先輩と絢香
「うち、出前はしてないのですが」
下校時刻間近に生徒会室へやってきた後輩は、お茶セットを抱えながらぼやいている。
「そう言うなよ。ここのコーヒー勝手に飲むワケにもいかないんだ」
堂々と生徒会長の椅子に座る絢香だが、もう執行部のメンバーではない。
さすがに執行部の予算で買ったものを黙って使うのは気が引ける。
「茶道部だって限られた予算の中からやりくりしてるんです。ここのコーヒーを絢香さんが勝手に使っても、文句いう奴は執行部にいませんよ」
「ま、そう言うな。あんたのお茶を飲ませてよ」
拝むようにして言うと、後輩はため息をついてからお茶の準備を始める。
なんだかんだ文句は言っても、けっこう素直ないい奴なのだ。
「なんでこんな時間まで、一人で生徒会室に残っているんです?」
「オカ研の件、ちょっと後始末に苦労しててね。少し書類の確認してた」
肩をすくめて言うと、何がおかしかったのか、後輩はクスッと笑って同じ様に肩をすくめる。
「何なら、あんたに任せようか?」
「勘弁してください。私は絢香さんみたいに優秀じゃないんです」
湯呑みにお茶を注ぎながら、淡々とした口調で答える。
「はい、どうぞ。茶菓子はまた春日饅頭ですが」
「ん、ありがと」
差し出されたお茶を受け取って絢香は軽く頭を下げる。
「あんたが淹れてくれるお茶ってなんか美味しいよね。淹れ方にコツとかあるの?」
さすがに茶道部を名乗るだけはある、と思って言ったのだが、後輩は面白くもなさそうに答える。
「茶葉に贅沢してるだけですよ。誰が淹れてもこの程度の味は出ます」
「え? 単に値段の問題なの?」
「そうですよ。もっと美味しいのが欲しかったらポチを呼んでください。淹れるのは彼の方が上手いです」
さりげなく自分の男を持ち上げてくる。
自慢してるつもりもないのだろうが、と思うと微笑ましくて笑ってしまう。
「へー、意外だな」
「あれで案外と凝り性、というか男の子なんですよ」
受け取ったお茶を一口飲んで、絢香はホッとため息をつく。
「茶道部っていつからあったんだっけ?」
「さあ、あまり部活の歴史には詳しくないので」
あまり興味なさそうな顔で、絢香の前に春日饅頭を置く。
こういうトコはあまり昔から変わってない。
「書類上では茶道部って去年の秋の生徒総会で承認されてるんだよ。あたし、そんな記憶ないんだけどね」
すでに絢香が生徒会長になってからだ。
限られた予算の奪い合いになるので創部申請はかなり揉める案件である。
覚えてないなんてありえない。
「会計の書類にも齟齬がないし、どういう事だろうね」
机に頬杖を突いてにっこり笑うと、後輩は観念した様に話し出した。
「都合よく、活動予算がついてた部活が新年度になって部員ゼロで廃部になりまして。予算を付け替える都合で昨年創部にする必要がありました」
絢香から一度視線を外し、長い黒髪をかきあげてため息をつく。
それで覚悟を決めた様に絢香に視線を戻した。
……別に不正の糾弾をしたいわけじゃないんだけどな。
突然、茶道部が出来たのなんて、執行部の人間なら誰でも気がついてる。
生徒会の会計なんて帳尻さえ合っていれば問題にならない。
「ま、そのあたりはどうでもいいんだけどね」
部費の使い道のいい加減さはたびたび問題になっている。
言ってしまえば茶道部の件だって、その程度のことなのだ。
見かけ上の書類に問題はないし、例えば卓球部がシミュレーターと称してゲームソフトを買っていた件に比べたら、ずいぶんマシだ。
「……あれはメンドくさかったなぁ」
当時のことを思い出すと、つい独り言が漏れてしまう。
「なんの事です?」
訝しそうに後輩が聞いてくるので、慌てて絢香は手を振った。
「ごめん。今の何でもない。独り言だから忘れて」
だがすでに後輩は絢香の顔なんか見てなかった。
見開いた目でじっと絢香の右手を凝視している。
「……あの、絢香さんて前から指輪してましたっけ?」
「ん? ああ、これの事?」
言われて絢香は右手の薬指を指差す。
そこにはシンプルなクロスデザインの指輪が嵌っていた。
「それ、どうしたんです?」
「ポチくんに貰った」
あっさり事実を言ったら、後輩はものすごい衝撃を受けた様で、絶句したまま固まってしまった。
「このあいだ和室に行った時に面白そうなモノを作ってたからさ。『一個ちょーだい』ってねだったんだよ。これ失敗作らしいんだけど、よく出来てるよね」
簡単に経緯を説明しても、後輩は愕然としたままだった。
「……ポチが絢香さんに……指輪を?」
「いや待って。別に深い意味なんてないから。あの子、指輪の意味なんか知らなそうだし、薬指なのはたまたまサイズがそこだっただけで」
とりあえず言い訳をしてみたが、後輩は全く聞いてなかった。
見開いた目のまま、まばたきもせず念を押す様に聞いてくる。
「わざわざ和室に顔を出して、指輪を貰ったんですよね?」
「いや、待て。あたしだって名目上は茶道部員なんだぞ。和室に顔を出して何が悪い」
絢香が言うと、そこで後輩はようやくまばたきをした。
「え? 絢香さん、勝手に名前使ったの知ってたんですか?」
「部活は通知表に乗るんだから夏休み入る時に気がついたよ。創部に人数必要なのは分かるけどさ。あんたが勝手に名前を使うから推薦の内申書にまで書かれちゃって、面接の時に茶道部の質問されたあたしが、どんだけ困ったのか分かってる?」
ホント、茶道のことなんか何も知らないし、冷や汗かいた。
「そ、それはまた大変なご迷惑を……」
「わかったら指輪くらいでガタガタ言うな!」
一喝したが、それでも後輩は引き下がらない。
「だって絢香さん。私はポチに何か貰うの初めてだったんですよ。楽しみにしてたのに、先に絢香さんが貰っていたなんて、なんかズルいですよ。約束してたのに横入りされたような気がするんです」
「だからって泣くほどの話なの?」
「だってポチの手作りだし、私だけだと思ってたのに」
「悪かったよ。そんなに意味のある話だと思ってなかったんだ」
ボロボロと涙を流す後輩を宥めながら、絢香は途方にくれる。
まいったな。
からかうつもりでワザと指輪を見せていたのだが、ここまでの話とは思ってなかった。
こいつにしたら裏切られた様な気分なのだろう。
「……あの、ね。あたしが無理やり貰ったんだし、ポチくんには悪気も他意もなかったと思うのよ?」
もう仕方ないから自分が悪者になることにした。
こんなことで二人の中にヒビが入ったら、絢香だって居心地が悪い。
「……嵌めてもらいましたか?」
「はい?」
低い声で後輩が言う。
「その指輪、ポチに嵌めてもらいました?」
「いや、さすがにそんなおねだりしないよ。プレゼントとして貰ったわけじゃないから」
「……なら、いいです」
危なかった。
実は一瞬、考えたのだ。
彼をからかうつもりで『君が嵌めて』と言いかけた。
口に出す直前になってエロフレーズっぽいと気づいてやめたのだ。
「あのね、ポチくんだってあたしのために作ったんじゃないんだし、余ってんの貰っただけで、あたしだってそんなに欲しかったわけじゃなくてね——」
泣き続ける後輩を宥めながら絢香は途方にくれる。
実は嘘なのだ。
本当はすごく欲しくて貰ったのだ。
だって、こいつとペアリングしたかったんだもん。
正直に言った方が丸く収まる、と絢香が気づいたのは、しばらく後の話だった。