8-9 そこまでして勝ちたいのですか?
和室に戻ると、座布団の上に正座した先輩がお茶を飲んで、ふう、とため息をつく。
「やはり、この部屋で飲むお茶の方が美味しいな。あっちはいまいち落ち着かないよ」
「さすがに、あの臭いはキツかったですよね。寂れた漁港みたいしたから」
「それでポチ。さっきの疑問なのだが。ほら、君が『後で説明するから黙ってろ』と言った話だ」
そんな強い言葉は使っていなかったはずだが、まあ似たようなことは言ったかな?
うん、後で説明するは言ったけど、何の話だったか覚えてない。
「……ごめんなさい。どういう話題でしたっけ?」
僕が頭を下げたら、先輩は苦笑しながら長い髪を掻きあげる。
「何だ、もう忘れてたのか? 君はクリスマスのプレゼントに他の男が選んだものを渡されても嬉しいのか、という話だ」
そんな話だったっっけ?
まあ、よく覚えてないしな。
「えーと、例えば先輩は、僕が絢香さんに選んでもらった品物をプレゼントされたら嬉しいですか?」
「ふむ。君がくれるなら、何でも嬉しいと思うぞ」
大真面目な顔で言い切った。
そういえば恋愛成就の指輪も喜んでたもんな。
あれ、実質的にはゴミを加工しただけなんだけど。
「えーと、僕は先輩が『他の男と一緒に選んだ』品物をプレゼントされても嬉しくないです」
言うまでもないが『一緒に選んだ』がダメだ。
そんな度量は持ち合わせてないし、そんなの許すくらいなら宇宙の平和なんてどうでもいい。
僕の言葉に先輩は深く頷いた。
「なるほど。まあ、そんな予定はないがな。参考にはなったよ」
ないのかよ。
何かくれるのかなって期待しちゃったじゃないか。
まあ先輩が何かくれる時ってのは、ロクでもない頼み事がある時だしな。
「先輩は貰って嬉しいプレゼントとかあるんですか?」
あ、素晴らしい。
聞きたかったことが自然に聞けた。
クリスマスプレゼント、どうしようかずっと悩んでたんだよ。
「ふむ。そうだな」
先輩はまた髪を掻き上げながら少し考え込む。
「変に高価な物より、安くても実用品がいいな。オシャレでなくていいから身に付けるものとかが嬉しいと思う」
けっこう具体的に言ってくれたから、大変に助かる。
「あんまり、ブランドにこだわりがないんですか?」
「私はブランドとかよく分からん。高橋が貰っていたバッグとか、何がいいのか理解できないんだよ」
真面目な顔で言っているが、さすがに100均とかじゃダメだよな。
春日饅頭買い過ぎたせいもあって、あんまりお金ないんだけどな。
そもそもクリスマスに僕らが一緒にいるのかさえ分からないんだけど。
「あ、思い出した。君にプレゼントがあったんだ」
先輩はポンと手を叩いて、座布団から腰を浮かせる。
たった今『そんな予定はない』と言ってたハズなのに、いそいそと立ち上がって長い髪を掻き上げる。
「……何の話です?」
何やら楽しげなので、思わず警戒してしまう。
「そんな大した話じゃないよ」
訝しんでる僕を笑って先輩は肩をすくめる。
「以前、君は『本当に美味しいお菓子を持ってこい』と言ってたろ」
「ああ、それは覚えてます」
言った、と言うか書いたんだけど。
正確には僕ではなく《ジョン》が《スージー》に宛てて書いたモノだ。
「僕が泣いて謝りながら貪り食うという、アレですよね?」
「そう、それだ」
先輩は見下ろしたまま僕を指さす。
あの話、マジで言ってたのか……。
「今回は急な呼び出しだったから、君への報酬を話していなかったな?」
僕に背を向けて、先輩は軽い足取りで台所の方へ歩いていった。
「私もうっかりしていたが、ちょうどよかった。これを今回のご褒美にしていいだろうか?」
「それは構いませんが、そんなに自信があるんですか?」
「まあな。君なら絶対に美味しいって言うよ。もし不味いと言うのなら、なんでも一つ、君の言うことを聞いてあげてもいいくらいだ」
姿は隠れて見えないが、台所の方で上機嫌な声がする。
「言いましたね? 後で『なかった』はナシですよ」
「おいおい、本当に賭けるつもりなのか? 不味くなかったら私の言うことを一つ、何でも聞く覚悟はあるんだろうね」
この人のこの自信はドコから来るんだろう?
味覚なんて主観的だし、僕が嘘をついて『不味い』と言ってしまえばそれまでだ。
僕が負ける要素なんてドコにもない。
絶対に勝てる。
無茶なお願いして『ごめんなさい』と言わせてやる。
今度は逃がさないぞ。
ごめんなさいしなかったら、揉んでやるから覚悟しやがれ。
「いいでしょう。その勝負、乗りますよ」
「君が後悔しないといいけどな」
楽しそうな先輩の声に混ざって、何やら冷蔵庫を開け閉めする音がした。
この間まで春日饅頭で埋め尽くされていた冷蔵庫だ。
ようやく空になったと思っていたのだが。
まだ何か入ってたっけ?
そんなもの、いつの間に仕込んでたんだ?
僕が期待半分で考えてたら、先輩が大きめのタッパーを抱えて戻ってきた。
彼女は目の前にタッパーを置いて僕を見下ろす。
長い黒髪を掻き上げて、自慢気な顔で僕に告げる。
「さあポチ、プレゼントだ。喜ぶがいい。他の男と選んだんじゃないぞ。私が一人で作ったんだ」
「ちょっと待って! 手作りはズルいですよ!」
さすがにコレは反則だろう。
手作りのお菓子なんて、お店の商品に比べれば見た目も味も劣っていて当たり前だ。
なのに《手作り》という付加価値が、食べた人に『美味しい』と言わせる強制力を発揮する。
もし『不味い』なんて言おうものなら、今後の関係に悪影響を与えてくれる爆弾みたいな代物だ。
うっかりスルーしてしまったが、先輩は賭けの話を持ち出した時に『美味しかったら』から『不味くなかったら』に言い換えていた。
つまり僕が勝つには『不味い』と明言するしかない。
――しまった。ハメられた。
気がついた時にはもう手遅れだ。
先輩が『君なら』美味しいと言う、なんて言ってた時点で気がつくべきだった。
僕が先輩の手作りを絶対に『不味い』と言えないのを見越して、勝ち目のない賭事に誘導されてた。
何かとんでもない事を要求されてしまう予感がする。
「うん? 何がズルいんだ? むしろ私の手作りを喜んで欲しいところだぞ。こんな事は君だけにしかしないんだから」
……やっぱり、分かってて言ってるよな。
特別感を強調してて、絶対に『不味い』と言わせない圧力がすごい。
後は本当に不味い事を願うばかりだ。
食べられないくらいの味なら、正直に言える。
果たしてタッパーの中に入っていたのは、水ようかんだった。
何て事だ。
まともな材料で作って、見た目がちゃんとしてたら、確実にお店と味が変わらない代物じゃねえか。
もはや砂糖と塩と間違えたとかを期待するしかない。
「おや、水羊羹は嫌いだったか?」
タッパーの中身を小皿に取り分けながら、先輩が意地の悪い笑顔を見せる。
「さあ、召し上がれ」
僕の前に小皿を置くと、楽しそうにお茶を飲む。
こうなったら、もはや僕に出来るのはうやむやにすることくらいだ。
小皿を手に取り、一口食べる直前にふと気がついたように言う。
「あ、そういえば、クリスマスに何かやるんですか?」
「ん? 何の話だ?」
僕の唐突な質問に、先輩は余裕たっぷりの笑顔で答える。
ちくしょう、この人って美人だよな。かわいいな。
「前にクリスマスの予定を確認しましたよね? 茶道部でイベントとかやる考えがあるんですか?」
何か予定があるのなら、そっちの話題に集中させて誤魔化すつもりだった。
「なあ、ポチ」
クスッと笑って先輩は僕の名を呼ぶ。
「もうミニ大福はないから、うやむやにはできないよ」
ダメだ。こっちの意図が読まれてる。
「えーと、それで僕らはクリスマスにイベントをするんですか? 一般生徒にお茶を振る舞うとか?」
諦め悪く粘ったら、ようやく話に乗ってきた。
「そんな事を言ったつもりはなかったんだがな」
先輩はめんどくさそうな顔で長い髪を掻き上げる。
「その日は授業もないし、以前、帰りにラーメンでも食べにいこうって言ってたろ? その程度の話だ。それが美味しかったなら、クリスマスは私に付き合え」
僕は水羊羹を一口食べて、すぐに『美味しいです』と負けを認めた。
人生には勝ち負けよりも大切なものがあるからね。




