2-8 あたしがもらってもいい?
「え? あたし、フグなんかさばいてないよ?」
部活中に廊下へ呼び出されたフッコは、呆れた顔でそう言った。
「しかし山本は『フグを売っていた』と断言したぞ」
調理実習室前の薄暗い廊下で、先輩は『ネタは揚がっているんだ』と言わんばかりに迫るが、フッコは手にしたお玉でトントンと自分の肩を叩きながら平然とした顔だ。
「あれ、ハリセンボンだよ」
「……ハリ、センボン?」
僕らは思わず顔を見合わせた。
ハリセンボンが魚の名前なのは分かるけど、どんな魚なのか全く分からなかった。
「山本は膨らむからフグだって言ってたけどさ、トゲトゲがすごかったから、すぐに違うって分かったよ。あれは鍋にするとおいしいんだよ」
「し、しかし鍋だけではなく、薄造りの刺し身も出していたんだろ? ハリセンボンはそんな食べ方をするのか?」
先輩が言うと、フッコは面倒くさそうに『はあっ』と大きなため息をついた。
「そっちはカワハギ。山本は最後までフグと信じていたみたいだけどね。——あのさ、会長は釣り人がみんな魚に詳しいと思ってんの?」
「でも客がしびれたって——」
しつこく食い下がる先輩に、フッコはふわふわの髪を揺らしておかしそうに笑った。
「そんだけ、あたしの料理がおいしかったって事でしょ。フグなんか調理するわけないじゃん。イワシの頭も信心からって言うからね。自分が食べているのがフグだって思い込んでいれば、しびれた気にもなるんじゃない?」
「……はあ」
「ていうかさ。文化祭のバタバタしている時に、ここでフグなんかさばいたら、しびれたくらいじゃ済まないと思うよ?」
ごもっともな一言だった。
文化祭の日は、調理実習室も色んな人が出入りしていたんだから、本当にフグを扱っていたなら客より先にこっちで食中毒騒ぎがあったハズだ。
と言う事は、山本はフグと偽って、ハリセンボンとカワハギを提供しただけか?
普通の店なら虚偽表示とかの問題になるのだろうが、文化祭の模擬店だしなぁ。
「ま、誤解が解けたんなら、それでいいよ。んじゃね」
軽い感じで会話を締めて、フッコは僕らに背を向ける。
「もう一つ、聞きたい。君は山本と付き合っていたんだよな?」
「ああ、セイゴの事?」
フッコは苦笑しながら振り返った。
「あたし、もう山本と付き合ってるのイヤだったんだよね。最初は一つの事に夢中になっている感じがよかったんだけどさ。付き合っている彼女の顔も、魚の種類も覚えられないバカだったんだもん」
彼女はちょっと、いたずらっぽく笑い、
「ちょうど、セイゴが山本を好きだって言うから、あげたの」
あっけらかんとした調子で言い放った。
「……そ、それでいいのか?」
品物を扱うような言動に、先輩が絶句しかけている。
「うん。よく見るとイジメられっ子みたいな顔してるしね。惜しくないよ」
そう言ってから、フッコは急に僕へ視線を移して、二マッと笑う。
「この子、生徒会の人じゃないよね?」
「え? ああ、そうだが……」
突然の話題に、先輩が困惑しながら返事をする。
「これ、会長の彼氏なの?」
「そそそ、そんなワケあるか!」
思いもよらなかった質問に、真っ赤になった先輩が叫ぶ。
「あれ? 違うの? 何となくそんな感じがしたんだけどな」
「ち、違う。私たちはただの茶道部の部長と部員だ! それ以外の関係なんて全くない!」
「ふーん。じゃあ——」
フッコはスッと腕を伸ばして、僕の袖口をつまんだ。
「——これ、あたしがもらってもいい?」
「ええっ、何それ?」
唐突な発言に僕が驚いていたら、先輩がものすごい勢いでフッコの手を振り払う。
「いきなり何を言い出すんだ! 君とポチは初対面だろ? あげるとかもらうとか、そんな言い方は相手に失礼だ!」
激しく激高する先輩を、フッコは上目遣いで見やり、
「……冗談よ?」
肩をすくめてクスクスと笑っている。
「あたし、もう別の彼氏いるし。ごめん、そこまでムキになるとは思わなかったのよ」
……ああ、さようでございますか。
「ふん、私はムキになってなどいない。君の男性観が間違っていると言いたかっただけだ」
「あはは、会長は真面目だね。でも、あんまり強く否定しちゃうと、ポチくんが傷つくよ?」
「……そうなのか?」
心配そうに僕の顔をのぞき込んでくるのは、ちょっと可愛く思えるけれど、それを言ったら怒るんだろうなぁ。
「すいません、フッコさん。こっちの言い方に非礼があったのなら謝ります。先輩はからかわれるのに慣れてないので、この辺で勘弁してもらえませんか?」
僕がそう言って頭を下げると、フッコは柔らかい笑顔を見せる。
「意地悪しているんじゃないのよ。会長がかわいかったから、つい、ね」
その気持ちはよくわかるから、僕も笑顔を見せてフッコに何か言おうと思ったのだが、
「何してる。行くぞ、ポチ」
そんなヒマもなく、不機嫌そうな先輩が僕の腕を強く引っ張った。