第2話 エーニャ・リャクリシュト
「もし……あのー……もしー……」
もやもやとする、はっきりしない意識の中で聞こえる、優しく、透き通る様な声。
目の前に広がるのは、真っ暗な闇。
その中に、小さな光の点が見え始め、先ほどから呼びかける優しい声と、頭部に伝わってくるほのかな温かみと、柔らかさ。
鼻孔をくすぐる甘い香りが、小さな光の点を、さらにはっきりとした明かりへと導く。
「もし、あのー……えっと……男の方」
ゆっくりと大きくなる光の点は、徐々に形を作り出し、人の顔が作り出される。
くりっとした大きなつぶらな瞳。
左の瞳は、紅く燃えるような赤眼。
右の瞳は、透き通る、すべてが沈み込むような青く澄んだ青眼。
オッドアイと呼ばれるその瞳の持ち主の素肌は、絹のような白。
それに合わさるように、真っ白く艶やかなシルバーブロンドの長い髪は束ねられ、左肩から胸元へと、そのしなやかさを主張している。
まだあどけない顔つきの残るその少女の顔が、目の前にある。
「気がつかれましたか? 男の方」
「……うぅっ……ここ……は……」
「私の工房ですよ、男の方」
にっこりと微笑みながら、その少女は、彼に微笑みかけた。
「こ、これは申し訳……ない……です」
段々とはっきりしてくる意識と、周囲の状況がゆっくりと頭で処理されていく。
えっと……この状況というのは一体、どういう事なのだろう。
俺はさっきまで『神隠し』の起動実験を行っていたはず……
で、青白い光に包まれて……
状況を整理していく前に、まずこの女性の膝枕から起き上がらねばなるまい。
まったく、自分がどうしてこんな状態になっているのかわからないが、何故こんなラッキーな状況になっているのだろう俺は……
「今起き上がりますので、こんな……申し訳ない」
「いいのですよ、私しかおりませんし、何も気にせずごゆるりとされて。それにあなたが現れた時に、椅子の角に頭をぶつけてらっしゃったので、無理をせずに……」
ニコニコと微笑む少女。
思わず、その可愛さに、顔が熱くなってきてしまう。
今、自分の顔は真っ赤になっているんじゃなかろうか、そんなことを考えつつ、じんわりと頭に伝わってくる痛み。
痛みを感じるということは、お約束のごとく頬を抓らずとも、これが現実であるということを、俺に伝えてくれていた。
とりあえず、自分の体は横たわっているのだろうと、下半身から、背中へかけて、硬く、冷たい感触から自分の状態が伝わってくる。
目線を左へそらすと、木製の椅子と机の足だろうか、部屋の中の様子が見て取れる。
再び目線を正面へと戻し、右へと移す。
ほんのりと自己主張をする双丘を包む上着が。
そのままさらに右へと移すと、小さく可愛いおへそが鎮座する、彼女の柔肌が広がっている。
先ほどから頭部に伝わる温かみと柔らかさ。
そしてこの景色。
「えっと……」
「はい?」
視線を戻すと、ニッコリとした表情で首をかしげる少女。
「膝……」
「膝?」
「膝枕……ですよね?」
「はい、今は膝枕をしておりますよ?」
膝枕をされているということを認識していたというのに、いざ膝枕が現実の物だと理解出来るようになってくると、こう……ふつふつと恥ずかしさが湧き上がってくる。
ここ何年と女性とこのように体を密着させている事のなかった自分が、今顔を真っ赤にして照れてきているという、熱を感じる。
まずい、このままこうして膝枕されていると、自分がおかしくなってしまう……色々な意味で……!!
「すみません!今起き上がります!
「そんな急に起き上がっては!」
ゴチンッ!
「いたっ!!!」
「ひゃうぅうっ!!」
勢いよく起き上がったせいで、俺を覗き込んでいた少女のおでこに、頭突きのクリティカルヒットを食らわせてしまう。
人生初の膝枕が、こんな可愛い女の子にしてもらっているだなんて!
そんな気恥ずかしさと、どうしたらいいかわからない衝動とともに、おでこに広がる疼痛に、現実に引き戻される。
「ご、ごめん! だ、大丈夫!? 君っ!」
ぺたんと足を広げ、女の子座りをしつつ、か細い両手でおでこを押さえる少女へと近寄る。
「うぅ、だ、だいじょうぶれふう」
「ほんっとごめん! ついびっくりしちゃって!」
「だいじょうぶなのれふよぉぅ」
目じりに涙を浮かべつつ、懸命に少女は返答をしてくれる。
そんな表情の少女を見ながら、なんて可愛いんだろうと、ふと思いを巡らせてしまう自分が、本当に愚かしかった。
「眼が覚められたのなら、よかったのです。大分気絶されていらっしゃったので」
「ごめん……ほんと、何も覚えてなくて……。そんなに長い間倒れてたの?」
少女は顎に手を当て思い出すようなそぶりをしながら語る。
「はい、お昼のご飯を食べて、紅茶をのんで、新しい”創造”を行ってたときにいらっしゃったので……もう三刻程度」
「三刻? 三時間って事か……って! そんな長い間膝枕しててくれたの!?」
「はい、ちょっと足がしびれちゃいました」
ぶつかったおでこがまだ痛いだろうに、この少女はまた微笑みながら淡々と答えてくれる。
……なんていい子なんだろうか。
「ほんとうにごめん!!」
「うふふ、いいのですよぉ。もしよろしければ、お手をお貸しくださいませんか?」
「手でも何でも!」
弱々しく差し出された、細く華奢なその手を掴み、冷たい体温と、柔らかな感触を確かめつつ、その少女を引き起こした。
立ち上がった少女の頭のてっぺんが、ちょうど俺の視線の先にある。
俺が大体170cmなので、女性平均の158cm前後といったところだろうか。
すらりと華奢な見た目が、白い肌の色と相まって、一層儚げに見えてくる。
「改めて男の方、あのぉ、貴方はどちらさまでしょうか?」
「こ、これは失礼しました。俺の名前は元創一<はじめそういち>です」
「はじ……そ?」
首をかしげながら、いまいち要領を得ないといった表情の彼女の仕草に微笑みつつ、彼は言葉を返す。
「”そういち”って呼んでくれて構わないですよ」
「はい、えっと……そうい…ちさま、ですね」
突然のさま付けにドキリとしつつ、続く彼女の言葉に耳をかたむける。
「私の名前はエーニャ・リャクリシュト、エーニャと呼んでください」
長いスカートをふわりと持ち上げ、綺麗にお辞儀をする、そのエーニャという子をまじまじと見つめてしまう。
まだ痺れの残る足でそのような動作をするものだから、一瞬がくっと、姿勢を崩しかける。
「ひゃうっ!」
「あぶないっ」
エーニャの細い腕を、そっと支える。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそどういたしまして」
エーニャの腕を思わず掴み、支えてしまったが、普段の俺であればまずこんな動作をすることはなかっただろう。
今現在置かれている謎の状態、そして膝枕からの優しい対応のエーニャに対して、つい気が大きくなってしまっているのだろうか……
「お名前もわかりましたところで、創一さま、貴方はどうやってこの場所へ?」
「そういえば……」
まだしっかりとはしていない意識を整えつつ、自分が最後に覚えている記憶から、もう一度確認を始める。
「えーっと……俺はサブガレージで『神隠し』の実験をしてて……青白い光が見えて……真っ白になって……」
「がれぇじ?」
首をかしげるエーニャ。
言葉は通じているというのに、意味は伝わらない言葉もあるようだ……
俺の記憶はというと、最後のホワイトアウトから、まったく記憶がない。
その次に思い出されるのは、エーニャの柔らかさだった。
記憶がないことよりも、膝枕の事実の方が、俺にとっては大きいことになっているのか……?
「だめだ……何で俺は今ガレージにいないんだ……?」
「がれぇじ、というのは何なのかはわかりませんが、青白い光なら、私も見ました」
「えっ?」
共通するキーワードが、エーニャの口から発せられたことに、一瞬ピクリと反応してしまう。
「私が新たな”創造”を行っているとき、エレメントから青白い光がパァッと出て、真っ白になったと思ったら」
身振り手振りをしながら、エーニャは続ける。
「こう、ボーンッと煙が舞い上がった瞬間、私びっくりして倒れてしまい、そしたらいきなり創さまが椅子に頭をぶつけて……」
「青白い光、真っ白……」
どうやら、エーニャも一部、同じような体験をしている。
ということは、あまり現実的な考えではないものの、これは場所を移動するなりなんなり、都合のいい考え方なら。
自分はワープだとか、物質転移などという類の現象に巻き込まれた、と考えるのか、非科学的ではあるにしろ、納得しやすいのだろうか。
ざっくり言って、異世界転移と言ってしまっていいのだろうか……
「えっと、エーニャ、今って西暦何年? 何月何日?」
「それはなんですか?」
西暦といのは通じない……ということか。
「……えっと、今は暦の上でいつ、なのかな」
「今でしたら、建国五百五十四年七月<ななつき>の暦にあたりますね」
「建国……ななつき?」
「はい!」
ニッコリと微笑むエーニャ。
はて? と首を傾げてしまう。
自分の現実が通用しない、独特の暦。
いよいよもってこれは異世界転移というやつが現実味を帯びてきてしまっている。
「これは……あれか……異世界とか、平行時間軸とかそういう類のものなのか?」
「???」
「ごめんごめん、今のは忘れて?」
現状に理解出来ていない&自分の世界での言葉なんぞ、聴いたところでわかるわけもないよな、そりゃあ。
今一理解の出来ていない表情のエーニャ。
まずは一度落ち着いて、今自分が置かれている状況をちゃんと把握しよう。
何事も現状確認をしないことには、前に進めないという物だ。