先輩とみゆき 4
学校帰りで友人の話を聞いてるうちに、みゆきはだんだん混乱してきた。
「まったく困るよ。好みのタイプを聞いたのに、目の前にいる私の容姿をそのまま描写するんだから」
彼女はまんざらでもない様子でご機嫌に喋っているのだが、それはもう告白されたと言っていいのではないだろうか?
呆れる事に、この友人は告白をされたと気がついていないみたいだし、どうやら相手の男も告白したと気がついていないようだった。
——それとも、もしかしてあたしの感覚がおかしいのだろうか?
自分の狭い世界の外側では、好みの女性のタイプを聞かれたときに『君のような女性さ』と答えるのが社交辞令の挨拶みたいなものなのだろうか?
しばらく考えてから、みゆきは首を横に振った。ありえない。
「……どんだけラテン系なのよ、その男は!」
「な、なんだ、みゆき。ポチは生粋の日本人だと思うのだが?」
「そんな事言ったって、実際に会ってみれば頭にソンブレロを被って両手にマラカス抱えて、アミーゴとか叫びながらエル・コンドル・パサーなんか歌っちゃって、スコーンとテキーラを頬張りながらギター弾いてたりするんでしょ?」
「……よく分からんが、マラカスを両手に抱えていたらギターは弾けないのでは?」
「人の偏見にいちいち突っ込むなよ、鈍感女!」
「ど、鈍感?」
心外そうな顔をして驚くところが、また困り者だ。
「そりゃ私はポチに比べたら鈍感かもしれないが、だからってそんな言い方はないだろ?」
——ほら、これだ。
みゆきは心の中だけで嘆息する。
最近は何かと言えば、ポチ、である。
昨日だって中村に相談事を持ち込まれて困ったような顔をしていたが、それは事あるたびに彼の優秀さを吹聴した結果だから、実際にはむしろ中村に売り込んだ形に近い。
結局のところ、この女は自分の男を自慢したくて仕方がないのだ。
「みゆきが思っているより私は繊細なんだぞ。ポチと添い寝したときだって、緊張のあまり寝たフリをしてしまったくらいなんだから」
胸を張って発せられた友人の言葉に、みゆきは仰天した。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。何の話をしているの?」
「だって眠れるワケがないじゃないか。同じ布団にポチがいるんだぞ」
「だから、どうしてあんたはすぐ泣くのよ!」
□
「誰にも見つからないようにラッシーを和室へ運び込むのは、どれだけ苦労した事か」
「それ、苦労するところが間違っているから」
暗い公園のベンチに座って、みゆきは冷静な突っ込みをする。
友人を落ち着かせるために、ゆっくり腰を下ろせる場所が欲しかったのだ。
「ポチの目が覚めた後に、もう一度布団に誘ったら『慣れているんですか?』って聞くんだよ。こっちは緊張しすぎて死ぬかと思っていたのに」
「で、あんたはちゃんと正直にそう言ったの?」
「さあ、どうだろうなって笑って見せたら、投げやりな態度で布団から出てしまったよ。あれはやっぱり、私が嫌いだからなのか?」
「なんだって、あんたはそんな経験豊富なフリをしたのさ?」
「だって私の方がお姉さんじゃないか?」
「お姉さんとか関係ないから! いらん見栄張ったあげくに変な誤解させてどうすんのよ!」
「ええっ、まずかったのか?」
愕然とした表情になっているが、驚きたいのはこっちの方だ。
「あのね、基本的に男は初々しい女が好きなの! そりゃね、過去にそういう過ちがあったとしても、度量のある男なら笑って済ませてくれるかもしれないけどさ」
「そんな経験、私には無いんだが」
「知ってるよ! そうじゃなくて、初々しいのが好きなのに『さあ、どうだろう』はないでしょ? そんなスレッ枯らしの女に興奮するのは変態よ!」
「つまりポチは変態じゃないと」
「そんな事に喜んでないで、ヤリマンと誤解されたかもしれないのを心配しなさい!」
「ふむ、ポチはヤリマンが嫌いなのか?」
「知らないわよ、本人に聞いて! いや聞くな。絶対に聞いちゃダメ! なんか大変な事になっている未来が垣間見えたから言うけど、何があってもそれは聞いちゃダメだからね!」
「そ、そうか。とにかく経験豊富な女は嫌われるんだな。……ふむ。そうすると、みゆきはポチと友達になれないのか?」
「人の黒歴史をさらっと蒸し返すんじゃねえ!」
「しかし、アンジェリカと呼ばれていた頃のみゆきは可愛かったぞ」
「うわあああっ!」
変な叫びを上げて立ち上がったみゆきは、置いてあった自分のバックを五メートルくらい蹴り飛ばした。
「……す、すまん。お詫びにお茶でも奢ろうか?」
「まあ、その件に関してはあんたに相談したい事があったから、いいんだけどさ」
歩いてバッグを拾いながら、みゆきは力なく苦笑して見せる。
話をしているだけなのに、激しくストレスが溜まってくる。
部活が終わったばかりでクタクタだけど、猛烈に走りたくなってきた。
だいたい一緒の布団に入って何もなかったとか、にわかには信じられない話だ。
友人は昨日から一睡もしていないと言うし、それは彼も似たようなモノだろう。
それでも、このオッパイお化けみたいな女と一緒の布団に入って何もしないってのは、そもそも女に興味がないのか、よほど女慣れしているか、あるいは手を出せないくらい大切に——。
——あ、なんかムカつく。
突然、みゆきは友人に嫉妬の念を覚えた。
顔も知らない男だが、強引に奪い取ってこいつの泣き顔を眺めてやろうか。
そんなどす黒い情念が一瞬胸をよぎったが、よく考えてみれば、彼女の泣き顔なんて今年になってから何度も見ている。
自分ですら思い掛けない感情に戸惑っている間も、ずっと友人の話は続いていた。
「目が覚めたときに私の手を握ってると気がついた時の反応だって、嬉しさなんか微塵も感じさせない態度だったんだぞ」
彼女は一生懸命、自分と彼の話を喋っている。
その姿は正直ウザくて、ちょっとだけ羨ましかった。
……ああ、そうか。
気がついてみれば、どす黒い感情の正体は、何て事のない代物だった。
——あたしは少し分けて欲しいんだ。
自分のバカさに笑いながら、みゆきは友人に言葉を返した。
「どうせ寝てるのをいい事に、あんたから手を握ったんでしょ?」
「な、なぜ、それを? どこかで見ていたのか?」
分かり切った話なのに、友人は背をのけ反らせて驚いている。
「ち、違うんだ。ちょっと手を取っただけで、寝ているポチにいたずらをしようとか、そういうんじゃなかったんだ」
大慌てて言いワケをしている彼女の姿に、みゆきは心からの笑顔になれた。
——危なかった。あのまま暗い感情に身をまかせていたら、友達を失ってしまうところだった。
羨ましいけど、嫉ましくはない。
そこを間違えなかった自分を偉いと思う。
身は両腕を伸ばして、ベンチに座る友人をそっと抱きしめた。
「ごめんね。いま、あんたの事を本気で羨ましいって思っちゃった」
彼女の耳元で、囁くように呟いた。
友人は突然の出来事に驚いて、耳たぶまで真っ赤になっている。
「み、みゆき、言っている意味が分からん。私が羨ましくて、それがどうして謝るような話になるんだ?」
彼女は混乱しつつも真剣な顔で聞いてくるが、悔しいから説明なんてしてあげない。
仲良しだからこそ知られたくない気持ちだってあるんだ。
絶対に教えてやるもんか。