先輩と絢香 2
「と言うわけで、私は一体どうすればいいのでしょう?」
彼女が持参した水羊羹を食べながら、絢香は苦笑してしまう。
「もう帰ろうよ。そろそろ最終下校時刻なんだし」
「そんなこと言わないでくださいよ。お願いだから相談に乗ってください」
後輩は切羽詰まった表情で髪を振り乱して机越しに絢香へと迫ってくる。
正直、少し怖い。
いま出て言ったと思ったら、あっという間に戻ってきて、このとっちらかりようである。
「何で一緒にラーメン屋に行くだけで、そこまで大変なことになるの?」
予約が必要なお店とかならまだしも、後輩が行くのはただのラーメン屋だ。
日常の範囲であって、特別なイベントとは思えない。
なのに後輩はとても困った顔で言葉を続ける。
「私はポチと一緒にお店に入ったことなんてないんですよ。もう何を着ていけばいいのかさえ分からなくて」
「……あんたたちが行くラーメン屋はドレスコードでもあるの?」
呆れかえって聞いたら、後輩は悲しげに頭を振る。
「わかりません。ただ、そういう約束をしただけなので」
「学校帰りなんだし、普通に制服着て行こうな?」
帰り道で突然着替えられても、相手の男が困るだろう。
テンパりすぎて、そんなことさえ分からなくなっているのか?
「なんでクリスマスなのにラーメン屋なのよ? もっと他に店があったんじゃないの?」
そう言っている絢香にだって具体的な何かがあるわけではない。
絢香にとってクリスマスは《なんか駅前が混んでいる日》でしかない。
昨年の記憶を辿っても、とっとと家に帰ってコタツに入ろう、と考えていた事しか思い出せない。
「なんでと聞かれましても。かしこまった店に行くのは私たちには不似合いですし、あまりイベント性を強くすると、そのあとの流れに期待感を持たせてしまいますから、よくないと思ったのです。あと、以前にそういう話が出ていたので誘いやすかったのも大きいですね」
後輩はスラスラと流れるように説明してのけた。
いったい、これで何が相談したいんだ。
「あのね、そこまで考えてるなら、普通にご飯食べて帰りゃいいじゃん? いったい何が問題なのよ?」
「だって絢香さん、クリスマスなんですよ? 初めてどこかへ行く約束をしたんです。幻滅されたくないんですよ!」
泣き出しそうな顔になって力説してくる。
というか本当に目に涙を浮かべていて、もう決壊寸前だ。
「ああ、わかった。要するにデートプランを一緒に考えて欲しいのね?」
ようやく何を訴えているのか理解したと思ったら、後輩はものすごく衝撃を受けた顔になっている。
「……あ、あの、これはデートなんでしょうか?」
「普通に放課後デートだと思うけど」
あっさり答えたら、後輩は真っ赤になって縮こまってしまう。
「え? あんた自分で分かってなかったの?」
「い、いえ。うっすらとそんな気はしていましたが。そうハッキリ指摘されてしまうと、とんでもなくはしたない事を絢香さんに相談しているような気になりまして……」
「え? ラーメン屋に行くだけなんだよね?」
絢香が確認のために聞くと、後輩は真っ赤になったまま、小さく頷く。
――こいつはラーメン屋をどんなトコだと思っているんだろうか?
それとも《ラーメン屋》というのは何かの隠語で、実は風俗的なお店なのか?
ちゃんと会話が成立してるのか不安になってきたが、あまり追求したくない。
聞かなければ《知らない》で済む。
ちょっとした絢香の処世術だ。
知ってしまったら全力で対処する。
だけど目の前の後輩と違って、自分からは首を突っ込みたくない。
「んで、どこの店に行くとか決まってるの? 駅前だけでも結構あるけど?」
「絢香さんは、おすすめってありますか?」
少し冷静さを取り戻した後輩が、すがるような目で絢香に聞く。
「そこからあたし任せなの? あんたが気になってたお店とか、前に入って美味しかった店とかないの?」
実際、聞かれても困るんだけどな。
絢香も寄り道はするが、行き先は本屋や文具店が主であり、飲食店は詳しくない。
「友達と一緒に入ったり、あそこ行こうよって誘われたりしないの?」
いちおう聞いてみるが、後輩はもちろん首を横に振る。
「誘われることは多いのですが、面倒くさいので全部断ってます。なんか下心的なものも感じますし」
別に《男子生徒から》限定で聞いたわけでもないのだが、迷わずそう答える後輩に苦笑してしまう。
「ああ、それ、あたしも一緒」
実際、男子からの誘いの方が多いのだ。
執行部の仕事をしていると帰宅部の女子と時間が合わないし、部活連中はそっちでつるんでる。
クラスの女子と遊ぶ機会がそもそもないのだ。
「まあ状況はわかった。とはいえ、あたしだって男の子が喜ぶラーメン屋とか知らないし。ていうか、男の子はラーメン屋なら何でもいいんじゃないの?」
「そういうものなんでしょうか?」
真剣な顔で聞いてくるが、もちとろん絢香に答えなんかない。
ただイメージで言ってるだけだ。
「いちおう確認すると、中華屋じゃなくてラーメン屋なのね?」
「あんまり意識高い感じのお店じゃなくて、ごく普通のお店がいいです。さりげなく日常の延長な感じで、特別感がない方が彼と仲良くなれそうな気がするので」
すでに充分、仲いいけどな。
後輩の小賢しい注文を聞きながら絢香はまた苦笑する。
「わかった。そこら辺は調べとく。で、基本的には《ご飯食べて、ちょっと駅前で遊んで、じゃあまたねと健全にお別れ》でいいのよね?」
「さすが絢香さん。理想的です」
こんなんで褒められてもちっとも嬉しくない。
調べるって言っても、執行部の連中に聞くだけだし。
「で、不測の事態は成り行き任せ、ということで」
細かい予定は立てられない、という意味だったのに、後輩はまた真っ赤になった。
急にモジモジと体を揺すり、ものすごく不安そうな顔で絢香に問いかける。
「え、あの、……そういうのは受け入れないとダメなんでしょうか?」
「何の話をしてるのよ! あたしは臨時休業だったり、急に雨降ったりした時の話をしてるのに、あんたは何を受け入れるつもりなの?」
突っ込みを入れたら後輩はホッとしたように手を打った。
「ああ、そういう話でしたか。私はてっきり――」
そこまで言って、また真っ赤になり黙り込む。
さすがにバカバカしくなって帰りたくなる。
とはいえ絢香には、さっき変な話に付き合わせた借りがあったから、もう少し後輩にも付き合うことにする。
「あの、あと、プレゼントの話なのですが……」
真っ赤になったまま、おずおずと後輩が話し出す。
「さっきポチと話したら、何か考えている雰囲気だったのですが、私はどうしたらいいんでしょう?」
「受け取ったらいいんじゃないかなぁ」
投げやりな返事が口から出る。
もはや、のろけ話を聞かされてるだけだ。
そんな絢香の気分とは真逆に、後輩は勢い込んで椅子から立ち上がった。
「それはもちろん受け取りますよ! ポチがプレゼントをくれるなら、ゴミだって喜んで受け取ります! そうじゃなくて、私は何を返せばいいのか分からないんです」
目の前の机に両手をついて、ぐいっと身を乗り出してきた。
「やはり高級ブランドのバッグがいいのでしょうか? しかし私にはそんな金額とても出せませんので、来週までに何とかするとなったら――」
「待て待て待て。話がとんでもない方向に行きかかってるぞ!」
慌てて絢香は後輩を押しとどめる。
「あ、あのね、ポチ君はブランドバッグとか欲しくないから。あれ、欲しがるのは高橋だけ」
「……そうですか。よかった」
ホッと胸をなでおろす後輩を見て、絢香は頭を抱えたくなる。
――こいつ、ちょっとヤバい。
お気に入りの《理知的で落ち着いた美少女》がどこかへ行ったしまったのは知っていたが、ここまでおかしくなっているとは思ってなかった。
すでに絢香一人では手に余る状態なのでは?
真剣に対処法を考えていたら、目の前の後輩が立ったままボソッとつぶやいた。
「絢香さん。今のは半分、冗談です」
「半分しか冗談じゃないのかよ!」
思わず立ち上がって突っ込みを入れると、後輩は大笑いしながら椅子に座った。
「いま、すごく心配したんだから」
「すいません。勢いが止まらなくなってしまって」
そう言いながら後輩は、まだ楽しそうに笑っている。
「あんたが冗談言うの、初めて見たよ」
椅子に座りなおしながら絢香はぼやく。
こんな大口あけて笑ってる後輩の姿も初めて見た。
「いつもポチを相手にしてるので、つい」
後輩は恥ずかしそうに言うが、その姿も新鮮で悪くない。
からかわれるのだって、まあ楽しいしね。
「んで、ポチ君へのプレゼントなんだけどさ」
ちょっと思いついたことがあって、絢香は話を元に戻す。
「やっぱり彼の好きなものにするべきだよね」
にっこり笑って言うと、後輩は自信無げに頷いた。
「それが分からなくて困ってます。お茶は深蒸しより浅めの方が好きと分かっていますが、部室にまだありますし……」
意外にも後輩は茶道部っぽい事を言う。
思ったより活動してるんだな、と絢香は変なところで感心する。
「ん、そうじゃなくてさ。やっぱ男の子は女の子が好きじゃん? クリスマスになったら頭にリボンつけて『プレゼントは、あ・た・し』って言えばいいと思うよ!」
からかうつもりで言ったのだが、後輩は本気で考え込んでしまった。
「……ポチはそれで喜びますかね? 女の子が好きと言っても、私が好きとは限りませんし、そもそも私のようなものをプレゼントされても、ポチは困るだけなのではないでしょうか?」
不安な顔で聞いてくる後輩を絢香は笑い飛ばす。
「そんなことないって! いつも一緒にいるんだし、あんたを嫌いなワケないじゃん! 絶対喜ぶよ!」
絢香の言葉で後輩の表情がパアッと明るくなる。
少なくてもジョーク的な意味で大ウケはするだろう。
絢香が見る限り、あの男の子はそういうジョークを解するヤツだ。
言質を取ったと付け込むような《不測の事態》には発展しない。
「やっぱクリスマスだし、リボンは赤がいいと思うよ。自信なかったらあたしのトコ来なよ。可愛く作ってあげるから」
絢香が言うと後輩は目に涙を浮かべながら深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。絢香さんに相談してよかったです」
「ん、役に立てて何よりだよ」
目の前に下げられた頭を撫でながら絢香は思う。
――やっぱ、こいつ、大丈夫じゃないよな。
少し冷静に考えればおかしい話なのに、疑いもしない。
あの男の子が好きなのは分かるけど、余裕がなさすぎる。
この分だと当日まで、からかわれているのに気が付きそうもない。
悪い気もするが正直なところ、けっこう楽しみだ。
自分と同じように後輩も『からかわれるもの悪くない』と思ってくれたらいいんだけど。




