3-1 素敵な友達
たぶん先輩は僕の名前を知らない。
まさかポチが本名とは思っていないだろうけど。
お互いにポチ・先輩で用が足りてしまっているので、確認の必要がなかったのだ
僕だってこないだの生徒会選挙で初めて先輩のフルネームを知ったくらいだ。
別に聞かれてないし、教える予定もいまのところない。先輩だって使いっぱの名前なんて興味ないだろう。
もっと言えば、僕は自分の名前を知られたくない。
なにしろ僕に関する悪い噂はクラスの垣根を乗り越えて、いまでは学年中に響き渡っているのだ。
ここまできたら当然、先輩の耳にも少しは入っているはずだ。
それでも先輩の態度が変わらないのは、それが僕の話だと気がついていないからだろう。
もちろん彼女はそんな噂を信じるような人じゃないと信じているけど。
先輩には変な気遣いをして欲しくないから黙っていたい。
□
いつものように放課後の和室で、僕らは向かい合っていた。
僕が黙ったままお茶を淹れると、先輩が薄く微笑んで湯飲みを手にする。
ここでは僕が茶を淹れる人で、先輩が飲む人だ。
この関係は僕らが出会った春以来、ずっと変わっていない。
もちろん先輩だって茶を淹れようとした事くらいある。
僕らが茶道部を始めた直後の頃、
「茶席の亭主は、部長たる私の役割だ」
と言って彼女は抹茶を立てようとした。
その発言で僕は初めて先輩が部長であると知ったのだが、それはまあいい。
立ち上げたばかりの部活だったから、まだ茶筅がなかったのは仕方ないけど、代わりに電動ホイッパーを使った点に関しては、今でも理由を問い正したいと思っている。
調理実習室から持ってきたボウルにたっぷりの熱湯を注いでスイッチを入れたもんだから、色んな意味で後片づけが大変だった。
あの日から、うちの茶道部は抹茶禁止で、お茶を淹れるのは僕の役割だ。
自分の湯飲みで茶を啜りつつ、そんな春先の出来事をしみじみと思い出していたら、
「ポチは友達が欲しくないか?」
大事そうに湯飲みを抱いた先輩が、無表情に僕を見ていた。
「……そりゃ欲しいですけど」
曖昧な返事をすると、彼女はニッコリと微笑んで、
「では私が、君に素敵な友達を用意してやろう」
なんて事を言い出すもんだから、慌てて僕は手にしていた湯飲みを畳の上へ置く。
「あの、先輩。話が全く見えないのですが?」
「ポチはこの前、友達がいないって言っていたじゃないか」
「あ、はい。言いました」
あれは失言だったのだが、まさかこういう話題に発展するとは思っていなかったぞ。
「君がそんなに淋しい学校生活を送っていたとは知らなかったよ。友達がいない学校生活なんて味気ないだろ? とても生徒会長として見過ごせる話じゃないよ」
「別に淋しいってワケでもないですから」
そう答えたら先輩は湯飲みを茶托に置いて、すごく不愉快そうに眉を顰めた。
「つまりポチは、私の厚意を無下にしたいと?」
「そんな話はしていませんよ」
「じゃあ、どうして友達が欲しいと言いながら、私の提案を断ろうとするんだね?」
「えーと、友達は他人に用意してもらうモノでは……」
言いかけてから、少し考え込んでしまった。
友達が一人もいない僕が淋しい学校生活を送っていないのは、ひとえに先輩のおかげである。
放課後は話し相手になってくれるし、お昼休みも一緒にご飯を食べる事が多い。
改めて考えてみると、僕はずいぶん先輩に甘えているよな。
先輩は生徒会の仕事で忙しいのに、僕の相手ばかりしてられないハズだ。
少しは友達作りを考えてみるべきなのかもしれない。
「……聞きたいんですが、その人は僕と友達になりたいんですか?」
「ふむ、ポチとなら友達になっても構わないと言っている」
自信を持って頷いたから安心した。何しろ先輩の持ってきた話だから油断はできない。
先輩は気だるげに髪をかき上げてから、畳の上の湯飲みを手にする。
「重ねて聞くが、君は友達が欲しくないか?」
「もちろん欲しいです!」
本音を言えば欲しいに決まっている。
休み時間に話し相手がいないのはつまんないし、たまには学校帰りに誰かと『ラーメンでも食ってこうよ』なんて会話をしてみたい。
僕の答えを聞いて、先輩は満足そうに微笑んだ。
「よろしい、では君のために友達を用意しておこう」
「……でも、それ、タダじゃないんですよね?」
僕が聞くと、彼女は茶を啜りながら楽しそうに頷いた。