5-4 茶道部の崩壊
「おい、お前ら、どういうつもりだ?」
不機嫌そうな声で、壁を背にしている僕を睨む。
「はて、何の事でしょう?」
先輩の頭を胸に抱いたままシレッと答えたら、火に油を注ぐ結果になった。
「てめえ、ふざけてんのか? さっきから俺の後をつけてきてんじゃねえか!」
「いやあ、それは誤解ですよ」
なるべくバカっぽい笑顔で返事をしてみた。
いちおう嘘じゃない。
彼の後をつけていたのは《さっきから》じゃなくて《朝からずっと》なのだ。
あえて、そこまでの訂正はしないけど。
「誤解もクソもねえだろうが! 舐めてんのか、こら!」
バカにされたのに気づいたのか、早くも梶崎は激高しかかっている。
気が短いのは『さすがはアトランティス戦士』と褒めるべきところでしょうかね?
「黙って話を聞いていれば、ずいぶんと自意識過剰な男だな」
僕に抱きついたまま姿勢のまま、先輩が首だけで梶崎を振り返る。
少し上気したような顔になっているのは、一触即発の雰囲気に緊張しているからか。
「私たちと向かう方向が、たまたま一緒だっただけとは思わないのか?」
先輩の顔を見ると、梶崎はたちまち嫌悪感を露にした。
「ちっ、あんトキのうざい女か?」
「おや? 先輩のお知り合いですか?」
白々しく僕が聞くと、彼女は苦笑しながら肩をすくめた。
「まあ、ちょっとな」
のんびりした僕らの様子に、梶崎は苛立った声で叫ぶ。
「何、余裕ぶってんだよ! あんときは生意気な一年に邪魔されたけど、まだ文句があんなら今日は容赦しねえぞ!」
「ほう、いったいどうするつもりだ?」
先輩はあくまでも余裕たっぷりな態度を崩さず、挑発的な笑顔を見せた。
そんな彼女を見下すように口元を歪め、梶崎は得意げに語り出す。
「あの一年が、あの後どうなったのか知っているか? 全部あいつのせいにしてやったら、マジで停学になったんたぜ! おまけにちょっと悪い噂を流しただけで、たちまちボッチになっちまったよ。すげえバカだよ。俺を舐めるから、あんな事になるんだぜ」
スッと先輩の顔から笑みが消える。
「あいつ、お前をかばったせいでマジで友達がいないんだぜ。笑えるよな。休み時間は寝たフリしてるし、昼休みはトイレでメシ食ってやがる。情けねえよ。カッコ悪りいよ!」
得意げに語るのはいいのだが、呆れた事に僕の顔を覚えていないらしい。
ついでに言うと、お昼休みはいつも和室だ。
誰に聞いたか知らないが調査が甘い。
「体育の時間だって、ペアを組む相手がいなくて泣きそう——」
「ふざけるな!」
制止するヒマも無く、先輩は素早く身を翻して梶崎の胸ぐらを掴んでいた。
「それが貴様には自慢できるような話なのか!」
「俺は怪我させられたんだぞ! 仕返しくらい当然じゃないか!」
先輩の剣幕に怯みながらも、梶崎は精一杯の虚勢を張って言い返す。
「あんな鼻血で何を言う! このクズめ!」
大声で怒鳴りながら先輩が右手を振り上げたので、僕は慌ててその腕を掴む。
「先輩、待って! 落ち着いて!」
「離せ、ポチ!」
止めに入った僕までが、先輩から憤怒の視線で睨まれた。
「ほら、先輩。もう行きましょう」
掴んだままの腕を引っ張ったが、彼女は無理やり僕の手を振りほどこうとする。
仕方なく背中から羽交い締めにして力任せに引きずった。
「貴様はどれだけ他人に迷惑かければ気が済むんだ! 許さんぞ!」
廊下を引きずられながら先輩は、梶崎の姿が見えなくなるまで叫んでいた。
□
和室の前まで連れ戻したところで、ようやく先輩は落ち着きを取り戻した。
「……もう尾行は無理ですね」
僕がそう言ったら、彼女はがっくりと肩を落とした。
「すまん。あまりの言い草だったから、頭に血が上ってしまって……」
僕も顔を覚えられてしまったし、もう梶崎の周囲に近寄る事すら困難だろう。
場合によっては本当に梶崎の寝室に侵入する手立てを講じる必要があるかもしれない。
「これじゃ最初から計画、練り直しですよ? いったい、どうしたって言うんですか?」
そんなつもりもないのに、うっかり先輩を咎めるような口調になっていた。
「……ここまで君に迷惑をかけているとは知らなかったんだ」
先輩は俯いて肩を落とし、消え入りそうな声で言う。
「私のせいで君は独りぼっちになったんだろ? そんな事さえ気づかず《私が友達になろう》なんて偉そうに言っていた自分が恥ずかしくて、つい、な」
顔を上げて僕を見る彼女の目は潤んでいて、いまにも泣き出しそうだった。
「せっかく高校に入って新しい生活を始めようって時に、私を助けたせいで停学になってしまったのだって、ずっとすまないと思っていたのに」
「……そんなの別に気にしていませんよ」
肩をすくめて笑って見せたら、
「そりゃ君はそう言うだろうけど」
彼女はますます泣きそうな顔になる。
「君に何かできないかと思って茶道部を始めたのに、それが何の役にも立っていなかったなんて、あまりにも情けないよ」
それはとっさに返事ができなくなるほど、愕然とする言葉だった。
頭の中が混乱する。
先輩は最初から、僕が《梶崎とケンカした一年生》だと気がついていた。
確かに、僕を茶道部に誘った経緯を思い出してみれば覚えていない方が不自然だった。
でも、それがずっと彼女の心の負担になっていたなんて……。
都合よく使える後輩だから、気に入って手元に置いてくれている、と思っていたんだ。
覗き魔の疑いを晴らしたかったら働けと言われて、それで少しは彼女の役に立っているような気になっていた。
——バカみたいだ。
ずっと先輩が、そう思わせてくれてたんだ。
茶道部は、居場所を失った僕のために、先輩がわざわざ作ってくれた場所だった。
「……あの、先輩。一つ聞きたいんですが」
声をかけただけなのに、彼女はビクッと肩を震わせた。
「先輩は、僕の停学への贖罪として茶道部を始めたんですか?」
「……そういう面も確かにあったよ」
僕の質問に、彼女は俯くように頷いた。
「もしかして先輩は、ただ僕に《すまない》と思っていたから、この半年ずっと付き合ってくれていたんですか?」
「いや、それは違う」
彼女は小さく首を横に振り、僕の言葉を否定した。
それゃ先輩はそう言うに決まってる。
忙しいのに僕と一緒の部屋でお茶を飲んで、話し相手になってくれて。
それが贖罪のためだっただなんて……。
一つ大きく深呼吸をして気分を落ち着かせた。
先輩の事は大好きだけど。ずっと一緒にいたいけど。
「僕は、先輩に無理をさせてまで一緒にいたくないですよ」
なるべくハッキリとした声になるようにして彼女に告げる。
一緒にいる意味が《必要》ではなく《贖罪》だと言うのなら、僕らの関係はあまりにも情けなくて惨めだ。
先輩が僕に負い目を感じているのなら、それを解消してからもう一度キチンとした関係を築かせて欲しい。
「さっきも言いましたが、僕は停学になった事を気にしていませんし、別に友達なんかいなくても大丈夫だから——」
そこまで言ったら、先輩はキッと睨むような目をして、僕の言葉を途中で遮った。
「残念だよ、ポチ。私は、もう少し君に好かれていると思っていた」
そう言った彼女の声はわずかに震えていた。
酷く傷ついたような顔をしていて、長いため息をついてから淋しそうに僕を見る。
「君といると楽しくて、君の事情に思いが至っていなかった。すまん、許してくれ。……いや、許してくれと言うのも私の身勝手か」
先輩は肩を揺らして自嘲気味に微笑み、その後で僕に頭を下げた。
「ポチ、ご苦労だった。梶崎の件は私一人でやる事にするよ」
思っても見なかった反応に、僕は慌ててしまう。
アンバランスな関係を見直したいと言ったつもりだったのに。
「ねえ先輩。もしかして何か誤解していませんか? 言葉が足りなかったのなら謝りますが、僕は先輩の事を迷惑だなんて思っていませんよ?」
だが先輩は頑なな表情で首を横に振る。
「いいんだ。これ以上、私の身勝手に君を巻き込みたくない。少し君とは距離を置いた方がいいのかもしれん。しばらく部室には顔を出せなくなると思うから、君も私を待たないでくれ」
その後で、ポツリと付け加えるように呟いた。
「いままで悪かったな」
まるで別れの言葉みたいな言い方をして、彼女は僕に背を向けた。




