5-2 陸上部のアイドル
「君は早瀬みゆきを知っているな?」
僕が首を横に振ると、先輩は困った顔をした。
「ポチは本当に世間に疎いな。女子陸上界のホープだぞ」
そこから話をしなきゃならんのか、とボヤくように呟いてから簡単な説明をしてくれた。
なんでも先輩のクラスメイトで、全国区の選手なんだそうだ。
マスコミも注目している陸上部のアイドルみたいな人らしい。
「うちの高校に入学してから飛躍的に記録が伸びたんだ。おかげで学校も彼女を金の卵みたいに扱っているよ」
どうやら自慢の友人らしく、先輩は楽しそうに紹介してくれた。
「本当に知らないのか? ショートカットで背の高い美人だぞ」
そう言われて、ようやく心当たりに思い当たった。
「よく先輩と一緒に廊下を歩いている人ですか?」
「なんだ、ちゃんと知ってるじゃないか」
「かわいらしい人だと思ったんで印象に残ってます」
有名人とは知らなかったけどね。
「そうとも。みゆきはかわいいんだ」
そんな事を自慢気に言う先輩はもっとかわいい。
「で、彼女がどうかしたんですか?」
先輩は手元のバッグからスマホを取り出して操作し、無造作に僕へ投げてよこした。
「まあ、見てくれ」
その言葉に促されて画面を見た途端、僕は言葉を失った。
表示されている画像と、先輩の話が上手く繋がらなかったんだ。
「画質が悪いのは勘弁してくれよ。オリジナルはハッキリと顔も分かるんだがな」
何て事もない話題のように彼女は言う。
「……これ、詳しい事情は聞かせてもらえるんですか?」
スマホを返しながら聞くと、先輩は軽く頷いた。
「みゆきは以前、付き合っていた男がいてな。まあ見ての通りの関係だったんだ。もう一年くらい前に別れたんだが、先日、彼女の携帯にその画像がメールで送られてきた」
「合成写真の可能性は?」
「残念ながらゼロだ。本人にも覚えがあるらしい」
ため息をつきながら先輩は首を横に振った。
「君には分かりにくいかもしれないが、みゆきはうちの学校の看板を背負っているんだ。学校の教育効果を示す広告塔と言ってもいい。こんな写真がマスコミに見つかったら、学校どころか陸連まで巻き込んだ騒ぎになってくれるだろう」
「学校の名誉のためにも、スキャンダルは避けたいと?」
「そっちはどうでもいいさ。しょせん大人の事情だ」
あっさりした口調で肩をすくめて見せてから、湯飲みに手を伸ばす。
「彼女の人生に影が落ちる。そこが問題だ」
淡々とした口調で先輩は言う。
「この件は私たちだけで秘密裏に処理したい。君にしか頼めないんだ」
なるほどな。とりあえず事情は理解した。
困っているのは先輩の友人よりも、むしろ先輩自身なのだろう。
「二つ、確認したい事があります」
頭の中を整理しながら、改めて先輩と向き合う。
「相手の意図は何ですか?」
「それがよく分かんないんだよ」
のっけから頼りない返事が返ってきた。
「えーと、復縁、を希望しているとか?」
仕方なく僕がありがちな予想を口にしてみるが、当然のように否定された。
「君はこんなモノを送り付けてくる相手と復縁したいかね?」
「もちろん嫌です」
「しかも、しつこく何度も同じ画像を送ってくるんだ。文句を言おうにも、みゆきの顔を見ると逃げて行く。仕方なくメールを返してみたら無視された。話し合いができないんだよ」
「振られた腹いせですかね?」
「うん、みゆきが振ったのは合っているよ。付き合ってた当時のメールも読むか?」
先輩のスマホで、みゆきさんから転送してもらったメールを見せてくれた。
ちなみに、みゆきさんはSNSの類いを学校から禁止されているそうだ。
急いでざっと目を通して見たのだが、僕には理解不能な文章ばかりが並んでいた。
「……あの、先輩。これ、よく分かんないんですが」
「ん? どこが難しかったんだ?」
困惑する僕を見て、先輩は少し楽しそうに笑った。
「たびたび出てくる《アトランティス》ってフレーズは何の意味です?」
恋人同士だけに分かる隠語か符丁と思ったのだが、
「ああ、彼は前世でアトランティスの戦士だったんだ」
「……はい?」
先輩は当たり前のような顔で解説をしてくれた。
「このユリウスってのが彼の名前で、アンジェリカってのがみゆきだな。二人は前世でも恋人同士だったのだが、エターナル連合との戦いで悲しくも命を落としてしまったんだ」
「もしかして、これ、書いてあるまんまの意味なの?」
「もう少し詳しく解説すれば、ユリウスとアンジェリカは世界を守るアクエリアスの一派なんだ。アンジェリカは元はエターナル連合の魔術師だったのを、命がけでユリウスが改心させたんだぞ」
「いえ、詳細な設定は結構ですから」
立板に水で説明し出したので、慌てて押しとどめる。
「ずいぶんとユニークな男だったんですね?」
「みゆきも最初はそう思っていたみたいだな。最後には『二度と顔を見たくないし、口も聞きたくない』と言っていたが」
さすがに失笑気味の答えが返ってきた。
「今どき転生少女もないだろうと思うのだがな。軽く三〇年は時代を間違えている」
「せめて異世界転生とかにして欲しかったですね」
二人で顔を見合わせ、力なく笑う。
「で、そのアトランティス戦士って誰なんですか?」
当然の質問だったのだが、そこで先輩は何とも言い難い微妙な顔つきになった。
「二年の梶崎という奴なんだが……」
その名前を聞いた瞬間、たぶん僕も同じような顔になったはずだ。
——ああ、あいつか。
四月に先輩があいつと揉めて、僕が停学になった相手だ。
先輩と仲よくなるキッカケだったと考えれば思い出深い
……そう言えば何で先輩はあいつと揉めていたんだ?
ここいらの話は先輩とした事がないんだよな。
『あの時、助けに入ったのが僕です』
なんて恩着せがましい話はしたくないし、うっかりすると僕に友達がいない理由まで話すハメになりそうだから、あえて触れずにいたんだが。
「君に頼みたいのは、梶崎が持っている画像データーの回収、あるいは消去だ」
努めて事務的な口調になった先輩が僕に告げる。
「物的証拠を抹消できれば、梶崎が何を言おうとも事実無根と言い張れる。その段階でなら執行部も動かせるし、学校へ訴えたっていい。関係妄想に陥った悪質なストーカーとして処理する事も可能だ」
そこまで言ってから、彼女少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「うん、最初から二人は付き合っていなかったし、何もなかった」
「……いや、さすがに《付き合っていなかった》は無理があるのでは?」
相手はアトランティスの戦士だから、悪質なストーカーと言っても信じる人は多いだろう。しかし二人が付き合っていた事実は、先輩以外にも知っている人が多そうだ。
でも先輩はそんな突っ込みを平然と受け流す。
「なに、証拠さえなければ、最後まで言い張った者の勝ちだ」
彼女は少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「思い出して見ろ。釣り同好会の山本が言っていただろう?」
気だるそうに髪をかき上げ、僕に告げる。
「私たちの目的は、みゆきと梶崎、二人の物語の抹消なんだよ」




