1-2 着替えは誰もいないところで
「あれ? 何で鍵掛かってるの?」
玄関の方からした女性の声で目が覚めた。
「おかしいな? さっき私が開けといたハズなんだが」
聞こえてくる会話の内容にギョッとした。
この部屋の鍵が開いていたのは、これから使う予定だったからだった。
これはマズイんじゃないかなぁ。
勝手に入って飯食ってました、と素直に謝って済めばいいのだが……。
どうしようか迷っているうちに玄関の鍵が開く音がした。
とっさの判断でパンの袋とか携帯をかき集め、水屋の中に飛び込んで隠れる。
襖の隙間から様子を窺うと、小柄なお下げ髪の女の子が部屋の中に入って来て、おずおずとした調子の声を出している。
「……ねえ、本当にここで着替えていいの?」
見るからに気弱そうで、臆病な小動物を思わせる雰囲気の女生徒だ。
「いいも何も、サオリが更衣室を使いたくないと言ったんだろ」
襖の隙間からは見えない位置で、もう一人の落ち着いた声がした。
すぐに長い黒髪とボリュームのある胸が見えた。
彼女が気だるそうに髪をかき上げると、特徴的な切れ長の大きな目が——。
——よりによって、この人かぁ……。
思わずため息をつきたくなった。
僕が助けようとした美人の先輩じゃないか。
水屋の中で息を殺して成り行きを見守っていると、彼女は肩をすくませて《サオリ》と呼んだお下げ髪を一瞥して、
「更衣室以外で着替えに使えそうな部屋はここしかないんだ。贅沢を言われても困るよ」
「……あたしは別に、ここで着替えるのが嫌だなんて言ってないのに」
「ああ、分かった。そんな顔をするな。物言いがキツイのは私のクセだ。サオリもそれは知っているだろう?」
苦言を呈されたお下げ髪が今にも泣き出しそうな表情をしているのに気がついて、彼女は少し慌てた様子で声をかけた。
すると、すぐにお下げ髪はクスッと笑う。
「生徒会の役員がクラスメイトだと、こういう時、便利よね」
「公私混同と言えなくもないがな」
「今は女子更衣室で着替えをするのがイヤだから、すごく嬉しいよ」
彼女は礼を言われて照れたように頭を掻いている。
「なんでサオリは体育の時間にブラジャーを外していたんだ? ノーブラだと擦れて痛くなったりしないのか?」
「……体育の時だけ、別のを着けていたの」
「意味が分からん。そんな事をするから盗まれるんだぞ」
彼女は納得しかねる、と言った感じの返事の後で、
「犯人がどんな変態だか知らないが、ブラジャーなんか持って行っていったい何がしたいんだろうな?」
侮蔑のこもった口調で、そう言った。
二人の話を要約すれば《お下げ髪の女の子が更衣室で下着を盗まれてしまい、再び被害に遭わないように和室で着替える事にした》という事らしい。
女生徒の下着を盗むなんて、この学校にはよくない生徒がいるんだなぁ。
ところで改めて僕の置かれている状況を省みれば、これから女子が着替えをするための部屋に潜入し、襖一枚隔てた押し入れの中で息を潜めて隠れている。
それでもって僕のクラスでの評判は《卑怯者の変態》である。
——状況は最悪だ。
このままでは根も葉もない噂に裏付けができてしまう。
幸運にも、まだ僕の存在には気がついていないから、着替えが終わるまでジッと息を潜めて絶対に見つからないようにしよう。
と、決意した直後に、お下げ髪の女の子がポツリと呟く。
「この上履き、誰の?」
しまった!
ここへ入るとき一緒に持ってきていたんだった。携帯やパンの袋は回収したのに、上履きを畳の上に置き忘れてた!
「うん? 私のじゃないぞ。その色は一年生のだ」
「あ、そうなんだ。忘れ物なのかな?」
幸いな事にお下げ髪は、上履きが部屋の中にある理由を深く考えなかったらしい。
「じゃあ、後で届けとこうね」
お下げ髪はそう言って、セーラー服の裾に手をかける。
そのとたんに彼女が大声を出した。
「ちょっと待て! サオリ、それ脱ぐな!」
「何? 急にどうしたの?」
驚いているお下げ髪を片手で制して、彼女は小声で話し出す。
「玄関の鍵は開けたハズなのに、いつの間にか掛かっていた。そして室内には放置されていた上履きがある。これがどういう意味なのか、サオリは分かっていないのか?」
彼女は真剣な面持ちで顔を寄せ、少し抑えた声で話を続ける。
「この二つは全く関係ないように見えるかも知れないが、そこにサオリのブラジャーが盗まれた事実を加味すると、ある一つの可能性に思い当たる。つまり、いまこの部屋のどこかに——」
その時、天井のスピーカーから午後の授業への予鈴が鳴った。
「あ、ねえ、着替え急がないと」
お下げ髪があっさり話を打ち切って、セーラー服を脱ごうとする。
「こら待て! ちゃんと私の話を聞いてくれ!」
「難しい話をされても分かんないよ。授業に遅刻すると先生に怒られちゃう」
彼女はお下げ髪に話の腰を折られた事を不満そうにしていたが、それ以上は推理を披露する事もせず、素直にスカートへ手をやって制服を脱ぎ出した。
□
……あ、危なかった。
彼女が本気で疑っていたら、たちまち僕は見つかっていただろう。
たまたまの結果とはいえ、本当に着替えを覗いてしまっているのが苦しいところだ。
いや、そんなに覗いてたわけじゃないんだ。
とんでもなく巨大なモノを見た気もするが、慌てて目を逸らしたからよく分からない。
ほっとして、二人に聞こえないよう、ゆっくりとため息を漏らした。
いま無警戒に着替えている真っ最中の二人は、全く僕に気づいていない様子である。
午後の授業には遅れるだろうが、どうにか切り抜けられそうだ。
と、思ったその瞬間、僕のスマホからアラームが鳴った。
襖の隙間からでも、二人が同時にこっちを振り向いたのが分かった。