先輩とみゆき 5
「……あのね、あたし、部活サボっちゃったんだけど?」
電柱の影に隠れるように座りながら、さすがにみゆきはうんざりとした表情になる。
「たすけて、なんて電話してくるから何があったかと思ったのに」
今日のお昼に梶崎の件があったばかりだったから、また何か迷惑をかけてしまったのかと、慌てて駆けつけた自分がバカみたいだ。
「どうして、ただ男が泊まりにくるってだけで、あたしを呼び出すのよ」
「待ってくれ、みゆき。まだ泊まってもいいなんて話はしていない」
みゆきの隣で友人が首を横に振ると、濡れた髪が重そうに揺れる。
「そんな事言いながら、あんたシャワーまで浴びて準備万端じゃん。この寒いのにノースリーブのワンピースまで着ちゃって、ホントはやる気まんまんなんでしょ?」
「いや、これはそういう事じゃなく、汗をかいてたし、私が家を出る前にポチが来てしまったらどうしようと思ったから」
「約束したんなら触らせりゃいいじゃん。あんたいったい何がしたいのよ?」
「だって仕方ないじゃないか。私の胸は大きすぎて気持ち悪いだろ? うっかり人様に披露していいモノじゃないんだよ」
「そんなに気になるなら、ダイエットでもしてみたら?」
みゆきは何気なく言ったつもりなのだが、友人はその言葉を耳にした途端、いきなり激高して立ち上がった。
「ダイエットをしたらアンダーだけ減った私の気持ちが、みゆきに分かるか! しかも体重を戻したらトップだけ増えたんだぞ。理不尽だ!」
涙目になって言うもんだから、呆れてモノも言えない。
「……なんでダイエットしようと思ったのよ?」
「だって、もう少し胸が減ったらいいなぁって思ったから……」
「つまり、あんたはポチくんに触らせる気があるんでしょ?」
「そうなのか?」
「あんたの話だよ!」
興奮している友人を何とかなだめて、また隣に座らせた。
「だいたいさ、その胸も含めてあんたなんだから、いちいち自分を否定するような事を考えても意味なくない?」
「そうは言うが、私の身になれば、みゆきだってきっと意見が変わるぞ」
「じゃあ、あたしの胸と交換する?」
「それはイヤだ。みゆきの胸は控えめすぎる」
こいつ、ぶん殴ってやろうかな。
「あのね、あたしは食べた分だけ運動してんのよ? 栄養バランスも考えているし、あんたみたいにコーヒー牛乳飲まないでしょ?」
「……美味しいんだよ、あれ」
「知ってるよ! あたしだって好きだけど飲まないの!」
もう突っ込むのもバカバカしくなってきた。
何で電柱の影に隠れながら、こいつと胸の話なんかせにゃならんのだ。
「それで、あのブレザー、ちゃんとポチくんに返せたの?」
「ああ、もちろん返したが、それがどうかしたのか?」
しれっとした顔で言うから、みゆきは吹き出しそうになった。
「そりゃ気になるよ。あたしが預かったのに、あんたがスゴイ勢いで奪い取っていくんだもん」
「だって、みゆきは梶崎の上着からスマホを取り出して操作していたから、両手が塞がっていたじゃないか。私がポチの上着を預かっていれば作業しやすいと思ったんだ!」
「はいはい、そういう事にしておきましょうね」
あの時の彼女は、うっかり何か言えば噛みつきそうな顔をしていたのだが、きっと分かっていないんだろう。
「その言い方では、まるで私がポチの上着を欲しがっていたみたいじゃないか」
突っかかるような言い方に、みゆきは思わずため息を漏らす。
「どうせ、あんたの事だから、うっかり返しそびれちゃったフリして持ち帰って、匂いを嗅いだり、こっそり着てみたりしたんでしょ?」
案の定、たちまち友人は耳まで真っ赤になった。
「ど、どうして知っているんだ? いや待ってくれ。みゆき、それは誤解だ。着てみたと言っても少しだけだし、ポチが急に生徒会室へ来たから、そこまでは!」
必死になって言いワケをする姿に、みゆきは正直なところ少し引いた。
「……ほどほどにしときなさいね」
この様子では、マジで匂いを嗅ぐくらいしてそうだ。
「シッ! みゆき、静かにしてくれ。ポチが来た!」
下手な話の誤魔化し方だったが、電柱の影からそっと友人宅の様子を窺うと、確かに一年の男の子が玄関先に立っていた。
「……ねえ、いきなり膝から崩れ落ちたんだけど?」
「うむ、サプライズは成功したようだ」
満足そうに彼女は頷いているが、みゆきにはそう思えない。
「さすがに可哀想じゃないかなぁ……」
好きな異性の自宅へ招待されるなんて、かなりのビッグイベントである。
きっと色んな期待をしていただろうに、この仕打ちはかなり酷い。
「大丈夫だ。私だって鬼じゃない。ちゃんと玄関にカレーを置いてきた」
友人は大真面目な顔で言うのだが、さっぱり意味が分からなかった。
「……あたし、泣きながらカレー食べる人って、初めて見たよ」
「私は料理が下手だからな」
無念そうに呟いているけど、ホントにそういう問題なのか?
泣くほど不味いカレーなんて、いったいどうしたら作れるのだろう?
疑問に思って振り返り、みゆきは絶句した。
「ん? どうした、みゆき?」
銀色のスプーンをくわえた友人が不思議そうな顔をする。
「ちょっと待って。あんた、なんで道端でカレー食べてるの?」
どうもカレーくさいと思っていたら、彼女はタッパーに詰めたカレーをバッグの中に忍ばせていたらしい。
「だってポチは私たちのために一生懸命働いてくれたんだぞ。こうして離れていても、せめて気持ちだけは同じ時間を共有していたいじゃないか!」
一緒に食べたいのなら、普通にそうすればいいのに。
「それ、あたしにアピールしても意味ないから。絶対、彼には伝わんないから」
「だって仕方ないじゃないか。今日のポチは本気だったぞ。いま顔を会わせたら、間違いなく揉まれてしまう」
「もういいから揉まれてきなさい」
「いやだ、怖い」
即座に彼女は首を横へ振った。
「結局、それが本音なの?」
「だってポチは、私の胸をどうやって揉もうか、ああしてずっと考えているんだぞ。胸を揉みたい一心だけで、私の事を『大好きです』とか言ってのけたんだから!」
何でこいつの中では《彼は絶対に自分を好きじゃない》ってのが動かせない前提になっているんだろうか?
なまじ美人だから変な苦労があったのかなぁ。
イヤイヤをして駄々をこねる子供みたいな仕草に、みゆきの口からため息が漏れる。
「あのね、いくら男の子でも、そこまで揉む事ばっか考えてないから」
「……そうなのか?」
「あたり前でしょ。いくらあんたの胸が大きくて魅力的でも、そんな事考えながらカレー食べる人は普通いないの! そもそも、あんたはポチくんを色仕掛けで篭絡したいの? それとも手順を踏んでゆっくりとお付き合いをしたいの? もうちょっとどっちかに狙いを絞ろうよ」
「だって、そんな事、言われても……」
「あんたの『だって』はもう聞き飽きた! ……だからカレー食べながら泣くなよ!」
本当にこいつは、みんなが《クールビューティー》と呼んでいる女と同一人物なのだろうか?
一年の頃に仲がよかった友人とは、全くの別人なんじゃないかとすら思えてくる。
「分かったから。ああ、もう。ワンピースにカレーこぼれてるよ!」
呆れ返っているみゆきをよそに、彼女はカレーとスプーンを両手に掲げ、遠くに見える彼を拝むような姿勢で、いまだに涙を流している。
「……すまん、ポチ。君とそういう関係になる事は決してやぶさかではないのだが、そう言うのは、まだ私たちには早すぎる気がするんだ」
「だから、それ本人に言わなきゃダメなんだってば!」
もう、こいつ放っといて、今からでも部活、行こうかな。
そんな思いも浮かんでくるが、いまの友人の姿はけっこう大変な事になっていた。
胸の大きな女の子が寒空の下、道端にしゃがみ込んで泣きながらカレーを食べている。
かなりシュールな光景だ。なまじ美人なだけにワケが分からない。
おまけに、この寒空の下でノースリーブのワンピースである。
こんなの放置しておいたら、あっという間に変な男に声をかけられるか、あるいは警官に職質されるか、とにかくロクでもない事になるだろう。
もう、こうなったら仕方がない。
みゆきは力任せにスプーンをもぎ取ると、あっけに取られている友人を睨む。
「ちょっとあんた、一人で食べてないで、あたしにもそれ食べさせてよ」
言うと同時に彼女が持っているタッパーにスプーンを突き立て、猛烈な勢いでカレーを掻き込み始めた。