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#2 異世界新居とルームメイト



 伊月パン。創業50年を超える地元に根付いたパン屋さん。三代目大将、伊月貌栖いづきかおすの朝は早い。

「ふ~、ふ、ふ~ん」

 日の出前、まだ暗い朝5時に母屋を出て店舗の裏口から店内に入る。

 聴くに堪えない下手な鼻歌は決して人前で歌われることはなく、それは仕込みをする彼以外誰も居ない時間帯だけで流れる店のBGMとなっている。

「ふー!ふっふふ~ん♪」

 材料をそろえてミキサーでこねる。できあがった生地を取出して貌栖自身の手で再度こねる。生地の状態をその手で確認するのは代々続く伊月パンの伝統だ。時にやさしく包み込むように、時に情熱的に叩きつけるようにして生地を仕上げる。

「ふーーっ!ふっふふー!♪」

 鼻歌も貌栖の感情に合わせてメロディが揺れる。

「あ、おはようございますぅ」

「はうわっ!!?」

 聖域となった朝の店内に土足で踏み込んだのは昨日伊月パンに現れたイレギュラー。

 気配に全く気付かずに驚いた貌栖だが、寡黙な男として評判な彼は平静を取り繕う。

「お、おう。はやいな。ちゃんと眠れたか?」

「はい、おかげさまで、ぐっすりでした」

「そうか?朝食は6時半からだ、まだ寝てても良いんだぞ」

「私、新聞配達をしていたので早起きする習慣がついちゃって、お店に明かりがついてるのに気付いたのでお手伝いできないかと馳せ参じました」

「偉いな。ホルスはいつも母親に叩き起こされてるってのに」

 真夏を褒めつつも頭を悩ませる貌栖。ほぼ自動化された店舗経営に素人が出来ることは少ない。

「それじゃあ壁面、ガラスやショーケースなんかを磨いてくれるか」

「了解しました。ぴっかぴかに磨いてきます」

 返事をしてその場を離れた真夏が見えなくなってもまだ貌栖の心臓はバクバクと大きく脈打っていた。



 一階の清掃を終えて二階に上がる真夏。

 壁面の清掃を命じられたことにはすぐに納得がいった。床面の掃除はロボットが行っており、それは階段も例外ではなかった。

(この広さの店舗を大将と女将さんだけで切り盛りできるのはロボット達のおかげなんですね)

 共に働くロボット達の邪魔にならないように自分に与えられた仕事を全うする真夏。

 磨いた窓ガラスの向こう側が明るくなり始め、ご近所の民家にも明かりが灯る。

 ホルスと出会ったビル群から少し離れた商業地域。前世からしてみれば都会であるがこの世界では比較的落ち着いた地域に伊月パンはある。敷地には店舗の他に駐車場と、裏には倉庫と伊月家の母屋がある。真夏が住まわせてもらうことになったのは倉庫の二階、以前住み込みで雇われていた従業員の居住スペースだ。倉庫は古く、ワンルームのその部屋も数年使われていなかったが前世のボロ家よりも安心感を持てる建物だった。

(ホルスちゃんも配達は学校がない日のお小遣い稼ぎらしいし、従業員さんが居なくなったのも自動化が進んで仕事が減ったから?だとしたら私を置いておくのは伊月パンにとって重荷ですよね…)

 国道に面する駐車場でも掃除ロボが働いているのが見える。

(やることがなくなってしまいましたね…。大将さんに指示を仰ぎましょう)

 掃除用具を片付ける。用具入れの奥の方には忘れ去られたかのように仕舞われているスティック型のスーパーウルトラダイナミックハイパーターボサイクロンな掃除機daysonがあった。

「あ、デイソン…。この世界では旧時代の遺物なんですね」

 忘れ去られるdaysonを自分に重ね合わせて寂しさを覚える真夏。

(私も頑張らないと要らない子扱いされてしまいます)

 気を引き締めて大将の元へ向かう。

「おう、終わったか。もうすぐ飯の時間だ、皐月の方を手伝ってやってくれ」

「りょ、了解しました…」

 意気込んで手伝いを申し出たものの出来ることが少なく自分の価値を見失う。

(ホルスさんが学校の日に配達の手伝いとか出来ればいいんですけど、空飛ぶバイクの免許とか持ってませんし、何か私にできることはないでしょうか…?)

 前日の夕飯を供にした伊月家のダイニングを目指して母屋の扉に手をかける。鍵はかかっておらず、ゆっくりと扉を開く。

「お、おはようございますぅ」

 大将の話では女将は起きているようだが静かに扉の向こうを窺う。

 玄関からダイニングに明かりがついているのを確認できたが人の気配はしない。

「女将さ~ん?朝食のお手伝いに参りましたぁ」

 真夏が家の中へ入ることを躊躇い玄関先でもじもじしていると、二階からドアを開ける音が聞こえ、続いて小さくアラームの音も聞こえてきた。

「ホルス!時間だよ!さっさと起きなッ!」

 早朝とは思えない女将の大声と、フライパンを叩き鳴らす音が家中に響き渡る。

「ひぇっ!?」

 その怒号にも似た女将の声に怖気づく真夏。

「もー!やーめーてっ!あと5分ー!」

 勇敢にも女将に立ち向かうホルス。しかし、ドン、と何かが落ちる衝撃音が玄関まで伝わる。

「痛ッ!」

「いい加減一人で起きれるようになりなさい!ほら、支度しな!」

 ドッドッドっと足音が階段を下りてくる。

「おや、真夏ちゃん、おはよう。朝ごはんもうできるからね、座って待ってな」

「ひゃ、ひゃい、おはようございます…」

 女将の気迫に押されて言われるがままダイニングのテーブルに着く。

 しばらくして目をこすり、お尻をさするホルスが現れる。

「まなっちゃ~ん、おはよ~」

「おはようございます、大丈夫ですか?」

「え?あ~、うん。ベッドから墜落しただけじゃんね、いつものことよ」

「いつもじゃ困るんだけどねぇ」

 恐い顔をして食事を運んでくる女将。伊月家の食卓に和食が並んでいく。

「寝る子は育つって言うじゃん」

「自分で言いなさんな。真夏ちゃんを見習いなさいよ、早起きしてお店手伝ってくれたんだから」

「え?マジヤバじゃん、偉~い」

「恐縮です」

 食卓が整うのを見計らったかのように寡黙な男が店の仕込みを終えて帰ってくる。

「おはよ」

「おう」

 親子の短い挨拶が済んで女将が席に座るのと同時に家中に大音量のアラームが響く。

「ひゃい!?ななな、なんです!?」

 その警報音に真夏だけが驚いた数秒後、アラームは落ち着いた男の声でアナウンスに切り替わる。

『怪人警報、怪人警報。こちらは防衛省です。ただいま、エール中央区ニューリバーにて怪人の出現が確認されました。現在地点の脅威判定はCランクです。今後の怪人情報にご注意ください。繰り返します。こちらは防衛省です………』

「Cランか~」

 ホルスは小さく呟きながらテレビをつけると国営放送にチャンネルを替える。防衛省の緊急報道番組が放送されて怪人を遠くから俯瞰する映像が流されている。

「えぇええええ!?」

 モニターが怪人を拡大して映すとそこにはヒツジと人間を混ぜ合わせたような怪人がビルの壁に体当たりを繰り返し暴れまわっていた。

「おぉ~、駅前じゃん。ワンチャン休校もありえるじゃんね」

 テンションを上げるホルス。寡黙な男は両手を合わせて小さな声でいただきます、と言って食事を始めた。

「怪人!?怪人って!え!?」

(め、女神様!?まさかこれをどうにかしろと言うのですかー!?)

 焦る真夏をよそに伊月家は落ち着いている。

「真夏ちゃん、怪人は初めてかい?」

「へ!?は、はい。初めて見ました、です!」

「そう…。何故かエルドランドでしか出てこない怪人、極端に怖がる必要はないけど、危険なものであることには間違いないからね。怪人警報が出されたらまずは頑丈な建物に避難するんだよ」

「頑丈な建物?」

「具体的には築25年以下の建物さね。法律で怪人やバトルフレームの攻撃に耐えられるような創りで建てられてるからね。あとは商業施設なんかは避難者を受け入れる義務があるから、古そうに見えても改築されてるはずだよ。ウチの店もBランク以上の判定で自動的にシャッターが下りたり対策されるから逃げておいで」

「まなっちゃん、デバイスないじゃんね。誰も居ない時お店開かないんじゃん?」

「あぁ~、それもどうにかしないとねぇ…。個人情報とデバイスを紐付けできれば閉ざされた商業施設やシェルターにも入れるからね…」

 そのどちらも持っていない真夏。

「うぅ…。すみません」

「ウチに居る時は良いとして、外出先で怪人警報が出たら避難所が閉まる前に避難すること。できなければ…」

「できなければ…?」

「全力で怪人から逃げな」

「体力勝負ですね…自信ないです…」

(逃げる…。というか、私はあれと戦わなければならないのでしょうか?)

 モニターに視線を戻す真夏。暴れ続けているヒツジの怪人に向かって行く三機の人型ロボットが映される。

「あー…。一色軍曹じゃないじゃんね」

 残念そうに声をだしたホルス。ロボットが銃を怪人に向けると同時に映像が切り替わり、スタジオのアナウンサーが怪人の出現場所と被害状況の詳細を伝え始める。

「まぁ、ヒツジの怪人って弱そうだし一色軍曹が出るほどじゃないかぁ」

(あれが弱そう、ですか?)

 周りの建物と見比べて3メートルほどありそうな巨体で暴れる怪人を弱そうと一蹴するホルス。

「さっき映ってたロボットはなんです?」

「ん~、バトルフレームじゃんね。建築作業にも使われる人型汎用ロボの軍事バージョン。エースパイロットの一色軍曹がめっちゃイケメンなんだよ~」

 嬉しそうなホルス。

 世界中で広く使われる人型汎用ロボット。建築機械として使われてきた中でロボット競技用に進化したバトルフレーム。全長約3メートル、防衛省のバトルフレームは一回り大きく、銃火器が装備されて対怪人用に改造されている。

「あのロボットで怪人と戦うんですね…?」

「だね~、戦うところは報道されないけど。血しぶきとかグロじゃん?」

(殺処分…!?…でも、まあそうなりますよね…。暴れまわる怪人を安全に制圧するには強いロボットで…。あれ?じゃあ、私要らない…?)

 前世には存在しなかった怪人。こちらの世界ではそれが存在するが、対応する備えも整っている。

 テレビのアナウンサーは慌てる素振りなど見せずに淡々と状況を伝え、数分後に怪人警報は解除された。

「あぁ~!休校ならずじゃん!」



 休校を期待していたホルスだったが出発の時間になると元気に行って来るじゃんねと言って家を飛び出していった。

 残された三人はホルスを見送った後に店に入る。焼きあがったパンの香が店の中に充満している。

 出来立てのパンをショーケースに並べ、配送分のパンを個別包装していく。教えてもらいながら真夏もパン屋の朝を手伝っている。ホルスが学校に行く日は女将が配達を担当しているようで、次のパンの準備に取り掛かった大将を店に残してエアドライブにパンを積み込んでいく。

「真夏ちゃん」

 積み込みの手伝いをしていた真夏に女将はブレスレット型のデバイスを渡す。

「はい?」

「前使ってたデバイス、持ってなさいな。個人情報の登録がないから使える機能に制限があるけどね」

「え?あ、ありがとう、ございます」

 女将は簡単に使い方を教える。

「おつかいに行ってもらいたくてね」

 デバイスのマップである地点を登録してルートガイドを設定する。

「ウチは個人向けの配達はやってないんだけど、常連さんが足を悪くしてね。家に籠った生活をしてるらしいんだ。ウチのパンが食べたいって連絡があって、真夏ちゃんのおつかいにどうかなって」

「はい!行きます、任せてください!」

「ありがとう。歩きだとちょっと遠いけど、配達が終わったらそのまま街を見てきていいからね」

「はい!了解しました!」

 敬礼する真夏に女将は紙袋を二つ渡す。

「大きい袋が商品だよ。お代はいただいてるから届けるだけでいいからね。小さい袋はおやつが入ってるから途中で食べなさいな」

「え?おやつまで…?かたじけないです」

「ははは、大したものじゃないよ。それじゃ、気を付けて行ってらっしゃい」

「へ?…あ、はい!い、行って来ます!」

 真夏は再度敬礼をして目的地を目指しパン屋を後にした。


 

 片道徒歩20分程度のおつかい。目的地にて任務を全うした真夏はにやついていた。

(終わりました。…。それにしても、行って来ますなんて何年ぶりに言ったかな…?)

 施設を出て一人暮らしをしていた真夏にその言葉を使う機会は全くなかった。

(新聞配達の時はみんなご安全にって言ってましたね…)

 前世に思いを馳せる真夏。

(……。…はぁっ!?私!新聞配達のバイト飛ばしちゃった!?シフトに穴開けちゃいました!?あぁ~!…ごめんなさい所長さん。私、とんでもないことを!…いや、まあ、バイトどころか人生に穴開けちゃってるんですが…)

 ため息をついて暫し棒立ちする。

(前世のことはもうどうにもなりません…。今私にできることを考えましょう…)

 真夏は歩き出し、女将に言われた通り街を散策する。現代日本とは大きく異なる世界を改めて地上から見て歩く。

(この世界のことをもっと知っていこう。なぜ私がこの世界に送られたのか、この世界で何をすればいいのか…。女神様が間違えてここに飛ばした可能性は残るけど、ゴールが見えなきゃスタートも出来ません!)

 発展した都市、交通の要は大小さまざまなエアドライブ。伊月パン配達用のエアドライブは小型に分類される。街で見かけるエアドライブは小型が圧倒的に多く、乗用車のような中型は小型の十分の一も飛んでいない。道路もしっかりと整備されているがここを走る車はたまにしか見かけない。

「空を飛ぶ時代の幕開けって感じですね」

(飛べることが身近になって、それを受け入れるお店、建物も形を変えていく。いずれ地上を走ることもなくなっていって、道路もどんどん減っていくのかもしれません。科学の進歩って世界の形を変えていくんですね)

 上ばかりを気にして歩いていた真夏は歩道に置かれた小さな箱に足を取られる。

「ほわっ!?」

「みゃっ!?」

 転びそうになるがケンケンパで何とか耐えた。真夏が振り返って歩道の障害物を確認すると箱の中から黒い子猫が顔を出す。

「わっ!?猫さん!」

 子猫は驚いた表情から怒っているような表情へと変化する。

「す、すみません…。私、上ばっかり見てて…」

 姿勢を低く謝る真夏になにか気が付いたようで、子猫の方から真夏に近づいてくる。

 クンクンと匂いを確かめながら小さな紙袋に狙いを定める子猫。

「え?あ、これをご所望ですか?」

 女将からもらった小袋を空けると正方形のパン耳ラスクが入っていた。

「はわ~!面で切ったパン耳のラスクです!パン屋さんならではですね」

「にゃ~…」

 目を輝かせる真夏だが、子猫の方はラスクを見て少々がっかりした様子。

「仕方ないですね~。驚かせたお詫びに一枚だけ差し上げましょう」

 真夏は手に取ったラスクの砂糖をはたき落として子猫に差し出す。

「野良さんでしょうか?あまりいいことじゃないですけど、一枚だけですよ」

「………」

 子猫は真夏の手からラスクを受け取ると箱に戻って食べ始める。

《しけてるにゃ~》

「ん…?」

 何かが聞こえた、気がした真夏は周りをきょろきょろと見渡すが近くに人影は無い。

 低い姿勢のままのそのそと箱に近づいて子猫を観賞しながら自分もラスクを食べる。

「ん!甘くて美味し~です!」

 ラスクを一枚ぺろりと平らげた真夏は食事中の子猫を優しく撫でる。

「んふふ~、大人しい猫は可愛いですね」

 食事中は大人しく撫でられていた子猫だがラスクを食べ終わると撫でる真夏の手に猫パンチを喰らわせる。

「あうっ!」

《撫ですぎだにゃ!御代わりないならどっか行けみゃ》

 にゃ~っと子猫がなく声に混じって人の言葉も伝わってくる。

「…え?猫さん…?」

《お前が居ると通学中のギャル達がおやつをくれないにゃ》 

 猫パンチで牽制して真夏を追い払おうとしている。

「やっぱり、喋ってますよね?」

《にゃ?》

 子猫のパンチが止まり気まずそうにそっぽを向く。

「すごい!この世界の猫さんは喋るんですね!」

《んな訳ないにゃろ!現実見るにゃ!猫は喋んにゃーい!》

 ピュアな真夏の発言に思わずつっこんでしまい、否定しながらも言葉を理解していることを認めてしまう。

「えへへ、じゃあキミが特別な猫さんなんですね」

《…ぴ、ぴ~ひょろろ~》

 子猫は吹けてない口笛を吹いて帰り支度を始め、自分が入っている箱をひっくり返してその箱に隠れた。

《よっこらしぇ》

 隙間から外を窺いながら箱を持ち上げて進む子猫。

「あちょ、ちょっと待ってください!」

 追いかける真夏。

「あの!何でキミは喋れるの?キミは何者?どこに行くの?」

 ちょこちょこと歩道を進む箱を追いかけて歩く。

《ついてくるにゃ》

 無視して進み続ける子猫。

「あの、それってついて来て、って意味ですか?ついて来るなって意味ですか?」

 質問で攻める真夏。

《ついてくるにゃってことにゃー!》

「だからどっちなんですかー!?」

《そのくらい流れで分かることにゃ!》

「す、すみません。自分、猫さんとの会話は初めてでありまして、流れが分からなくなっております!」

 子猫が立ち止まる。

《はぁ、めんどくさいヤツだみゃぁ。いいかにゃ?ボクは一言も喋ってないにゃ》

「え?でも、会話が出来てますよね…?」

《違うにゃ、おみゃーが、勝手に、僕の言葉を聞き取っているだけだにゃ!》

「そ、それはどういった意味なんでしょうか?」

《はぁ…。ボクに人の言葉を声にして出すことはできないにゃ。ボクの考えがマナを伝って外に出ているだけ!魔力を持ってるお前はそのマナから言葉として受け取って…》

 子猫は箱をドン、と突き飛ばして真夏を凝視する。

《お前!魔力を持ってるにゃ!?》

「魔力…?猫さん、魔法について何かご存じで?」

《ご存じにゃ!ボクは魔法使いの使い魔になるべくして生まれてきたにゃ!お前、魔法が使えるにゃ?》

「ごめんなさい、使えません」

《使えんのかーぁい!!》

 大げさに嘆く子猫。

(にしてもコイツ、体内の魔力量が半端にゃいにゃ)

「なんかすいません。私も使えたらいいなぁって思ってるんですけど、魔法文化って廃れてしまったみたいで…。でも、魔法のことを知ってる猫さんに出会えてよかったです」

(これだけの魔力量で魔法が使えないにゃ?…いや、ボクの声をマナから読み取ってる以上才能はあるはず。コイツが魔法使いになれば、ボクは、使い魔になれるにゃ…?)

「ね、猫さん…?もしよろしければ、私の使い魔に、なっていただけないでしょうか…」

 拙い告白のようにもじもじと言う真夏に子猫は声を張り上げる。

《にゃれる訳ねぇだろがぁーっ!魔法が使えにゃいおみゃーは只の凡人とおんなじにゃ!ガキのおもりはゴメンだみゃ!出直してこいクソガキがっ!》

「ひぇっ!?」

 子猫の剣幕に押されて一歩下がってしまう。

(な、なんてお口の悪い猫さんでしょう!?…きっと野良猫生活で心が荒んでしまったんですね…。ジェブリも言ってました、威圧する野生の動物は怯えているだけだって…)

 一歩踏み出し食い下がる真夏。

「怖くない、怖くないですよぉ…」

 姿勢を低く、優しい笑顔で子猫に手を差し伸べる。

《ペッ……》

「………」

 慈愛に満ちた真夏の手に子猫は触れることすらしなかった。

「つ、唾吐きましたねーっ!?」

 目の前に唾を吐かれた真夏は再度一歩下がる。

《気安くするにゃ!》

(ボクは魔法使いの使い魔になる猫にゃ。せっかくの才能だけど魔法使いに成れないなら構ってやる必要はないにゃ)

《三日だみゃ。なんでもいい、三日で何か一つ魔法を覚えてみろにゃ》

「魔法…。教えていただけるのでしょうか…?」

《うむ。三日で成果がなければボロ雑巾のように捨ててやるから覚悟するにゃ》

「は、はひ!よ、よろしくお願いします」

 棘のある言葉に引っ掛かりはするものの、魔法を教えてもらえることを嬉しく思い得体の知れない子猫に師事する真夏だった。



 河川敷の遊歩道に移動した一人と一匹。平日昼前のこの時間、対岸を老夫婦が散歩しているだけで他に人けはない。

 目の前には木が一本。新芽が芽吹き、真夏が手を伸ばせば届く高さに枝が垂れている。

《まずはその枝を揺らしてみろにゃ》

「枝を、揺らす…?」

 背伸びして枝を掴み揺さぶる。

 物理的な解答をしててへへと笑う。怒鳴られるかと思いきや子猫は淡々と次へ進む。

《ふむ。では次にその木に触れることなく枝を揺らすにゃ》

「へ?あ、はい…」

 少し考えて、ふーーーっと息を吹きかけて枝を揺らそうと顔を赤くする。

《全然揺れないにゃ》

 枝先の葉っぱが揺れる程度で枝は揺れない。

「ず、ずびばせん…。む、無理ですぅ…」

 ほんの十数秒で息を切らす真夏。

《まぁいいにゃ》

 へたり込む真夏のそばにちょこんと座る子猫。

《お前がやろうとしたのは体力を消耗して直接的、間接的に枝を揺らそうとしただけにゃ。プロセスの違いだにゃ。魔法とは魔力を用いてマナに干渉し、目的を果たすもの。おみゃーが失った体力、魔法では魔力を消耗するにゃ。おみゃーが枝を揺らすために使ったその手や空気の役割をするのがマナだにゃ》

「な、なるほど…?」

《魔法はイメージ。自分の内側にある魔力で外側のマナを操るイメージが大事にゃ》

「マナ…?イメージ…」

(体内の魔力…?体力だってどこにどのくらいあるのか分からないのに、魔力なんて…)

「お手本を見せていただくことはできないのでしょうか?」

《ボクの魔力は猫並みだにゃ。魔法が使えないタイプの使い魔だから期待するにゃ》

「そうなんですか?」

(本当にこのやり方で魔法は使えるのでしょうか?)

 立ち上がり枝に手を向けてそれっぽく構えてみる。

(とりあえず、こう…。内側から、何かひねり出す感じで…)

 目を閉じて集中する。が、数分経っても何も変化はない。

「な、何も出ません」

《おみゃーは何を出すつもりにゃ?》

 少々呆れ顔の子猫。

《魔力をそのまま放出すれば消耗しすぎて最悪死ぬにゃ。体力だってそのまま取り出したりしないにゃ?走るときには足を動かすにゃ。マナを操って物質に干渉するんだにゃ》

「は、はひ!頑張ります!」

 この日、魔法の練習は数時間続いた。



 日が傾き始めた。

 分け合って食べたパン耳のラスクもとっくに消化されて真夏の腹から空腹を訴える音が鳴る。

(コイツ、才能があるのかないのか分からなくなってきたにゃ)

 結局一度も枝を揺らすことは出来なかった。

「も、もうダメですぅ…」

《仕方ないにゃ、今日はここまでにするみゃ》

「はいぃ、すみません、何の成果もなくて…」

 真夏は疲労困憊な様子。

「明日もこの場所でいいですか?」

《場所は任せるにゃ。おみゃーが集中できるところならどこでもいいにゃ》

 言いながら真夏の身体をよじ登り肩に座る子猫。

「…?猫さん…?」

《さっさと帰るにゃ。ボクもお腹が空いたみゃ》

「え?一緒に帰るんですか…?使い魔にはなってくれないんじゃぁ…?」

《当たり前だみゃ。今おみゃーは弟子みたいなもの。三食昼寝付きで師匠を持て成すのが道理だにゃ》

「そう、ですね。猫さんの三食とお昼寝場所くらいならどうにかできるはずです。一緒に帰りましょう」

 歩き出す真夏。

 不慣れな街。デバイスを起動させて伊月パンまでのルートを確認しながら帰る。

 ふらふらな足取りで伊月パンの看板が見える場所まで来たところで後ろから元気な声を掛けられる。

「まなっちゃーん!」

 制服姿のホルスが真夏に飛びつく。

「げふっ!…ホルスちゃん。おかえりなさい」

「まなっちゃんも、どっか行ってたのわはぁ!?猫じゃんね!」

 肩の子猫をつんつんするホルス。

「行儀よく肩にお座りして偉い子じゃん」

《こ、こ、この子はぁ…》

 わなわなと子猫の感情が高まるのを感じた真夏はホルスのつんつんを遮るようにブロックする。

「ホルスちゃん、この猫さんはとても高貴なお方で…」

《この子は将来立派なギャルになるにゃぁーーーっ!!!》

「はえ?」

 ぽかんと開いた口が塞がらない真夏。

「わっ!びっくりした。突然大声で鳴いてどうしたじゃん?」

 子猫の言葉はホルスには届いていない。

 子猫は真夏の肩からホルスの胸へ飛び込み抱き着く。

「あははっ、めっちゃ元気じゃんね」

《原石だにゃ~!》

「な、何してるんですか!」

《不純な動機でホルスちゃんに抱き着くのはやめてくださいよ!》

《地味子は黙っとれにゃ!》

《じっ…!?》

 無我夢中でホルスに甘える子猫。

「ちょ、こら!くすぐったいじゃんか!」

 くすぐられながらも子猫を撫で回すホルス。

《相思相愛だみゃ~!》

 真夏は子猫の首元をぎゅっと掴んでホルスから引き剥がす。

「ご無礼!」

 ぺいっと子猫を地面に捨てる。

「さ、ホルスちゃん、帰りましょう。あれは獣です」

「あれ?高貴なお方じゃなかったの?」

「すみません、勘違いでしたぁ」

 ホルスの背を押して帰路を急ぐ。

《ちょ、待つにゃ!ボクの原石を持ってくにゃ!》

 小走りで追いかける子猫。

《魔法使いを育てるか、ギャルの原石を育てるか。究極の二択だにゃ!》



 その日、伊月家の夕食は家族会議となった。

「真夏ちゃん、分かってると思うけど、ウチは飲食だからね」

 議題となっているのはホルスの膝の上で丸くなる子猫のことだ。

「やっぱり…捨てて来ましょうか…?」

《おい!やめろにゃ!》

 ホルスにしがみつく子猫。

「めっちゃ懐くじゃんこの子」

「不潔です…。ホルスちゃん、その猫さんはケダモノです」

「どうしたまなっちゃん?自分で連れてきたのに」

「…実はその猫さんは魔法の師匠でして…。指導を受ける対価として三日ほど食事と寝床を提供することになったんですけど…」

《ボクは伊月家の子になるにゃ!》

「今は伊月家の子になりたいと言っておられます…」

 ホルスは子猫を持ち上げて詳しく調べる。

「まほーのししょー?普通の子猫じゃんね」

「魔法は使えないみたいなんですけど、魔法に詳しくて人の言葉が分かる特別な猫さんみたいです」

「会話できるってこと?…あ、雌じゃん」

「メs…女の子だったんですか!?」

「ぽいよ?ついてないもん」

 恥ずかしげもなく子猫の股を真夏に見せるホルス。

「で、でも、その猫さん、ホルスちゃんが立派なギャルになるってすっごく喜んでて…」

 ぶふーっとスープを吹き出した寡黙な男貌栖。娘のギャル化宣言に内心焦りを覚える。

「き、きたねえじゃんね!」

「す、すまん…」

「それより、人の言葉が理解できるってことはそれなりの知能があるってことじゃん?店には入っちゃダメって分かるならウチで飼ってもいいじゃんね?」

 近くの布巾を貌栖に投げて渡すホルス。

「本当に言葉を理解しているなら、だよ」

 女将は娘に釘を刺す。

《にゃらば!なんでも質問すればいいにゃ。ボクの答えをおみゃーが通訳すればいいにゃ》

 鋭い視線で真夏に訴える。

 にゃーにゃーと鳴く子猫の言葉を理解できる真夏は首を横に振る。

「それだとただ私が答えてるだけに見えるんじゃぁ…?」

《にゃ?確かに…》

《アホですか…?》

《にゃんだと貴様!地味っ子の分際で!》

《な!また言いましたね!?地味子じゃないですよ!私は、クールって言うんですよ!》

 子猫に張り合い噛み付く真夏。

《にゃはっ!クール?笑わせるにゃ、お前みたいなのは…》

 何故かいがみ合う一人と一匹に将来有望なギャルが割って入る。

「…?てかさー、この子猫名前はなんてゆーの?」

《名前はまだないにゃ。ホルスがつけてもいいんだにゃぁ》

「あ、まだないそうです。ホルスちゃんが名前つけてもいいって言ってます」

「へ?そう?じゃあ…」

 ホルスは子猫の緋色の瞳をじっと見つめる。

「スカーレット!お前は今日からスカーレットのスーさんだ!」

《スカーレット!良いにゃ良いにゃ!さすがホルスだにゃ!》

 にゃ~っと喜びを体いっぱいに表現するスカーレット。

「スーさん!今からキミの能力をテストするじゃんね!そこのゲロ野郎の皿からチキンステーキを奪い取って自分の夜ご飯にするじゃん!」

 言ってテーブルの上にスカーレットを放すと言われた通りに貌栖の元へ向かう。

 貌栖は食べかけのチキンを守ろうとするが女将に止められる。

 皿には最後の一切れ。好きなものは最後まで取っておくタイプの貌栖。無言でスカーレットを睨みつける。

《これはテストだにゃ。仕方ないにゃ》

 スカーレットはチキンをパクっと平らげてホルスの元へ戻る。

「こりゃ驚いたねえ、他の皿には目もくれずあんたのチキンだけを食べて戻ったよ」

 スカーレットの行動に感心する女将と寂しそうな大将。

「やるじゃん!ホントに理解してるっぽいじゃんさ!」

 ドヤ顔のスカーレットを撫でるホルス。

「魔法の師匠ってことはさ、まなっちゃん魔法が使えるようになるの?」

「そうだと良いんですけど、なかなか難しくて…」

「簡単に出来たら廃れたりしないさね。真夏ちゃんがどんな魔法を使うのか少し楽しみになってきたよ」

 女将は食事を終えると食器を持って立ち上がる。

「スカーレットちゃんは二人でちゃんと世話をするんだよ。それと、店と倉庫には入らないようにね」

「はーい」

 

 

 結局スカーレットは真夏の部屋に住まうこととなった。

《ボクはホルスと一緒が良かったにゃ》

「教育上よろしくないと思います」

《教育上ねぇ…。そういえばお前、意思をマナに乗せて発信してたにゃ》

「へ?」

《声を出さずにボクと会話してたにゃ?》

「そーでしたっけ…?」

《そーだにゃ。もう一度やってみろにゃ》

「やってみろと言われましても…」

 狭いワンルームの部屋で向かい合う。

(スーちゃんみたいに声を出さずに…?…確か、ホルスちゃんにはあんまり聞かれたくないことを考えたけど、声には出さなかった…。スーちゃんだけに伝わった。スーちゃんだけに伝わるように…)

《スーちゃんは助平猫》

《調子に乗るなよクソガキィ!》

「ひぇっ!」

 身を守るように丸くなった真夏に猫パンチを喰らわせる。

「こ、これが魔法、ですか?」

 パパパン、と叩かれながらも嬉しくなる真夏。

《こんなの魔法とは呼べないにゃ。基本中の基本。ようやくマナに触れることが出来た程度にゃ》

 与えられた毛布付きの新しい小箱に入り就寝の準備をするスカーレット。

《驕らず精進するにゃ》

「は、はい!明日もよろしくお願いします、師匠…!」

 


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