1-7 空飛ぶメガネ
「むっ、来たな」
先輩が小声で囁いたのは、掃除用具入れの裏に隠れてから五分も経たない頃だった。
女子更衣室の扉が音もなく開く。
中からメガネをかけた男子生徒がスルッと出てきた。
すばやく周囲を見渡し、誰にも見られなかった事を確認すると、何食わぬ顔で歩き去って行こうとした。
彼が背を向けると同時に、先輩が掃除用具入れの陰から飛び出した。
「生徒会執行部だ、そこを動くな!」
大音声で先輩が叫ぶと、男子生徒は驚いた顔で振り返る。
僕らの姿を確認すると慌てた様子で背を向けて、脱兎のごとく走り出した。
「逃がすな!」
僕らを振り返って先輩が叫ぶ。
だがその指示よりも早く、沙織さんは走り出していた。
「待ってえくださぁいぃ!」
あっと言う間に追いついた沙織さんは、雄叫びも高らかにスライディングタックルを躊躇なくかます。
恐ろしいほどの正確さで、背中を向けて逃げる男の《体重が乗った側の足》を蹴り飛ばした。
男子生徒はメガネを吹っ飛ばしながら、もんどりうって廊下に倒れる。
「ああっ、しっかりして。池目先輩!」
沙織さんは《思いもよらない出来事が起こった》と言わんばかりの表情だ。
素早く立ち上がってめくれ上がったスカートを直してから、慌てた様子で彼に駆け寄っていく。
あまりに一瞬の出来事だったので、僕は掃除用具入れのところで唖然として見ているだけだった。
「いたたた。君たちはいきなり何をするんだ?」
沙織さんに抱き起こされ、打ち付けた腰をさすりながも男子生徒は平静を装っていた。
なるほど、確かに顔がいい。
沙織さんはロリッとした見た目だから、なんとなくお相手はヤンチャなボーイ系を想像していたんだけど。
実際の池目は意外にも爽やか系のクールなガイって感じである。
ここでようやく、池目は自分を抱き起こしている人物が誰なのか気がついたらしい。
「あっ、君は沙織ちゃんじゃないか?」
「……はい、沙織です」
腕の中の池目から名を呼ばれ、沙織さんは申し訳なさそうに身を縮ませた。
「俺の告白を断った上に、この仕打ちかい? そこまで俺がイヤだったのか?」
フッと自嘲気味に漏らしたため息の中に笑顔が混ざる。
「……ち、違います。そうじゃなくて」
顔のいい男に見つめられて、沙織さんは早くもしどろもどろになってしまった。
頰を赤く染めて目を潤ませている沙織さんに代わって、先輩がズイッと前に出た。
「あいにくだが、とぼけても無駄だ」
切れ長の目を細めた先輩が、低い声を出して前へ出る。
「私たちは、あなたが女子更衣室から出てくるのを見ていたんだ」
長い黒髪と豊かな胸を揺らしながら、先輩は池目の所へズンズンと歩いていく。
「まずは沙織のブラジャーを返して貰おう。生徒会室で犯行の動機も聞かせてもらうからな」
先輩の剣幕に臆する様子も見せず、池目は廊下に座ったまま、わざとらしく肩をすくませ、
「俺のメガネはどこへ行った?」
薄笑いを浮かべながら、堂々とスッとぼけた。
「現場を押えた以上、いくらシラを切っても無駄だぞ。何のために沙織の下着を物色していた」
先輩は低い声音で責め立てるような口調で言うが、池目は薄笑いを崩さない。
「何の事か分からないなぁ」