親知らずを抜いた日
ある日突然、左下親知らずが爆発した。就職が決まり、引っ越す直前のことだった。
大学卒業後の春休みの終わりかけで、次の週から仕事だった。
焦りに焦った私は、ブラックジャックみたいな歯医者さんのところへ行った。幸い実家の近くに凄腕の歯科があったのだ。
「親知らずならこの人にお任せ!」
みたいな口コミだけを信じて行った。
そこでパンパンに腫れた顔で、来週から仕事が始まること、もう今しか抜くチャンスがないことを説明した。
結果、初診だったにもかかわらず、抜いてもらえた。
いや、めっちゃくちゃリスクは説明された。
まず、「あなた初診ですよね!?」から始まり、「他の歯の状態すら把握できてないのに…! ちょ、ちょっと待って!? 」とブラックジャックも汗ダラダラだった。
でも、私もホンットに必死だった。それくらい、私の親知らずは暴れていたし、就職を棒に振るはめになったら…と怖かった。
たくさん頭を下げ、色んな同意書を書き、後はまな板の上の鯉になった。
抜歯は成功し、しかもそこまで腫れ上がることなく、術後は沈静化してくれた。
こうして、私の1つ目の親知らずはいなくなってくれた。
就職して、数年経った頃、今度は左上と右下が同時に爆発した。
「こんなことあるんかい。」
と思わず言ってしまうほど、顔が腫れた。
その時はもう結婚していたので、夫がそばにいてくれ、心強かった。
…が、夫の愛のパワーでも太刀打ちできないほど、パンッパンに腫れた。なんならアンパンマンくらいに腫れた。
普通の歯医者さんでは対応出来ず、口腔外科で抜歯することになった。
どのくらいの手こずり具合かというと、
①完全に横向きに生えている
②歯茎の下に潜っている
③神経を傷つける恐れがある
④顎の骨を削らないと取れない
⑤抜歯途中、歯がポロッと落ちちゃったら、最悪、鼻の横に穴を開けて歯を取る
というレベルだった。
私は歯医者さんがすごく怖い。だから、ナントカナントカという麻酔で、意識を薄くしてもらった。不安をやわらげてもらった。
そうして、再び、まな板の上の鯉になった。
体感10分で抜いてもらったが、実際には2時間以上に及ぶハチャメチャ大変な口腔外科手術だったらしい。
院長は、「この世にこんなに美しい歯医者さんがいるのですか?」というくらいイケメンだった。
そのイケメンが、
「くそ!取れない…!!」
と、舌打ちしながら悪戦苦闘していたのを、私は忘れることが出来ない。朦朧とした頭にもしっかりと残る悪態ぶりだった。
彼により、私の親知らずは、互い違いに2本同時に無事抜歯された。
「お大事にね…!」
と引きつった笑顔で挨拶してくれた院長。
彼は、私の頑固な親知らずを抜くために利き手を痛めてしまった…。
術後は、パンッッッパンに顔が腫れた。『アンパンマン』どころじゃない。『アンパンマン号』くらい腫れた。
顎の骨も削ったので、そこはもうパンッッッパンッッッに腫れた。
抜いた日は、クリスマスだったと思う。全然ハッピーじゃないクリスマスだった。
そのまま有給を使いまくり、年末年始は家で過ごした。あまりの痛みと恐怖からか、その冬休みの記憶はほぼ無い。
それから1年経たずして、なんと、最後の1本である右上の親知らずが大爆発した。
親知らずを持って生まれても、腫れない人もいると聞いた。
「なんで私は全本腫れたんだ…。」
と、神を恨んだ。
私はまたもやまな板の上の鯉状態になり、院長と再会することとなった。
時の経過と湿布により、院長の利き手は復活していた。
抜歯は成功した。
それでも1時間くらいかかった。
術後は、やはり腫れた。これがもう、「マスクをしても、マスクからほっぺが飛び出ている」ほど腫れた…。
この時期になると、毎年、親知らずのことを思い出す。
この件から、私は、本当に歯って大事なんだなと思った。歯が痛いと何も出来ないと知った。
歯が腫れた時、私は、ストローがギリギリ差し込めるくらいしか口が開けられなくなった。スプーンは口に入らなかった。
そうなってはじめて、『お口の健康』のありがたみを理解した。
院長は、
「歯は35歳くらいまでは成長します。
この子は抜いた方がいいなという悪い子は、抜いた方がいいんです。」
と言っていた。
私のお口の中には、本当にもう悪い子はいないのだろうか…。不安だ…。
あんな怖くて痛い思いは二度としたくないので、3ヶ月ごとの歯科検診には真面目に通っている。
もし、親知らずを抜こうか迷っている人がいたら、お医者さんとよく相談してほしい。
私のようになる前に、最善の処置をして、お口の健康をどうか守ってほしい。