7-2 1日目
「これは会長――絢香さんの頼みでな」
膝を崩した姿勢でお茶を飲みながら、先輩は話を始める。
「昨日、すぐに報告しなかった事を怒られたよ。ずっと私を待っていたらしい」
だから言ったのに、と思わなくもないが、いまさら言っても仕方ない。
苦笑しながら彼女の斜め向かいに腰を下ろす。
「ああ、それは失敗しましたね」
「まったくだ。せめて確認するべきだったよ。おかげでこんな罰ゲームを押し付けられた」
面倒くさそうにボヤきながら先輩は便箋を指差した。
「いまどきラブレターの代筆ですか?」
呆れながら聞くと、先輩は大げさにため息をついてから右手で額を押さえた。
「まいったよ。そんなの人生で一度だって書いた事ないのに」
「そんなの人に頼みますかね」
代筆のラブレターなんて貰っても嬉しくないだろう。
口下手とか文章苦手とかあるだろうけど、何か間違ってないか。
「君の手を煩わせるような話でもないんだ。ただ手紙を書くだけだし、私一人でやるよ」
殊勝な事を言って、先輩はラブレターに取り掛かった。
□
真面目に文章を書いている時に話しかけるのは良くないだろう。
そう思って座卓を離れ、窓際で指輪の加工を再開した。
手元に集中したいのだが、さっきから視界の端に映る先輩の姿がやたら落ち着かない。
ボールペンを片手に、何度も書きだそうとしては悩ましくため息をついている。
やがて意を決したような顔でボールペンを置いて僕を見た。
「ポチ、こっちこい!」
犬みたいな呼ばれ方をされてしまった。
「なんですか?」
素直に先輩のところへ行くと、湯呑みを僕に押し付けてきた。
「昨日、君が言っていた事は正しいな。一度もやったことがないと、どうしたらいいのか全く分からん。ラブレターを書こうと頑張っているのに、気がつけば途方にくれていたよ」
気だるげに髪を掻き上げて、情けなさそうな笑顔で言う。
「すまん。手を貸してくれ。私一人では無理だった」
頭を下げる先輩の前に、淹れ直したお茶を置いた。
「手伝うのはいいんですけど、僕だってラブレターなんて書いたこと無いですよ?」
僕が言うと、先輩は顔を上げて胸の下で腕組みをした。
「誰かから貰ったこともないのか?」
「先輩は貰った事ありそうですね」
そう聞くと先輩は少し嫌そうな顔をした。
「まあ多少はな」
「じゃあ、それを参考にしてみては」
話の流れからは当然の提案だったが、彼女は静かに首を振る。
「よく知らない奴からラブレターを貰うってのは、けっこう怖いぞ。封を開けばどっかで聞いた薄っぺらい言葉の羅列とか、よく分からんバンドの歌詞が書いてあったりするんだ。そんなもん読ませて私にどうしろと言うんだ」
「えーと、自作のボエムの方がよかったと?」
言ってない、と先輩は苦笑しながら顔の前で右手を振る。
まあそうだろうな。僕だって電波なモノは受け取りたくないぞ。
「しかも、それですらマシな方なんだ。本気で嫌になるぞ」
先輩は大真面目な顔で言っているのだが、いまいち想像がつかない。
「話したこともない相手からの手紙なんて下心しか感じないし、正直に言えば気持ち悪いよ」
「ラブレターに関する先輩の認識はわかりました」
興味深い話題なのだが、それを聞いてると日が暮れる。
「とりあえず確認したいのですが、先輩が代筆する人ってどんな人なんですか?」
「知らん。三年の女子と言われたが、面識もない」
いきなり頭を抱えたくなる返事が来た。
「お相手の男性はどんな人で……、男性でいいんですよね?」
「うん。なんか男子みたいだ」
素直に首肯してくれたのはいいのだが、それすらも曖昧なのか?
「何でそんなに情報が少ないんです?」
「いちおう話は聞いたはずなんだが、興味なかったので覚えてない」
手元の湯呑みを引き寄せながら、つまらなそうに先輩が言う。
「そこ、ちゃんと聞きましょうよ。そんなんだから途方にくれるんですよ」
「そう言ってくれるな。その前に絢香さんとしていた話題でけっこう動揺していたんだよ」
思わずため息が出る。
どんな話してたら、次の話の内容を忘れるんだろう?
「そもそも、これ、茶道部でやる話なんですか?」
「だから絢香さんから罰として押し付けられたんだよ。だいたい執行部でこんな話、扱えるワケないだろ? 間違いなく茶道部の話だ」
先輩は胸を張ってキッパリと断言する。
普通、茶道部ってラブレターの代筆はしないと思うんだけどな。
まあ、先輩がそう言うのなら僕に異論はない。
「先輩、ここは思い切って、すごく気持ち悪い文章を書きましょう」
「は?」
「先輩の話を聞く限り、ラブレターというものは独りよがりで気持ち悪いとわかりました。でしたら先輩が受け取って気持ち悪いと思うものが正解です」
「いや、待て、ポチ。その理屈はおかしくないか? この話は告白をして付き合うことが目的なんだぞ」
そんな話は今初めて聞いたぞ。
「大丈夫です。さっきの指輪の話を思い出してください。男子と女子は感性が違います。女性が気持ち悪いと思うモノも、男性には魅力的に映ります」
「……そうなのか?」
「そうです。逆説として男性の書いたラブレターは、先輩には気持ち悪いのです」
「な、なるほど。そういうものなのか」
「具体的には相手のどこが気に入ったのかと、これからどうしたいのかを書きましょう」
「うむ。ポチは頼りになるな。やってみるよ」
□
私のジョン。
いつもお世話になっております。
すっかり寒くなりましたが、お身体に変わりはないでしょうか。
雨の降る通学路であなたが子犬を拾ったときから私のハートは青空の彼方へ消えて言ってしまいました。
いまは暗い闇の中で心細くて震えています。
どうかあの子犬のように、あなたの温かい手で私の心も拾ってください。
それだけが私の願いです。
校内の落し物は生活指導部の先生が担当なので、そちらへ届けてくだされば幸いです。
それではよろしくお願いいたします。
かしこ。
□
便箋一枚書き終わって、先輩が頭を抱えている。
「……だめだ、どうしても気持ち悪くならない」
「すでに充分、怪文書だと思いますが?」
腕組みをして目の前の便箋を睨んでいる先輩に声をかけた。
とてもラブレターには見えないが、彼女なりに精一杯頑張った結果だ。
「もっと生理的に嫌悪感をもよおす文面にしたかったのに、無意識に文章をまとめようとしてしまうんだよ。ラブレターを書くのは思ってたよりずっと難しいな」
納得できないらしくて独り言のように文句を言っている。
「ところで、冒頭のジョンて誰なんです?」
「分からん。何となく出て来た」
腕組みをしたまま先輩も不思議そうな顔で答えた。
「雨の中で子犬を拾った話はどこから出てきたんです?」
「相手が何者なのか分からないんだから、こっちでエピソード作ってみた」
先輩と話をしながら目の前にある便箋を取り上げ、セットの封筒に入れる。
「もう最終下校時刻も近いし、この辺で終わりにしましょう」
「……そうだな。やれることはやった気がするよ」
僕が笑いかけると、先輩も頷いて力なく肩を落とした。
自分でもけっこう意外だったが、先輩が誰か知らない男にラブレターを書くのがすごく嫌だった。
代筆だし、あんな文面なのに、あれを受け取る男に嫉妬していた。
少し強引に切り上げたのは、僕の個人的な感情からだ。
ホント、自分の器の小ささには何度も驚かされるよな。
「ありがとう、ポチ。おかげで助かったよ」
先輩が僕を見上げて笑顔で言うから、ちょっと後ろめたい気分になる。