先輩とみゆき 2
「あんた、男の子にパンツあげたの?」
学校からの帰り道で、みゆきがあきれ返ったような声を出す。
「みゆき、声が大きい」
並んで歩く友人が、居心地の悪そうな顔で言う。
「ただでさえ恥ずかしい話をしているんだ。周りの者が振り向くような声は控えてくれないか?」
「それどころじゃないから。あんた、ついにポチくんとそういう仲になったの?」
勢い込んで聞いてみるが、友人は驚いたように彼女を見返した。
「ついにって何だ? 私は部活の後輩にプレゼントをしただけだぞ」
「……もしかしてあんた、あれから一歩も進展してないの?」
「進展も何も……」
煮え切らない態度で恥ずかしそうに身を捩っている。
その仕草はかわいいのだが、彼女が『王子さまを見つけた!』とはしゃいでいたのは春だったハズだ。
あれから何ヶ月経っていると思っているんだろう?
夏休みとか文化祭とか、彼と急接近するイベントはたくさんあったのに、この女はただ一緒にお茶を飲んでいただけなのか?
「きっとポチは、私の事なんか何とも思っていないんだ!」
「な、何、いきなり?」
突然発せられた友人の悲しげな叫びに、みゆきは目を丸くする。
「茶をこぼしたら、ポチは胸元にかかった茶を拭いてくれようとして、とっさに手を伸ばしてきたんだが、急に引っ込めてしまったんだよ。あれは私に触れたくないって事だよな?」
「それは、むしろ大事にされているんじゃないかなあ」
よく分からないから無難な答えをしておく。
「だいたい、あんたは何で下着なんか贈ろうと思ったの?」
「だってポチが『男は好きな女の子の下着が欲しくてたまらない』って言うから、私の下着を受け取ってもらえれば、好きになってくれるかと思ったんだ」
「それ、意味がわかんない。ポチくんの言い分はまあいいとして、そこからどうして、あんたが履いてる下着を贈る事になっちゃうのよ?」
「私が履いている下着なんか、恥ずかしくてあげられるワケないじゃないか! ちゃんと新品の男物を買って、彼にプレゼントしたんだよ!」
真っ赤になって力説しているが、その時点でもう、最初にやりたかった事とは、だいぶ違ってしまっているのではないだろうか?
そもそも深い仲でもない異性に下着を贈るとか、常識的にありえないだろう。
「……で、ポチくんに、どんな下着をあげたのさ?」
こうなってくると日常ではとても履けない、とんでもないセクシー下着を贈った可能性すらある。
心配になって聞いてみたのだが、友人は自信なく首を横に振った。
「よく分からない」
「はあ? あんた、自分で買ってきたんでしょ?」
「だって男物の下着だぞ。恥ずかしくってよく見てないんだ」
彼女は俯き加減でそう言うと、
「選ぼうにも種類がありすぎた」
みゆきの顔を見つめながら、真剣な瞳でそう語った。
「男性下着のコーナーに立った時の、絶望的な気持ちを分かってくれるか? 途方に暮れるとはあの事だ。男物の下着など深く考えた事がなかったので、あんなに多くの種類があるなんて思いもよらなかった」
「あんた、いったいドコへ買いに行ったの?」
「いや、だから……というお店に」
彼女が口にした店名は、隣県にある総合ショッピングセンターだった。
「……それ、無茶苦茶遠くない?」
「電車とバスで二時間かかったよ」
「何でわざわざ、そんな所へ?」
「だってネットで《下着が充実している》って情報があったし、男性の下着を買い求める姿なんか知り合いに見られたくないだろ?」
「恥ずかしいなら、やめりゃよかったのに」
「仕方ないじゃないか。ちょっとイタズラ心を込めたプレゼントをしたいと思ったんだよ。夜中に思いついた時には悪くないアイデアだと思ったのに!」
「……夜は寝ような」
「明日からは、そうするよ!」
「今日からにしようね!」
いつもは冷静沈着で物事にあまり動じない友人なのに、惚れた男が絡むだけで、ここまで取り乱すものなのか。
感心しているみゆきをよそに、友人の話は止まらない。
「沢山の下着を前にして、何が違うのかと手に取ってみてから、自分が衆人環視の中で男物の下着を触っていると気が付いた時の衝撃たるや!」
歩んでいた足を止めて、まるで演説でもしているかのように拳を握りしめて語り続ける。
「周りの人がみんな私を見ているような気になって、ものすごく恥ずかしくなった。頬どころか耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かるから、それがまた恥ずかしくて」
喋りながらその時の事を思いだしたのか、彼女はいまも耳まで真っ赤になっている。
「とにかく何か選ばなければ。そう考えた時になって、ようやく私は気がついたんだ。自分がそうであるように、彼にだって下着の好みくらいあるだろう。そう言えばサイズの確認すらしていないのだが、ポチはMサイズでいいのだろうか?」
「そういうのは、売り場の人に相談すればいいんじゃない?」
いまさらの提案だが、彼女は激しくかぶりを振った。
「それは私も考えたさ。でも何て聞けばいい? 『付き合ってもいない部活の後輩を驚かせたいから、彼に似合うパンツをください』とでも言えというのか?」
「うん、そのままでいいと思うよ」
「それが聞けるのなら電車で二時間かけてない! あれを持ってレジに並ぶ事を考えたら、いっその事、万引きしてしまおうかと思ったくらいなんだから」
「でも結局、買ったんだよね?」
恐る恐る聞いてみる。
正直な話、恥ずかしいという理由で男性下着を万引きするような友人は嫌だ。
幸いにも彼女は涙目になりながらも頷いてくれたので、みゆきはホッと薄い胸を撫で下ろした。
「ああ、買ったさ。なんか黒いパンツを買ったよ。私はやり遂げたんだ」
みゆきの脳裏に、真っ赤になってガチガチに緊張しながら、レジで会計をする友人の姿がありありと浮かぶ。
周りの人には、さぞかし可愛く映った事だろう。
たかがパンツを買うくらいで大げさな事だ、と思わなくもない。
でも、きっと彼女には一大イベントだったのだろう。
「ま、受け取ってくれたんなら、よかったね」
「ちゃんと履いてくれたらいいのだが……」
意味深に聞こえなくもないセリフだが、たぶん彼女は言葉通りの意味で言っているのだろう。あまり物を考えていない奴なのだ。
「そのうち確かめてみたら? ——ポチくんを脱がせてさ」
「な、何を言って……。そんな事できるワケないだろう!」
真っ赤になって怒っている友人に、みゆきは笑いかける。
「あのさ、次はあたしに声かけてよ。そしたら一緒に選んであげるから」
「しかし、それではみゆきまで恥ずかしい目に遭わせてしまうじゃないか」
「そうだね。でも二人なら恥ずかしさも半分づつさっ!」
「……ありがとう、みゆき」
そう言って彼女は大粒の涙を流し始めた。
「うわっ、あんた、何で泣くのよ?」
そこまで恥ずかしい体験だったのか?
みゆきには彼女の気持ちが、いまいちピンと来ない。
年頃の女性が男物の下着を買う理由なんか、いくらでもあるハズなのだ。
年の近い弟がいるせいか、男物の下着なんか見慣れているし、洗濯だってした事がある。
ものぐさな弟に頼まれて、近所のスーパーで買った事だってあるのだ。
みゆきには、それを恥ずかしいと思う感覚がない。
まあ、ポチくんの下着を買うってのが重要なんだろうな。
好きな男の子の下着だからアレコレ意識してしまうのだろう。
そこはちゃんと分かっているつもりだ。
彼女に『二人で買いに行こう』と言ったのは、別に恥ずかしさを分かち合おうなんて意味はなく、男物のパンツを手にして色んな妄想を広げまくりながら悶えている友人を生で鑑賞したい、という好奇心からの言葉だ。
「みゆき、私は誤解していた。最初に相談すればよかった。ポチのパンツを買うなんて言ったら、絶対にからかわれると思っていたんだよ」
友人は泣きながら詫びているが、その推測はそのまま当たっているので、みゆきはちょっと心苦しい。




