5-3 君の耳元で愛の言葉をささやく
「具体的な作業に関しての確認なんですが、この写真、スマホで撮ったんですよね?」
「ああ、梶崎はバカだからデジカメなんか使えないぞ」
あまりにもキッパリと先輩が言うもんだから、苦笑してしまう。
「撮るだけなら、むしろデジカメの方が簡単なんですけどね」
「そうなのか? でもあいつはそんなの持ってないよ。いまどきデジカメはカッコいいアイテムじゃないからな」
先輩は何の根拠も無く言い切ったが、まあ反論はしないでおく。
「梶崎のSNSとかはどうします?」
「可能ならアカウントごと消して欲しいが、私が確認した限りでは問題になりそうな書き込みはなかった。余裕がなければ無視していい」
「あとですね、画像のバックアップを取っていたら、僕にはどうしようもないですよ」
バックアップデーターまで消すのなら、ハッキングとか家屋潜入とか、茶道部では決して身に付かないスキルが必要だ。
「大丈夫だ。奴にバックアップを取る知恵はない」
これも先輩はキッパリと言い切る。
「……えーと、スマホはカッコいいから持っているけれど、全く使いこなせてない?」
僕の言葉に我が意を得たりと頷いた。
「幸運にも梶崎はバカなんだ」
そう言った後で両手を横に広げて、大げさに嘆く。
「しかし恐ろしい事にバカなんだよ。変な無料アプリをインストールして、いつの間にかウィルスに感染してました、が当たり前に想像できるからな」
「それは恐ろしいですね」
笑い事ではないのだが、彼女の言い草でつい笑ってしまう。
「真面目な話、データーが現存する限り、いつネットにバラまかれないとも限らない。ああいう輩はSNSとか大好きだからな。たとえ悪意が無くとも、結果を考えずに行動してしまうこともあるだろう。だから、そうなる前に回収をして欲しい」
「これも確認なんですが、僕の仕事はスマホに入っているデーターを消す事だけ、と理解していいんですよね? 復元される可能性を考えたら上書き消去みたいのが必要になりますけど」
「難しければ、梶崎のスマホ粉砕、でもいいぞ」
「それ、もっと難しそうです。——あ、あと一つ」
いちおう念のために聞いておく事があった。
「もし間に合わず、ネットとかで公開されてしまったら?」
「その時はもう気にするな。君の仕事じゃない」
当たり前の様に先輩は言う。
——つまり、絶対に間に合わなければならないって事だな。
見えないタイムリミットがある、と思っていた方がよさそうだ。
□
「——で、やっぱり尾行なんですか?」
翌日の放課後。
廊下を並んで歩く先輩に言うと、たちまち彼女は膨れっ面になった。
「だって仕方ないじゃないか。無理やり押さえつけて奪い取るワケにもいかないんだ」
まあ、その言い分はごもっともだ。
下手に梶崎を刺激すれば、無茶な行動を取らないとは限らない。
本人に気づかれないうちに全てを終えるのが理想なのだ。
そんなワケで今日は一日中、梶崎がスマホを手放す瞬間を狙っていたのだが、全くと言っていいくらいに隙がなかった。
「まさか体育の時間まで持ち歩いているとは思わなかったよ」
少し前を歩く梶崎のツンツンした短い髪と後頭部を見ながら、渋い顔の先輩がぼやく。
「せっかく授業をさぼったのに、無駄足でしたね」
「茶道部を立ち上げた日を思い出して、私は少し楽しかったけどな」
「そう言えば、あの時も午後の授業をさぼりましたっけ?」
「しかし、本当にいつも手放さないな。下手すりゃ風呂まで一緒だぞ」
先輩が感心したように呟くとおりで、今も彼はスマホをいじりながら歩いている。
「なあ、ポチ。やはり腕くらい組んだ方が自然じゃないか?」
「必要ないですよ。廊下を歩いているだけなんですから」
さっきから先輩は『尾行がバレないようにアベックのフリをしよう』と何度も提案してくるのだが、恥ずかしいから僕が断っている。
「ところでパスコードロックは、どうやって解くつもりなんですか?」
昨日、うっかり聞き損ねた事を確認すると、
「その心配は無用だな。梶崎はもし忘れても大丈夫なように、スマホの本体に油性マジックでパスコードを書いているんだ」
表情も変えずに言うので、さすがに冗談だと思ったのだが、
「ちなみに、みゆきの誕生日だぞ。本人が何度も大声で言っていたんだ。二年生なら誰でも知っている話だよ」
驚く事にマジだった。
いつ中身が流出してもおかしくない状態だ。
「……先輩、それ、すごく怖い」
「だろ? 私の気持ちを理解してくれて嬉しいよ」
先輩が真顔のまま力なく笑うので、僕も笑った。
もう笑うしかない。
「……そう言えば、先輩の誕生日っていつなんです?」
何となく聞いてみたら、彼女はイタズラっぽい笑みを見せる。
「何だね? デートでもしてくれるのか?」
「えーと、じゃあ、その日は帰りにラーメン屋でも行きますか?」
「悲しいかな、私の誕生日はもう過ぎているよ」
ため息交じりに言うもんだから、本当に悲しそうに聞こえてくる。
そんな感じの世間話をしながら尾行を続けていたら、突然、梶崎がこっちを振り返った。
「止まれ、ポチ!」
短い言葉で指示を出して、身を隠すように僕の体を壁際に押しやる。
「……バレましたかね? とりあえず逃げますか?」
「そんな事をしたら余計に怪しまれるぞ」
先輩は正面から自分の体を押し付け、僕に甘えるような仕草でしなだれかかってきた。
「な、何ですか?」
「しっ、アベックのフリをしてやり過ごすんだ」
囁くように言いながら、僕の背中に両腕を回して抱きついてくる。
「動くな、ポチ。まだ梶崎がこっちを見ている」
「……あの、先輩。さすがにこれは不自然なのでは?」
「大丈夫だ、ポチ。世の中のカップルというものは所かまわず抱き合ったりするものだ」
「せ、先輩は物知りですね」
制服越しに感じる柔らかい胸の感触に、思わず上ずった声が出てしまう。
冬服なのが残念で仕方ない。
そうこうしているうちに梶崎は手にしていたスマホをブレザーのポケットに入れて、まっすぐ僕らに向かって歩いてきた。
「先輩、残念ですが偽装は失敗したようです」
「そこを何とかごまかすんだ!」
彼女は焦った声を出し、大きな胸を擦り付けるように身じろぎする。
「そ、そうだ、ポチ。私に歯が浮くような愛の言葉を囁きたまえ」
「何でですか?」
「バカ! 私たちがアベックのフリをしているのを忘れたか? さりげない演技をしろと言っているんだ!」
急にそんな事を言われてもな。無茶振りにも程があるぞ。
いったい何を言えばいいのやら。
「ジュ、ジュテ〜ム!」
「……君の《さりげなく》はフランス語なのか?」
こんなやり取りで梶崎を誤魔化せるハズもなく、彼は目の前で立ち止まった。




