8-7 嫉妬心は世界を滅ぼす
ほどなくしてアッシーは真っ黒に日焼けして現れた。
汚れた制服を着て、その手に大きな紙袋を下げている。
ホントに写真のままだったのは、まあいいとして。
全身からすえた感じの異臭がするし、どこか遠くまで旅をして、ようやく戻って来たような姿だった。
とりあえず高橋の隣に座ってもらい、何があったのか説明してもらう。
淹れたお茶をまず絢香さんに渡して、その後でアッシーの分を淹れる。
「粗茶でございますが」
定型文みたいなフレーズとともに手渡すと、彼はそれをゆっくりと一息で飲み干した。
「なんだ、うまいな、これ」
柔らかなバリトンの声を出して彼は微笑む。
見た目のインパクトはすごいが、素直でいい奴っぽい。
めずらしく味を褒められたので、なんとなく嬉しい。
「じゃ、この件は解決したって事で」
気分の良いうちに逃げ出そうと立ち上がったら、絢香さんに腕を掴まれた。
そのままぶら下がるように体重をかけられ、無理やりソファに戻される。
「ちょっと待ってよ。あんた何で逃げようとしてんの?」
僕の腕を抱いたまま、キツイ目で睨んでくる。
そんなことを言われてもな。アッシー見つかったんだもん。
「もう僕のやる事、何もありませんよ?」
「いいからココ、座ってて」
強い口調で命令されて、仕方なくおとなしくすることにする。
左隣に座っている先輩が、そっと僕の手に自分の手を重ね、ミニ大福を分けてくれた。
「で、芦田は結局、何してたの?」
呆れた顔で絢香さんが事情聴取を開始する。
僕が話の進行役でもやらされるのかと思ったけど、ホントにいるだけでいいらしい。
まあ、それだけなら付き合ってもいいか。
ミニ大福を口にしながら、自分の分のお茶でも淹れよう。
「学校こない、家帰ってない、連絡つかないで高橋は心配してたんだよ」
絢香さんは机に肘をついて身を乗り出し、大真面目な説教口調で言っている。
まあ、高橋が心配してたのは彼の安否ではなく、クリスマスなんだけどね。
アッシーは隣の高橋を眺めながら首を傾げた。
「俺はメッセージ入れたぞ? なんの心配をしていたんだ?」
「そう、それ! あれ、なんなの? さっぱり意味が分からないんだけど」
「あんなのに説明が必要なのか?」
不思議そうな顔でアッシーが絢香さんに聞き返す。
彼はあれで全てが理解できると思っていたらしい。
「……ナンバーワンて何?」
「分かりきった話をわざわざ説明すると長くなるんだが」
二人は真面目に話をしているのだが、正直なところ僕は全く興味がない。
隣の先輩も同じなのだろう。さっきから僕の手にミニ大福を乗せる作業に勤しんでいる。
「先月の頭にハッシー――こいつが男と腕組んで歩いてるのを見かけたんだ」
「やだなぁ、それ、誤解だってば!」
すぐに高橋がアッシーの肩に手を置いて否定する。
……誤解なの?
「いや、その事をとやかく言うつもりはないんだ。ハッシーが男遊びしてたのは知ってるし、それで俺を選んだんだから、むしろ光栄と言っていい」
そこまで言って、彼は自分の言葉に納得したように頷いた。
「だが、あの日。ハッシーが知らない男と楽しそうに歩いているのを見た瞬間、俺の中に衝撃が走ったんだ。例えるなら、それはまるで大都会の大空にUFOが出現したくらいの衝撃だった」
「ほう、UFOが?」
あまりに大真面目な顔で絢香さんが聞き返すから、思わず吹き出しそうになる。
宇宙人の顔でUFOの単語が出てくるのは面白すぎる。
先輩はそしらぬ顔で全く表情を変えてないが、その瞬間、ピクッと硬直したようになっていた。
たぶんウケてる。
「ハッシーが俺を選んでくれたと思っていたのは俺の思い込みだったのか? 本当は男なら誰でもよかったのかと考え出したら止まらなくなったんだ。ああ、わかってる。器量の狭い人間にありがちな妄想だ」
自己嫌悪の表情を作ってアッシーは嘆いている。
やたら目が大きいせいなのか、彼の感情は分かりやすく顔に出る。
……でも、それ、当たってると思うんだけどな。
「こんな器の狭い男がハッシーと釣り合ってるとは思えない。じゃあ俺はどうすればいい?」
「器の大きい人物になればいいんじゃない?」
苦渋に満ちた彼の告白に、絢香さんはそのまんまな答えを口にする。
だが彼は悲しげに首を横に振る。
「なれないから困ってたんだ。嫉妬心は世界を滅ぼしかねない邪悪な心だ。俺がこんな有様では地球の平和が、いや宇宙の平和がピンチになってしまうんだ」
「なるほど。宇宙の平和は大切だね」
……ダメだ。苦しい。
絶対に絢香さんは分かってて言ってる。
いつもの笑顔じゃなく、あえて真面目な顔してるのは僕らを笑わそうとしているからだ。
ちくしょう、後でなんか仕返ししてやるぞ。
「だから俺はナンバーワンになろうと決めたんだ」
「はい?」
唐突な話の飛躍に、絢香さんが素っ頓狂な声を出した。
「え? 何? ナンバーワンてなんの事?」
「ここまで言っても分からないのか? 俺の魅力が足りないのが原因なんだ。ハッシーが他の男に興味を無くせばそれで全てが解決する。俺がハッシーの圧倒的ナンバーワンになればいいのだ!」
「ああ、そうなんだ……」
だいぶ気の抜けた声で絢香さんが返事をした。
一方でアッシーの話は次第に熱を帯びてくる。
「俺はいままでハッシーにできることは何でもしてきたつもりだ。だが、それでもまだ足りなかったと思い知った。だから俺は叔父に頼み込んで遠洋漁業の船に乗せてもらい、今帰ってきたところなんだ!」
「……はい?」
アッシーは足元の紙袋に手を入れると、綺麗にラッピンクされた箱を取り出す。
そして、それを大切そうに高橋へ手渡した。
「メリークリスマス。ハッシーが欲しがっていたブランドのバッグだよ」
言った途端に高橋は輝くような笑顔を見せた。
「すごい! ホントに買ってくれるなんて!」
「君が望むなら何だって叶えてあげるよ」
彼が照れ笑いしながら言うと、高橋はアッシーの首にすがりつくように抱きついた。
「アッシー、大好き!」
「僕もだ、ハッシー」
「ああ、アッシー!」
「おお、ハッシー!」
そのまま二人は僕らの目前で濃厚なキスシーンを演じ始める。
ここ、生徒会室なんだけどな……。
シーシーうるさい人たちだ。
まあ大体の事情は理解できた。
芦田は高級バッグの費用を捻出するために遠洋漁業のアルバイトをしていた。
親戚と言ってたから親にも話が通ってたはずで、音信不通だったのは圏外だったからだろう。
やはり事件性などドコにもなかった。
ただ学校サボってアルバイトしてただけだった。
「……ごめん、あたしの早とちりだった」
絢香さんがげんなりした様子で僕にもたれかかり、謝罪の言葉を口にする。
反対側の先輩も、正面の二人から目をそらして僕に体を預けてくる。
「なあポチ。君が帰りたがってたワケがいま分かったよ」
「あたしもそんな予感がしたから引き止めたんだけどさ」
二人とも疲れ切った感じなのは分かるけど、僕だって同じだ。
揃って僕を背もたれみたいに使うのは勘弁してほしい。
長いキスを終えた二人は互いを見つめ合っている。
「じゃあクリスマスはアッシーと一緒にすごせるのね?」
「もちろんだよ。二人でまた夜の星を見に行こう」
「素敵! クリスマスのプレゼントも期待してるわ!」
「……ああ、任せてくれ。一生の思い出になるクリスマスにするよ」
アッシーは目が大きくて感情がすぐ顔に出るから、色々分かりやすい。
クリスマス当日まで、彼はまた行方不明になるのだろう。




