5-11 思う存分触るがいい!
結局のところ、ちょっと誤解があっただけ、という話になるのかな?
別れ話がこじれたのは確かだけど、探せばもっと穏便な解決方法だって……。
「……あれ? ちょっと待ってください。これって梶崎の尾行なんかせず、キチンと話し合いをしていれば、それだけで済んだ話なのでは?」
先輩は最初から《話し合いは成立しない》と決めつけて、相手の意図を探る事さえしなかった。
尾行が見つかった時だって、先輩の発案でアベックのフリをしたのが《僕が二股をかけている》という誤解の元になっている。
……うん、どう考えても先輩が話をややこしくしてるよな。
「全部、先輩のせいだって言うつもりはないんですが……」
非難の意志を込めて視線を向けると、彼女は気色ばんで立ち上がった。
「だって仕方ないじゃないか? 私は春に梶崎と揉めたんだ。あの時、私がどれだけ怖かったか分かるか? 君が助けに来てくれなかったら、どうなっていた事か」
湯飲みを持ったまま身振りを交えて喋るので、辺り一面に茶がこぼれる。
こんな事ならタオル、持って来りゃよかったな。
「おかげで君だって停学になった! 話し合いを回避するのは当然だろ? あの時の梶崎は、さんざん『別れたくない』ってゴネてたんだ。今回だって必ず揉めると思っていたんだよ!」
「もしかして、僕は殴られ損だったんじゃ……」
いったい何のために、僕はあんな苦労をしたんだろう?
「だから、最初に『悪かった』と言っただろう!」
「謝ったのは、その件かよ!」
てっきり『距離を置こう』と身勝手に言い出した事だと思っていたのに!
「で、言いたい事の二つ目なんですが」
僕が話を仕切り直すと、それに合わせて先輩も椅子に座り直した。
「ふむ、聞こうじゃないか?」
豊かな胸の下で腕組みをして、偉そうな態度で返事をする。
「あの約束、覚えていますよね?」
ニッコリ笑って両手を伸ばすと、彼女は椅子から飛び跳ねるようにして僕から距離をとった。
「待て、ポチ。確かに覚えているが、それは違うだろう? この件は私一人でやると言ったよな? それを君が勝手に解決してしまったんだ。あの約束は無効だ!」
「僕、すごく痛かったんですよ」
決闘で梶崎に殴られた頬をさすりながら良心へ訴えかけてみる。
本当は痛いよりも、恥ずかしかったんだけどね。
先輩は後ずさりしつつ、あちこちに目をさまよわせながら必死の抗弁をする。
「いや、しかし、何度も言うが私は自分の胸にコンプレックスを持っているんだよ。いくら君でも、さすがに抵抗が——あっ、そうだ!」
急に何かを思いついたらしく、満面の笑みを僕へ向けた。
「みゆきに触らせてもらったらどうだろうか? 彼女の胸は掌サイズのかわいらしい胸だぞ。私より経験も豊富だし、頼めばきっと——」
「先輩、その発言は、いくらみゆきさんが友人でも失礼すぎます」
「……すまん、そうだな」
僕がたしなめたら、シュンと、しおれる様にうなだれてしまった。
さすがに悪い気がしてきたな。別に本気で約束を守れというつもりもないしね。
——そろそろ勘弁してあげようかな。
なんて思っていたのに、先輩は何を考えたのか、決然とした顔を僕へ向けると、
「……わかった。約束はキチンと守らなければいかんな」
足を肩幅に開き、両腕を後ろで組むと、グイッと突き出すように胸を張った。
「さあ、ポチ。思う存分触るがいい!」
「……あの、先輩?」
「ど、どうした? 早くしたまえ!」
……そう言われてもなぁ。
この人は、いったいどこまで本気なんだろう?
どうしたものかと戸惑っていたら、
「ああ、そうか」
と急に先輩がニヤリと笑った。
「君は胸よりも下着の方が好きな変態だったっけな」
長い髪をかき上げながら見下すように僕を見て、フフンと鼻で笑ってる。
ああっ!、この女、僕が困っているのに気がついた途端、態度を変えてきやがった。
「バカ言わないでください。僕はオッパイが大好きです」
僕は決然とした意志を持って言い放つ。
ここで引いたらまた先輩のペースに嵌まることが確実だ。
「しかしポチは、そう言いながらちっとも触ろうとしないじゃないか。それとも私の胸は汚ないから触りたくないと言う事なのか?」
「そんな事は一言も言ってませんよ!」
こっちの言葉には耳も貸さず、わざとらしい大げさな身振りで落胆して見せる。
「あーあ、ポチは私の胸が汚すぎて触れないのかぁ。約束だから、ポチのために我慢しようと一大決心したのに、ガッカリだぁ」
「言ってねえだろ! 人の話を聞け、こら! そこまで言うなら触ってやるよ!」
椅子から立ち上がって先輩の間近まで詰め寄るが、彼女は平然とした態度で首を横に振る。
「いやいや、私を傷つけまいとして、無理して汚いものに触る必要はない。残念だが、この話は無かった事にしよう」
「いえ、僕には先輩の胸が汚くない事を証明する義務があります。これは後輩としての務めです。何も心配はいりません。先輩は僕に身をまかせて、ただ揉まれていればよいのです」
両手を伸ばして手の平を先輩の方へ向けると、彼女は目を丸く見開いて、両腕で自分の胸を隠すように抱いた。
「も、揉むのか?」
「揉みます」
「……そ、そうか。では、どうぞ」
先輩は意を決したように頷き、カクカクとした動きで両腕を腰に当てて、もう一度、僕の前に胸を突き出した。
ちくしょう、僕にそんな度胸がないと思って舐めてやがる。
そっちがそんな態度なら僕だって舐めますよ、先輩の胸を。
——なんて言葉が頭に浮かんだけれど、ややこしくなるから口に出すのは控えておく。
「じゃ、遠慮なく触らせてもらいますね」
いちおう断ってから、ゆっくりと両手を伸ばす。
……本当に触っちゃっていいのかなぁ?
両手を前に伸ばしたまま先輩の直前まで近づいたら、彼女は急にスルッと体を横にして素早く僕の両腕の間へ滑り込み、胸の中に飛び込んできた。
「なあ、ポチ」
僕の名を呼びながら背中に手を回し、しなだれかかるように抱きついてくる。
「な、何ですか、先輩?」
こう正面から抱きつかれてしまうと胸を触るどころじゃない。
彼女の胸に伸ばしたハズの両腕は、行くアテを見失ってバンザイ状態になっている。
彼女はクスクスと含み笑いをして、
「君は本当に控えめな男だな。ただ触るだけでいいのか? その先だってかまわない、と私は言ったハズだよ?」
えーと、その先ってのは何ですかね?
いや、まあ、分かってるんだけどさ。
「……そういうのは、好きな人とするべきです」
僕がそう答えると、彼女は意外そうに僕を見上げた。
「ポチは私が嫌いなのか?」
「大好きです」
「なら、何も問題はないな」
さらっと言って、僕から体を離した。
「先輩、それは——」
僕が何か言いかけた言葉は、すぐに先輩の声で遮られた。
「でも、さすがにここは勘弁してほしいな」
彼女は生徒会室を見渡して、すっかり《その先》が確定しているように言う。
「せっかくの機会だ。私の家に招待しよう。今日は両親が帰ってこないから家に誰もいないんだ。邪魔も入らず、ゆっくりできるよ」
「せ、先輩の家?」
思わず聞き返してしまった。
先輩が何気なく言った《ゆっくりできる》という言葉が、妙に生々しく感じられる。
戸惑う僕に、先輩は肩を揺らしてクスリと笑った。
「今日は汗をかいたし、シャワーくらい浴びさせてくれ。それに君はお昼を食べそこねているだろう? 私の手料理で良かったらご馳走してあげるよ」
それから彼女はいつもの様に、長い黒髪を気だるそうにかき上げた。
「部屋も片付けたいし、私だって色々と準備をしたい。だから君も一度帰宅してから私の家に来るといい」