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天蚕糸の月 Good luck.  作者: 梅室しば
三章 桑爪を探して
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夫婦神の落とし物

 利玖の手のひらに突如現れた存在は、自分達を潮蕊(うしべ)に住む土着の夫婦(めおと)(がみ)であると称したらしい。

 らしい、というのは、史岐にはなぜか彼らの声が聞こえず、利玖が聞いた内容を彼女から語ってもらうしかなかったからである。もともと妖と縁遠い生活をしていたのは利玖の方なのだから、これは明らかに不自然な事だったが、その理由を神様相手に問いただすのも(はばか)られた。

「神である」と告げられたからには、いつまでも拾った木の実のような持ち方をしている訳にもいかず、利玖と史岐は右往左往した末に、煉瓦倉庫の裏に綺麗な(うろ)の空いた木を見つけて、そこに夫婦神を移した。そして、自分達は数歩下がって落ち葉の積もった地面に膝を付いた。

「落とし物をされたようです」

 利玖は夫婦神の方を向いたまま、史岐に彼らの言葉を伝えている。

「旅の途中で大学を通りがかったのですが、学園祭の人混みに巻き込まれて、くわつめ……、という物をなくしてしまった、と」

桑爪(くわつめ)って……」史岐は少し考え、あれかな、と呟いた。「養蚕(ようさん)で使うやつ」

「ご存じなのですか?」

「うん。昔、親戚の家で見た事がある」

 史岐は、ボールペンと学生手帳を取り出して、白紙のページに刃のついた指貫(ゆびぬき)のような道具を描くと、ページごと千切って利玖に渡した。

 利玖が、史岐の描いた図を示すと、夫婦神はさかんに頷き、女神の方が(ふところ)から小さな糸繰り枠を取り出して振りながら何ごとか訴えた。

「ああ……」利玖の声が細くなる。「神具だそうです。こちらの糸繰り枠と一揃いの……」

──冗談じゃない。

 自分の声も彼らに届かないのであれば、そう叫んでいただろう。

 キーホルダーを落とした友人を助けるのとは訳が違う。後先考えずに引き受けて、一所懸命探したけれど見つかりませんでした、が通じるような相手ではない。

 声が聞こえず、面で表情もわからないので、いまいち彼らの気位がどれほどのものであるのか伝わって来ないが、こうして姿を見せて(じか)に言葉を交わしている事自体が人の身には余りある名誉である、と一方的に恩を売りつけた気でいる可能性もある。

 しかも、探しているのは、神格が持つ力、権能の象徴ともいえる神具だ。生身で近づいて害のない物かどうかさえ、今の段階ではわからない。

 どうしてよりによって利玖を、と舌打ちしたい気持ちになった。

 目をつけられたのが自分一人であれば、いくらでもやりようはあった。今ここで何本か電話をかけるだけで、一時間以内には専門の術者が大学に揃うだろう。

 しかし、夫婦神はどういう理由からか、利玖に桑爪探しを頼んでいる。熊野家に雇われている者達だから、事情を説明して協力を強いる事も不可能ではないが、情や信頼からではなく、自分が熊野家の跡継ぎであるというだけの理由で冷ややかな主従関係が結ばれている彼らに利玖を会わせたくはなかった。

「……落とした、と気づいたのは、どの辺りで?」

 喉までこみ上げた苦い感情をどうにか飲み下して、そう訊くと、利玖が夫婦神に同じ質問をした。

「踏み潰されないようにするので精一杯だったので、場所は定かではないそうです。ただ──」

 利玖は、そこで口をつぐんだ。

 顎に手を当てて、何か考え込むように前のめりの姿勢になっている。

 とりあえず聞いたままを教えてくれるか、と頼むと、困惑した表情で振り向いた。

「巫女の袖に落ちるのを見た、とおっしゃっています」

「巫女?」

「はい。しとやかな、年若い巫女だったと」利玖は声をひそめる。「……大学にそんな方がいるでしょうか?」

 史岐は、利玖が剣道部の焼きそばを買いに行っている時、理学部棟の前で見かけた妖の姿を思い出した。

 あんなに袴が短くては巫女と見間違えようもない気がするが、彼女の袖には、小物が転がり込むのには十分な深さがあった。

 巫女の袴の色を覚えているか、と利玖に訊いてもらうと、赤という答えが返ってきた。

「心当たりがお有りなのですか?」

「いや……、勘違いだったみたい」

 あの妖の袴は、山影のように青みがかった薄い墨色だった。

 史岐は、腹に力を溜めるように深々と息を吸い「委細承知しました」と頭を下げた。

「失せ物探し、お引き受け致します。ここなら、滅多に人も通りがからないでしょう。社も用意出来ず、ご不便もあるでしょうが、夜半までには探し出して参りますのでなにとぞお待ち下さい」

 そこで口をつぐむべきか、一瞬、史岐は躊躇ったが、思い切って疑問をぶつける決心をした。

「しかし、よろしいのですか? 我ら二人とも、潮蕊に縁のある人間では御座いませんが……」

 男神の方が何か喋った。

 それを聞いた利玖は、きょとんとし、お下げにした自分の髪をつまんでしげしげと見つめた。

「どうしたの?」

「わたしの髪から潮蕊の薬草の香りがしたので、それを頼りに探して来られたと……」

 言葉を切って思案していた利玖が、やがて、あっ、と声を上げた。

「別海先生の香油!」

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