに遮る女将は鋭い眼光を向ける。

「おやおや手厳しい。自己紹介は必要ないようで…」

 冷たい態度の女将だが明智の表情はにこやかなままだ。

「ウチは国政党を推してるからね。自由人民党様にはお引き取り願いたいものさね」

「ははは、困りましたね。私はただ真夏さんに魔法の件でお話を伺いたいだけなのですが」

「ウチの子に手を出すのはやめておくれ。魔法について知りたいなら図書館にでも通いなさいよ。真夏を広告塔として政治利用することは許さないよ」

「そのようなつもりはないのですが…」

 笑顔は崩さないものの困った様子の明智。

 周りの客が明智の存在に気付き始める。

「わかりました。保護者にそう言われては無理強いできませんね。しかし真夏さんにパンをご馳走すると約束しましたので、彼女の好きなパンを奢らせてください」

 明智の視線が真夏を促す。

「ふぇっ!?あ、はい…。では照り焼きチキンとたまごのサンドウィッチをお願いします…」

 明智は頷き懐から高級財布を取り出す。

「お幾らですか?」

「五千円だね」

 通常五百円の照り焼きチキン&たまごのサンドウィッチだが、女将は感情無く答える。

(ごっ!五千円!?…女将さん、それはぼったくりでは…!?)

「上級国民価格でね、払えないならさっさと帰りな」

 女将の態度に動じることなく明智は財布から五千円札を出してショーケース越しに女将に渡す。

「それでは真夏さん、話はまた今度ということで。今日のところは退散させていただきます」

「は、はい…?あ、ありがとうございました…」

 終始笑顔の明智は女将にも手をあげて挨拶を済ませると店から出て行く。

「ふん!いけ好かないヤツだね!」

 女将は照り焼きチキン&たまごのサンドウィッチと明智からの五千円を真夏に渡す。

「もうあんなヤツに絡まれるんじゃないよ」

「へ?お金…?」

「いらないよ、あんなヤツの金なんてね!」

 業務に戻る女将。

 真夏はサンドウィッチとお金を見比べる。

(五千円のサンドウィッチ…)

 五千円札にはどこかで見たような少女、国民的日常アニメのキャラクター。

(ぽちゃまる美ちゃん、ですか…)



 真夏が自室で昼食のサンドウィッチを食べ終わると浅見皛あさみきょうが訪ねてきた。

「真夏ちゃん、居るって聞いて来たけど居る~?」

 呼び鈴を鳴らさずにドアをノックして声を掛ける皛。

 まだ声で誰だか判断できない真夏は恐る恐るドアを開ける。

「は、はいぃ…。あ、晶…。皛さん」

「正解。お姉ちゃんのほうだよ。色々と調べてきたから、途中報告しにきた」

(皛さん、見かけによらずアグレッシブなところがありますよね…)

「あ、ありがとうございます。助かります」

 皛を招き入れてテーブルを挟んで座る。

「う~ん…。うん?」

 部屋の中をきょろきょろと見回す皛。

「…どうかしました?」

「今日、ケダモノ師匠はお留守かな?猫用のおやつ持ってきたんだけど」

「…スーちゃんは今出て行ってまして…」

「そう、まぁにゃんこはふらっと出て行っちゃうからね。帰ってきたら食べさせてあげて」

「はい、ありがとうございます…」

 皛は猫のおやつをテーブルの端に置くと持ってきた資料をテーブル中央に並べる。

「まずはこれかな。その、スーちゃんだっけ、ケダモノ師匠は使い魔になりたいって言ってたんだよね?」

 一枚の挿絵が描かれた資料を差し出す皛。

「魔法文明全盛期、おおよそ千年前なんだけど、その頃の魔法使い達は動物を使い魔として使役していたのは間違いないみたい。動物に魔法をかけて巨大化させたり、賢くしたりすることで一般的な使役動物よりも有用な存在にしていたみたい」

 資料の挿絵は人よりも大きな豹のような動物が描かれている。

「長年使い魔として扱われていた動物は主人との間に魔力の繋がりができて、主人の魔力を使って使い魔の意志で魔法を行使することもできたみたい。スーちゃんは何か自分で使いたい魔法があるのかもしれないね」

「スーちゃんが使いたい魔法?スーちゃんは魔法で何がしたいんでしょうか?」

(私はスーちゃんの願いを叶えてあげられるのでしょうか…)

「仮説だけどね。まぁ、それは本人に聞くとして。当時、使い魔の利用目的は主に戦闘用。現代では御伽噺のようにされてるけど、魔法使いは人ならざるものと戦っていたって記録もあるんだよ」

「人ならざるもの…?」

「妖怪や怪物、魔物といった創作上のモンスター。今でいう怪人、かな」

「え…?怪人…?でも怪人って…」

「うん、怪人は30年くらい前にエルドランドに初めて現れたってことになってる。最初はエルドランド警察と自衛隊が怪人と戦ってた。被害も出てたみたいだね。それから工業用ロボットを対怪人用に改造したりして、現在では防衛省が対応に当たっているってのが怪人騒動の歴史。でも怪人は千年前に世界各地に現れていた可能性があるんだ。私の調べでは各地に伝わるモンスターの初登場の時期は千年前に重なっているんだよね。そしてこのモンスターと当時の魔法使い達が戦っていた…」

「…怪人の起源に迫る話ですよね…?防衛省の人達は知っているんでしょうか…?」

「記録が曖昧で伝わってないかも。調査でもモンスターを殺す、とか倒すじゃなくて、解放した、みたいな表現だったりするし、私の解釈が間違ってるかもしれない。もしかすると解放、リベレーションっていう魔法で対処してたのかも…」

 皛は話しながら考えをまとめている。

「とにかく、真夏ちゃん、魔法使いは怪人と戦えるってこと」

(確かに、元々は魔王みたいなのと戦う想定で貰った転生特典。怪人とも戦えるんでしょう…。ただ、怪人と戦うのは防衛省のロボットで十分な世界ですけど…。スーちゃんは、怪人と戦いたいんでしょうか…?千年前の魔法使い達は怪人と戦って、解放…?してた…?使い魔が戦うことを使命としていたなら、スーちゃんは戦いたくて魔法使いを探してたの…?でもそれは千年も前のお話で…)

「あれ?怪人はなんで千年も姿を消していたんでしょうか…?」

「そうなんだよね、一度は絶滅したはずの怪人は千年経って復活した。今エルドランド名物になってる怪人騒動は序章で、今後世界各地に怪人が広まっていくのかも」

「現代の怪人騒動はまだ序章だったってことですか…?」

「その可能性もあるかなってことで。まあ、序章だったとて現代の怪人は恐るるに足らずだよ。エルドランド以外で出現するようになっても十分対処できる時代だからね」

「そう、ですね」

 皛は別の資料を差し出す。

「で、女神リェン様が何を危惧しているのか。それを知るために転生者の情報とかも集めてて、転生者の共通点を調べてるんだよね」

「共通点」

「うん、中には自称のニセモノも存在してるから、本物の転生者を見分ける為にも必要かなって。それで、今のところ有力な共通点が二つ。身も心も清らかであること、そして天涯孤独の身の上であること。真夏ちゃんは当てはまってるかな?」

(共通点、つまり転生するための条件ってことですか)

「清らかかどうかはわかりませんが、天涯孤独と言われればそうですね。独りぼっちだったかもしれません…。でも、リェン様は転生って非常に稀なことって言ってましたから、それだけの共通点じゃないと思います」

「まあね、今のところってことで、こっちももっと調べてみるよ」

 皛は荷物をまとめて立ち上がる。

「じゃあ、今日はこのへんで。いや~、本物の転生者が居ると捗るよ~」

 嬉しそうな皛。

「ありがとうございます、わざわざ来てもらって」

「ううん、趣味みたいなものだから。あとごめんね、しょうだけど、お裁縫にてこずってるみたい。ドレスはもうちょっとかかるみたいって、伝言ね」

「あ、はい。楽しみに待ってますって伝えてください」

「オッケー。じゃあ、また来るね」

 途中報告を終えてウキウキで帰る皛。

 自室で独りになる真夏。

 スカーレットが帰ってくる気配はなく、皛の残した天界孤独という言葉が寂しさを膨らませた。



 夕食を終えて、ホルスと翌朝の配送が終わりしだいスカーレットを探しに猿鳥山自然公園へ行くことを約束した真夏。自室に戻り就寝の準備を済ませる。ベッドに横になって部屋を暗くすると天井をぼうっと見つめてため息をついた。

(スーちゃん…。この間まで野良生活してたから独りでも大丈夫だとは思いますが…心配です…)

 顔まで布団をかぶる。

(はぁ…。スーちゃんにとって私は代わりがきくただの魔法使い…。魔法が廃れた世界とは言え魔法はありますから、ギャルな魔女なんか見つけたらすぐそっちに行っちゃいそうです…。明日ちゃんと見つけて、しっかり話をしましょう。スーちゃんが何をしたいのか、どんな暮らしをしてきたのか。スーちゃんの意志を捻じ曲げてまで一緒に居ることはできませんから…)

 ほんの数日共に過ごした同居人が居なくなることを想像する真夏に声をかける。

(こんばんはぁ~)

 甘ったるい声が真夏の脳に直接響く。

「ひぃーっ!!?」

 飛び起きて真っ暗な空間のなか布団で身を守るように防御態勢をとる。

「だっ!誰ですかっ!?く、曲者!曲者ですっ!」

「曲者とは失礼ですねぇ」

 曲者と思われる者が指をパチンと鳴らすと神々しく美しい女性、女神リェンが姿を現した。

「え?女神様!?」

「はいぃ、女神様ですよぉ」

「な、何でここに!?って、ここどこです!?」

 真っ暗な空間が自分の部屋ではないことに気付く。

「ここはぁ、真夏さんのぉ、夢の世界ですねぇ。お会いできるのがここだけなのでぇ、お邪魔させていただきましたぁ」

「ゆ、夢の世界…?」

(暗っ!私の夢真っ暗じゃないですか!)

(ご心配なさらずにぃ、私がお邪魔させていただく際に、都合の良いかたちに変換しましたので~)

「こぉ心に直接語り掛けてくるこの感じ、もはや懐かしい」

 いつの間にか消えている布団。真夏は防御態勢を崩して正座でリェンに向き合う。

「そ、それで、えぇと…。わたくし、何か粗相を…?」

 突然の女神の来訪に緊張する真夏。

「どうか楽にされてくださいぃ。真夏さんがぁ、ピンチみたいなので助言をと思いましてぇ」

「ピンチ…?私が……!ピンチと言えば!女神様!?私この世界に来た瞬間に死にそうになったんですけど!?」

 空中に投げ出されたことを思い出した真夏はリェンにむすぅっと不服を伝える。

「それはぁ……。すまんて!ほんっとうに申し訳ないと思ってるって!私だってぇ、貴重な転生権利者を速攻で失ってしまうのではないかと滅茶苦茶焦ったんですよぉ」

 リェンは女神の威厳もなく低姿勢で謝る。

「この世界に楔を打ち込むつもりで送り出したんですけどぉ…。科学の発展とは目をみはるものがありますねぇ」

 てへへと自分で頭をこつんと叩くリェン。

「ど、どういう意味ですかそれ?まぁ…結果オーライ、みたいなのでいいですけど…」

 結果的に伊月パンに転がり込めたことには満足している真夏。

「それより女神様、私はこの世界で何をすればいいのでしょうか?思っていた世界とは違ってて…。あ、もしかして送る世界も間違えたとか…?」

「いえいえ、この世界が私の世界で間違いありませんよぉ。真夏さんはぁ、この世界を救うという気持ちを持っていていただければそれでかまいません。現にあなたはもう敵側のトップとも接触されてますしぃ、真夏さんの第二の人生のついでに世界を救ってもらえればいいのですからぁ」

「そんな、ついでで出来るようなことで……!?今敵側のトップと会ってるって!?」

「まぁまぁ、ここでの会話は夢朧気にはっきりと憶えることはできませんからぁ。大切なことだけをしっかり憶えて帰ってもらいたいんですよぉ」

「大切なこと…?」

「はいぃ。あなたの猫さん。ちゃんと大切にしてあげてくださいねぇ」

「スーちゃん…?……で、でも…」

(スーちゃんは私のこと、代わりのきく魔法使いとしか思ってないんじゃ…)

「それは仕方ないことなんですよぉ。真夏さん同様、猫さんに転生特典が付与されたのもこちらの世界に来てからですしぃ、前の世界の記憶なんて、それこそ猫並みの記憶力に残ってるものだけなんですよぉ。真夏さんのこともぉ、しっかりと憶えてはいないのでしょうねぇ」

「へ…?」

(スーちゃんも、転生してきたんです?…それより、前の世界で私と…?)

 真夏は前世の記憶を思い出そうとする。

「もう時間ですねぇ。それでは、ちゃんと伝えましたからねぇ。猫さんは大切にしてくださいよぉ」

「えっ!?ちょっと!まだ何にも…!」

 真夏はリェンに手を伸ばすが、ベッド横に置いたデバイスが朝のアラームを鳴らして目を覚ます。

「……っ!」

 バッと体を起こして周りを見る。

 薄暗い自室。リェンはもういない。

 胸元に流れ落ちた涙がほんの少しだけ温かい。

「…スーちゃん……?」

 自分が泣いていることに気付いた真夏、スカーレットの定位置にその姿はない。



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