4-1 なんでキャプテンて呼ばれているんですか?
僕らの茶道部は休日を除く毎日が活動日だ。
登校した日は必ず和室に顔を出す、というルールになっている。
言うまでも無く先輩が作ったルールだ。
最初に聞いた時は本気なのかと疑ったが、先輩と二人きりに文句なんてあるわけもない。
毎日、僕は和室に通う。
とはいえ先輩は生徒会の仕事で忙しい。
なかなか顔を出せない日もある。
自分のためにお茶なんか淹れてもつまんないし、先輩が来ないとやる事がない。
素直に帰ってもいいハズなんだけどね。
先輩は手が空いたわずかな時間に顔を出しに来るから待っていたい。
今日も座布団を枕にして横になっていたのだが、もうとっくに日も沈んでいる。
窓の外は真っ暗だ。
——今日は無理かな。
そろそろ帰ろうかと思った頃になって、カラッと玄関の引き戸が開く音がした。
頭の後ろで手を組んで目を閉じると、すぐにかすかな音を立てて襖が開く。
彼女が部屋の中へ入ってきたのが気配だけで分かった。
すっかり馴染んだコロンの——先輩の香りがふわっと漂う。
「ポチ、何だ、その自堕落な格好は?」
狸寝入りを咎められて瞼を開くと、のぞき込むような先輩の顔が目の前にあった。
彼女は手を頭の横に添えているが、それでも押え切れない黒髪がサラサラと僕の顔の上に落ちてくる。
あいかわらず、この人の距離感はおかしい。
「……よく僕が寝ていないって分かりましたね?」
内心の動揺を抑えながら言うと、彼女は『当たり前だ』と言わんばかりの声で返事をする。
「何かいい事があったのか? ニヤけていたぞ」
……ポーカーフェイスには自信があったつもりなんだけどな。
「さあ、起きて茶を淹れてくれ。茶菓子を持ってきたんだ」
彼女は少し自慢気に、左手に持っていた茶色い紙袋を掲げてみせた。
□
先輩が自慢気に持参した茶菓子は《鯛焼き》だった。
差し向いの位置に腰を下ろして急須へ湯を注いでいたら、先輩が右手を軽く挙げて押し入れを指さす。
「そんなに眠いなら、いっそ布団を敷けばいいのに」
ここの押し入れには校内合宿で使う布団が入っている。
茶道部には関係ない代物なので、引っ張り出した事は一度もないんだけどね。
「先輩が一緒に寝てくれるならそうしますよ」
湯飲みに茶を注ぎながら答えると、
「考えておこう」
すぐに先輩が大真面目な顔で返事をよこす。
……この人、ちゃんと分かってるのかなぁ?
まあ、一緒の布団で寝たら何だと言うのだ、と聞かれても困るんだけどさ。
何にもなくても、他人が見たら誤解するに決まってるじゃん。
先輩は他人の視線を気にしなさすぎだよな。
□
僕が淹れたお茶に、先輩は黙って口を付けた。
背筋を伸ばして正座をした姿勢のまま柔らかく微笑むから、いつも僕は見とれてしまう。
どうにか先輩から視線を引きはがして、彼女が持参した茶菓子に手を伸ばす。
そのまま齧り付こうかと思ったが、先輩は細い指で鯛焼きを千切ってから口に運んでいる。
先輩は上品な食べ方をするなあ。
いちおう茶の席だし、僕も見習ってみようかな。
「……おう?」
二つに割った鯛焼きの中にはアンコの変わりに琥珀色のゲル状物質が入っていた。
——何だ、これ?
困惑している僕の様子に、先輩が楽しそうにニヤリと笑った。
「それはアプリコットジャムだよ」
「ジャム? 鯛焼きにですか?」
「ああ、甘いぞ」
それだけ言って先輩は静かにお茶を啜った。
決して美味しいと言わないのが気になる。
小麦にジャムなら普通に合うと思うのだが、アプリコットが何なのか知らないので味の想像がつかない。
よく見れば彼女が食べているのは黒いアンコの鯛焼きだしな。
「これ、どこで買ってきたんですか?」
いちおう聞いてみると、先輩は不思議そうな顔をして、
「駅前のキャプテンだが?」
持参した紙袋を僕に示す。焼き印みたいな印刷で『鯛長』と書かれていた。
「あの店、何でキャプテンって呼ばれているんです?」
素朴な疑問を口にすると、先輩は煩わしそうに髪をかき上げてから、
「ああ、それはな——」
そこまで言って茶を啜った。
ほうっ、とため息をついてから茶托に湯飲みを置いて、また鯛焼きに手を伸ばす。
「……先輩、何で途中まで言いかけてやめるんです?」
僕が二つに割った鯛焼きを皿に戻して聞くと、
「下らない理由だから、わざわざ言わなくてもいいかな、と思ったんだよ」
つまらなそうな顔をして茶を啜り、そのまま黙り込んでしまった。
せっかく顔を合せたのに、会話を弾ませようとか思わないんですかね、この人は。
でも、先輩にいちいち文句を言っても仕方ないから、僕も黙って茶を飲む事にした。
□
「そうだ、前から気になっていたんだが」
しばらく黙っていた先輩が、ふと思い出したように顔を上げた。
「誰かの相談を受けると、君はよく《聞きたい事が二つある》と言うだろう? わざわざそう言っておきながら、いつも三つの質問をするのはどういう意味があるんだ?」
「あ、すいません。あれ、気になってました?」
「いや、あやまる必要はないんだ。ただ、なぜなのか疑問だったんだよ」
「喋っているうちに、いつの間にか聞きたい事が増えるんです」
正直に答えたら、彼女は肩を落として苦笑している。
「呆れたものだな。君は勢い任せで物を言いすぎだよ」
□
静まり返った和室の中で僕らが静かに茶を啜っていたら、突然、スパンッと勢いよく襖が開いて大声が響いた。
「ちょっと会長! 一体いつまで待たせるのよ! いい加減にしてくれない?」
驚いて振り向けば、茶髪に縦ロールという派手な髪形の女生徒が仁王立ちしていた。
突然の乱入者に、先輩が立ち上がって応戦する。
「生徒会室で待っていろと言っただろう!」
もちろん湯飲みを手にしたままなので、辺り一面に茶をまき散らしている。
やって来た女生徒は先輩の剣幕に恐れも見せず、足音も高らかに和室の中へ入ってきた。
「素直に待ってりゃ、もうすぐ下校時刻じゃん! ここでいいから話を聞いてよ!」
無遠慮に部屋の真ん中まで進んでくると、座ったままの僕を見下ろし、
「そこ、空けて。座布団よこしなさいよ」
縦ロールの髪を揺らしながら、当然のように言い放った。
「何よ? 文句あるの?」
とにかく偉そうな女子だった。